閑話・異領地道中ぶらり旅【後編】 〈氷藤信次視点〉
信次がカクテルを飲み終え、グラスから視線を涼柁に向けると、涼柁は忽然と姿を消していた。まさに神出鬼没である。
結局、信次はその高級なホテルで一泊することにした。
広い部屋に質の良い給仕。贅沢を喜ぶべきところなのだが、信次は落ち着かずあまり疲れを癒やせなかった。
次の日。ホテルのラウンジに涼柁が現れないかと少し待ってみたが誰も現れることはなかった。ホテルのカウンターには涼柁の名前で分厚い封筒が預けられており、中を覗くと札束が詰まっていて信次は引き攣った笑みを浮かべる。
その後、病院に行って秀寿の容態を確かめた。
まだ秀寿の意識は戻っていないようだ。
同時に堅香子領地の警察に声を掛けられ、軽く事情聴取を受けることになった。秀寿の怪我は心臓には当たらなかったものの胸を銃で撃たれたような傷口だったため、事件性を疑われたのである。
昨日の段階から、病院側が堅香子の警察に通報するのは予想の範囲内だったので、今日の信次は事前に堅香子領地に実在する氷族に力で姿を変えて病院に来ていた。幸いにも銃の弾は体内に残っておらず、火族の小さな火の塊の流れ弾に当たったという嘘を突き通して難なく答え終わる。
それから直ぐに信次は病院を後にした。
堅香子領地は大領地、中央大陸の中でも都会だ。
信次は観光気分で、ぶらりと街中に繰り出した。
ほぼ藍領地専属の工作員ランカーだった信次は、葛領地以外の中央大陸の他領地に足を踏み入れたのはこれが初めてである。
ぼんやりと信次は景色を眺めていた。どこかで見たことがあるような既視感と懐かしさを覚える街の景色が続く。実際この景色を見て育っているのだ。
堅香子領地は芸能の領地。テレビのCM、ドラマ、映画、アニメに至る全ての創作の映像作品がほぼこの領地から生まれ、堅香子領地の街全てがロケ地となっている。「作品の背景で使わない建造物は建てない領地」とまで他領地に揶揄される所以だ。
信次は適当に入ったコンビニで堅香子領地の電脳に接続し、氷族本家の場所と地図、氷族族長の名前と顔を確認し、ついでに電須佐由との会話で引っ掛かった単語を検索した。
(――〝常人整調薬〟。へぇ、能力封じの薬ってマジでこんな正式名称だったんだな。……『機械族が生み出したもので、元々は他種族を機械族と同じ能力にするための薬品』……『機械族の護身用として煙を出すものがあり、近年は電脳族が次元空間に逃げ込む際の目くらましを兼ね、その煙は黒煙と改良されている』……。ふーん、括りとしては護身用品で殺しの兵器じゃないわけか)
いつの間に機械族が死の武器商人になったんだと思ったが、どうやら違うようだ。
元々軽い能力封じの薬ならドラッグストアなどで普通に出回っているし、翡翠領民にもそのノリで煙玉の護身用の能力封じを売ったのだろうか。
(まさか機械族も宙地原族寄りか……? 後ろの勢力関係はあんまり考えたくねぇな。……訳分かんねーし)
信次はガシガシと頭を掻き、さっさとコンビニを出た。面倒臭いことは無視にかぎる。
それから携帯端末の地図を見ながら歩いて氷族本家の建物前へと辿り着く。一見大企業のビルにも見える高層マンションである。
信次は道路を挟んで離れた場所から、しばしその建物を眺めた。
「……やめた」
信次はぽつりと呟き、氷族本家に背を向ける。
涼柁との話で大体知りたかったことが分かったせいか、氷族本家に行く気が完全に失せていた。よくよく考えると信子が翡翠領地で亡くなった後、一切連絡すらこなかった連中なのだ。同族でも特に仲間意識はない。
(俺が訪問したら密入領がバレるし、会わないのが正解じゃね? 言い訳くせーけど……)
「そこの人。すまないがこの時刻表で、大橋前のバスは次は何時って書いてあるかな?」
バス停に座る中高年の恰幅のいい男性が信次に声を掛ける。「は?」と眉根を寄せながらも、信次は屈んでバスの時刻表を見て「次は45分だな」と答えた。
