七草 四
八千代皇子は数え十七歳、穂積皇子は十三歳の兄弟であった。
二人の父である蘇芳帝は、四年前から徐々に体を動かすことがままならなくなり、
最近では話すこともできない状態になった。
今は次第に食も細く受け付けなくなりつつあり、だんだんとやせ衰えている。
蘇芳帝の典医は、仔細不明の難病によるものであろうと言った。
何らかの呪いも懸念されたため、陰陽師による祈祷も繰り返されてきた。
またその一方で、帝は何者かに毒を盛られたのかも知れぬ、という暗い噂がささやかれてもいた。
そのため現在は、皇子たちの祖父で蘇芳帝の父である玄武院が政治を摂っている。
父帝が退位すれば、長子ですでに十七歳の八千代が次の帝になるはずだが、
「八千代皇子は未だ分別に乏しく、即位は認められない」
との玄武院と側近の者たちの判断によって、父帝の退位も八千代の後継も許されていなかった。
玄武院の権力への妄執と、
その袖にしがみついて豪奢と典雅を貪り続ける奢りきった貴族たちの群れ。
しかし、邸を出て巷を見渡せば、貧しさに苦しむ人々の暮らしがあることを八千代は自らの目で、足で確かめ知っていた。
八千代の胸には、国の抱える租税の問題や民の生活への憂いが常にあったが、
ただ無聊を託つ日々を過ごすことはなかった。
肌がひりつくような熱い思いは胸に秘めて日々臣下に新しい知見を求め、また学者達と活発に議論を重ねていた。
今の自分に何がどうできるというものではない。
現状で、玄武院が手にしている権力を手放すはずもなかった。
ただ、いつか来るべき日のために。
蘇芳帝が自分に示してきたものを形にするために。
そして玄武院がそうした自分を脅威とみなしていることも、
八千代は理解していた。
七草の日に八千代が仕留めた鹿の肉は、玄武院にも献上されていた。
院から八千代の元へは、穂積の七草と同様に令状が届いた。
文面は、八千代の勇猛さを讃えるものだった。
しかし、別の筋から八千代の耳に届いた情報によると、院は件の鹿肉には、
「獣臭い、儂には精が強すぎる」と手をつけなかったと聞いた。
以前から院に対して自分が献上するものは警戒されていることもまた八千代は知っていた。