閑話・異領地道中ぶらり旅【前編】 〈氷藤信次視点〉
(ヤベー……今頃ケンちゃん、キレてんじゃねーかな)
巨大な機械ロボットの手の上に乗る氷藤信次は、先ほど自分がやったことをぼんやりと脳裏に思い浮かべていた。
信次は、『かぐや』と水岐広早の月族の弟――水城輝夜を守るために自領地の『領王』灰兼思の前に立ち塞がったのである。
しかもその際、粒島賢達に向かって牽制程度の威力の力を放ったつもりで、完全に彼らを氷漬けにしてしまったのだ。力の加減を間違えたというより、「あの程度でそこまでなるのか!?」と自分自身の力にぎょっと肝を冷やされた出来事だった。
月族の力で強化された信次の力は、本来は格上の賢達を歯牙にもかけない強大な力と化している。
いや、下手をしたら灰兼すらも凌駕して――……
(でも俺の実力じゃねぇし)
信次は他人の力で強くなっていることを微妙に思う。ぶすっと不機嫌な表情をした。しかし、その強大な力を得続ける選択をしたのは他ならぬ信次である。
1ヶ月半前まで、信次は翡翠革命の際に姉の氷藤信子を助けず生き残った水岐広早を恨んでいた。だが藍領地で水岐広早と対峙してから、信子の方に疑問を抱くようになったのである。
信子は何者だったのだろうか。
翡翠領地ランカーとなり、翡翠革命で死ななければならなかったのは何故なのか。
いくら考えても信次の知る信子では答えが出ない。
(姉ちゃんには、俺が知らない顔がある)
信次は姉のことを調べたいと思い、氷族本家があるという堅香子領地へ行こうと思った。
ところが、そう易々と話は進まなかったのである。
信次は葛領地の工作員ランカーだ。いくらプライベートだと主張したとしても、普通は他領地への入領が叶うはずがない。簡単に申請が通った藍領地が緩過ぎたのである。私情で他領地に旅行など不可能な立場と言えた。
こうなると、葛領地の工作員ランカーの地位が邪魔で仕方が無いのである。
それに、灰兼の命令以外で偽装行為を使って勝手に他領地へ行くのは職務違反となるし、バレれば始末される。
なので今回、灰兼のお墨付きで氷族本家がある堅香子領地に行けることになったのは幸運だったのだ。
だが、その話も次第に雲行きが怪しくなる。
桔梗領地の人間が3人同乗することになり、途中で電脳族族長を捕まえ、藍領地に立ち寄る運びとなった。
いっこうに堅香子領地に着かないのだ。
しかも、逗留したのは藍領地。1ヶ月半前のスタート地点に戻された心地がして、信次はかなり腹立たしかった。灰兼に信子の件を邪魔されていると感じたのである。
いい加減、灰兼の傘下から抜けたいと内心業を煮やし始め、変な話、藍領地での一連の背信行為は灰兼と手を切る絶好の機会だったのだ。
灰兼に付き合う義理はそもそも果たし終えていたと思っていた。反旗を翻せる力も、今の信次にはある。なら実行に移すしかないだろう。
結果、現在信次は機械ロボットの手の平の上で、曇り空の頭上を仰ぎながらしみじみと嘆息する。
(俺も、遂に傲慢どもの仲間入りかー……)
この宙地原世界では強大な力を持つ者ほど傲慢で独善的な傾向がある。
むしろ信次はそんな人間にしか会ったことがない。灰兼しかり、水岐広早に、藍領地の何か恐ろしい電脳族、信次に力を与えた『かぐや』にしてもそうである。
少し前の信次なら、その人物達を「上から何でも押しつけやがってクソ野郎どもがッ」と罵れたが今はもうなじる気になれない。
信次は既に彼ら側である。だからこそ、主であるはずの灰兼に対して敵対行動を取ったのだ。今の信次は灰兼の命令に従い、力をセーブして我慢する状態を続けるのを理不尽だと感じて耐えきれなかったのである。
力が弱ければ間違いなく取らなかったであろう敵対行動を最善として選んだ。まさしく傲慢になったと言える。
(これからどうすっかな)
力を与えて貰っている以上、輝夜を守るのもやぶさかではない。
信次が身の振り方を考え始めた瞬間、グイッと首根っこを掴まれ背後の床へと引き倒された。
ゴンッ!
