閑話・辛夷監獄の隠れ鬼【後編】 〈砂岳巽視点〉
次の日。
朝食を取りに食堂へ行くと、昨日食堂で騒いでいた数人の姿が見えなかった。
砂岳達の監房へ来たように、彼らの元にも音根が現れたのだろうか。ぞっとするので、あまり深く彼らの行く末を考えないようにしたい。
砂岳はトレーを持って昨日と同じテーブルの席に座る。
すると、すっとテーブルに人影が差す。
砂岳が顔を上げると、ヒルコが立っていた。
「よう、おはようさん」
砂岳は笑顔で片手を挙げて軽く挨拶した。
「サタケ」
「へ……?」
名を呼ばれて砂岳は驚き、間抜けな声を出す。覚えているとは思わなかったのだ。
ヒルコが砂岳の前にすっと片手を突き出した。
次の瞬間、カッと世界が真っ白になる。
眩しくて目を瞑った砂岳はそろりと瞼を上げる。
目を潰しそうなほどの眩しい光は一瞬で消えていた。傍に立っていたはずのヒルコは姿を消し、他の者達もぼんやりとしながら「何が起きたんだ?」と周りを見渡す。
ビーッ!
突然、朝食終了のベル音が鳴り響いた。全員が驚いて飛び上がる。
「なっ!? 朝食終わり!?」
「ええ!? 始まったばかりだっただろ!?」
そこかしこで悲鳴が上がった。既に手元に食事があった者は急いでご飯をかきこみ、まだ食事がもらえてなかった者は列を崩してカウンターに殺到する。しかし、無情にも朝食の時間終了ということで、カウンターのシャッターが容赦なく下ろされた。
朝食の後は強制的な講義がある。慌ただしく皆が移動し始めた。囚人達は全員、廊下を歩いて講堂へと向かう。
「さっきの光はヒルコか……?」
「ヒルコって人がいたんですか?」
砂岳の呟きを拾った森蚕が、砂岳に尋ねる。
「お前さん、食堂でヒルコを見なかったのか」
「まだ列に並んでいたので……」
砂岳と違い、食事を取り損ねた森蚕は悲しげに眉を下げて俯いた。
砂岳はヒルコに真偽を確かめに行きたかったが、講義が終わって自由時間になるまでは難しい。一旦、ヒルコのことを保留にすることにした。
講堂で行われる講義は、学校の授業のように時間割が決められており、内容は尊皇を重視した道徳を主軸に、歴史、礼儀作法、書道、古文、体育で、再び社会に復帰した際に役立つと思えないものが散見する。この刑務所の講義は専門的というか、あまり一般的な内容の講義ではなかった。砂岳が初耳なことばかりなのである。
最初の道徳の講義から、砂岳は目が点になった。砂岳が学生時代に習った一般的な人権や善道を説くものとはまるで別物だったのである。
《皇族御三家、『領王』、種族の族長を敬う心を最も大事にしなければならない》と説き、
《高い身分や地位を自身の力で勝ち取れなかった者が、上位者に逆らう権利は無い。そもそもその権利を得られる自由はあったのだから、後からケチをつけるのは家畜に劣る浅ましさである》とバッサリ切り捨てる内容が延々と続くものだった。
砂岳を『領王』と勘違いしてからの、囚人達の統率が取れたかのような敬語や恭しい姿勢はこの道徳に影響されているのだと分かる。
この講義中、森蚕は気の毒なほど暗い表情でずっと背を丸めて俯いていた。
続いて歴史は、皇族御三家が隠し持つ私兵・隠密衆と呼ばれる集団の、時代の節目でそれを担う種族が入れ替わった時に起こった宙地原事件録というものである。
空想の歴史を教えられているのではないかと何度も砂岳は思いつつ、目を白黒させながら興味深く講義を受けた。本当に隠密衆なんてファンタジーな存在が現実にいたのだろうか。
その次の礼儀作法は、宮廷に参内した際の身分ごとの礼の仕方で、現代で使う場所があるのかと首を捻りつつこなし、書道は皇帝城に送る時節の書状の書き方講座だった。これも全く使い道が分からないのである。
