第3話
婚礼の日まであと2日となった。
ティタは翌日もわたしの世話や教育のために姿を見せた。謝罪の言葉がないのは予想していたけど、いつもよりずっとよそよそしく、以前のようにわたしにくだけた言葉で話しかけることもなくなった。
わたしは一人ぼっちになった。いや、いままでも一人ぼっちだったよ。でも……少しちがうような気がした。
「マナさま」
ティタがわたしに話しかけてきた。部屋の中では女中たちが婚礼に向けた用意のため、騒がしくいろいろな荷物を運び入れている。
「……なんでしょうか」
わたしはティタの顔を見ずに答えた。
「ご家族は婚礼の日に来られるとうかがっています。ですが、実は妹様だけ本日の昼にこちらにお越しになります。お会いになりますか?」
「え……サテュラが?」
わたしは思わぬ話にティタのほうを見る。ティタはゆっくりとうなづいた。
「サテュラ様……そうです。そのお名前でした」
わたしの心はぱっと明るくなった。表情にも出たのだろう。ティタはわたしを見て少しだけ笑った。
「お答えは聞かなくてもよいようですね。ここはざわついていますので、小さいですが、お話をできる部屋を用意しました。後ほどご案内します」
昼過ぎにサテュラはメラニスの館にやってきた。
わたしはティタに案内されて、小さな部屋にやってきた。どうも葡萄酒を一時的に保管するときに使う小部屋らしい。籐の椅子が二脚用意されていた。
「お姉ちゃん!」
やがてやってきたサテュラはベールを取ると、懐かしい笑顔を見せてわたしに抱きついてきた。わたしはそんな妹の頭を撫でる。久しぶりの再会。サテュラはわたしを見てつぶやくように言った。
「すごくきれい。もうすぐ結婚しちゃうんだね……」
ティタがそんなわたしたちを見て、椅子を示して言った。
「どうぞお二人ともおかけになって……。わたしは隣の部屋にいます。何かあればお呼びください。では、ごゆっくり」
そう言うと、ティタは部屋を出て行った。わたしはそれを見送ると、サテュラに椅子をすすめて、自分も腰をおろした。その様子を見ていたサテュラは意外そうな顔をしている。
「どうかした?」
「いや……お姉ちゃん、なんかおしとやかだなって思って。そうだよね、もうすぐメラニス様の奥さんになるんだもんね」
「……そうだね。ここに来て、いろいろ作法とか教養とか学ばされたから」
その会話はわたしをあまりおもしろくない気持ちにさせた。サテュラ、お姉ちゃんはこんな自分になろうとしてなったんじゃないよ。どれだけそう言いたかっただろう。
でも、隣にティタがいる。わたしは話題を変えることにした。
「それにしても、サテュラは今日はどうしたの?」
「え? お姉ちゃんが家族に会いたがっている、母親か女きょうだいなら会わせてあげられる、誰か来てくれないかって使者が来たんだよ。それであたしが来たんだけど……」
サテュラが首をかしげてそう言った。わたしも首をかしげる。
「わたしはそんなこと、言った覚えはないけど……」
「なんか話が食い違ってるね? まあ、いっか。メラニス様が気を利かせたんじゃないの?」
メラニスが……? そんなことをするだろうか。もしかして、ティタ?