「痛ぇッ!」
信次は頭を打ち付けて悲鳴を上げた。痛みの直後、目の前に真っ暗な闇の天井が飛び込んでくる。
そこは信次の脳裏に恐怖と共に鮮明にこびりつく空間で目を見開いて固まった。海に叩き込まれた時の恐怖を思い起こし、コクリと息を呑み込む。
「一応、応急処置は終わったん。僕は人のお医者さんやないから、ここまでなん」
緩いトーンの声音に、恐怖に呑まれかけた意識が引き戻される。
信次は驚いて声の方に顔を向けた。
以前連れ込まれた暗黒の空間とは違い、床が白い蛍光灯のような色彩で発光している。
信次の首根っこを掴み引き倒している男は、信次を一瞥もせずに背を向けており、床に倒れ伏している別の人間の方を屈んで覗き込んでいた。
男の足の隙間から、その倒れている人間の顔が見える。
(藍の『二位』、雷秀寿……? マジで生きてたのかよ)
「藍領地の病院だとトドメ刺されるな」
「うん……。よっちゃんが庇護しているって向こうは知っているん。狙われるんよ」
「領地内に大地族が少なくて、医療関係者に大地族がいない病院だな」
足の隙間から灰色で黒の縦縞が入ったふさふさの尻尾が見えた。その毛並みを見て、この緩い声音の主が誰なのか、信次は思い当たる。
――この二足歩行の狼は、獣櫛涼柁だ。
そして信次の首根っこを掴む男の、低く艶のある硬質な声音にも聞き覚えがあった。信次は男の端正な横顔を密かに見上げる。
(コイツが、俺とケンちゃんを海に落とした……電脳族? で種族はいいのか……?)
どうにもしっくりこない。以前信次が感じた異様な畏怖を、この男から欠片も感じられないのだ。
(弱くなってね……? つーか、ケンちゃんが近くにいるみてぇな)
信次は何故か男に親しみが湧いていた。幼馴染みの賢といる時のような、相方に対する時の妙な安堵感があるのだ。友人というわけでもないのに不思議なものである。
胸中で首を捻っていると、男が信次へと振り向き目が合った。
信次は起き上がり、意を決して口を開く。
「……てめぇ、誰だよ?」
「お前こそ何だ」
「あ?」
「わ! よっちゃん、彼は葛領地の氷藤信次君なん! こんにちはなん。このよっちゃんは電須佐由って言うん」
「てめぇには聞いてねぇ!」
「涼ちゃん、俺は氷藤信次が誰だかは知っている」
「え?」
「ハァ?!」
慌てて仲立ちをした涼柁は2人に同時に言い返されて目を白黒とする。
信次も電須佐由の言い分に「何言ってんだコイツ」と顔を顰めた。
佐由は漆黒の瞳を細めて信次を見下ろす。
その無言の威圧感に信次は若干怯んだ。
「この世界の氷藤信次は、既に知らない氷藤信次だ」
「……よく分かんねーけど、初対面じゃねぇだろ。アンタはデンスって名前か……ああッ!?」
信次は、佐由の右手を見て驚いた。信次と同じ月の白い紋様がある。
佐由は信次の視線を辿りながら、信次の首根っこから左手を外す。そして信次の目の前に両手を突き出した。左手にもある月の紋様を見せつける。
信次は佐由に得意げな笑みを向けられ、口角を引き攣らせた。
「ドヤるトコじゃなくね!?」
「感謝しろ。御高月煌夜のおかげで、俺もお前も常人整調薬の黒煙の中で力が使えた」
「ジョウジ……ヤク? って何だ。能力封じの薬のことか? ひょっとしてデンスがそいつを助けたのかよ? アンタ藍領地ランカーなのか?」
信次は秀寿にちらりと視線を向けた。
秀寿は気を失っているようだ。胸元付近を包帯で縛って止血されている。浅黒い血が白い布に滲んでいた。
「これからお前が助けるんだ」
「は?」
ぽかんと信次が口を開けて聞き返したと同時に、ザッと暗黒の帳が消え去った。
目の前が真っ白になり、信次はあまりの眩しさに思わず瞼を閉じる。少しの間、薄らと瞼を開けて光に目を慣らしてから恐る恐る目を開けた。
