第2話 輝夜の失踪計画
「高校を休学してもらいます」
藍領地『八位』ランカー水瀬英貴の言葉を、水城輝夜はぼんやりとした頭で受け止める。
水城家、1階居間。
輝夜と父の朧は客人の英貴の対面に座り、彼の話を聞いていた。
「先日の葛領地と翡翠領地のテロの件で、藍領地のランカーに欠員が出ているのはご存じですね。とてもじゃありませんが輝夜様に割く護衛が今は出せません。補充するまで自宅で待機を願います」
(「補充」……?)
英貴の言い方に引っ掛かり、輝夜は怪訝な表情を浮かべた。それではまるで、欠員になっている人物の復帰を全く考えていないように聞こえる。
現在、藍領地では『二位』ランカーの雷秀寿が消息不明で、『五位』刃佐間逍遙が翡翠領地へ赴任することになっていた。その上位領地ランカー2名はどちらも輝夜の護衛役を担っていた人物である。
だから英貴はこの2人の補充が出来るまで、輝夜には家に籠もって欲しいと言っているのだ。
(補充なんてしなくても雷は無事なはずだ。佐由さんがきっと助けてくれてる。そのうち戻ってくると思うし、領地ランカーの順位を補充して埋めてると、雷が戻ってきた時に困るよな……?)
輝夜には電須佐由への連絡手段が無いので秀寿の安否に関しても確証が得られず、黙っていることしか出来ない。輝夜はそんな自分にひっそりと歯噛みした。
色々と確定するまで空位のままにしておいた方が後々混乱は少ない気がするのだ。しかし、藍領地ランカー側にその気はないようだった。かなり余裕が無い状態なのだろうか。
補充の方も下位領地ランカーの順位を繰り上げて欠員を埋めるものなのか疑問が湧く。そうなると、『三位』水名透が『二位』になるはずだ。
(あ、透兄……。そういえば、何で今日は透兄が来ないんだろう。どうせなら透兄から話を聞きたいな)
輝夜はチラリと上目遣いで目の前の英貴を窺う。真面目で好青年然とした英貴には申し訳ないのだが、水族本家筋の母を持つ輝夜は水族分家の彼に馴染みが無い上、親しみも感じない。そのせいか、英貴に対して緊張していた。どう話すと良いのかもよく分からない。……だいたい今は「てるやす」という名前なのに、どうして執拗に「かぐや」と彼は呼ぶのだろう。
そんな距離感に悩む輝夜の代わりに、朧が穏やかな声音で英貴に問う。
「輝夜の休学はいつまでだろうか?」
「しばらくは」
「しばらく?」
朧が真っ正面から真摯な眼差しを英貴に向ける。
その純粋に問いかけるだけの真剣な眼差しに英貴は軽く気圧されて肩を揺らした。
朧は重ねて尋ねる。
「私の希望は輝夜に普通の高校生活を送らせることだ。その願いは水族に破棄されたのだろうか」
「は、破棄なんてそんな滅相もない……。水族が約束を破った訳ではありません。ただ情勢が、それを許さないだけです」
「今の情勢は灰兼さんに渡したあの手紙が作り出したのでは?」
「まさか……私達を疑っておられるのですか!」
(手紙?)
輝夜は朧の横顔を仰ぎ見る。一体何の話をしているのだろう。
朧はもの悲しげに目を伏せた。
「手紙の中身を確認する必要があったとは思わなかったよ。子供達に危険が及ぶ内容だったなんて」
「朧様! あれは貴方のご実家の意向ですよ……!! それでも異議を申されるおつもりですか!?」
英貴が声を荒げて言い放つ。
輝夜は英貴の乱暴な大声にビクリと身体を震わせた。
「……いえ」
静かに矛を収めた朧に英貴はやれやれと肩を竦め、ふうっと疲れたような嘆息を吐く。
その態度に輝夜は胸中でむっとした。朧を軽んじられたような気がしたのだ。
「では俺は忙しいので失礼します」
英貴は軽く朧達に頭を下げて立ち上がる。
朧と輝夜は玄関まで彼を見送った。
輝夜はその後自室に戻ろうと身体を翻したところで、不意に朧に声を掛けられる。
「輝夜、ごめんよ」
「え?」
「私のせいで学校に通えなくなってしまった」
「父さん、俺のことなら気にしないで。平気だって。そんなに学校が好きなわけじゃないし……」
