閑話・辛夷監獄の隠れ鬼【中編】 〈砂岳巽視点〉
向かった先はこじんまりとした中庭である。そこに1人の青年がいた。
その青年――と思われるが、彼の風貌はどこかあどけなく、少年という年にも見えた。とにかく若い。
彼は口を開けたまま、ぼうっとした様子で建物に囲まれて四角い夕暮れの空を見上げ、芝生の上に座っている。
遠目にも、彼にはえげつない傷痕が額と首にあった。見える位置にあるのがそれだけで、他にも傷があるかもしれない。それは大きな杭で貫かれたような痕で、額の傷は脳に貫通している位置にあり、怪我の状態を鑑みると無事に生きているのが奇跡ではないかと思った。
砂岳は杭で貫かれたような傷痕に、港で見た電脳族の電拳剣族長の遺体が脳裏をよぎる。傷痕が似ている気がした。
(大地族にやられたのか……?)
「彼が記憶喪失の〝ヒルコ〟かい?」
「その名前は、辛夷領地の漁師が海で網に引っ掛かった瀕死の状態のあいつを病院に入れた時につけた名前が定着しているって看守に聞きました。ヒルコは怪我が治った後、無銭飲食をしまくっていたんで捕まり、ここに送られてきたそうです」
「うーん、見覚えは無い顔だな」
「あの傷痕、多分戦闘のもののようなんで領地ランカーだと思うんです。見た目の種族色はどうですか? 俺達に詳しい奴がいないんだが、あんたはヒルコの種族が分からないですか?」
ボスが四苦八苦しながら敬語を使って砂岳に頼る。
砂岳は胸中でほとほと困りながらもヒルコの容姿を観察することにした。
ヒルコは白色の髪で、光の加減で薄らと金髪にも見える。
「白髪ねぇ……。白の髪色を持っている種族って結構多いぞ。うちの鉱物族にもたまに生まれる。それこそ刃族に、植物族だろ。風族、水族、氷族、紙族、光族、獣族、霧族、灰族……」
砂岳が指折り数えて挙げていく種族名の多さに、ボスは「うっ……」と呻いて後退りした。食堂にいた囚人達の中には白髪がいなかったので、珍しい色だと思っていたようだ。白色の髪は様々な種族で見られる色でもあるので、特定に繋がる要素ではない。
あえて、皇族御三家の月族の名前は列挙しなかった。月族は庇護される尊い存在で、凄絶な傷痕が残る扱いを受けるような種族ではないからである。彼が月族の可能性は無い。
「じゃ、じゃあ目は!? 見たことがないような色だぞ!?」
「目か。1番種族色の色が出るところらしいし、じゃあ絞れるかもな」
「そうなのか? いや、そうなんですか?」
(電谷が教えてくれた話によると、白髪に白の瞳は月族オンリーで、同じ白の瞳を持って水色の髪色なのが氷族だったかな。黒髪に黒の瞳は、ほぼ闇族か電脳族系だって言ってたっけか)
砂岳はヒルコの正面に立ち、身体を屈めて視線を合わせる。
「初めまして。藍領地の砂岳って者だ」
「アイ」
ヒルコは砂岳の言葉を繰り返して、ぼんやりと砂岳を見つめ返す。その双眸を見て砂岳はその場で崩れ落ちた。
「む……紫かーい……っ」
「な、何だよ。見たことがないような目の色だろ!?」
「あー……、藍領地でよく見る色だ」
「何っ、水族か!?」
「風族、刻族、刃族、電脳族」
「は?」
(あと、月族の朧様と息子の水城篁朝もか)
砂岳は疲れた溜息を吐くと、以前電谷から聞いた話を思い出しながら男に説明する。
「紫は、突然変異の力の人間の瞳の色だ。全種族が対象で絞れない」
「んん? じゃあヒルコは突然変異種族ってやつなんですか?」
「分からない。風族みたいに特別な種族として生まれる奴だけじゃなく、種族内で特殊といえる力の奴も紫の瞳持ちだったりする。……電脳族の族長が、確かその色だった」
「そ、そうなんですか」
ボスは、がっくりと肩を落としてぼやいた。
「種族さえ分かればその種族の族長に連絡して、ヒルコを引き取らせると看守には言われてるんですが」
「そりゃ、お前さん達の親切心からかい」
「いや、ヒルコが目障りで堪らんのです。もう囚人じゃないからって、良い食事を与えられて食ってんですよ。俺らには目の毒だ。さっさと出てってもらいたい」
ボスは顔を顰めて忌々しく話す。砂岳も食べた気のしない食事量を思い出し、「そりゃ、つらいな」と自分の腹をさすった。
砂岳はヒルコの両手に能力封じの手枷が無いことに気付く。
