笛と舞 三
玄武院の今後の健勝とともに国の豊穣を祈念して、この度の祝宴で穂積は天女の姿に扮して舞うことに決めた。
八千代と穂積の兄弟は二人揃って参賀し、居並ぶ臣下の貴族たちは、二人の皇子の対照的な美貌をしげしげと眺めた。
「八千代皇子様は、ますます帝に面差しがよう似て来られましたな」
「そうそう。そして穂積皇子様は母君の妙月妃様に似て、繊細なお顔立ちで」
「本日、皇子様方は、お二人での余興を披露されるそうだ」
「それは楽しみですな」
祝辞に贈り物の披露、そして酒や料理も次々と供されて華やかな祝宴は滞りなく進み、いよいよ余興を披露することとなった。
穂積は一旦席を外して準備に向かった。
その後意匠を凝らした出で立ちで穂積が再び宴の席に現れると、その姿に誰もが目を奪われ息を呑んだ。
もとより眉目秀麗な素顔に薄紅の化粧を施し、結い上げた黒髪に白い項。
柔らかな薄緑の裳を纏った艶やかな姿は、あたりに侍る美麗な女官達をはるかに凌ぎ、客席がさわさわとさざめく。
「お美しい」
「まこと美形じゃ。穂積王子が扮しておられるのか」
熱を帯びた周囲の視線をことごとく吸い寄せながら、吹く風の如く受け流す穂積。
八千代もまた、しばらくの間目を離すことができなかった。
が、ふと穂積が八千代の眼差しを捉えた。
その目がわずかに細められたように思われ、同時に薄紅に彩られたその目に「兄上、私に何か仰りたいことでも」からかい混じりにそう訊かれたような心地がして、八千代は一瞬眉をひそめて目を伏せた。
穂積は皆に向かって一礼し、一輪の牡丹の花のように微笑むと八千代にうなづいて見せた。
美しい穂積。
その姿に、伝説の天女を思い描きつつ八千代は即興の笛を奏でた。
天に響くが如く奏でる八千代の笛に呼応して夢の如く穂積が舞い皆は嘆息した。
やがて静かに曲が終焉し、八千代の笛の音の余韻が絶え穂積の薄緑の裳のたゆたいが止まるまで、皆はただただ陶然と聞き惚れていた。
兄弟は互いに目だけで微笑み交わした。
その後、揃って玄武院の邸を辞した二人は蘇芳帝の元へと向かった。
「妙月妃様、本日は帝をお慰めしたく兄弟で参上致しました」そう八千代が礼を尽くすと、妃は「八千代、そのように他人行儀な。あなた方の父と母ではありませんか」と述べて「帝、お待ちかねの八千代と穂積が参りましたよ」と蘇芳帝に微笑みかけた。
あなた方、とはな。
そう八千代は思った。
この母は十四で俺を十七で穂積を産んだ。
それなのに穂積とこの母は瓜二つで居並ぶと姉弟にさえ見える。
時が止まったかのようなこの母と穂積の、美しく嫋嫋とした様子はどこか見るものを掻き立てる。
その美貌に己の中の人としての正しい在り様を剥ぎ取られて、嗜虐を貪りたい気持ちに駆られる。
涙を浮かべ顔を歪めて唇を嚙む様を見たいと感じさせるような。
否、それは二人の美貌の故ではなく、俺の血に潜む汚らわしい獣性の故だろう。
自分自身への嫌悪を苦く噛み締めながら、穂積が再び舞の支度に向かった後も八千代は蘇芳帝を見守っていた。
蘇芳帝は側仕えの者たちによって不自由な体を支えられて身を起こした。
黄朽葉色の衣さえその顔色の悪さを隠すことはできず表情も乏しかったが、正面から八千代を捉えた帝の瞳には力が宿った。
俺の血は父上の、高貴な帝の血でもあるのだ。
俺は父上を心から尊敬しお慕い申している。
そう思うと一度は乱れた八千代の心は静まった。
やがて穂積が戻り、父帝の前で兄弟は再び笛と舞を披露した。
先ほどの宴での演奏とは全く趣が異なり、帝の病快癒と御代の安泰を祈念する思いが込められた即興の曲と舞であった。
兄弟の息もぴたりと合い、侘しい病床に夢幻の境地が啓かれた。
笛と舞が終焉を迎えたその時、父帝の頬を一筋の涙が伝い流れた。
「父上」八千代は思わず声に出して蘇芳邸の膝下近くに駆け寄り、穂積も続いた。
言葉もなく父帝はさらに涙を流していた。
父上のお志は俺が必ず果たします。
思いを込めて八千代は蘇芳帝の手を取った。
妙月妃は帝の涙をそっと拭ったが、妃もまたその瞳に涙をたたえていた。
今日が父の病床での家族四人の邂逅となり、おのおのが無量の思いに涙を押さえた。