教室で輝夜が犯罪者ではないかと気味悪がっていたクラスメイト達の悪口が脳裏に蘇る。英貴に休学を言い渡されて、情けないことに心のどこかでほっとする気持ちもあるのだ。
「でもいつも楽しそうに通っていたじゃないか」
「それは……」
(機國さんと会えるから――)
輝夜は言葉に詰まる。よくよく考えると敦美と会える場所が無くなってしまったのだ。
顔色を悲しげに曇らせた輝夜を見て、朧は再び「すまない」と輝夜に謝った。
「父さんが謝ることなんて何も――……!」
「いや、私が灰兼さんに水族の手紙を渡したんだ。だから彼は私の了承が合ったと……皇族家の命令として手紙の内容を受け取ったと思う」
輝夜は驚いて目を瞠った。胸中に戸惑いが広がる。
「あの、父さんは水族本家に言われて葛領地の『領王』とどっかで会ってるの……? 一体いつ――」
『港だよ。初めて市場に行ったのだけど、魚だけを卸している場所じゃなかったんだね。知らなかったよ』
『市場か、良いなぁ。俺もいつか行ってみたい。でも父さん、どうして突然市場に?』
『近くに寄る用事があったからね』
輝夜は疑問を口にしながら朧と以前交わした会話を思い出していた。最後は自分自身の記憶に息を呑み込み、語尾が消える。
朧が静かに問い掛けた。
「輝夜から見て、灰兼さんはどんな方だった?」
「どんなって……昔、兄貴と一緒に翡翠領地ランカーをしていたって聞いていたのに兄貴の命を……。それに雷だって巻き込まれて……酷い人だと思う」
藤色の瞳が輝夜をじっと見つめている。
輝夜は耳を傾ける朧がいやに冷静だと感じた。何かを吟味するような様子にも思え、輝夜の灰兼への感想は答えを間違えたような気にさせる。
「……父さんは灰兼さんをどんな人だと思ってたりする?」
「そうだな。まず、とてもお世話になった恩人なんだよ。私達家族が中央大陸の領地を転々とする際にとても便宜を図ってもらっている」
「えっ!?」
輝夜は思ってもみなかった朧の発言に仰天する。
「うち、そんな昔から葛領地の『領王』と関わってたの!?」
「びっくりしたかい。中央大陸では水族からの援助は難しかったから本当に随分と力になってもらっていたんだよ。この9年間会う機会は無かったけれどね」
「そんな人が何であんなことを……」
「私は彼のことを恩人だと思っているし、宙地原世界の秩序を遵守する知識人だとも思っている。今件の邂逅で、この世界にとって篁朝は不穏分子だと彼が考えるに至ったのはとても悲しいことだった。
――流石に私か輝夜の目の前で篁朝の命を取ろうなんて強行をする方じゃないはずだよ。でも輝夜は変装をしていたから」
輝夜は朧がそれとなく灰兼を庇う発言をすることに混乱してくる。
「輝夜。私はそんなに変なことを言っているように聞こえるかい?」
「だって……父さん。あの人、藍領地に剣さんを連れてきて、こっ、殺したような人なんだよ! 藍領地にわざと翡翠領地の人達を連れ込んで暴れさせて、兄貴を危ない目にも遭わせた! どう考えても秩序を壊しているような行動で……!!」
「輝夜。とても皮肉なことだけど、その一件のおかげで私達家族が抱えていた翡翠領民に追われるという問題が解決された事実に気付いているかい?」
輝夜は、はっとする。そして無意識に下駄箱の上に無造作に置かれた新聞に視線を向け、その見出しに目が吸い寄せられた。
そこには翡翠革命に関する長年の領地間確執の終幕と、葛領地の戦争勝利の報が大きく取り上げられている。葛領地に負けた藤袴領地と女郎花領地が、葛領地の一部となり、領地としての名前が消える。全62の領地が数10年振りに全60領地へと変更される歴史的瞬間と大々的に報道されていた。
輝夜の視線の先を追った朧が言う。
「昔はもっと領地は少なかったそうだよ」
「昔……? 800年前の皇族御三家が統治していた時代……?」
「ああ。灰兼さんは以前の争いの少ない最善の領地の形に整え直すつもりなんだろう。それは気の遠くなるほど長く、大変なことだろうな」
「戦争をやっている本人が争いの少なさを目指している?」
ちぐはぐというか本末転倒な気がして輝夜は首を捻る。