「45分!? うわっ、だいぶかかるな。ありがとう。もう老眼が始まったかな。参ったなぁ」
男性は信次の隣に並んで目を眇め、睨み付けるように時刻表を覗き込んだ。不意に男性が、すっと信次の腕に手をやる。
「っ!?」
ズクリと刃物で突き刺された衝撃を受け、信次は目を剥いた。反射的に手を振り解こうとして動かない左腕にぎょっとする。
男性はガラリと表情を変え、感情を消した顔でバス停の時刻表をじっと見つめていた。男性が信次の腕に触れた右手の中指には手のひらの方の内側に突起した鋭い針が光っている。
信次は男性に距離を縮められていたことに無用心だった自身の油断に舌打ちした。針に塗られていた液体は、即効性の痺れ薬と能力封じの常人整調薬だと推測する。
だが能力封じの方は信次には効かない。直ぐさま相手に攻撃しようと力を溜める。
「ついて来い」
男性はそう言うと、信次に背を向けて歩き出す。信次は一旦攻撃を中止し、相手の出方を窺うため警戒しながら男性の後をついて行くことにした。
男性が向かったのは年期の入った安アパートだった。そこは信子と信次が暮らしていたアパートによく似ていた。「氷随」という表札がかかった一室に入る。
(氷族か?)
部屋の中は雑然としていて、床に散らかった新聞の束にゴミ袋が転がり、洗濯物が畳まれないままだらしなく部屋にぶら下げられている。台所も汚れた食器が流しに放置され、典型的な無精気味の一人暮らしの男性の家と言えた。
だが信次はその様子に不自然さを感じて片眉を上げる。
(埃の上にゴミっておかしいだろ。わざと散らかしてやがるな)
男性は信次の訝しむ表情に、ふっと笑みを零した。座布団を押し入れから取り出して床に置く。
信次は促されてその上に座った。
男性も同じように信次の対面に腰を下ろし口を開く。
「私は氷随由元という。どのような手段で堅香子に侵入したのか、正直貴殿にそれほどの技術があったとは思わなかったぞ氷藤信子様の弟、氷藤信次よ」
(コイツ、姉ちゃんと俺を知っている氷族か)
「……ツテがあったってだけだ。アンタは何者だ?」
「現在は氷族族長である」
「ハァ?」
信次は眉間に皺を寄せて懐疑的な目を氷随に向けた。
氷随は至極真面目な表情を崩さない。
(何言ってんだ、コイツ。氷族族長の名前を俺が知らないとでも思ってんのか)
「氷族族長は氷贋茶分だ。他領地民なら騙せるとでも思ったか」
「あれは名の通り、表用の偽家。裏で最弱の者が就任している」
氷随の堂々とした強気な姿勢に信次は鼻白む。
「族長様がこんなボロアパートで住んでるわけねぇだろ。氷族本家はさっきのバス停前の……」
「あれはハリボテだ」
「あ?」
「私の明かす情報を鵜呑みにしない姿勢も良い。我らが9年前に氷藤信次に下した素養無しの査定は誤りだったようだ。謝罪しよう」
氷随は信次に頭を下げた。
信次はうさんくさげに氷随を半眼で見る。
「……そうかよ。で、俺に何か用か?」
「病院での貴殿の幻術を見させてもらった。あれは独学か?」
(クソ! コイツ病院からつけてたのか……!)
気付かなかった自分に信次は再度舌打ちする。油断し過ぎだ。
「変装なら工作員ランカーやってれば誰でも出来んだろ。ドクガクってほど大層なものじゃねぇ」
「いや、貴殿の変装は他の者とは違い、氷族の力を使ったものだろう。そのように力が使える者は氷族内でもいないのだ。体臭まで隠せていたのには、驚きを禁じ得ない出来であった」
何故か昔から使える偽装の力を褒めちぎられて信次は釈然としない。逃げる時や、標的の近くで話を聞くぐらいの活躍しかしない地味な能力で、葛領地でも誉められたことはないのである。信次より変装の上手い達人は何人もいる。力をわざわざ使わなければならない信次の方が技術としては劣っているはずだ。
「俺を持ち上げて何が目的だよ?」
「先代氷藤信子様の遺志を継ぐか否か、答えよ」
「……え……」
(先、代……?)
