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たんぽぽの君に幸せを伝えたくて。  作者: まーるの住人
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第1話

わたしは16のとき、その男に千金で買われて妻になった。


わたし──マナは貧しい村に生まれた。両親も小さな畑を耕す貧しい百姓だった。わたしは5人のきょうだいの長女として生まれて、弟妹の世話をしたり、機を織ったりして少女時代を過ごした。

誰もがそうであるように、わたしも恋をした。幼馴染のレウタ。わたしより3つ年上の彼は村一番の秀才で、小さいころに親が町に勉強に行かせたりするくらいだった。彼もわたしに幼馴染以上の気持ちを抱いてくれていることはわかっていた。いつしかわたしたちは恋人になっていた。少女だったわたしはそんな彼と一緒になって、小さな畑を耕し、子をつくり、子どもに機織りを教えて……そんな人生を送るんだろうと考えたものだった。

だけど、ある日を境にわたしの人生は大きく変わった。


あるとき、近くの町の有力者の一行が村を訪れることになった。訪問の理由はよくわからない。でも、村にとって町との関係は生活や安全という意味でとても重要だった。

村長から彼らの歓待の手伝いに来てほしいと頼まれて館まで行ったことをよく覚えている。わたしの他にも数人の村の女性が集まっていた。村長の奥様が出してくれたきれいな衣装を身につけて、お化粧をした。奥様はわたしを見て、「マナは村一番の器量よしだと思っていたけど、確かにそうだね」と感心していた。わたしはそれを役目に向かう女性への単なる励まし言葉だと受け止めていた。

宴ではわたしは一行のリーダーであるメラニスのそばにつくお役目となった。彼はリーダーといっても町の最有力者の子息というだけで、このときはまだ若かった。そう、レウタと同じくらいの年の青年だった。

館の広間で宴が始まった。わたしが彼の杯に酒を注ごうとすると、どういうわけか杯を前に出してくれなかった。わたしは緊張して彼の顔をのぞくと、彼はわたしの顔をぽかんと見ていた。目が合う。

「どうぞ、杯を」わたしが急いで目を伏せてお願いすると、彼ははっとして杯を出す。

「いや、申し訳ない……。とてもおきれいな方だと思い、心を奪われていました」

「ご冗談を」

「本当だとも」

メラニスはそういって笑った。

メラニスは町の有力者の子息だけあって、とても洗練された感性と趣味を持っているようだった。田舎娘のわたしにいろいろな話をしてくれたが、どれもよくわからなかった。飽き飽きしたわたしが「毎日畑を耕したり機を織ったりしていますので詩文はよくわかりません」というと、興が乗ったと笑って、竪琴リュラを持ってこさせると古代の詩人へシードの詩を歌いだした。彼ののびやかな歌と繊細な竪琴リュラの音が広間に響く。美しい歌だった。

「メラニス様は教養あるすばらしい御仁だ」村長が感想を述べた。「あなたほどの教養ある人物は町にもそういないのではありませんか」

メラニスはにこりと笑うと、村長に礼を言う。

「みなさんの心温まる歓待の宴にささやかな興を添えられたことに感謝します。この村が土とともに生きていることをここにいるマナさんから聞かせてもらい、つい歌ってしまいました。町にいるとそういったことを忘れてしまうものですから」

「なるほど。マナがそんな話を」村長がうなづいた。「マナや、メラニスさんに村のことをたくさんお話ししてもらえるか」

わたしは気乗りしなかったが、村長の頼みにうなづいた。メラニスはわたしのつたない話を興味深そうに聞いていた。わたしの話は村のことから、やがて、家族のこと、きょうだいのことに及んでいた。

宴はやがて深夜に及んでいた。いつの間にか、広間にいるのはわたしとメラニスを含めて数人になっていた。奥様がわたしのところにやってきて、そっと耳打ちした。

「メラニス様を寝所まで案内してもらえるかい?」

「え……」わたしは驚いた。「わたしがですか?」

奥様は真剣な顔でうなづいた。わたしはここで初めて自分の本当の役割に気づいた。心臓が破裂しそうになる。奥様はわたしの逃げ道をなくすように、すっと離れるとメラニスに言った。