「自分の種族も分からないのか? 力を少し使ってくれないか?」
砂岳は出来るだけ優しくヒルコに問い掛けた。
ヒルコは焦点の合わない瞳で砂岳に顔を向けるが反応はない。ボスは首を横に振った。
「ヒルコと話すだけ無駄です。命が無事なだけで、どうも怪我のせいで脳に障害があるようなんですよ」
ヒルコはぽけっと口を開けて砂岳を見つめ続ける。虚ろな紫電の瞳は砂岳を映しているようで映していない。
とりあえず、これ以上の進展は見込めそうにない。砂岳達は食堂に戻ることにする。
中庭から出る際、砂岳が何気なく振り返ってヒルコを見ると、彼は自分の両手をぼんやりと見つめているようだった。先ほどの砂岳の言葉に反応しているようにも見え、砂岳は少し立ち止まって彼の行動を見守ってみる。
だが、結局それ以上の動きはなく、その場を去ることにした。
食堂に戻ると、食事中とはうって変わり、皆が喋ってがやがやと騒がしかった。
ボスは砂岳に軽く挨拶をした後、自身のグループらしき人の輪に戻っていく。
森蚕は始めから座っている席から動いていなかった。他の囚人も何人かはそんな人間がいる。
最初に砂岳達に近付いて来て刑務所内のルールを話してくれた男もまだ同じ席にいたので、砂岳も元のテーブルに戻った。
男は前のめりに砂岳に問う。
「ヒルコはどうでした? やっぱり鉱物族でした? それとも水族? 大穴の闇族は外れですか?」
どうやらヒルコの種族判定で賭けをしていたらしい。周りの男達も、興味津々に耳を澄ます様子に、砂岳は手を横に振って苦笑いした。
「いやいや、それがさっぱり。しかしお前さん、随分と種族の的を絞った聞き方をするじゃないか。何か判断基準があんのかい? ヒントがあるのなら最初に知りたかったんだが」
「……いやぁ、単なる予想でしかないもんですがね。ヒルコの傷、深いでしょう。あんな攻撃を受けても生き残れるってんで、頑丈な防御壁を作れる鉱物族じゃないかってね。水族って予想は、海を漂流して無事だから水をどうにか出来る種族ではって考えからで」
「ああ、そういう推測の仕方か。大穴の闇族ってのは?」
「あ。それは俺しか賭けてない奴でして」
「ほー。そりゃまた何か理由が?」
問い掛けながら、砂岳は内心首を傾げた。
(黒髪と黒の瞳でもなかったし、闇族の要素はどこにも見られない容姿だったぞ)
「俺の予想は、ちょいとした古い迷信によるものなんです。うさんくさいって思われるかも知れませんが……」
男は一旦言葉を切ると、困ったようにポリポリと指で腕を掻きながら言う。
「ヒルコが大怪我で海から流れ着いた上に命まで拾えているのは、闇族のハーフが持っている第六感〝悪運〟があるからじゃないかと思いましてね」
「ダイロッカン?」
砂岳は、ぽかんとなった。唐突にオカルトめいた言葉を持つ出され、どう反応を返せばいいのか分からない。男は笑った。
「俺の出身領地は皇族領地に近いところでしてね。色んな種族の古い伝承やよもやま話がゴロゴロしている土地でした。地元ではそれを纏めて種族の基本運勢を判断する占いのような体系の石碑や言い伝えがありまして。性格判断みたいなもんと同じで、種族別の迷信能力判断ってもんでね。眉唾ものなんですがこれが結構当たるというか……。それによると、種族ごとにそれぞれ摩訶不思議な第六感の能力があるんですよ。……まぁ、そもそも光族や闇族は種族自体が珍しいんで、性格すらよく知られてないでしょうが」
「えっ!? 光族と闇族は他の領地でも珍しい種族なのか!?」
砂岳の隣で目を見開いた森蚕が困惑の声を上げた。
男は森蚕の問いに目を眇める。
「お前、どこの領地の奴だか知らんが世間知らずだな。光族と闇族が珍しい種族なのは常識だろうに。突然変異種族ってほどじゃ無いが、圧倒的に数が少ない種族として有名だぞ」
その点は砂岳も同意する。藍領地には『十位』に闇束霞がいるが、闇束から聞いた話だと、闇族は族長含めて核家族並みの人数しかもうこの世界にはいないらしい。
「そ、そんなに数が少ない種族だったんですか……」
森蚕はそんな話に動揺していた。若干瞳が不安定に揺れている。
男は「特に闇族の方は、絶滅危惧種族だと昔から言われている」と鼻を鳴らして砂岳との話の続きに戻った。