朧は困ったように微笑んだ。
「私も上手く話せないけれど、灰兼さんの考え方はね、皇族家に関わるなら持っていなければならないものなんだよ。自身の種族のことよりも皇族家を大切に。そして親しい個人の現在を大事にするのではなく、顔も見たことのないような沢山の個人の未来を大事にしてその未来を作り続けながら生きていく」
「俺、よく分からない……。病んでる兄貴に死ねって言ってたんだ、酷いよ。ただの嫌なよその『領王』だよ」
そこで一旦言葉を切るとハァっと重苦しい溜息を吐き出した。
「……でも、その人の世話になってたんだ。俺も兄貴も、だから色んな領地にすんなり逃亡出来て病院も通えてた……?」
「そうだよ。藍領地に移る少し前ぐらいから一切連絡は無くなっていたんだ。水族本家の援助が決まってからだったかな。お礼をしたかったのだけど、それも出来なかったんだよ」
「何て言うか、複雑怪奇な行動の人なんだね……。何年も兄貴を影で助けてくれてたのに急に兄貴を切り捨てるし」
「篁朝の心の病が治ると信じて援助してくれていたんだよ。でもいくら年月を掛けても治ってはいないから、もう無理だと諦められたのだろうね。ずっと篁朝を支えてきた輝夜になら分かるだろう。9年という月日は長いよ。治療を諦めるには十分な年月が経ってしまっている」
そう言われて輝夜はすとんと腑に落ちる。輝夜にとっては篁朝は大事な家族だが、不安定な篁朝は同時に世界の脅威でもある。
(葛領地の『領王』の人も、今の兄貴が地上最強の種族能力保持者だって思ってるんだ。誇張じゃなくて本当に全領土を水没させられる人間だって知ってる。そっか。大変なことになる前に危ない兄貴を消そうとしたんだ……)
理解はしたくなかったが納得せざるを得なかった。これから先、治療をしても篁朝が回復するかどうかは不明なのだ。
「輝夜も灰兼さんを見習ってもいいんだよ」
「……へ?」
「「複雑怪奇な行動」をしてもいい。このままだと学校に通えないまま月族本家に迎えられることになる。輝夜が嫌なら逃げてもいいんだよ。私達のことは気にしなくていい」
「父さん、それって」
(月族本家に行きたくないなら、家出してもいいってこと……?)
「こんなことを父親が言うべきじゃないのだろうけれど。私には輝夜を守ってあげられる力が無い」
不甲斐ないと落ち込む朧に、輝夜は慌てて言う。
「俺、父さん達にはいつも守ってもらっているよ! 毎日普通にご飯食べて生活して、この間なんてPCも買ってもらったし……! 全部父さんと母さんのおかげだよ!」
「輝夜……」
「だからえっと、俺ももう17歳だし、自分で自分を守れるようにならなきゃいけない時期に来てるんだよ! そのことで父さんが気に病むことなんて何もないから……! ちょっと1人で考えてみる。嫌ならどうするか、色々と」
「ああ」
朧は目尻を優しく下げて頷いた。
輝夜は少々照れる。
その時、ぱたんっと背後で扉の閉まる音がした。音の方を振り返る。廊下の先のそのドアは既に閉じられていた。
(兄貴? 今、部屋から出て来てた……?)
電脳族族長・電拳剣が亡くなってから、篁朝は自室に引き籠もっている。翡翠革命の敵と言える相手の死にかなりのショックを受けているのだ。
輝夜は不思議に思いながら、篁朝の部屋のドアをノックしてみる。やはり返答は無かった。ドアの開閉音は気のせいだったのかもしれない。輝夜は首を傾げつつ2階の自室へと戻った。
ベットに寝転がり、ぼんやりと天井を眺める。いくらこれからのことを考えようとしても輝夜の胸中に巣くう月族本家への不信感がもやもやとつっかえて、あまり建設的な考えは浮かばなかった。
『輝夜が嫌なら、逃げてもいいんだよ』
(父さん、本当に……? 俺がいなくなっても困らないのかな)
朧の言葉が頭の中にこびりついて離れない。輝夜はそこでようやく自分の本音が分かる。がばりと半身を起こした。
(俺、父さんを蔑ろにする月族本家が嫌いで仕方なくて……関わらないで生きていけるならそうしたいんだ。家出をして、藍領地を離れれば……?)
