第6.5章 幼き約束2<敦美の記憶>
10年前。敦美が7歳だった頃。
藍領地の文化会館で、師匠となる大人と、その弟子になる子供の組み合わせを決める催しがあった。
将来闘技大会への出場を希望する子供は、戦闘をよく知る元領地ランカーに弟子入りする。
そして戦う技術、死なない技術、窮地に陥った時の対処法、心構えなどを実際の経験がある師匠に教わるのだ。
当然その師匠にも現役当時の順位がある。
弟子入りする子供達は人柄よりもその順位が少しでも高い人間に教わりたがるので、必然的に特定の人物に人気が集中してしまう。
そこで弟子の人数が均一になるよう、公平に師匠を地域ごとにくじで割り振って決めることになっていた。その大きな抽選会が開催されていたのだ。
敦美がその抽選会に参加した年は、同じ地域の志願者は同い年の女の子3人だけだった。
機械族の敦美と、
敦美の従姉妹で電脳族の電照巫倉、
そして火族の炎乃響華。
敦美と巫倉は護身のために、響華は他人に怪我をさせないための弟子入り志願だった。
女の子は滅多に闘技大会には出ない。敦美達も出場する気はなく、周りの男の子達も敦美達は眼中になかった。
――悪夢は抽選くじの結果から始まる。
敦美達は引退したばかりの元藍領地『領王』〝風我唯〟を師匠に引き当ててしまったのだ。
まずこの結果に、『領王』を目指す男の子達とその親が怒った。運営側の大人達も「闘技大会に出ない子供の地域に当てるのはもったいないのでは」と揉めに揉めた。
だが、元『領王』本人の「じゃあ、この子達が闘技大会に出れば問題無い」という鶴の一声で、くじの結果は尊重されることになる。
それからだ。
羨望と嫉妬。過度な期待。周りからの色々な感情に敦美は取り囲まれるようになった。
闘技大会を目指す男の子達から「女は無理」「女のくせに」「前の『領王』は女でも特別な種族だったからなのに機械族が図々しいな」と散々こけにされるようになった。
敦美はそれまで言われたことのないような罵倒をされ始めて、とてもショックだった。
腹が立って、悔しくて。そんなふうに言われる存在になったことがただ悲しくて……。
――悪口を言われたくない。
その一心で敦美は髪型を短髪にして、男の子の服を着るようにもした。少しでも女の子らしさを無くすことに必死になったのだ。
しかし罵倒の声が止むことはなかった。
おまけに「元『領王』の弟子なのだから『領王』になれるだろう」という大人達の無責任な期待の目と声も無遠慮に降ってくる。
毎日、違う顔の同じ表情の大人達――……
『領王』になれなければ許されない、そんな怖ろしい空気を感じた。
敦美の両親は「女の子だから無理しないで。嫌なら出なくていい」と言ってくれていたが、敦美の心はちっとも軽くならなかった。
逆に自分が闘技大会に出なければ、両親が他の大人達に責められるんじゃないかと敦美はおびえた。
……風我唯師匠に、敦美達が教えを受けたのはたったの1年間だ。
敦美達を弟子にしてから1年後、北東の翡翠領地で〝翡翠革命〟が起こり、師匠は藍領地から旅立った。
今世紀最大の虐殺事件と言われる〝翡翠革命〟は、翡翠領地出身の下位領地ランカーと領民が結託して、当時の翡翠の『領王』と上位領地ランカー9名を騙しうちで処刑したという前代未聞の事件だった。
彼らが処刑を行った理由は、9年経った現在も明かされていない。
それがどう藍領地の風我唯に関係していたのかは知らない。
ただ、従姉妹の巫倉は「好きな人が死んだ」と泣きじゃくっていた。巫倉には、亡くなった両親が彼女が生まれる前から決めていた婚約者がいる。巫倉の後見人でもあったその婚約者が、処刑された人間の中にいたらしい。
師匠は独りになってしまった巫倉を同行して藍領地から出て行ったのだ。