「メラニス様、もう夜も遅うございます。マナに案内させますので、寝所でお休みなっては?」

「おや、そうでしたか……。楽しい時はあっという間に過ぎ去るものですね。それにマナさんのお酒がおいしくて飲みすぎてしまいました」

そう言って笑うと、メラニスは立ち上がる。が、少しふらつく。どうも酔っ払っているようだ。わたしはそっと支えると、奥様から明かりを受け取って寝所に案内する。

暗い廊下を彼の寝所まで案内する間、わたしは気が気ではなかった。明かりの影が揺れるのは炎が揺らめくだけではなかったと思う。わたしは少女を守る女神アルテムに心の中で祈りをささげずにはいられなかった。

やがて彼の寝所の前にたどりつく。震えるわたしをよけるようにメラニスは寝所の入口に入ろうとする。わたしが驚いて声をかけようとすると、彼は振り向いた。

「ここまでで結構です。ありがとう」

揺らめく明かりに照らされた彼はやわらかな笑顔だった。さっきまでの酔っ払った様子はない。おびえるような顔をしたわたしに彼はやさしく言った。

「楽しいひと時でした。あなたはここでお戻りください。奥様にはわたしが大いに酔っ払ってしまい、寝所にたどり着くと眠ってしまった、とお伝えいただければ」

「え……」

「さ。わたしの気が変わらぬうちに」

彼はそう言って、いま歩いてきた廊下を手で示した。わたしはよくわからないながらも祈りが通じたことの喜びと焦りで、メラニスに小さく会釈をすると廊下を小走りに走り去った。

広間に戻ってきたわたしを見て、奥様はひどく驚いた様子だった。わたしがメラニスに教えられたように理由を伝えると、奥様は はあと大きくため息をついた。

「いくら美人でも教養のない田舎娘には興味がなかった、ってことなんだろうね」

初めから奥様はそれが「丁重なお断り」だと理解していた。でも、わたしにはそれでよかった。その夜は村長の女中部屋でほっとしながら眠りについた。


そんなことがあったからレウタに会うのはとても気が重かった。村長の館での宴があった数日後、彼のほうからわたしの家に訪ねてきた。わたしは家でその話をしたくなかった。だから、近くの川……わたしとレウタがよく遊んだ川のそばまで行って木陰で話をした。

「その夜は何もなかったよ」わたしは必死にレウタに説明した。「興味なかったんだろうね。あたし、教養ないから……」

わたしが奥様が想像した理由をそのまま言うと、レウタは驚いて信じられないという顔をした。レウタのその表情を見て、わたしはぎゅっと心を締め付けられる。

「ホ、ホントだよ! 奥様だって証人になってくれる……!」

「ご、ごめん、そういうんじゃないんだ」レウタはあわてて笑顔でわたしの頭を撫でる。「ありがとう。マナ、信じている」

木のそばで話し合う二人をまだ冷たい春の風が通り抜けた。わたしはレウタに思い切って言った。

「レウタ……。君はあたしといつ……その……いっしょになってくれるの?」

「え……」

「君といっしょになれば……もうあんなことない。怖かったんだよ……!」

レウタを責めるようにそういうと、わたしの目から涙があふれ出した。レウタはわたしをそっと抱きしめた。わたしは彼の着物のすそを手に取ると、彼の胸に顔を押さえつけた。こらえられなくなったわたしは声をあげて泣いた。

「ごめん……そうだね。……急がないとね」

レウタはわたしの頭を撫でながら、そうつぶやいた。

「ほんと……?」

「……ああ。君が幸せになるようにがんばるよ」

「うれしい、約束だよ?」わたしは顔を上げてレウタを見上げる。「……でも、せっかくだからもうちょっとこのままでいたい」

「マナ、欲張りだな……」

レウタは苦笑した。わたしはにっと笑うと、またレウタの胸に顔をうずめた。


レウタと約束した日からひと月がたったある日のことだった。

わたしと両親が村長の館に呼ばれた。両親は例の歓待の宴で娘が粗相をしたことが原因だと思って、おろおろしていた。わたしはレウタとのことがあるから、一緒にしかられる両親には悪いけどどうしようもないことだよな、と軽い気持ちだった。

