笛と舞 一
八千代皇子と穂積皇子の兄弟は、その風貌、性格ともに対照的だった。
八千代皇子は上背があり、伸びた手足はたくましく、
眉が上がった凛々しい顔立ちをしている。
黒く深い瞳に日焼けした肌には、濃いまつ毛が青く陰を落とす。
その陰の色は彼が人に晒すまいとする持ち前の感受性にも似て、
心に秘めた思いは言葉で語られることは少なく、
専ら幼い頃から能くする笛の音に託されていたのかもしれない。
父蘇芳帝に生き写しとも言われる風貌であったが、
温厚な父と比べると気性は勇猛で正義感が強く、剣や弓の鍛錬も能くした。
また時に民の生活を伺うため、
一町人に身をやつしてひっそりと外出することもあった。
また、馬を愛し乗馬を好む皇子は、
伴を連れて愛馬の桂号を駆り、遠乗りや狩を楽しんだ。
一方の穂積皇子は、ほっそりとした立ち姿。
物腰は優雅で、その声音は優しく聞くものに慈愛を感じさせた。
半月に弧を描く眉に褐色の瞳と涼しげな目元。
色白の頬に長いまつ毛が黒く陰を落とす。
美貌のその姿は、幼少より美姫と謳われた母の妙月妃を彷彿させる。
気性は内気だが思慮深く、常に他者を案じる性質だった。
草子から専門書まで広く読破する読書家であり、
秀才の誉れ高い皇子だが、時に無垢な童心をのぞかせ人に愛された。
また、穂積皇子は幼い頃から楽を好んで舞を能くした。
絵巻などの物語に着想を得て、自ら創作した舞を邸の宴の余興として行うこともあり、
典雅を旨とする祖父玄武院の所望に応じて、
院の邸に集う貴人たちの前でもよく披露した。
皇子達の住まう邸では夕暮れになると時折、どこからか流れる笛の音を耳にすることがあった。
音色も曲も折々のもので、穂積も知る楽の音であったり、あるいは全く知らない曲であったり。
今は穂積も笛の音の主を知っていた。
時を同じくして。
その笛の音に恋しく耳を傾けるものがあった。
八千代の侍女、右近だった。
音色に想いを乗せ右近は追憶する。
ある秋の夜。
紺碧の空には明るい月がかかっていた。
晴れた宵だったが、薄くたなびく雲は時折月をほんのりと遮る。
邸の縁の片隅で月を眺めていた右近は、笛を手に自室につながる縁に歩み出る八千代皇子の姿を認めた。
縁に立ち、端正で孤独な月の貌を仰ぎ見て、右近が耳にしたことのない曲を皇子は静かに奏ではじめた。
その笛の音は無常の響き。
その音は、昼間の凛々しく誇り高い皇子の姿からは想像もできない哀切を帯びていた。
右近はその場に控えて耳を傾ける。
そして静かに流れる涙を袖で抑えた。
最後の一音の余韻も消えた頃、八千代皇子が縁に控えていた右近を認めた。
笛を手に立ち上がった皇子は右近に歩み寄り、驚き恐れ多くて縁に伏すばかりの右近の手を取った。
そっと見上げた深い黒い瞳は月明かりに濡れているかに思われ、皇子はわずかに唇を引き結んだ。
そうして右近を立たせると、言葉も交わさぬままに静かに自室へといなざった。
一夜のことであった。