わたしがいぶかしむのをよそに、サテュラは細かいことを意に介さず、わたしに家族や村の様子を話した。父は羽振りがよくなったせいでだいぶ気前がよくなってしまったみたいだ。三人の弟をいずれ町の学校に行かせると息巻いていて、母やサテュラは気が気でないらしい。
「それでさ、弟を教える先生を町から呼ぶんだって……。バカだよね!」
サテュラが笑った。
わたしは、あれ?と思った。町からわざわざ呼ばなくても、レウタなら弟たちを教えられるんじゃないのかな。
「村にも……教えられる先生はいるんじゃないの?」
「……いないよ。もういない」
サテュラは表情を曇らせて言うと、口をくっとかたくしてうつむいた。
「どうして……? わたしの手紙のせいで?」
「手紙のせい……?」
「彼はもう村にいないの? 追放されたの?」
「追放?! 何を言ってるの? あいつのほうから出てったンだよ? お姉ちゃんを見捨てて!」
サテュラがめずらしく感情をあらわにして、語気強くわたしに言った。わたしはわけがわからなかった。
「わたしを見捨てて……って? 何の話?」
「お姉ちゃん、もしかして何も知らない……?」
わたしはわけもわからず、サテュラの質問にうなづいてよいのかもわからなかった。でも、自分が何も知らないのは確かなんだろう。わたしはようやくゆっくりとうなづいた。
サテュラは少し考えて、わたしを真剣な目で見つめながら話し始めた。
「……あいつはね、いま都にいるよ。大臣の娘婿におさまってる。家族も都に呼んだんだ」
「大臣の娘婿? でも……わたしと最後に会ってからまだ三月もたってないよ?」
「お姉ちゃんと最後に会ったときには、もうその話はできあがっていたんだよ。あいつはお姉ちゃんを騙したんだ。なんて酷いヤツ……!」
サテュラはぐっと両手のこぶしを握り締める。わたしはただ茫然としていた。レウタがわたしを……裏切っていたなんて? そんなこと、信じられないよ。約束したんだよ?
だけど、サテュラが嘘をつくはずもない。何かの間違いだと思いたいけど……。心がまったく整理できない。いま自分がどんな感情かもわからない。悲しみ、寂しさ、不信……いったいこの渦巻く感情をどう抑えればいいの?
わたしの目から涙がこぼれだした。サテュラが駆け寄る。
「だ、大丈夫? お姉ちゃん?」
「本当……なんだよね、その話」
「本当もなにも……有名な話だよ。家族の引っ越しに駆り出された村の人が何人か都まで行ってて、実際に見ているんだ。この町でも話は入っているんじゃないかな……。少なくともメラニス様なら知っているはずだよ。大臣の娘婿がわたしたちの村の出身だってことは」
メラニスが知っている? 知っていて、わたしの手紙を故郷に届けさせていた? それは……どういうことなの?
わたしの心の緊張は限界だった。わたしは駆け寄ったサテュラの衣を強く握りしめる。
「痛っ! お、お姉ちゃん、やめて……。落ち着いて!」
サテュラが悲鳴を上げた。すると、壁の向こうからパタパタという音がした。
「どうしたのです?!」
サテュラの悲鳴を聞いて、隣の部屋にいたティタが走りこんできた。すぐにわたしに駆け寄り、サテュラから手を放させると背中を撫でる。そうしながら、ティタはサテュラをにらみつけた。
「何があったのです?! あなた、マナさまに何を話したんです?!」
「な、何もしない……。幼馴染のレウタが大臣の娘婿になったって話をしたんだ……」
「レウタ? 大臣の娘婿……?」
ティタはサテュラの説明を最初はのみこめず、怪訝な表情をしていたが、やがてそれは驚きに変わった。そして、わたしに向かって言った。
「え……あんたの雄牛って……あのペリネス閣下の娘婿のレウタなのか?」
「ぐぅっ……。どうせ……どうせあなたも知っていたんでしょ?!」
わたしはティタの腕を力いっぱいつかむ。絶望が声を出すとこんな声なのだろうか。ティタはびくっと反応すると恐怖の表情を浮かべた。わたしはティタを見上げるようににらみつける。
「みんな知ってて、笑ってたんでしょ? メラニスも! あなたも! 捨てられた女はみじめだよね……バカみたいに信じて! 楽しかった……? ねえ?」