古文の方は、宙地原族と機械族の原初の確執が昔のくずし字で綴られた物語を現代語訳しながら読み進めていくものだった。
宙地原族を詳しく語った物語なんて、砂岳は生まれて初めて目にする。機械族という自領地の『領王』に関わる事柄も含まれていたので、1番真剣に拝聴した講義でもあった。
物語の始まりはこうだ。
まず刻族の時間という概念の能力を誰でも視覚化出来るように、時計を生み出した発明者がいたという(ただし、その最初の発明者の種族は不明)。
時計は偉大な発明だったが、刻族の能力の性質を、当人に了承もなく他種族に明かし、刻族が他種族に力の対策を取られ、侮られることになった愚劣な行為であったと宙地原族が処断し、時計とその設計図を処分、発明者も処刑となった。
それが機械族の誕生のきっかけだったと記されている。
その処断から数年後、再び時計がこの世に現れる。
作ったのは、処刑された発明者の甥にあたる少年で、皇族の御前に引っ立てられた少年が言うには、頭の中に時計の設計図があるという。だがその言い分は信じられず、発明者が彼に設計図を隠して残していたのだとされ、今度は甥とその家族全員が処刑されて家屋も全て燃やされた。
さらにその数年後、また時計が巷に出回る。
今度は発明者と全く縁もゆかりもない幼い少年が作っていた。捕まった少年は言う。
「僕には生まれつき、周りに作用する種族能力がありません。ですが、頭の中に時計の設計図を持って生まれてきました。僕の能力はきっとこの設計図なのです。僕がここで殺されても、また同じ能力を持った誰かが生まれてきて設計図を受け継いでくれるでしょう」
『皇帝』は少年を処刑せず、彼を新たな種族と認めた。
〝機械族〟の誕生である。
しかし、まるで転生のように設計図を受け継いでいく能力は、宙地原族の怒りを買う。宙地原族の領分を侵す能力であると憤慨され、種族の階級順位を決めた際、宙地原族によって最下位の位とされた。機械族が賜った御形領地は、氷族の監視がなされる堅香子領地の隣の領地であったという。
……随分と宙地原族に刻族が大事にされている印象を受ける内容だったが、この時代は風族と同じように、突然変異種族の刻族も皇族の養子になることがあったのだろうか。
(世が世なら、風我様も時蔵のじっちゃんも皇女、皇子殿下だったとか……?
しかし宙地原族の領分を侵す能力、ねぇ。宙地原族の能力ってのがそもそも謎だが、この話だと機械族が階級順位で最下位なのは非戦闘種族が理由じゃないんだな。それなら本当の機械族の順位はどの辺りだったんだろうか)
一般的に知られている種族順位の理由は、どうやら諸説の1つでしかないのかもしれない。
(ひょっとして、上位種族だったりしてな)
そうなると、機械族の派生として誕生した電脳族がまさかの種族階級順位上位だったかもしれない。
これが所謂歴史ロマンというやつだろうかと、砂岳は楽しかった。実にわくわくさせてくれる講義だったわけである。
そして最後の体育。ひたすら集団での整列と行進、礼儀作法で学んだ礼が突然上位者とすれ違う時に出来るか、通り過ぎた後はどう立ち上がるかの繰り返しの訓練である。
これが体育と名乗っていることに砂岳は首を傾げたが、体育並みに体力と気力がいるらしく、ほぼ全ての囚人が時間が経つごとに脱落して、しごかれていた。
ちなみに砂岳と森蚕は平然とこなし、囚人達から尊敬の眼差しを更に受ける結果になったが、それは下位領地ランカーだからである。森蚕の場合は、元・下位領地ランカーだと言う方が正しいか。
『領王』と上位領地ランカー達の前での隊列や整列、軍行事でのパフォーマンスとしての行進は訓練などで慣れている。