「闇族の第六感は〝森羅万象の把握〟という直感――種族能力の力量を測れると言うか、この世で最も光り輝き闇を消す強者、つまり次代の『皇帝』や族長が分かる稀有な迷信能力だって言われています。古くは巫職をしていたとか。
しかも、その世界の理を覗き見る代償によって〝不運〟持ちだとされているんですよ。この〝不運〟ってのが闇族最大の特徴で、真っ先に怪我をしたり、難病にかかったりして早死にすることが多いのだとか。だから、運気を光で包むという〝幸運〟持ちの光族と、所帯を持つのが1番安全で良いって話がありましてね。
それに光族と闇族の間に生まれた闇族のハーフは、〝不運〟が消えて〝悪運〟がつくらしく、生存率がぐっと上がるんだそうで。ただ問題は、大人しい闇族が光族の明るく社交的な気質が苦手だとかでなかなか夫婦にならないというオチが伝わってますけど」
横から森蚕が「光族が明るくて社交的……?」と呟き、どうしてだか懐疑的な目を男に向ける。砂岳は首を傾げた。
「うーん。だけどな、ヒルコは白髪だったし、多分その〝悪運〟持ちとやらの闇族じゃないと思うぞ」
「闇族に、白髪や紫の瞳はいないんですか?」
「いないはずだ。紫は珍しい色だが、全種族で出る色だから特定は無理だしな。光の加減で薄らと金髪に見えるから、まだ光族の方が可能性があるんじゃないか?」
砂岳の指摘に、今度は男の方が渋い顔をした。
「〝幸運〟って第六感は、チャンス到来や攻撃を偶然避けられることがあるっていう物事の始めに訪れるもんで、惨事の最後に発揮される〝悪運〟とは全然違うもんなんです。もしヒルコが光族なら、死んで浜辺に打ち上がってますよ」
ビーッ! とベルが鳴り響く。食堂での話は時間切れでお開きとなった。
砂岳は面白い話を聞いたと思ったが、森蚕はそうでもないようだ。自分の監房に戻っても、心ここにあらずといった様子で暗い表情をしている。
その理由に砂岳は思い当たった。翡翠革命で排除した人間の中に、闇族か光族がいたのだろう。
「なぁ、これから長いこと一緒にいるんだ。こっちは寝首を掻かれる不安があるんではっきり聞くぞ。お前さん達が翡翠革命を起こした原動力の感情や正当な考えってどんなもんだったのか教えてくれ。俺には、お前さん達は普通に見えて気が狂っている連中としか思えなくてな。腹をくくって話してもらいたい」
「砂岳さん……。そ、そうですね、分かりました」
森蚕までいつの間にか砂岳に対して敬語になっている。
砂岳はガクリと肩を落とした。森蚕は翡翠『領王』なので言葉遣いを戻して欲しいが、どうも皇族御三家に匹敵する力の風族と顔見知りだというアドバンテージは強力らしい。
「翡翠革命を――そもそも俺達が、武力で翡翠『領王』や上位領地ランカー達の暴走を止めようと蜂起したのは、以前に皆で力を合わせて翡翠領地の苦難を解決した経験があったのが大きかったと思います。
翡翠革命を起こす数週間前から、共用の電脳画面のトップやニュースの過去ピックアップで、その時の記事がよく目に入っていたこともあって、皆の気勢……その、妙なテンションというか異様な高ぶりがありました。SNSなどでも、あの時のように皆で翡翠の平穏を勝ち取ろうという文章ばかりが蔓延していて、今から考えると、これが電脳による誘導だったのだと分かります。後日、そんな文章は電脳から悉く消えていたので、皆本当に当時は熱に浮かされて、どうかしていたと……今になって思うようになれました……」
「……群衆心理ってもんか。それで、翡翠領民達が力を合わせて解決した苦難の経験ってのはどんなもんだったんだ?」
「先々代翡翠『領王』の怪死事件を解決した経験です。先々代翡翠『領王』が謎の怪死をして……始め、領王の地位を狙った当時の『二位』の仕業だと思いました。そこで俺達翡翠領民は、権力に屈せず、翡翠領地から毒殺なんて卑怯な手を使った悪人を追い出そうと奮い立ち、彼の疑惑を確定させるために証拠を集めたんです。調べると、亡くなった『領王』が違法に取引した輸入品によって、翡翠領地に運ばれてきた感染症だと分かりました。俺達は、感染症の被害が拡大前に力を合わせてくい止め、翡翠領地を守ることが出来たんです。この集団での輝かしい正義の勝利が、後の翡翠革命に皆をかき立てた経験でした」