ところが、来てみると様子がちがう。やってきたわたしたち家族を村長の召使は客間に通した。動揺した父が召使に尋ねる。

「これは……場所をお間違えでは?」

村長にとって村人は広い意味での家族だから、わたしたちふぜいを客人の扱いはしない。父の言葉に召使は首を振った。

「こちらにお通しするようにと伝えられております」

「どういうこと?」母が心配そうに父に言った。父はううんとうなった。「町の方が来られてのことかもしれん……。覚悟したほうがよいかもしれんぞ……」

しばらくすると、村長と奥様が客間に入ってきた。二人とも笑顔だ。いよいよわけがわからない。わたしたちが突っ立っているのを見た村長はあわてた様子で席をすすめる。

「どうしたんです? お立ちにならず、かけてください。召使めが席をすすめませんでしたか?」

「ど、どうしたんですか、これは……」

父がゆっくりと腰を下ろしながらおろおろと尋ねた。わたしと母は女性なので父の後ろに膝をついた。

「ああ、お父様にはとてもよいお話ですよ」お父様……? 村長が妙な表現をする。「縁談です。そちらのお嬢さんの」

「え? マナの?」

父は驚いて、振り返ってわたしを見る。わたしはびくっとした。レウタのこと……なわけない。レウタの家はわたしたちよりは裕福だけど、村での立場は村長よりはるかに下だ。こんな態度で接してくるなんてありえない。心のもやもやがうずまく。

「先月でしたか、町のご一行の歓待の宴の席がありまして、お嬢さんにメラニス様のご接待をお願いしましてね」

「そ、その節は……」父は恐縮する。「うちの娘が粗相をしたようで……」

「いやいや。逆ですよ。メラニス様がお嬢さんをたいそうお気に召されたそうで。確かに宴でも楽しそうになさっていました。それで縁談の話が来たんですよ」

わたしの鼓動が早まる。それってまさか……! 父が呆けたようにつぶやく。

「ま、まさか、こいつの縁談のお相手は……」

「そう、メラニス様、ご本人ですよ! お父様、これはすばらしい縁談ですぞ!」

わたしは叫びたい気持ちだった。笑顔で驚く母の顔を見れなかった。父はわたしの肩をつかんで笑顔で何かを言っている。たぶん、「でかした」とか……。でも、何も聞こえなかった。聞きたくなかった。

こんな縁談、断れるわけがないよ。貧しい父にはメラニスの家から莫大な持参金が入るだろう。それだけじゃない。町の有力者に連なる家として、村における地位はいまの貧しい状態からは考えられないぐらいになる。わたしのきょうだいもいまよりずっと豊かに暮らしていける。弟も学校にいけるかもしれない。村にとっても町の関係は生活や安全に関わることだから、娘一人を町の有力者に差し出すことなんてわけはない。それに、そんな殺伐なものじゃなくて、縁談の形だ。誰が喜ばないだろう? ああ……でも、レウタ、君との約束……。わたしは胸がはりさけそうだった。

「ただ、お父様、先方から要望がありましてね」

村長は喜ぶ父に話しかけた。父が不安げな表情になる。

「いやいや、悪い話ではありません。町の有力者の奥方ともなると、それなりの作法や所作を知る必要があります。婚儀を前にメラニス様の館で生活しながらそれを学ぶようにしたい、ということでして……」

「なんだ、そんなことでしたか」父は納得したとばかりうなづいた。「そりゃあそうでしょう。悪い子じゃないが、教養の一つもつけてやれませんでしたから」

「そして、近日中に……満月の日までにということでして……」村長が申し訳なさそうに話す。「明日か明後日にわたしの家で準備を整えましょう。こいつがお嬢様のお世話をいたします」

村長は後ろにいる奥様を示す。奥様はわたしを見てにこりと笑った。


その日の父は娘がつかんだあまりの「幸運」に酔いしれていた。村長が簡単な祝いをしないかと持ちかけると、そのまま村長の館に残ってしまった。わたしと母はそんな父を残して、家に帰ることにした。奥様がわたしたちを見送る。

「マナさん、これは村のすべての人にとってよい縁談だから」奥様が言う。「あなたにもいろんな思いがあるのでしょうけれど……」

わたしはそのとき、奥様がわたしの本心を見透かしていることに気づいて動揺した。わたしがあの夜「お役目」どおりにメラニスに迫らなかったことやいまの話のときに一つも笑わなかったこと……。

