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たんぽぽの君に幸せを伝えたくて。  作者: まーるの住人
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第4話(上)

朝、目が覚めたわたしは寝台の上で一人寝かされていた。

いつもの広い部屋には誰もいない。ティタもメラニスもいなかった。

わたしは体を起こして、ふうとため息をついた。わたしはいったいどうしたらいいんだろう。もう婚礼の儀は終わり、わたしとメラニスは夫婦となった。初夜の儀式は二人の間では終わっていないが、ティタがなんとかごまかしたようだ。

そうだ。ティタ……。わたしは彼女のことを考えた。ティタは不思議な女性だ。乱暴だけど、ときどきやさしい。昨夜もわたしをずっと抱きしめてくれていた。怒らせてしまったけど、手紙を書かせてくれたのもティタだし、わたしを慰めようとサテュラを呼んだのも彼女なんだろう。その彼女は、わたしなんかよりもずっとメラニスのことを大切に思っている。そう思うと、ティタを見届け人に指名したメラニスはひどく残酷だと思った。

「わたしなんかじゃなく、ティタがメラニスにふさわしいんじゃないかな……」

わたしがそう独り言をつぶやいたとき、廊下のほうからパタパタと足音が聞こえた。

顔を上げると、部屋の入り口からティタと数人の女中が入ってきた。ティタが代表して挨拶をする。

「おはようございます。若奥様」

「あ。お、おはよう……ございます」

わたしは昨夜のことを思い出してどぎまぎした。ティタがいつもどおり、女中たちにあれこれと指図すると、わたしのところまで歩いてきた。にこりと優美な笑顔でティタはわたしに尋ねた。

「ご気分はいかがでしょう? 初夜のあとですからさぞお疲れかと存じますが」

「い、いえ。昨夜はありがとうございました。大丈夫です」

「それはようございました。若旦那様は議会の用件がありまして、朝早く出られてしまいました。午後には戻るので、一緒に若奥様と歌でも歌いたいと話されていました」

そう言うと、女中の視線がないことを確認したティタは優美な笑顔からいつものにやついた顔になった。

「ふふ、大丈夫? お歌、自信あるかい?」

ティタはわたしに顔を近づけると、小声でそっとわたしに言った。わたしは首を振る。

「無理ですよ……。六脚韻ヘキサメトロンもろくに歌えないのに……」

「そうか。じゃあ、メラニス兄に教えてもらいなよ。なかなかうまいもんなんだよ?」

そう言うと、ティタはわたしの肩を軽くぽんと叩いて励ました。そして、きりっとした表情に戻り、みなに聞こえるように言った。

「では、若奥様。お召し物を替えさせていただきますね」


「若奥様」となったわたしは、家の中でこれまでとは比較にならない待遇を受けるようになった。これまでは「メラニスの連れてきた村娘」ぐらいだったから、女中たちも「仕方なく」という態度でいたのだが、いまはティタ以上の立場だからあらゆる場面で敬意がはらわれるようになった。もっとも心の底でどう思っているかまではわからないし、わかりたくもなかったが。

そういえば、ティタはこの家を出ていかないのだろうか? 彼女はついこの間はわたしにそんな啖呵を切っていたし、見届け人をさせられるなんてこともあった。だから、イヤになって出ていってもおかしくないのだけど、今日の雰囲気を見るとこれまでと変わらない様子だった。

午後になって女中がわたしを呼びに来た。メラニスが戻ってくるので、若奥様を筆頭に出迎えてほしいとのことだった。わたしは急いでティタたちのところに行くと、玄関でメラニスを出迎えた。

「おかえりなさい。メラニス様」

「ただいま戻りました。マナさん、お疲れはありませんか?」

メラニスはわたしを見ると、心配そうに見つめた。わたしは昨夜のことを思い出して気恥ずかしくなって、うつむいてしまった。

「だ、大丈夫です……」

「そうですか。今日はあなたと歌を歌いたいと思いましてね。いえ、聞いてくださるだけでよいのですよ」

メラニスはティタを見ると尋ねた。

「ティタ、居間の用意はできているのか?」

「はい。竪琴リュラもきちんと用意しております」

「よし。では、行きましょうか」

わたしとメラニスは居間に向かった。そこはとても広い部屋で、中央のテーブルを取り囲むようにいくつかの寝椅子クリーネや椅子が置かれていた。わたしが初めて入る部屋だった。寝椅子の上にある竪琴をメラニスは取ると、ぽろんと軽く奏でる。