出て行く直前、師匠は敦美と響華の2人にも「一緒に行かない?」と声をかけてきた。
家族から離れる気は全く無い敦美と響華は、首を縦に振らずに2人を見送った。
かき回すだけかき回して疾風のように去っていく。敦美の苦悩を生み出した元凶の師匠は、藍領地の『領王』の頃からその在り方は無茶苦茶で破天荒、風族の力そのものを体現する自由な女性だったと思う。
「闘技大会になんか出たら、一生まともに女の子として見てもらえなくなるよ。私はそんなのイヤだからね!」
それから共に残った響華は、はっきりと闘技大会への欠場を口にするようになった。
しかし敦美には、響華のような勇気は無かった。
むしろ風我唯師匠の弟子で出場するのは敦美しかいないという焦燥感が湧き、追い詰められていく。
誰も助けてくれない。
誰もわかってくれない。
同じ立場の響華でさえ、出場の責任を負えと、敦美に押しつけてくる。
1人で泣いて。
泣いて。
むせて。
詰まって息が出来なくて――……
……苦、しい……
ふと、ぼんやりとした頭で閃いた。
息を吸うこともなくなれば、スッと楽になれるんじゃないかと。
別に、死にたいんじゃない。
もう……何も考えたくないだけだった。
苦しんだ末、8歳の敦美は1本のカッターナイフを持って家を飛び出した。
そんな敦美の後を、家からずっと弟が制作した子犬のロボットがついてくる。
邪魔をされていると思った。家族の誰かが寂しそうにしているのを感知したら、傍に寄り添うように人工知能プログラムを作ったのは他ならぬ敦美自身だったが、酷く気分を害され不快に感じた。
そして、がむしゃらに走って、走って、逃げて、走って……藍領地の水族城跡の広場に行った。
特にその場所に思い入れがあったわけじゃない。
ただ、最期にお花見ぐらいはしようと思った。
そこで圧倒されるほど桜が美しく咲き誇っていた光景は、9年経っても敦美の心に焼き付いて離れない。
その時の敦美の頭の中はぐちゃぐちゃだった。
色々な光景が。
言葉が。
ずっと、くるくる高速で移り変わり、敦美の中で再生され続けていた。
特に何度も頭の中を巡っていたのは、物心ついた頃に機械族と電脳族の2つの種族の力があることを親戚に絶賛された記憶だった。
機械族の族長に「護身術として戦う技術を学んでみないか」と言われ、ピアノや塾に通うことよりピンと来たので首を縦に振った自分自身の姿――……
ぼうっとしながら半ズボンのポケットに忍ばせたカッターナイフを握りしめて、美しい桜並木を歩く。
その心はひたすら弾み、嬉しくてたまらなかった。
もうこれからはつらい思いをせずに済むようになると気分は高揚していた。
「こんにちは」
敦美の喜びに、水を差す声が浴びせられた。
突然夢を覚まされたような悪寒が走り、敦美の体は強張った。後ろめたい気持ちを抱えて、おびえながら背後を振り返る。
そこには白い兎のぬいぐるみをだき抱え、真っ白な長髪と瞳、白いレースとフリルのワンピースを着た可愛らしい少女が立っていた。
天使がいる。
……本気で敦美はそう思った。自分はもう死んでいたのだろうかとも疑ってしまうほどだ。
「あのー、金平糖いる? 僕、こんなに食べきれないんだ」
天使は男の子みたいな喋り方だった。
「えへへ。おすそわけ」
大きな金平糖の袋から、無意識に差し出していた敦美の左手に金平糖がこんもりと盛られる。
ゆっくりと1つを摘まんだ。
何気なく舌の上にのせると柔らかな甘味が口の中いっぱいに広がった。
……甘い。
とても甘くて美味しい。
目が覚めるような刺激があった。
そのまま一気に全部の金平糖を口の中に頬張った。
すると、どこからか涙がどんどんと溢れてくる。
止まらなかった。
きっと金平糖のせいだ。
天使のくれた金平糖は、敦美の涙がまだ枯れてないことを教えてくれた。