輝夜はこれまでの9年間の逃亡生活を振り返って、その苦労がどっと思い起こされる。お金もコネもない。何より今の藍領地から出奔するのは不可能だと思えて溜息を零した。
(藍領地の領境の壁をどうやって越えるんだよ……。もし他の領地に逃げられたとしても大地族に捕まりそうだし。涼柁さんみたいに大人だったら上手くいくんだろうけ――)
輝夜の言葉は途中で消える。獣櫛涼柁を脳裏に思い浮かべた瞬間、目を見開いた。答えが目の前にあったのだ。
(佐由さん! 佐由さんの力なら簡単にいなくなることが出来る! 涼柁さんもそれで桔梗領地から藍領地に来たんだった!! 家出をしたいなら、佐由さんに頼めばいいんだっ)
もし断られたら、その時にまた別の手段を模索すれば良い。まず頼んでみなければ始まらないと思う。輝夜は佐由と連絡を取ることを1番の目標に決めた。
早速、隅に置かれたままになっているPCの箱を開ける。
以前涼柁に、気ままな佐由へ連絡を取るには佐由が作って運営しているオンラインゲームをやればいいと言われていたのだ。
PCは最初学習机の上に置こうと思ったが、その用途はゲームをすることなのでもっと楽な姿勢で遊べる方がいいと思い、ベットの前にある座卓を壁に近づけてその上に置いた。付属の説明書を読みながら配線を繋げていく。
胸中でズキズキと疼く痛みがある。後ろめたい……のだろうか。月族本家や藍領地から逃げ出そうとしていることが。
それは藍領地の『領王』機國敦美――彼女に顔向け出来ない行動だと分かっているからに違いなかった。
輝夜は緩く頭を振り、先日のショッピングモールで見た敦美の凜々しい『領王』の横顔を思い出す。
(俺は機國さんに誓ったんだ。機國さんが困った時に助けられる男になるって。それが見えない形でもって。……最初から、機國さんに迷惑ばかり掛けて困らせているのはどう考えても俺の存在だったのに、どうしてさっさと気付かなかったんだろう)
ずっと約束に対する努力の方向性すら間違っていた。輝夜は敦美のことを『領王』ではなくどこかで同い年の女の子としか思っていなくて、お喋りしたいだとか、男らしく見られたいだとか、あまつさえ役に立とうだなんて無駄で見当違いの足掻きに腐心していたのだ。
(機國さんは1人じゃ何も出来ない俺なんかとは全然違った。1人で何でも出来て、立派で力もある『領王』なんだ。それに比べて俺はずっと自分の気持ちを優先して、そのことを見ようとしてなかった。俺がやったことなんて機國さんの藍領地で騒動を起こして足を引っ張るような真似ばっかり……)
敦美の友人、炎乃響華にもよく自分の立場を見て考えろと言われていた。本当に空っぽなくらい脳天気で何も考えていなかったのだと、自分自身のことだが恥ずかしいかぎりだ。
(機國さん……ごめん。でもきっと俺がいなくなれば、機國さんは俺に煩わさせられずに自由に生きられる。機國さんみたいに俺だって約束を守りたいんだ。せめて……そのぐらい……)
いつの間にか、設置作業をする手が止まっていた。ぎゅっと口を引き結ぶ。息が詰まりそうなほど重く苦しい何かが胸中に渦巻いている。
家出をすれば、敦美に2度と会えない。家族にも、友人にも、知り合い全員にも。輝夜が家出を実行した後はきっと一生この胸の痛みを抱えて生きていくことになる。
ハァっと何度か重苦しく息を吐き出し、顔を上げて再びPCの作業に戻った。配線なども終わり電源を付ける。正常なPCの起動画面が映し出された。
(何だ、結構簡単じゃん。えっと初期設定? 共用電脳の使用許可パスワードを入力……? え!? パスワードって何!? それを打ち込まないとこのPC使えないの!?)
輝夜は慌てて携帯端末で検索する。調べたところ、領地ごとにある共用の電脳は領民でも許可制らしく、書類を提出しなければ使えないらしい。その書類の許可が下りると使用許可を兼ねたパスワードが送られてくるそうなのだ。
(これひょっとして、やっくんの領分?)
とりあえず、電谷に電話してみることにした。
電谷とは剣の通夜以降会っていない。元気になっているだろうか。
『てるやん。おそよう』
「おそ……? おはよう、……じゃない。そろそろこんにちは? えっと久し振り」
『はは。それほど久し振りではないんじゃヨー。どったの?』
電谷の声は少し元気が無かったが普段通りの喋り方で、輝夜はほっと安心した。
「PC買ったんだけど、共用の電脳のパスワードが無いと使えないみたいだから教えて欲しいんだ。パスワードの書類って郵送で送ってもらえるものなのかな? 俺、しばらく家から出るの禁止されてて」
『はて? パスワード? ……あ! そういや他種族はそれがいるんだっけ!』
「え。電脳族ってこれいらないんだ……。良いなぁ」
『共用のやつの発行かー……うーむ……。イマ、ノットラレテルカラムリトハイエナイ』
「え? 最後なんて言った?」
『や、こっちの話! そっすね、俺の電脳回線使います? 設定しに行くよん』
「助かるけど、いいの?」
『ういうい! いつ頃伺いましょー?』
「じゃあ、やっくんの予定が空いた時に。いつでもいいよ」
ピンポーンと玄関でチャイムの音がした。
「あ、ごめん。お客が来たみたいだから、じゃあまた」
通話を切ると、輝夜は急いで自室を出て階段を降りて玄関の扉を開けた。
次の瞬間、丸眼鏡の客人にぽかんとなる。
「ジャジャーン! PC回線デリバリー屋でっす! ヘイッ、電谷一丁お待ち!」
「やっくん、早っ!!」




