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菜の花の海  作者: のすけ
9/12

叢雲 二

八千代と入れ替わりに帝の側で一夜を過ごした穂積は、御所で八千代皇子襲撃の報せを受けた。

ああ、兄上はご無事だろうか。賊はこのような時を見計らっていたのか。

兄上の敵対者は、無情にも兄上が心痛で憔悴したところを手にかけようというのか。


朝に御所で顔を合わせた兄弟は急遽邸に戻り、人払いした上で対峙(たいじ)した。

「こんな時に兄上のお命を狙うとは。一体誰が」

「わかりきったこと。あいつの仕業だ」

「あいつ」

小さくそう言ったなり、穂積は口を閉ざしていた。

兄上がそのように言われる相手を私はただ一人しか知らない。

本当に玄武院様が。兄上の仇はお爺様なのか。

「俺は近々また狙われるだろう。何しろ俺は四年前にも命を狙われている」八千代は穂積に告げた。

穂積は青ざめて、形の良い眉を寄せて八千代を見上げた。

穂積のあずかり知らぬことだった。

あの時のことを穂積が知らずにいた方が、あいつにとって好都合というものだからな。

しかし、こうなってはもう穂積に隠しておくわけにもいかないだろう。

八千代は当時の出来事を穂積に語った。


あれは俺が十三、穂積は九つになった頃だった。

春の只中。邸の外に広がる菜の花畑での出来事だった。

あの日俺は新入りの側仕えの竹生(たけお)を伴に連れて、丈高く生い茂る菜の花畑で野ウサギ狩りに興じていた。おりしも獲物を視界に捉えた俺は夢中で追っていた。

その最中、ヒュンと風を切った矢が俺の右腕をかすめて、振り向く間も無く俺は背後から足元をすくわれた。

倒れ込んだ俺はたちまち何者かに後ろから腕をとられて締め上げられ、花畑の中に押さえつけられた。

相手は手にした布を俺の顔に押し当てて視界を遮り、もう片手で喉元を締め上げてきた。

しかし瞬間、俺はその相手の顔を見てしまった。

「竹生、……苦しい離せ。なぜお前が俺を!」

しかし、首にかけられた手はためらう事なく俺の首を締め上げ続けた。

頭が破裂しそうだ、このままでは死んでしまう。父上、母上、……穂積。

俺は父帝が(たま)わった懐剣を思い出して抜き出し、盲目的に相手に突き立てた。

「ぐっ」と竹生は(うめ)いて俺の喉を締める手が一瞬緩んだ。

俺は竹生に向かって更に斬りつけた。

相手が本気だと知った以上、手を緩めることはできなかった。

叫びたいが喉が締まって声が出ない。何とか立ち上がって俺はまろびつつ走り出した。

「八千代皇子!」と向こうから邸の者が駆けつけた。

腕をかすめた矢には毒が仕込まれていたと見えて、間も無く俺は目が(かす)んで再び倒れた。

菜の花の海で、刺客の竹生が自害して果てていたらしい。

竹生の経歴は入念に偽装されたものらしく刺客を放った者は明らかにできず、事件は内々に処理された。

俺は狩りの最中に負傷したということになっており、仔細は幼かった穂積には伏せられた。


「そうでした。兄上は狩りの最中に怪我をされたと聞かされました。私は数日、見舞うことも許されずただ兄上を案じておりました」穂積は答えて、そして思った。

あの時すでに兄上の苦悩は(ひそ)かにはっきりと形作られていた。

お爺様が兄上を傷つけた。

兄弟でありながら、兄上は命を狙われ傷つけられて一人苦しんできたのだ。心許せる場所もなく。

そうした境遇の兄上の心には玄武院に可愛がられ、お爺様と慕う私がどのように写っていたか。

あの七草の日も兄上はいたたまれぬ思いで出かけたのだろう。

私はなんと能天気な馬鹿者だったのか。

大切な兄上が、大切な八千代兄様が苦しむのをただ四年間眺めてきただけではないか。

みるみるうちに(かさ)を増す悲しみと八千代への愛おしさで穂積は胸が塞がり、言葉もなく睫毛を伏せていた。

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