すれちがい喫茶へようこそ2-運命《さだめ》- 前篇
神出鬼没の不思議な喫茶店のお話の続編。
黒く塗られた木材に不思議と目を引かれる白字で書かれた看板。
なんとなく家に一人でいるのが苦しくなって村内を徘徊していた私は、突如として視界に現れた見覚えのない看板を前に立ち尽くしていた。村に住んで一年経つが、この看板を見たのは今日が初めてだった。
時刻は夜七時を回ったところ。
バケツをひっくり返したような雨の中、その店の明かりはついていた。
私は見苦しいほど泣き腫らした顔で、店へ入ることを決意する。
こうなった経緯は今日のことが尾を引いているのに違いなかった。
* * * * * * * * * * * *
八月七日。
冷たい雨が降っていた。
「もし八月七日が雨のとき、門は開かないんじゃよ。」
諸々の事情で天界から来て鹿に姿を偽り、私の家に居候している宗像三女神の末っ子、市寸島売命――通称神子が開け放たれた雨戸から、暗雲を恨めしそうに睨みつけながら言った。
軽く補足すると、私の家がある葉月村は少々変わった村である。
異能を持つ者が集まり、年に一度だけ開かれる現世と天界とをつなぐ門を守るためだけに作られた村。
通ってしまえば誰でも天界に行くことができ神にさえなれる門にたかってくるのは、現世の悪念や邪念が集まった魔物と呼ばれる者たちであり、それらが天界へ侵入するのを防ぐのが異能を与えられた私たち、葉月村の人間である。
この特殊な村の事情から、普段いることのない神子のような神様が村にはあと二人ほど住んでいるのだ。
話を戻して、私――琴峰海優は神子の言葉を一瞬理解することができなかった。
「それって年に一度の私たちの大仕事がなくなるってこと?」
多少過疎化してきた葉月村だが、大人を含めた村人全員が与えられた使命に責任を持ち、この日を待ち望んで張り切っているのである。その仕事がなくなるというのはいささか気分が落ち込むものだと思われる。
そして年に一度というのは今日。
旧暦でいう七夕の日なのである。
しかし世間は雨模様。
どうにも門が開かれる夜までには止みそうになかった。
中止になることが私にとって別の意味でショッキングなことだと感づいているであろう神子が、顔色を窺うようにこちらを見て申し訳なさそうに言った。
「まあ、そういうことじゃ。また来年にお預けじゃのう。」
雨が降っただけでこんなことになるとは想定もしていなかったからか、私の心は激しく打ちひしがれた。
だからだろうか。無意識に彼の名が口からこぼれ出ていた。
「董麻……。」
自分自身も予期していなかったつぶやきに、思わずはっと目を見開いて口を押えた私だったが、隣に寝そべっている神子にはばっちり聞かれてしまっている。
鷲谷董麻――鷲谷家の次男で一年前までこの村に住んでいた私と同い年の青年だ。彼の正体が神子と同じく天界からやってきた何かしらの神だと悟ったのはつい一年前のことだ。それまで諸事情で村に住んでいなかった私を巻き込んだ昨年の魔物退治は、私にも彼にも大きな変化をもたらしたのだった。その時に出会ったのである。
そして、恋に落ちた。
でもその想いを伝えられないまま、彼は私の元を去っていった。
「一年後、またこの場所で逢おう。」
そう書かれた笹飾りを残して。
今夜向こうの世界から帰ってくる彼に逢えることを密かに楽しみにし待ち望んでいたのに、肝心の門は開かない。
私の気持ちがどん底に落ち込むのも無理はなかった。
それを察したのか神子は起き上がって、縁側に座っている私に慰めるかのようなしぐさで身体を寄せてきた。
「海優の気持ちは痛いほどわかる。わらわも董麻に会いたいもんじゃよ。」
だがいくら神子が神だからと言って天気をどうこうできるわけではないことくらい、重々承知している。