「答えによっては、氷藤信次を生かして部屋から出さん」
先代――氷族族長を名乗る氷随が、前の氷族族長として姉の名を挙げ、信次は息を呑む。一気に血の気が引いた。
「姉ちゃんが氷族の……族長……!?」
「代々の〝氷藤〟の意志を継ぎ、氷藤信子様は皇族御三家――特に太陽族とその一族の族長である『皇帝』陛下に仕える隠密の私兵であった。貴殿は姉と同じくその道を歩むか?」
氷随が全てを見定めようとする鋭い眼で、じっと信次を見つめて答えを待つ。
信次は背筋に冷たい汗が伝った。
しかし、気迫負けしていては相手に舐められる。信次はぐっと目に力を込めるつもりで氷随を睨みつけた。
(どいつもコイツも皇族御三家の話ばっかりしやがって。おかしいだろ。この世界から失踪していないんじゃないのかよ……っ)
「宙地原族が世界の覇権を握っているだの、姉ちゃんが『皇帝』に仕えていただの……! いつから皇族御三家は表に戻ってきてんだ。俺がニュースを知らないだけか……っ?!」
信次が苦々しく呟いた問いに、氷随は目元を和らげて苦笑する。
「どうやら貴殿は、既に裏の情勢の中で生きているようだな。たまたまそのような領地にばかり関わってきたのだろう。本来、現在の皇族御三家を知る領地の方が稀なのだ」
「俺は皇族御三家なんてご大層なものはどうでもいい。宙地原族も太陽族も知らねぇ」
(俺が知ってんのは月族だけだ)
「姉の供養をしたくはないのか?」
「供養って何だよ。俺は姉ちゃんから何も託されてるもんなんてないっての!」
(そうだ。姉ちゃんは俺に何も話してくれなかった。何も教えてくれなかった。俺には好きに生きろって……そう言うことなんだよな、姉ちゃん……!?)
「俺は姉ちゃんの遺志なんてもんは継がねぇ!!」
次の瞬間、室内が一気に凍る。
氷随は驚愕して目を見開いた。
「なっ……力が……っ」
「俺は生きてこの部屋を出る。てめぇをぶっ倒してな!!」
「早とちりをするな!!」
氷随は慌てて大声で信次を一喝した。
信次がその声に動きを止める。
それを見て氷随は額に手をやると、ふうっと大業に嘆息した。
「まさかこのようなことが……。現で夢を見ているかのようだ。――継がぬのであれば、貴殿には氷藤の名を返上してもらう。命のやり取りをする気はない」
「あぁ? だったら始めからそう言えよ! 紛らわしい言い方しやがってッ」
「脅しも兼ねていたからな。貴殿にそう思わせることも策の1つだった……が」
氷随は若干放心したように凍り付いた部屋を見渡す。それから頭を軽く振り、書道具一式を押し入れから出してきて空中には電脳画面を表示した。
電脳の通信画面には1人の凡庸な青年が現れる。
『氷随由元様。御命令は?』
「堅香子で新たな戸籍を作る。氷乃『領王』に受理させよ」
『かしこまりました』
氷随に頭を下げる青年は、氷族族長とされている氷贋茶分その人だった。
信次は目を丸くする。氷随の話は事実だったのだ。
氷随は書道具を広げ、硯に墨を出して筆をつけ、半紙に字を書く。
「氷藤信次の名を持つ者はここで消える。良いな?」
「まぁ、葛領地にはもう帰れねぇし、工作員として名前が知られてっから別の名前に変えるのはいいけどよ……。そんなに〝氷藤〟の名字が大事なら何で今まで俺を放置していたんだよ」
「〝氷藤〟の名を継ぐ族長でないからこそ、太陽族以外の皇族家に仕える名分が出来ていた」
「太陽族への言い訳か。自分は〝氷藤〟じゃない族長だから、宙地原族にも味方するってか」
「その情報、一体どなたから聞いたのか……。この時勢、どのように落ち着くか先が見えぬ。〝氷藤〟の名は一旦途絶えさせることになるだろう」