あわてて母が言い訳をする。

「この子はきっとあまりの話に驚いているんですよ。帰ってよく聞かせますので」

母はわたしの手を取ると、館を出て急いで家に帰ろうとする。あまりの早足でひっぱるのでわたしの手が痛い。

「……痛いよ、母さん」

「ああ……。ごめん。あんた……うれしくないの?」

わたしは黙っていた。

母はわたしを連れて家に帰ると、きょうだいに外に出てしばらく帰ってこないように伝えた。家の中に二人きりになって、母はわたしに話を始めた。

「……誰か好きな人がいるの?」

わたしはうつむいたまま、こくりとうなづいた。

「誰? レウタ?」

わたしは黙っていた。母はそれで察したみたいだ。

「レウタとあんたには悪いけど」母はため息をついた。「あんたはメラニス様と結婚してもらうよ」

「……娘の幸せとか考えないの?」

わたしは目に涙をためて母に言った。

「悪いけど」母は強い語気で言った。「あんたを幸せにできるか、っていう意味でなら、レウタよりメラニス様のほうが分がよさそうだよ」

確かにレウタは村一番の秀才だけど、いまは村でくすぶっている。彼の家もうちよりは裕福、という程度で貧しいことに変わりない。町の有力者のメラニスと比べるということがそもそも無理だ。だから、母の言うことはよくわかる。でも、わかりたくないよ。

母はその後、くどくどとこの結婚でどれだけ家族が助かるか、村に利益があるかを説明した。そんなことはよくわかっていた。その間、わたしの涙は止まらなかった。レウタに会いたい。レウタ、君ならわたしを連れてこの村から逃げ出してくれるよね……。

わたしは話の途中で立ち上がった。母がわたしに言う。

「まだ話の途中だよ?」

「ちょっと出てくる」

「どこに行くつもりだい……?」

「……レウタのとこ」

わたしの言葉に母は息を飲んだ。出ていこうとするわたしの手を母はつかむ。

「あんた……」母は泣いていた。「……夕方までに戻りな」

家の戸口を出るときょうだいたちがいた。みんな聞いていたらしい。わたしはおかしくて、ふっと笑った。

「ね、ねーちゃん……結婚するんか?」

末の弟のデリクがわたしに聞いた。わたしはしゃがんでデリクの頭を撫でる。

「そうだね……。いつか来る日だよ。サテュラ姉ちゃんもいずれ結婚しちゃうぞ?」

妹のサテュラがそばにやってきた。

「レウタのこと、いいの?」

わたしは黙ってサテュラを見た。サテュラは怪訝な顔をした後、はっと表情を変えた。

「これから話してくる」

「……もう会えない?」

「お姉ちゃんは幸せになったって思ってくれるとうれしい」

サテュラは大粒の涙を流した。弟たちは姉二人がどうして泣いているのかよくわからないようだったが、わたしのそばによるとみんな泣き出した。

しばらくそうして時間を過ごした後、わたしはレウタの家に向かった。


だけど、わたしを待っていたのは絶望的な現実だった。

「え……いない?」

わたしを出迎えたレウタの母親は申し訳なさそうに言った。

「ごめんね、マナちゃん。レウタは新月の日に都に行ってしまってね。ふた月は戻らないって言っていたかな。聞いてなかった?」

新月の日といえばもう何日も前だ。それに、村を何か月もあけて旅に出るのにわたしに何も話してくれなかった? わたしは縁談の話以上の衝撃を受けた。

「ど、どうして……?」

「仕官の口があるとかどうとか……? まぁこんな田舎の村の青年を雇ってくれるような旦那が見つかるといいんだけどね」

どうしてレウタはわたしを助けてくれないの……。わたしは目の前が真っ暗になって崩れ落ちた。レウタの母親が驚いて支える。

「ど、どうしたの、マナちゃん」

「あ……。ごめんなさい……。レウタがもし帰ってきたら、伝えてください。わたしはいつまでも待ってるって……」

「? ええ。わかったよ。大丈夫? 誰かに送らせようか?」

「大丈夫です。ちょっとくらっときただけ……ごめんなさい」

わたしはそう謝った。レウタの母親はわけがわからないようすだったが、わたしの伝言をレウタに伝えると約束した。

望みを絶たれたわたしは、とぼとぼとレウタの家から自分の家に戻る。途中、レウタと約束した川のそばの木にたどりついた。足元にたんぽぽが二輪咲いている。家に戻れば……わたしはメラニスと結婚させられるんだな。レウタはわたしを助けに来てくれるだろうか。ううん。レウタはきっと助けに来てくれる。ここで約束したもん……。

わたしはそう信じると、自分の家に向けて歩いていく。ふわりと春の風がわたしの髪をなでていった。

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