「マナさん、おかけになって。さて、何の歌を歌いましょうかね……」

メラニスはわたしにどんな歌を歌えばよいか考えている様子だった。わたしは椅子に腰をおろした。きっと教養あるティタならさっと詩人の名前を言うんだろうな。どうでもいいことを考えながら、わたしは、さてなんて答えようかと首をかしげた。

ティタたちが部屋に入ってきて、果物やお菓子などをテーブルに置いていく。ティタが難しい顔をしているわたしのそばにやってきて、耳打ちした。

「歌は決めた?」

「何がいいかって……何がいいです?」

「あっそ。サッポーがいいとか言っておきな。アルカイオでもいいけど」

ティタは思ったとおり、わたしの質問にさっと詩人の名前を出した。でも、誰だったっけ? なんかティタの講義のときに聞いたことがある名前なんだけど……。ティタがわたしのそばを離れると、わたしはメラニスに言った。

「あの……サッポーなんていかがでしょう?」

「おお、サッポーをご存知ですか。それはいいですね! では……」

そう言うと、メラニスは竪琴を爪弾きながら詩を歌いだした。豊かな彼の声が歌うのは……え……恋の歌? 少し変わった拍子ではあるけど、彼の歌い方がうまいのかそれが詩の言葉と絶妙にあっている。竪琴の音色と彼の深い声がわたしを包み込んだ。

聞き惚れていたので、わたしはメラニスが歌い終えたのも気づかないくらいだった。メラニスがわたしに問いかけた。

「いかがでしたか、マナさん。……あれ? マナさん?」

「あっ……! ええと、すごくステキでした!」

わたしはメラニスの声にはっとして、とっさに感想を言う。だが、ああ、なんて浅い感想なんだろう。こういうときティタならどんなふうに言うの?

だが、わたしの感想にメラニスは気をよくしたみたいだった。続けて別の歌を歌う。これも恋の歌だった。サッポーというのは恋の歌の詩人なんだ。

わたしはカンタロを取ると葡萄酒を飲んだ。ほどよく水で割ってあるのでそうきつくはない。なんだか久しぶりに緊張のない日を過ごしている気持ちがした。昨日までのわたしはこの運命を不幸だと思ってはかなんでいた。でも、こうしてゆったりと時を過ごしていると、なんだか心がふわりと軽くなるような気がしていた。

「マナさま。村には祭りの歌とかなかったのですか?」

いつの間にかそばに立っていたティタがわたしに尋ねた。わたしは突然の彼女の振りにびっくりして、ティタを見上げる。

「む、村にも祭りの歌はありました。でも……そんなにきれいな歌じゃないっていうか……」

「いや、それはおもしろいな」メラニスがうなづく。「ぜひ聞かせてください。素朴な味わいのある歌なんじゃないかな!」

メラニスまでそんなことを言ってわたしに求めた。あまり拒否しても場が白けてしまう。わたしはさっさと歌って終わりにしたい気持ちから、恥ずかしさに顔を真っ赤にしながら村の言葉丸出しで祭りの歌を歌い出した。

それを聞いていたティタがしばらくして首をかしげた。

「あれ……? これ、カリアード韻?」

ティタの言葉にメラニスはにやりと笑って、竪琴をぽろんと奏でた。

村ではアウロで音をつけたけど、メラニスの竪琴はまたちがった旋律でわたしの歌を美しく飾る。不思議に楽しく、きれいだ。この歌、こんな雰囲気だったっけ……。いつの間にか恥ずかしさが消えていた。わたしは歌いきると、ふうとため息をついた。ティタがにこにこしながら、ぽんとわたしの背中をたたいた。

「ステキだよ、いーじゃない!」

そう言ったティタは自分の口調が崩れたことにはっとして言い直した。

「と、とても美しうございましたわ、マナさま」

わたしとメラニスはそんなティタを目を丸くして見ると、おかしくなって二人して笑ってしまった。ティタは恥ずかしげにぷいと顔をそらした。メラニスは笑いをこらえながらわたしに言う。