「くっ……。わたしは知らないっ!」
ティタは歯を食いしばると、わたしの手を払いのけた。そうして、力いっぱいわたしの頬を平手で殴りつけた。盛大な音を立てて、わたしは椅子から転げ落ちる。サテュラがあわててわたしに駆け寄った。
「お、お姉ちゃん!」
「それに笑ってなどいない! いい加減にしろ! あんただけが不幸せだって言うのか!」
ティタがわたしに怒鳴った。
「大事な花嫁を殴っていいの……?」
わたしは頬をおさえながらティタをにらみつけた。
「わたしはもう死にたいよ。殺して。お願い」
「あんたッ……! くそっ。ああ、殺してやりたいさ! あんたさえいなければ……わたしはメラニス兄と……」
ティタの目から涙があふれ出した。そんなティタをわたしは無感動な表情で見ていた。
「どうしてあんたなんだよ! ちょっと美人っていうだけで教養もないくせに。ホメロの詩の一篇も歌えないあんたが。どうしてわたしじゃない……一番近くで支えてあげられるわたしじゃなくて……」
ティタは体と声を震わせながら、わたしに言った。わたしの背中をサテュラがずっと撫でてくれている。わたしは妹の手を弱く握った。
「メラニス兄から、あんたと結婚するから世話をしろって言われたときの、わたしのみじめな気持ちなんか知らないだろ? 理解したくもないだろ? じゃあ、なんでわたしはあんたの気持ちを理解しないといけない? 甘えるなよッ!」
ティタはそこまで言って、震える体を落ち着けるようにふうと息をついた。
「ここまでだ。わたしはメラニス兄にあんたを平手打ちにしたことを言うよ。そうして、ここを出て里に帰る。あんたなんかと結婚して、メラニス兄が不幸になるのをそばで見たくない」
そういうと、ティタは小部屋から出て行った。小部屋にはわたしとサテュラが残された。サテュラはおろおろとした声でわたしに言う。
「お、お姉ちゃん……。ごめん、言うべきじゃなかった」
「ううん……」わたしは弱々しく首を振った。「これがわたしの不幸な運命だったんだよ。サテュラは……幸せになってね」
向こうの廊下から何人かの小走りする足音が聞こえる。女中たちが部屋に入ってきた。
「ティタ様から聞きました。お部屋にお連れいたします。妹様もお付添いを……」
婚礼の日を迎えた。
わたしは婚礼の儀式のことをほとんど覚えていない。ティタは婚礼の儀式の進行から外されて、姿は見えなかったこと、女中の一人が何から何までわたしに指図してなんとか婚礼の儀式を形にしたこと、それぐらいだった。メラニスとの誓いの言葉もきちんと言えたのかどうか覚えていない。
そんなわたしの様子を感じて、メラニスは相当焦ったようだった。宵の口になって、わたしは宴もそこそこに女中たちに手を取られて部屋に連れられた。いくつかの明かりで照らされた薄暗い部屋の中には、どういうわけかティタが椅子に座っていた。女中たちはわたしを寝台に座らせると、ティタに会釈をして部屋を出て行った。
「ご成婚、おめでとう……。形ばかりは言わせてよ」
「……ここを出たのではなかったのですか?」
わたしは静かに尋ねた。ティタは寝台から少し離れた椅子に腰かけている。机の上には葡萄酒の入った水差しと二器の杯が置かれていた。彼女は机の杯を持つと、立ち上がってわたしに近づいてきた。そして、杯と小さな丸薬をわたしに手渡した。
「はい、お薬」
「お薬……?」
「あんた、生娘なんだろ? 結構痛いと思う。その薬はなんというか……気分が高揚するやつ」
わたしは言われるままに丸薬を杯の葡萄酒で飲み干すと、ティタに杯を返した。
「案外、落ち着いているね?」
「不幸な運命を受け入れました」
「そっか……。メラニス兄があんたをきっと幸せにしてくれるよ。安心しな」
ティタはそう言うと、わたしから離れて椅子のところまで戻る。
「ああ。質問に答えてなかったね。メラニス兄は残酷な人でさ。わたしを見届け人に指名してね」
「見届け人……?」
「初夜が執り行われたことを見届ける人のこと。あんたの村でもあるだろ? ふつうは年配の親戚を指名するんだけどねー」
「拒否しなかったのですか?」