氷随は筆を置き、半紙を信次へと掲げた。
「氷課心士。
今より貴殿はこの名となり、堅香子領地出身の者となる」
「……俺は、宙地原族の僕になるつもりはねぇし、堅香子に居つく気もねぇぞ」
「良い。自由に生きよ。どこにでも移住を保証する堅香子の証明書も発行する。〝氷藤信次〟はこの地で死んだと、灰兼『領王』様には伝えよう。出来うるならば――」
氷随は畏敬の眼差しを信次に向けた。
信次は氷随の視線が、正確には信次の革手袋をした手に注がれていることを察した。
「貴殿の受けた奇跡の恩恵が、最後には氷族一族へともたらされる幸運となることを期待する」
数日後、秀寿の意識が戻った。
氷藤信次改め氷課心士は、秀寿が治るまでしばらく堅香子領地に滞在することになる。
何故かその間、氷随に隠密術と護身術を教わる流れとなった。
最初に覚えたのは隠し武器の角手という道具。心士の腕を刺した、指に填める針の指輪の使い方である。対象に近寄って刺せるなら、力を使わずに相手を仕留められるそうだ。
氷随曰く、本物の氷族族長に種族能力の強さは不要。そもそも隠密や護身術は、種族能力がいらない技術だと断言された時は衝撃だった。
心士が〝氷藤〟を継ぐ素養無しと判断されたのは、騒がしく落ち着きがない子供だったからだそうである。人の目を引かず、埋没するような大人しい子供でなくてはならないらしい。今でも騒がしく、子供の頃と大して変わらない自覚がある心士はその弁に、正論だなと納得せざるを得なかった。
心士の密入領の問題は堅香子の戸籍取得で消えた。しかし、秀寿の密入領の問題は消えていない。堅香子領地内なら氷随が目こぼししてくれることになったが、その後他領地に出るとなると、まずいことになる。
「藍領地に戻れないよな、ヤバくね? あれから獣櫛もデンスも全く姿見せねーし」
「獣櫛さんの連絡先は聞いてないのか?」
「悪い」
「そうか。俺も電須さん専用の連絡端末を持ち合わせてなかったんだよな」
病院のベットで半身を起こした秀寿は顎に手をやり考え込む。
目が覚めた始めの頃、秀寿は年上の心士に敬語で話していた。しかし、心士が敬語がむずがゆいのでやめさせたのである。
それから対等に話すようになって分かったのは、秀寿が心士より頭が良いということだ。とても話しやすい。一から十まで言わなくても話が通じるのだ。
心士が調べていたかぎりでは、藍領地『二位』の秀寿は、『九位』の炎乃響華に負けず劣らず、集団に属さずに独りで動き回る類の人間であった。人と話すのが苦手な部類の人間で社交的だとは思っていなかったため、非常に驚かされたのである。
現在、秀寿は病院を退院するまで能力封じの常人整調薬の投与をされており、心士が身辺警護をしている。
退院は早めたいところだ。常人整調薬には副作用がある。あまりにも長期に渡って摂取すると力が操りにくくなり、最悪全く力が使えなくなってしまうのだ。命には換えられないという理由で医療現場では使われているが、一般領民は良くても力を使うことを生活基盤としている領地ランカーには死活問題だったりする。
考え込んでいた秀寿が、ぽつりと呟いた。
「オンラインゲーム」
「へ?」
「やるしかないかな。他に電須さんへの連絡の取り方が思いつかない。それが空振りに終わった場合は――」
そう言って秀寿は何故か床に視線を向ける。
心士が釣られて視線を向けるが意味が分からずに首を傾げ、秀寿は困ったように苦笑する。
「氷課さん。暗い地下を歩くのは平気だろうか?」