「そうですね、ティタの言うとおり、とても素朴なよい歌でした。ありがとうございます」

「い、いえ。こんな歌でよかったのかな……」

音楽に造詣のあるメラニスに褒められて、わたしは照れてしまった。ティタがうなづきながら、メラニスに言った。

「どうですか? メラニス様。若奥様に歌の手ほどきをされては?」

「えっ……??」

「ああ。それはいいですね。マナさん、難しいことはしませんよ。わたしと一緒に少し歌うくらいです」

わたしが驚いているうちに、メラニスはティタの提案にうなづいていた。ティタがわたしの肩をぽんぽんと叩く。振り返るとティタはにやりと笑って、わたしに耳打ちした。

「そんな不安げな顔しないの。あなた、意外に才能ありそうだしさ?」

わたしが返事する間もなく、ティタはメラニスとわたしに会釈をすると居間を出ていってしまった。居間にはわたしとメラニスが残された。メラニスがぽろんと竪琴を奏でる。

「では、これから練習する歌をわたしがまず歌いますね」


それからというもの、メラニスは仕事の合間をぬって家に帰ってきてはわたしとおしゃべりしたり歌を歌ったりすることが多くなった。わたしも最初はメラニスに緊張していたが、彼はできるだけわたしの気持ちが和らぐように話しかけてくれた。わたしも彼のその気持ちに感謝しながら一緒に時を過ごした。

「そういえば、婚礼の宴のときにお父様からお聞きしましたが、弟さんたちを町の学校に入れたいとか?」

ある日の昼間、いつものように居間で話しているとき、メラニスがわたしに尋ねた。わたしは苦笑して首をふった。

「はい。でも、メラニス様と縁があったので、父は少し気持ちが大きくなっているようなんです。本気になさらないでください」

「いやいや。これはいい考えだとも思うのですよ。あなたもきょうだいがそばにいると安心ではありませんか? わたしも少しお手伝いしたいと思っていたのです。きょうだいの大切さはわたしもよくわかりますからね」

メラニスはそう言うと、笑顔でうなづいた。

わたしはメラニスの言葉を聞いて、不思議に思った。メラニスにはきょうだいはいないはずだ。どうしてそんなことが言えるのだろう? わたしはメラニスに尋ねた。

「メラニス様はごきょうだいがほしかったのですか?」

「え? ああ、ちょっと誤解をまねきました。きょうだいというか、ニキオという男がいましてね。彼はティタの兄なのですが、わたしにとっても本当の兄のように慕う方です。大変頼りになりますね」

メラニスが言うには、ティタの兄ニキオはメラニスの家の家宰のような立場で、主にこの家の貿易関係の仕事を取り仕切っているらしい。そのため、この邸宅に顔を見せることはそう多くはないが、帰ってくるとメラニスと二人で朝まで飲み明かすほどの仲だという。

「そう言えば、婚礼の直前にわたしの妹を呼び寄せていただきましたね。あれもメラニス様が?」

「ああ。サテュラさんのことですか。あれはティタですね。ティタがあなたを心配してわたしに相談したので、使者をやってお呼びしました」

メラニスはそう言って笑った。

彼の口からティタの名前が出てきて、わたしはずっと気になっていたことをどうしてもメラニスに聞きたくなった。

「あの……不躾な質問なのですけど」

わたしはメラニスを見つめて言った。メラニスは笑顔でわたしを見る。

「どうしてわたしだったんですか?」

「どうして……?」

メラニスは怪訝な顔をした。わたしは意を決して言った。

「だって、ティタさんはきれいだし、わたしなんかよりずっと教養もあります。歌もあなた好みのものを知っている。おまけにニキオ様の妹さんなのでしょう? あなたの妻にはティタさんのほうが……」

「ん? ティタ? あいつがまたあなたに何か言いましたか……?」

メラニスは困惑した顔でわたしに聞いた。わたしは首を振る。

「いいえ。ティタさんはわたしにとてもよくしてくれています。だから気になるんです。素朴な疑問なんです。あなたの妻になるのは、村娘のわたしにとって過分な誉れと思います。でも、どうしてわたしなのかわからないんです」