「……メラニス兄がね、それをやれば、花嫁を殴ったことを許すって言うんだ。ふふ、残酷だろ? 自分は許しているが、お前は拒否するのか?ってこと。……断れるわけないよ」
ティタはそう言って、大きなため息をついた。
「いまはわたしも穏やかな気持ちだよ。もうどうしたって、メラニス兄はわたしのものにはならない。それはわたしには不幸なのかもしれない。あんたがメラニス兄を幸せにしてくれることだけを望むよ」
「お望みにはこたえられないと思います」
「ちっ。かわいくない女!」
ティタは悪態をついたが、少し笑っているようだった。
「でも……ティタさんに教えてほしいことがあります」
わたしはティタに質問したいことがあった。ティタは腕を組んでうなづく。
「なに? 答えられることなら」
「わたしとメラニス様が初めてお会いしたとき、わたしはメラニス様の夜伽の役目を与えられていました」
「え……? じゃあ、あんた、生娘じゃないの?」
ティタが意外そうな顔をしてわたしに尋ねる。わたしは首を振った。
「メラニス様はわたしを寝所まで案内させると、『自分は酔っ払ったのでここで戻ってください』と言ったのです。でも、メラニス様は酔っ払っていませんでした」
「……へえ?」
「どうして、メラニス様はわたしを自由にできたのにそのときはせず、わざわざこんなに手間と時間をかけて今日のこの日まで待ったのでしょうか?」
「……それが教えてほしいことってか?! ハハ、そんなのわからないよ!」
ティタがけたけたと笑いながら答える。わたしはうつむいた。
「どうしてなんだろう……」
「あー……。言っとくけど、メラニス兄は不能じゃないよ。新婦にこんなこと言うのもアレだけど、この役目を押しつけた仕返しだ。メラニス兄は学校の悪い友だちとよく娼婦と遊んでてね、女の扱いは実は慣れてるんだ。ウブだからあんたに手を出さなかったわけじゃないのは確かだね!」
そう言って、ティタはわたしをじっと見つめる。わたしは体が少しふわふわしてきたように感じた。薬の効果だろうか?
「じゃあ、やっぱりどうして……」
そのとき、廊下を歩く足音がする。女中たちにつれられたメラニスが部屋に入ってきた。
ティタが立ち上がって、女中たちとともにメラニスの衣服を脱がせていく。
「何を話していたんだ?」
メラニスがティタに尋ねる。ティタはとぼけた。
「別に何も?」
ティタはわたしのほうに歩いてきて、今度はわたしの花嫁衣装を脱がせた。女中たちが部屋を出ていく。寝台まで歩いてきたメラニスがわたしの隣に腰かける。
一糸まとわぬわたしたち二人の目の前にティタが立って、わたしのときと同じように丸薬と杯をメラニスに渡した。メラニスがそれを飲むのを見届けると、ティタは厳かに宣言した。
「結婚の女神エラの祝福によって、夫メラニスと妻マナの初夜の儀式をここに執り行います。見届け人として、エクラスの娘ティタがその証明を行うことを女神に誓います」
ティタはその宣言を終えると、くるりと背を向けて、先ほどの椅子のところまで戻った。
そうして、メラニスがわたしの肩をつかむと、そっとわたしにキスをした。
「怖くありませんか」
メラニスがわたしに尋ねる。
「……怖いです」
「初めては誰しも怖いものです……。痛くないようにできるとよいのですが」
わたしは寝台に倒される。メラニスがわたしの上に体を動かした。わたしの首にキスをするメラニスに、わたしは言った。
「そうではなく、メラニス様が怖いのです」
「わたしが怖い……?」
想像していなかった新妻の発言に、メラニスは顔を起こして、わたしを見た。
「はい。あなたが何を考えているか、わかりません」
わたしは速くなる鼓動を抑えながら、静かにメラニスを見た。
「初めてお会いした夜、あなたはわたしを自由にできたのに、そのときはせず、わざわざ手間をかけて、いま犯そうとしています。なぜですか?」
「それは正式にあなたをわたしの妻として迎え入れたかったからですよ」
メラニスは穏やかに答えた。わたしは続ける。
「では、わたしの恋人だったレウタが大臣の娘婿になっていることを知りながら、わたしの手紙を村に何度も届けさせた。なぜですか?」