これ以上神子に心配をかけるわけにいかないと言い聞かせた私は無理やり笑みを張り付けて立ち上がった。
「そうよね。また来年逢えるよね。」
そうは言っても、自分の声が悲しみに満ちて震えているのは誰が聞いても明白だった。
* * * * * * * * * * * *
そして日も完全に落ちた頃。
私は軽く上着を羽織って玄関で靴を履き、傘を手にしたところで背後から声をかけられた。
「こんな時間にどこに行くんじゃ。」
音も立てずに廊下を歩いてきた神子が鹿の耳をパタつかせて怪訝そうにこちらを見ていた。
夜になって少しだけ雨脚は強くなったようであり、ただでさえ魔物が出やすい夜に出かける足をさらに重くしているこの頃に外へ出るのは、良いとは言い難い。一年前それを破って外へ出た結果危うく魔物に襲われかけたのは言うまでもない。
だからと言って神子や彼女の二人の姉が居候している家にいる気分ではないというのが本心だった。
「少し歩いてくるだけよ。大丈夫、心配しないで。」
神子はまだ何か言いたげな様子だったが、それを見て見ぬふりで私は外へ出る。
傘に打ち付ける雨音さえも鬱陶しいと思いながら家の前の道を歩いた先に広がるのは、潮が引いてその先の天界の入り口となる壮大な鳥居のもとへ行かれるようになるはずの、天の浦の海だった。いつもの穏やかな面影は微塵もなく、天界へ繋がるはずだった大きな鳥居も今日ばかりは不気味な建造物にしか見えない。
ビニール傘越しに空を見上げてみたものの、灰色の雲が星々を覆い隠して雫をこぼし、どこか悲しげだった。
織姫様が泣いている。
そう思ったのは、今日が旧暦の七夕だからだろうか。
一年に一度天の川を挟んで逢うことができるはずの織姫様と彦星様だが、雨が降ると水かさが増して橋を架けることができない。
逢いたい。
そう嘆いて織姫様は涙を流していることだろう。
いつもならデネブ、アルタイル、ベガとそれらと取り巻く星々が宵闇のキャンパスを描いているはずの空を見上げていると、私まで目じりが熱くなってくる。
私だって逢いたい。
とめどなく溢れてくる涙が頬を伝い、水分を含んで固くなった砂浜へ落ちてゆく。
気持ちばかりが大きくなって、その後残るのは突きつけられるつらい現実とむなしさだけ。
今の私が織姫様なら、彼は彦星様。
手を伸ばしても届かない距離、そして想い。
「逢いたい……。逢いたいよ、董麻……。」
彼が残していった例の笹飾りと羽のチャームがついたネックレスを握り締めながら、私は声をあげて泣いた。
本当は今日、あのとき言えなかった想いを打ち明けるつもりだった。想いを伝えきれないまま離れ離れになってしまったときの後悔は、もう二度としたくなかった。
それに彼の素性についてやその他諸々聞きたいことが盛りだくさんなのだ。
特に彼が去った後に私の脳裏を駆け巡ったあの記憶。
遠い遠い昔。
星空の中に佇む私と彼。
行われる誓約。
彼を愛する私と、私を愛する彼。
そして決別する二人。
過去の私たちに何があったのか。
私は。彼は。いったい何者なのだろうか。
私たちが出逢って惹かれあうのは偶然ではなく、運命だったというのか。
知らなくてもいいことなのかもしれない。
だが彼と出逢い、少なからず過去を知ってしまった以上、私だけが知らないというのでは済まされないと悟った。
だから今日という今日を待ち望んでいた。
すべてを受け入れる覚悟を決めていた。
それゆえの悲しみが積もるばかりに、この誰もいない魔界への深淵のような天の浦の海を打つ無数の雨音に交じって、私の泣きわめく、いや泣き叫ぶに近い声がこだましていった。
さらに雨脚が強くなったような気がした。
* * * * * * * * * * * *
どのくらい時間がたっただろうか。