「うーん……」

メラニスはうなると顎に手を添えて考え込んだ。

「どうしてその話にティタの名前が出てくるのですか?」

「……ティタさんの想いをご存じないのですか?」

「あいつ、それをあなたに話したのですか! ああ……頭に血が上らなければ思慮深い子なのですが……」

メラニスは苦笑した。わたしはその様子を見て眉をひそめた。

「ご存じなのに……見届け人を強要したのですか?」

「知っています。強要……とは厳しい言い方ですね。それはわたしとティタの問題ですし、ティタも納得しています」

本当だろうか。わたしは黙ったまま、不信のなまざしでメラニスを見つめる。メラニスはわたしから目をそらすと、大きなため息をついた。

「……ティタを選ばない理由を話さないと納得しませんか」

「ティタさんはわたしに、あなたを信じてあげてほしいとお願いしました。哀れな女のお願いだって。だから、わたしはあなたを信じたいと思います。でも、いまここで話してくださらないなら、本当にそれでいいのかわからなくなります」

「そうですか。わかりました。ティタには秘密にしてほしいのですが……」

メラニスはわたしに視線を戻すと、真剣な表情で言った。

「あいつはわたしの腹ちがいの妹です」

「……え?」

「親父とある女中との間の娘です。もうその女中はこの家にいません」

メラニスはあまり話したくないことなのか、いつもよりも早口でわたしに言った。

「あいつは生まれてすぐにニキオのご両親に引き取ってもらって、実の子として育ててもらいました。この家でこの事実を知るのは親父とわたし、それにニキオだけです。……いま、あなたが増えましたが」

メラニスはそう言うと、テーブルの上の杯を取ってくっとあおった。

わたしは想像していなかった話を聞かされて、とっさに何も考えられなくなっていた。頭の中が落ち着くまで、しばらくの間、二人は何も話さなかった。

「でも……」

わたしがようやく口を開く。

「どうしてそれをティタさんに秘密にしているのですか? 彼女は秘密を打ち明けられても受け止められると思うのですけど……」

「それは……」

メラニスが言いよどむ。

「わたしもそれを知らされたのが2年前で、父からでした。だから、その事実をつげるべき人間はわたしではないと思っただけです」

ティタの気持ちを知っているのに? わたしは少し不思議に思ったが、メラニスが言う「事実をつげるべき人間」とはメラニスの父──ティタの実の父──を指しているのだろう。それはなんとなく理解できた。

「……じゃあ、なんで」

ティタのことはなんとか解決できたわたしはきょとんとした顔でメラニスを見る。

「なんでわたしなんですか? 町には他にも上流のお嬢様たちがいらっしゃるでしょう? 別に村娘でなくても……」

「うーん。まるで父のようなことを言いますね!」

メラニスはまた苦笑したけど、余裕のある表情だ。

「あなたは十分魅力がある女性です。そんなに誰かと比べなくてもよいと思いますよ。ティタに不安になるのはなんとなくわかりますが、不安なんですか?」

「わたしはあなたのことをよく知らないから、不安と言えば不安です」

わたしはきっぱりと言った。メラニスが頭をかいて、恥ずかしそうに話しだした。

「そうですね。あなたが野に咲く可憐なたんぽぽのようだったから、ですね」

「……はい?」

「初めてお会いしたとき、そう思いました。とても可憐な美しさを持つ女性だな、と。そういう美しさを持つ女性は町にはいませんからね。それになんというか……確かに洗練されていないけど、素朴で純粋な反応をする方だから新鮮でしたね。それで、ずっとそばにいてほしいなと思って、村長殿を通じて縁談を申し込んだのです。いけませんでしたか?」

メラニスはそう言ってわたしを見つめる。

わたしは彼の言葉を聞いて、一体どの女性の話をしているのだろうと思っていた。が、次の瞬間、彼がわたしのことを──しかも、美しいなどと──言っているのだと理解して、顔から火が出るほど恥ずかしくなった。とてつもなく鼓動が速くなる。わたしは両手で真っ赤な顔をおさえながら、メラニスに言う。

「ええ……? ええと、その……! それ、本気で言ってるんですか?」

「はい、もちろん。それに……」メラニスが不思議そうな表情で言う。「わたしたちはもう夫婦です。本気でなければできないと思いませんか……?」

わたしは思わず我を忘れてメラニスに聞いてしまう。

「ええっ。わ、わたしのこと、本当に好きなんですか??」

「好き……。ははは、なかなか恥ずかしくなる表現ですね。でも、あなたのことをとても大事に思っていますから、好きということですね。そう、あなたが好きですよ」

メラニスはそう言うと、顔を赤くして照れ笑いをした。わたしはその顔を見て、なんだか胸の奥が熱くなる思いがした。

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