この質問を聞いた薄明りのメラニスの顔はよく見えないが、ひどく悩んでいる様子がわかる。
「それは……あなたの気持ちを大事にしたかったから……」
「うそ」
わたしは言い切った。メラニスはわたしをなだめるように言う。
「その気持ちは嘘ではありません。信じてください」
「あなたはこの二月の間、わたしのために何もしてくれなかった。たった二度会いにきただけだった。それなのに、信じろというのですか? おまけに、わたしのレウタへの気持ちを無残な形で踏みにじっておいて……。それは無理です」
静かだけど鋭いわたしの言葉にメラニスは何も返さなかった。
「だから……わたしは初めてお会いした夜に行われるはずだったことが、今夜行われるのだと覚悟しています。どうぞお続けください」
そう言って、わたしは目を閉じた。
メラニスはしばらく黙っていたが、わたしの上から体を起こして寝台から下りた。
「メラニス兄? どうしたの?」
ティタが驚いて声を上げる。メラニスはティタのところに近づいた。
「一物が立たんのでな、初夜はできん」
「は、はぁ?! 薬飲んだでしょ?」
ティタはやや声を荒げて立ち上がった。
「飲んだが、立たんモノは立たん。見ろ、証人だろ?」
そう言って、メラニスはティタの前で股間を指さす。ティタはいやそうな顔をしてうなづく。
「あー! もうわかったよ! あいつがなんか言ったの?!」
「……わたしのことは信用できない。だから、初めて会った夜に行われたはずのことを今夜やれ、と言われたな」
「あのバカが……。メラニス兄、初夜の儀式ができないとなると、いろいろ面倒なんだけど。どーするつもり? おまけにその原因が『新郎の一物が立たない』なんて!」
ティタが詰問するが、メラニスは肩をすくめて言った。
「お前がなんとかしてくれるかな、と思っているんだが」
「わたしが? どういう意味だよ……! くそ!」
ティタは大きなため息をついた。そして、懐から小さな布を取り出して広げる。真ん中に赤いシミがついていた。
「鶏の血をつけておいた。初夜の証拠になる」
「すまない。恩に着る」
メラニスがそれを手にとろうとすると、ティタはすっとかわす。
「一つ聞かせて。どうしてわたしがこれを用意しているって思ったの? ふつうこれは見届け人が花嫁から依頼されて用意するものだよ?」
「お前ならそういうことも想定しているだろうとね」
「嘘だ。メラニス兄、何か隠している!」
ティタはそう言って、はっとした表情になった。
「あの子のこと、生娘じゃないって思ってたの? そうか、だからわたしに……」
「全部言うな」メラニスが衣を取るとさっとまとう。「少し庭で涼む。マナを頼めるか?」
メラニスは部屋を出て行った。それを見送ると、ティタは寝台のわたしのところに歩いてきた。わたしはずっと涙を流していた。
「……泣いてるの?」
「また怒りますか? わたしをぶちますか?」
「怒りもしないし、叩きもしないよ。ほら、起きて」
ティタはわたしを起こすと、肩に布をかけてくれた。そして、肩に手をまわしてわたしを抱きしめた。そして、耳元でわたしにささやくように言う。
「メラニス兄はきっとあなたの心がほしいんだよ。気持ちっていうのかな。誰だってそうじゃない。わたしもほしいよ、大好きな人の気持ち。だから、あのときの夜は何もしなかったし、今夜も何もしない。これから近づいてくのじゃダメ?」
わたしはティタの衣を弱くつかんだ。ティタのぬくもりがわたしに伝わってくる。
「う……う……」
わたしは涙だけじゃなく、声もおさえられなくなっていた。ティタはそんなわたしの髪をやさしく撫でる。
「ねえ。心を開くにはまだ時間がかかると思う。信じられない気持ちもわかる。でもさ、これからでいいから、信じようと思ってあげてよ。わたしはあきらめるんだから……あの人のことを。ね、哀れな女のお願いだよ」
わたしはずっと泣いていた。どうして自分が泣いているのか、よくわからなかった。最初はひどい運命をはかなんで泣いていたような気がする。でも、いまは……なんだか落ち着くような、たまっていた悪いものが吐き出されるような気持ちだった。そうして、わたしはいつの間にか……深い眠りに落ちていた。