もはや泣きつかれて涙の一滴も出なくなったところで、完全に冷えてしまった身体を抱えながら家へ戻ろうと海に背を向けたところで、冒頭へ戻る。
少し先の視界さえも霞む大雨の中に灯る明かり。
過疎化で取り壊され空き地になったはずの場所に立つ一軒のお店。
すれちがい喫茶「黒栖」 営業中
傘をたたんでその看板の横目に真っ黒のアンティークの扉を引けば、どしゃ降りの雨に似つかないちりん、と涼やかな音が耳に響いた。黒で統一された店内は落ち着いていて、いかにも居心地がよさそうだった。
お客は一人もいない。
来店に気付いたマスターらしき初老の男性がカウンターからタオルを持ってやってくる。
「いらっしゃいませ、すごい雨ですね。お好きな席へどうぞ。」
傘では庇いきれなかった腕などを差し出されたタオルでぬぐいながら、私は窓側の二人席に落ち着いた。
三本足の黒いテーブルには鮮やかに映える牡丹が飾られている。
少しして、ウェルカムサービスだという湯気立つホットミルクのマグカップが置かれた。
「ようこそ、すれちがい喫茶『黒栖』葉月村支店へ。琴峰海優様。」
初対面なのになぜか私の名前を知っている彼を一瞬怪しんだものの、ただでさえ異能を持つ変人の集落であるこの村に店を構えているのだからマスターも何か能力を持っていてもおかしくないと判断した私は、それ以上の詮索はせず、彼に先を促す。
「当店は少々変わっておりまして、あらゆる世界のお客様が来店される喫茶店でございます。我々人間に限らず、妖界、魔界、神界、歴史界、創作界、過去、未来など。そのような事情で当店はあらゆる世界に全く同じ店舗、つまりどこから入ってもここに繋がるよう、いわばハニカムのような仕組みになっております。その証拠に、窓の外をご覧ください。」
ホットミルクを一口すすった私は、マスターの話を半信半疑で聞き、言われるがままにブラインドの隙間から外をのぞいた。
そこに映っているのは大雨と天の浦――ではなかった。
まるで時代劇のセットのような街並みと人々、夜なのに活気が溢れる大通りが目に飛び込んできた。
「琴峰様がご覧になっているのは、すれちがい喫茶『黒栖』江戸日本橋大通り支店からの風景でございます。右隣は創作界『ヘンゼルとグレーテル』支店、正面はUSAニューヨーク支店の風景となっております。」
最後のニューヨーク支店だけがやけに現実じみていて思わず椅子から落ちそうになったものの、この店が普通の喫茶店ではないことだけは鮮明だった。
だがこの手以上の異生活(家に神様が居候、異能持ち、魔物退治、etc.)をしている私にとってはそれほど驚くこともなく、むしろ面白そうと感じてしまったのだから、私も相当変人である。
それを察したのかマスターがほほ笑んだような気がした。
「さすが琴峰様。葉月村の方とあって、当店の不可解さにも驚かれないとは。これなら当店のサービスもお楽しみいただけそうです。」
いや、そこを褒められても嬉しくもなんともないというのが本音であり、仮に私が普通の人間だったら開いた口が塞がらないか自分の耳を疑って脱兎のごとく逃げ出しているだろう。
という愚痴が零れる前に、彼の説明が続く。
「当店はティータイムを楽しんでいただくだけでなく、他の世界の方々とすれちがう、つまり交流することもお楽しみいただけます。今回琴峰様は招かれた側ですのでご注文は受けかねますが、こちらが当店のメニューでございます。」
もはや自分が悲しみに満ちていたことも忘れて、私はメニューを食い入るように凝視した。
すれちがい喫茶「黒栖」 メニュー
・ すれちがいセット《妖》
・ すれちがいセット《魔》
・ すれちがいセット《神》
・ すれちがいセット《歴》
・ すれちがいセット《過去》
・ すれちがいセット《未来》
・ すれちがいセット《創》 NEW!!