「……その『二位』は、無実だったんだな?」
「はい、彼は俺達のおかげで無実が証明されました。でも後になって、彼を無実にしたことを皆後悔したんです。彼はその後直ぐに、『領王』代理の権力を行使して、後に翡翠革命に繋がった他領地民を起用する闘技大会を開いたんですから。あの時彼が有罪だったら良かったのにと、誰もが思わずにはいられませんでした」
「今もそう思っているのか?」
「それは……はい。その『二位』は光族だったんです。彼の両親も闇族と光族で。さっきの話で稀少な種族だと聞かされて混乱しています。有罪になって断罪せずに済ませられたことを俺達は喜ぶべきだったんでしょうか……」
「おいおい、普通に気の毒だ」
「そうですよね、俺達――」
「いや、その『二位』とやら冤罪だったのに酷過ぎないか。彼からしたら、始めから犯人扱いしていた翡翠領民が悪人じゃないかい。しかも、終わった後までお前さん達に邪魔されたように見えたから有罪で断罪したかったなんて。いくら何でも、そこまで望むのは非人道な思考だと思うぞ」
「……え……」
「この刑務所内で徘徊する処刑人は、辛夷『二位』の音根だったか。そのふらっと現れるっていう気まぐれな鬼と翡翠領民、どこが違うんだ? お前さん達の逆恨みの仕方は正直怖い」
森蚕は目を見開いて絶句した。
「逆恨み……」
「ああ。全く翡翠領地の情勢を知らない俺から見たらな。その『二位』の光族に、何かこう怪しい素振りでもあったのか? 始めから疑って掛かったみたいだが、お前さん達に嫌われるような失策を以前にしていたとか、前科でもあったのか?」
「い……、いえ……」
「じゃあ普段の素行でも悪かったのかい。横暴な振る舞いが多い領地ランカーだったとか」
「いえ、そんなことは、多分無かったかと。ただ、翡翠領地に光族は2人しかいなくて、もう1人はその『二位』の親で……数十年前に移住して来た光族と闇族の夫婦でした。翡翠領地には他にいない種族だったので、何かやらかして移住してきたのではないかと言われていて……。
『二位』の光族は大人しい方でした。ほとんど公の場の仕事に出て来なかったので、皆、彼がどんな人間かあまり知りません。ですが、本来光族は社交的なんですよね? うちにいた『二位』の光族は、やっぱりおかしかったんだと思います」
森蚕が同意を求めるように焦燥感を滲ませて言う言葉に、砂岳は頭が痛くなる。額に手を当てて溜息を零した。
「偏見、思い込みかぁ……。土部少年といい、俺の周りこの手のタイプ多いな……。つまりだ。お前さん達は、よそ者の光族をうさん臭く感じていて、更に自分達に愛想を振りまかないからって、よってたかって難癖をつけて吊るし上げ、それを正義だと思い込んでいる経験があったから、翡翠革命も同じようによそ者を吊し上げたんだな。そして運悪くその行為を世間に悪だと断じられたって思っていたわけだ。
――お前さん、それはあまりに自己中心的だぜ。そんな苛め行為を正義だと嬉々として話すなんてこと2度としないでくれ。俺は非道が常識としてまかり通るような異常な領地の出身じゃない」
砂岳は、あえて翡翠領地の中傷を強く口にしてバッサリと言い切った。他領地ランカーの砂岳がはっきり森蚕の考えがおかしいと指摘しておくべきだと思ったからだ。
森蚕は顔を強張らせ、硬直している。拳を握り込み、小刻みに震えだした。
その震えは、翡翠領地を貶されたことへの怒りなのか、それともショックを受けたからなのか。
(他領地と隣接しない島領地の平和さが、悪い方向に行っちまった感じだな。同じような島領地でも、陸地が広くて周りに他領地が4つもある藍領地では起こらない――……いや、水族がなぁ。『領王』様降ろしのそれっぽいことはやってるか。藍領地も、いつ第2の翡翠領地に変わるか分からんか)
藍領地も、翡翠領地も、中央大陸ほど敵に囲まれた領地配置でないせいか、一般領民が防衛の要である領地ランカーに求めるものがずれてきていると思う。本来、人柄や態度を重視する必要はないのだ。
(うちの『領王』様も炎乃様も、中央大陸の領地でなら最初から大絶賛される人材だったんだろう。強い人が上位領地ランカーにいるだけで、他領地への牽制、抑止力ってやつの効果があるもんだ。……藍領地民は、その辺りの炎乃様の価値を全く分かってはいないよなぁ)