「ご、ごめん。金平糖、きらいだった……? だいじょうぶ?」
敦美は天使の言葉に堰を切ったように大きな声で泣き出した。
泣いて。
泣いて。
泣き続けた。
声が枯れるまで。
涙が枯れてしまうまで。
ずっとずっとつらかったことも、天使に洗いざらいぶつけた。
天使は心配そうに、ずっとずっと黙って聞いてくれていた。
そして泣き疲れた果てに、天使は敦美に信じられないような言葉を贈ってくれた。
「ツキちゃんに誓うよ。この領地の人達が、どんなにがっかりして怒っても、僕だけは絶対に君にがっかりなんてしない。うん、一生しない。君はがんばっているもん」
それは一見、無責任で他人事。とても無神経な言葉だったとも思う。
だけどそれまで赤の他人が誰1人として、敦美に言ってはくれなかった言葉だった。
『領王』になれなくても許してくれる他人が目の前にいる。
ただただ、嬉しかった。
奇跡のようだと思えた。
その時、初めて闘技大会に出るくらい何てことないと思えたのだ。
息苦しかった胸のつっかえが、すうっとどこかに消えていく。
敦美は彼女と約束をすることにした。
「どんなに、みっともない結果を見せることになっても、自分がやれるところまで、まだやってみる……」
闘技大会に出ると自分の意志ではっきりと誓う。
こんな言葉が苦しみもなく言える自分自身が不思議だった。
天使が笑う。
敦美も笑った。
「――時間切れだ」
死刑を宣告するような昏く凄みのある声が2人の間に割って入った。
天使の背後にいた真っ黒な服の男がせせら笑う。
男を振り返った天使は、それから金平糖の袋を見て強張った。
敦美と話していてすっかりその袋のことを忘れていたらしい。
袋の中にはまだ半分以上、金平糖が入っている。
「約束を破るな」
男の念を押す声に天使は顔色をなくした。
敦美の目の前から、その男が天使を攫っていく。
男の傍にいた癖毛の少年は従順に男につき従い、ずっと俯いていた。
敦美が止める間もなく、天使と男、そして癖毛の少年の姿は遠くなっていく。
敦美から天使を取り上げた怖い男は、きっと悪魔に違いなかった。
その悪魔の顔に敦美は見覚えがあるのに、しばらく経ってから気付く。
あれはひょっとしたら、敦美の従姉妹、電照巫倉の兄……
〝電須佐由〟ではなかっただろうか――……?
その後、天使との約束通りに出た闘技大会には驚いたことに響華も参加していた。
自身の意志を曲げることが大嫌いな気の強い響華が、あれほど嫌がっていた闘技大会に出場するほど周りから追い詰められていたことに敦美はその時まで気付きもしなかった。
自分だけがつらいと。苦しいと泣いていたのだ。
敦美は恥ずかしくて響華の顔をまともに見られなかった。
だが、響華はやはり響華だった。
準決勝、準々決勝などで欠場を繰り返し、敦美との決勝戦ではわざと手を抜いて負け、藍領地の『領王』から『十位』までの階級順位表を無茶苦茶に狂わせ、気に入らない闘技大会を響華なりにぶち壊したのだ。
それは〝藍領地の階級順位は強さ順になっていない。信用ならない順位〟として他領地にまで評判がとどろくほどの悪行になる。
闘技大会で優勝した敦美は『領王』の地位を手に入れた。
敦美を悪く言う男の子も、過度な期待を押しつけてくる大人も、もうどこにもいない。
あれから9年間、敦美は何度も桜並木に通い続けている。
しかし、未だに彼女と再び会えていない。
天使だから天に帰ってしまったのかとまで考えたことがある。だが、あの少女が幻ではなかったことを、彼女がくれた兎のぬいぐるみが今もしっかりと敦美に教えてくれる。
だからいつまでも探さずにはいられないのだ。
天使に会いたい。
――あの時、『領王』の「私」を作ったあなたは、一体どこに行ってしまったのですか――…