★ スペシャルすれちがいセット《黒栖》
※すべてのセットにお好きな珈琲とショートケーキがつきます。
「スペシャルすれちがいセットは少々お値段が張りますが、予約という形で日時と人物を指定していただき、すれちがうことができるサービスとなっています。またの機会にでも是非お試しくださいませ。」
そのとき、再び入口の方で来店を告げる涼しげなベルが鳴った。
彼は私に席を外すと言わんばかりに申し訳なさそうに目配せしてそちらへ向かっていった。視線を遮るパーティションがあるため入り口のほうは見えなかったが、完全な個室ではないのでかろうじて会話は聞こえてくる。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。」
「すまない、マスター。月読命兄上につかまってな。予約と店まで貸切にして遅刻とは情けない。」
そのあとまだ何か話しているようだったが、その先の会話は私の耳に入ってこなかった。いや、私自身が聞く余裕がなかったと言った方が正解かもしれない。
客の声が、あまりにも彼――董麻に似ていたのだ。
ただでさえ先ほどまで彼のことで気持ちがどん底に沈んでいた私に動揺を与えるだけの威力はあった。
少し期待してしまったのは言うまでもない。
だが、それはありえないとその考えをすぐさま打ち消した。
今日という日、たまたま雨が降って門が開かないときに、逢いたいと涙を流した夜に、不思議な喫茶店で……。
そんな偶然があるわけもない。
再び失意でうなだれた私は無意識に膝の上で強くこぶしを握り締め、強く唇を噛んでいた。
それでも目じりから落ちるものを我慢することは出来なかった。
そのため例の客が歩み寄ってきていることに気付かなかった。
「雨脚が強くなったのは、やっぱり織姫様が泣いていたからか。」
至近距離にから聞こえてきた声に私は反射的に顔を上げた。
そして涙がたまった真っ赤な目を見開いたまま、動けなくなる。
「董…麻……。」
嘘だと思った。夢だとさえ思った。
「危うく約束を破るところだった。おまけに織姫様を泣かしっぱなしでその涙に打たれるなんて。……情けない。」
苦笑いを浮かべながら空席だった向かいに座っている彼の装束は濡れて服の色が変わっている。
「久しぶりだな、海優。」
彼のぶっきらぼうで不器用な性格からは見たことがないほどに優しく目が細められて、フッと口角が上がる。
こらえていた想いが溢れそうだった。
高鳴る胸の鼓動で壊れてしまいそうだった。
だがそれを打ち明ける前に、聞かなければならないことがある。
遠い昔のあの記憶。彼の本当の姿。
「董麻。いいえ、あなたはいったい……誰。」
そして――。
「私は……、誰。」
* * * * * * * * * * * *
催涙雨が降る今宵、二人を繋ぐ運命。
禁断の真実の扉が開かれようとしている。
続く
こんにちは。作者の前野巫琴です。
『すれちがい喫茶へようこそ』続編をお読みいただき、ありがとうございます。
今回は私の作品の一つ『星合の運命』の番外編も込めて、執筆いたしました。
※先に『星合の運命』をお読みになることをおすすめいたします。
元々すれちがい喫茶シリーズは、新作をはさみながら自分の作品を使った二次創作?みたいな話も書きつつ、不定期シリーズものにしたいと考えておりましたので、実現できてうれしい限りです。
はてさてこれからも続くのか……。おっと、弱音を吐くのはやめておきます。
本当は前篇・後篇をまとめてしまおうかと思ったのですが、執筆当時は分ける前提で書いておりましたので、どうもしっくりくる繋ぎが見つかりませんでした。超・短編になってしまったことをここでお詫びしておきます。
さて、後篇に向けて少しヒントを。
星合=七夕。マイナーな七夕の由来。催涙雨の意味。
そして二人の正体はそれぞれ太陽と海原の……
おっとっと。うっかり口が滑らないうちに、ここらで黙っておきます。
後篇もぜひ楽しく読んでいただければ幸いです。
それでは。