今の藍領地民は、他領地との戦争をこちらから始めることだけを気にし、攻め込まれることに対しての想定はなく、自領地防衛への危機感などが薄い。
砂岳から言わせると、現在の藍領地上位ランカーのラインナップで、正面切って攻め込んで来られる周辺の他領地はまずない。風我唯1人が突出していた先々代のメンバー構成より、個人個人が規格外に強い現在の上位領地ランカーの方が余ほど他領地を戦慄させる戦力図になっているのだ。
しかも『九位』炎乃響華によって強さの順位がシャッフルされている。これは攻める側にとって強さが計れず、非常に脅威で不気味な状態だ。
現在のメンバーの優秀さは、大地族と水族が裏でこそこそと動き、表立っては藍領地に戦を仕掛けてこないことで証明してくれている。彼らは策を講じないと、現在の藍領地の『領王』と上位領地ランカーに太刀打ち出来る確信と実力が無いのだ。
だからこそ、その重要な戦力をわざわざ削るような世論、防衛戦力のはずの領地ランカーに対して、芸能人のような人気商売の色の側面が強くなりつつある風潮は非常に危険だと砂岳は懸念する。
砂岳が藍領地の心配をしている間に、森蚕も砂岳の言葉をようやく呑み込めたのか、震える声音でポツリと呟いた。
「俺達の行動は……1度だって正しかったことはなかったんだ……」
重たい言葉だった。
この言葉を吐くために、自分達の正義を過ちだと認めるのはどれほどの苦痛があったのか。
うなだれる森蚕の姿に、砂岳は少し安心した。
(……根はそれほど悪くなさそうだ。まぁ、2年ぐらい同室でも大丈夫そうだな)
次に砂岳は気弱な彼にどう言葉を掛けるべきか迷う。
ふと、何の気なしに背後を振り返る。
監獄の鬼が、鉄格子の隙間から砂岳達をじっと見ていた。
「!?」
砂岳はぎょっと目を剥く。咄嗟に身構え掛け、直ぐに動作を修正し姿勢を正して、頭を下げた。片足を立てて跪く姿勢は、後輩で藍領地『五位』の刃佐間逍遙の姿を参考にする。
(多分、辛夷領地『二位』ランカーの音根比良高――だな)
目元に小じわのある壮年の男――音根比良高は、短髪の黒髪と虹色に輝く瞳を持ち、昔はかなり美丈夫だったと思われる容姿だった。しかし双眸の輝きとは反対に雰囲気は暗く、能面のような顔で砂岳達を見下ろしている。
まさか収監初日に監房に来られるとは思わなかった。目立った違反をしたつもりはなかったのだが、目をつけられていたらしい。砂岳の背筋に冷たい汗が流れる。
(どっちを消しに来たんだ。俺か? それとも――)
密かに横目でチラリと森蚕を見る。
森蚕は地面に頭をつけ、砂岳以上に過剰な頭の下げ方をしていて思わずズッコケそうになった。彼は翡翠『領王』なので、実質音根より地位は高い。そこまで礼を尽くす必要は無いのだ。土下座のような平伏は明らかにへりくだり過ぎだった。
音根が静かに呟く。
「……風我様は、このまま俗世に戻られないのか?」
〝風我〟の名を出されたことに驚いて、砂岳は顔を上げる。
音根はじっと砂岳を見て答えを待っているようだった。彼の能面のような無感情の顔は、随分と無気力で生気に乏しい印象を受ける。
砂岳は、9年前に藍領地から姿を消した風我の行方を知らない。それを馬鹿正直に答えるのはまずいと思った。私刑で殺されないためにも、自分の価値を少しでも上げておきたいのだ。
しかし、情報での駆け引きは嘘を告げるのは危険で、砂岳が知っている範囲の情報にも価値があるのかは不透明である。
一種の賭けで、思い切って口を開いた。
「……さぁ、俺は一体どこにいるのかも分かりません。しかし先々月、藍領地の駅前にある百貨店付近で、9年振りに懐かしい風が吹いたようですよ」
砂岳の答えに、音根は口元に手をやり何事か考える様子を見せる。それから目を伏せ、再び歩き出して去って行った。
砂岳と森蚕は完全に音根の気配がなくなるまで身動きせず、しばらく待つ。ちょっとした発見なのだが、音根は足音どころか服の衣擦れの微かな音までさせてなかった。さすが音族、音を消して幽鬼のようなことをさらっとする。
音根が完全に去ったと思えてから2人はようやく安堵し、肩の力を抜いたのだった。