眼前に自動ドアがある。ドアの先は受付窓口と長椅子が並んだ玄関で、病院の入り口に信次はいた。
「か、看護師さん! この人怪我してるよ!!」
通りがかった患者の一人が信次達に気付いて大声を上げた。
看護師が慌てて駆け寄って来る。信次は頭を切り換え、いつもの工作員の仕事を思い出しながら喋った。
「助けてくれ! 通りすがりに領地ランカーの小競り合いに巻き込まれたんだ……っ」
「彼は何族ですか!?」
「雷族だ」
ストレッチャーに秀寿は乗せられ、慌ただしく館内に運ばれていく。
信次は治療室前まではついて行き、廊下の長椅子に座った。1度溜息を吐き出して素早く周囲の様子を見る。
(どこだよここ)
信次は少し館内を歩く。廊下で病院所在地の表記を発見し、ここが堅香子領地だと知る。
驚愕した。夢でも見ているのか。
信次は既に目指していた領地にいた。開いた口が塞がらない。
呆然としながら先ほどの長椅子に戻って座り直すと、看護師がやって来て緊急手術の誓約書への署名を求められた。信次は服の袖に隠して密かに携帯端末を操作しながら、葛領地で収集している堅香子領地民の情報を見て書き込んでいく。
(えーと、堅香子領地に実在する雷族は――……っと雷建、これか。で、氷族で使える名字は――)
サインをし終わると、手術室に秀寿は運ばれた。そのままぼんやりと信次は待つ。
何時間経っただろうか。
不意に信次の足元に影が差した。顔を上げると、狼の半獣型姿の涼柁が笑顔を浮かべて尻尾を振っていたのである。
(殴りてぇ!)
信次は涼柁の笑顔にイラッとする。文句を言おうと口を開けたが「お金なら僕が全部払うん。信次君も何でも言って欲しいん」という気前の良い言葉に信次は黙ることにした。信次の手持ちは少ないのである。金づるは非常に大事だ。
「おい狼。時間差で来る意味あんのか?」
「僕の名前は獣櫛なん。藍領地で通夜に出てたんよ」
「通夜……? ああ、藍の『十位』死んだもんな」
「あの子は亡くなってないん。電拳族長のなん」
「え。アイツの方が死んだのかよ……」
電拳剣は、信次の記憶が間違ってなければ葛領地の豪華客船内に居たはずだ。安全な場所にいた印象があったので信次は心底驚いた。
(つーか、霧原がわざと守らなかったんじゃねぇの。……あの電脳族族長が死んだとか全然ピンとこねーな……)
信次に水岐広早への復讐を誘導したり、翡翠革命の首謀者らしいとも後々灰兼に聞かされている。クソ野郎だなという印象しかない。ただ妙に客船内で信次の方を見てくることがあって、あの視線の意味だけは謎だったので少しだけだが信次の心に引っ掛かる人物だった。
「秀寿君が動けるようになるまで、しばらく堅香子領地に滞在して欲しいん。信次君は氷族本家に行きたかったんやろ? ここまで連れてきた交換条件なん」
「馴れ馴れしく名前で呼ぶなっつーの!」
「でも、のぶちゃんの弟なん」
「「でも」の意味が分かんねぇ! ……ってアンタ、姉ちゃんのことも翡翠でのことも知ってんだよな!? 教えてくれないか!!」
信次は目の色を変えてがばっと身を乗り出した。
涼柁はあっさりと頷く。
「僕に分かる範囲でならお話するんよ。まず、どこかでご飯食べるん」
「お、おう」
涼柁と連れ立って病院から離れた信次は、今更ながら涼柁の姿にぎょっとする。
「狼の姿はヤバいだろ!?」
「僕の半獣型姿は自衛になるん。普通、御大候補に見える狼姿の獣族に攻撃する領地ランカーの人はいないんよ。電拳族長が特別だったん」
「……普段わざとその姿なのかよ。アンタ結構計算するタイプだったのか。天然だと思ってたのにビビるわ」
「あっ!? この姿だと密入領が直ぐバレてしまうの忘れてたん……っ!」