(あー……、基本的に刑務所に送られる囚人は一般領民しかいないんだな)
自分達が随分と場違いで、少し肩身が狭いと思ってしまう砂岳だった。
講義の後、ぐったりしながら夕食を食べている者達を尻目に、砂岳はさっさと食事を終えて中庭へと向かった。1人になるのが不安だと言う森蚕も共についてくる。
中庭には、昨日見た様子と同じヒルコがぼんやりと夕暮れを見上げていた。
近くの地面には彼の食事のトレーが置かれている。小さなおにぎり1個と薄いスープの砂岳達と違い、確かにヒルコの食事は豪勢だった。大量のカツサンドが皿いっぱいに盛られ、野菜ジュースと生クリームの載ったプリンが添えられているメニューに、砂岳は変な笑いが零れる。
ヒルコのその食事自体も罠なのだろう。彼から食事を奪うような囚人がいないか、性根を見られているのだ。盗ったら最後、腹は満たせる代わりに処刑が待っている。
「よぉ。今朝はありがとな。昨日俺が言ったこと覚えててくれて、力を使ってみせてくれたんだろ。嬉しかったよ」
砂岳はヒルコと目線が合うように屈んでニカッと笑いかける。
ヒルコはゆっくりと夕暮れから砂岳へと顔を向けた。
「サタケ」
ヒルコが砂岳の顔を見て再び名を呼んだことに砂岳は感動した。
(おぉ……! やっぱり反応が遅いだけで、ちゃんと分かってはいるんだな)
「お前さん、光族だろう。強い光の刺激は人を昏倒させるって聞いたことがある。今朝は強烈な光で俺達の意識をしばらく飛ばしてたんだな」
ヒルコは特に何も返答はしない。口を開けて、ぼうっと砂岳を見つめるばかりだ。
「なかなか考えていることが声に出せないなら文字はどうだい? なぁ、森……」
砂岳が振り返ると、森蚕は目を見開き、驚愕の表情で固まっていた。
ヒルコを凝視してよろけながら傍へとやって来る。崩れるようにその場にしゃがみ込んだ。
「こぅ……よ、さ……ま……」
森蚕は上擦りながら呆然と呟き、涙を流した。
「生きて……いて……」
森蚕の知人――しかも、様付けをする光族のヒルコの正体に砂岳は気付き、口を引き結んだ。
ヒルコがゆっくりと森蚕に顔を向ける。微かにヒルコの瞳に光が宿った。
「……ヒスイ……」
ヒルコの呟きに、森蚕ははっとして顔をぐしゃりと歪め、がばっと土下座する。
「申し訳っ……ございません……! 我々が……俺達が全部……っ、間違えてしまい……翡翠領地があんなっ……あんな! 貴方にも酷いことを」
「ヒスイ、デテイケ」
ヒルコが発した言葉に、森蚕は一瞬息を止める。
そして堰を切ったように慟哭した。
「申し訳ありません! 申し訳ありません……っ!!」
森蚕は号泣しながら地面に額を擦りつけ、ヒルコに頭を下げ続けた。
ヒルコは地面の草をブチブチと引き抜いて森蚕に投げつける。
「イラナイ……デテイケ、イラナイ」
ひたすら謝り続ける森蚕と、壊れたように「イラナイ」と言い続けるヒルコ。
砂岳は端で2人を傍観し、種族能力を使わずに草を投げつけるだけに留めるヒルコの姿に理性を垣間見る。
こんな状態でもヒルコは、森蚕の言葉を聞こうとしているのだと思ったのだ。
――先々代翡翠領地『二位』ランカー、光耀隆詩。
彼の性質を深く知る者はそういない。
御天日凰十『皇帝』とその近臣と言える種族の族長達を、翡翠領地の闘技大会に招くという尋常でない人脈を持ち、翡翠革命前日に両親ともども不審な失踪を遂げた謎の元上位領地ランカーである。現在その生存は絶望視されている。
彼を害した宙地原族、御神地皇皇女。
彼女もまた、彼の死を欠片も疑ってはいない――……
第2章の閑話はここでおしまいです。
次回から第3章が始まります。