「てめぇ!!」
涼柁はその後直ぐに人型になった。人型に成られると、狼と同一人物のように思えず、正直信次は混乱する。
病院近くの寿司屋が営業していたので、そちらで遅い夕食を食べた。信次は回らない寿司を初めて食べる。美味しかったが、作法の方が気になって腹を満たすまで食べることが出来なかった。
その次に行ったのが高級なホテルのラウンジで、どう考えても庶民的ではない。涼柁は御曹司なのだなとつくづく実感し、柔和で整った顔立ちも含め、信次は色々と人生において負けた気がした。
「僕は泊まらないけど、信次君はここに泊まるといいん。宿泊費はとりあえず3ヶ月くらいでいい?」
「なげえ! そんなにいらねぇわ! それにビジネスホテルで充分だっての!」
「でも秀寿君の怪我はどれくらいで治るか分からないん」
信次が腰を下ろした椅子は今まで触ったことのないような手触りで、話そっちのけで変な笑いが込み上げてきた。
「クソぉっ……! じゅ、獣櫛は泊まらないって、藍領地に戻るってことか?」
「最近僕の住居は藍領地やけど藍領地やないん。僕、大地族に嫌われているし、ちょっと困った皇族の人が来るようになったん。妹も危ないから一緒によっちゃんの次元空間で住んでるん」
「次期御大候補者が大地族に狙われているのか?」
信次は目を丸くした。歴史的にも桔梗領地の御大は、皇族御三家と最も近しい存在のはずなのだ。関係は今も良好だと思っていた。
「僕はもう次期御大候補者ではないん。大地族……ううん、宙地原族は御大になるって陛下との約束を守らない僕が嫌いなん。今となっては宙地原族が1番嫌っているよっちゃんが誰よりも陛下との約束を大事に守っていた結果になっているん」
「よく分かんねぇ話なんだが。陛下って『皇帝』だっけか。灰兼が言っていた火巻凰十のことだよな。獣櫛は何で御大にならない?」
「それは翡翠革命が転機だったん。僕、それまでは御大を継ぐことに何の疑問も湧かなかったんやけど――」
涼柁は目を伏せて溜息を零した。
「翡翠革命」の言葉に信次は軽く背筋を伸ばす。
「僕は物心つく前から、皇族御三家に仕えるために生きるのが普通だと思って育ってきたん。それが変やなって思うきっかけは翡翠革命の前日のことなん。あの時陛下によっちゃんに言えって言われてたことがあって、それをよっちゃんに言ったん。今思い出しても、僕はどうして陛下の命令ってだけであそこまで思考を停止出来ていたん……? そもそも陛下は何であんなことを僕に言わせたんやろうって……。
あれから僕は、無条件に陛下の命令に従わなければならないことに疑問を持ったん。これは不敬な考え方なんやけど、僕の意志で主を選べないのはおかしいと思うようになったんよ。狼姿に生まれただけで僕の意志とは関係なく御大にならなきゃならないこと自体にも、違和感を持つようになったん。だから僕は御大にならないんよ」
涼柁は信次を真っ直ぐ見つめ深く頭を下げた。
「僕は翡翠領地ののぶちゃん達に何かあった時は助けなきゃならなかったのに、よっちゃんの説得に失敗して助けられなかった戦犯なん……。信次君は恨むならたっちゃんやなくて僕を恨むのが正しいん」
「……正しいって何だよ。俺が誰をどう思おうが勝手だろ……っ」
思わず吠えた声色は信次自身が思った以上に荒く低かった。
涼柁は信次に怯むこともなく、静かに信次の次の言葉を待つ。
「なぁ、お前らは翡翠革命が事前に起きるって知ってたのか? だから最初から逃げる打ち合わせなんてしてたのかよ? 姉ちゃんは危ないのが分かってて翡翠領地のランカーになったのか? ……どうしてだよ!?」
「僕がどこまで氷族のことを話しても良いのか分からないんやけど……氷族は裏の獣族的な位置にいる一族なん。のぶちゃんは子供の頃から陛下に仕えていたん」
信次は、はっと目を見開くと顔を上げた。
「え……姉ちゃんが……?」
「信次君は何も聞いてないみたいやけど〝氷藤〟は皇族御三家に関わる、とても特別な名字なんよ。のぶちゃんは翡翠領地のランカーになる前から陛下の護衛役を担っていたん。だから陛下に付き従って翡翠領地のランカーにもなったん」
信次は黙った。信じられない話を聞かされて言葉に詰まっただけではなく、信子が信次に何も教えてくれなかった理由にも思い当たったからである。
(俺は強くねぇ……。実力が無いから、姉ちゃんは家のことを俺には何も教えてくれなかったんだ)
葛領地『三十四位』。その順位が信次の本来の実力だ。
信子がどの程度の力の持ち主だったかは分からないが、信次が『皇帝』の護衛が務まるレベルに達していないのは明らかだった。
悔しさに歯噛みしながら、信次は話の続きを涼柁に促す。どんな話が出てきても堪えて全てを聞いておかなければならないと思った。
「9年前、翡翠の『領王』になった陛下や、上位領地ランカーののぶちゃん達は〝領王制度廃止案〟を執行しようとしていたん。それは『領王』制度を辞めて投票制にするってものなん」
(前に『かぐや』殿下がそう言ってたな)
信次は1ヶ月半前の藍領地の百貨店での光景を思い浮かべていた。
月族の『かぐや』に教えられた内容と同じだ。本来革命をしようとしていたのは、信子達の側だったのだと。
そして灰兼と翡翠領地の者達との会話も、これに対する応酬だった。
「革命の半年前にこの廃止案の原型が公表されたんやけど、その時から翡翠領民の反対はあったん。だけど抗議行動はあっても暴動にはならないというか、翡翠領民達の間でも翡翠の『領王』が決めたことなら仕方ないっていう諦めの雰囲気が強かったって聞いているん。のぶちゃん達はそれだけの能力者揃いだったし、その時はまだ、もしものことなんて一切考えてなかったん。
だけど翡翠革命が起こる2週間前。前の翡翠『二位』ランカーの光耀隆詩君が、『七位』で光族の族長だったへいちゃん――彼は光杜陽平っていう名前なんやけど、そのへいちゃんに被害届けを出したん。「他領地の人間が自分をつけ回している。早く捕まえてくれ」って。でもそんな他領地の人間は、のぶちゃん達が調べたかぎりでは見つからなかったん。僕らが「あれ?」って思った最初の異変なん」
「前の『二位』?」
「うん。翡翠領地ではその1年前に闘技大会があったんやけど、急逝した翡翠『領王』に代わって出身領地不問の闘技大会を開催したのが、その光耀隆詩君だったん。彼は翡翠領民も翡翠出身の領地ランカーも信用していなかったから外から人を入れたそうなんよ」
「そいつ自身は闘技大会には出なかったんだな」
「光耀隆詩君は世俗が嫌になったらしくって、10代の若さで領地ランカーを引退した子なん。急逝した前の翡翠『領王』の死因は病死だったんやけど、翡翠領地には無かった感染症でしばらく怪死とされていたん。その間、犯人と疑われたのが『二位』で『領王』代理になれる光耀隆詩君だったそうなん。後々その誤解は解けたんやけど、犯人扱いされた光耀隆詩君は翡翠の誰も信用出来なくなっていたそうなんよ。彼は電脳では伝説やから信次君も知っているんやないかな」
「電脳で?」
「彼はオンラインゲーム『ワールド竜導紀』を遊んでたん」
「……ああ!? まさかアレか!? 〝大地族は足音がしない〟って知識を全領地に広めたゲームログの!!」
「そう。その有名なログの発狂プレイヤーって言われているのが光耀隆詩君。翡翠革命から行方不明なん。遺体は出てきてないけど、多分……大地族に殺されたと思うん……」
涼柁は顔を翳らせてうなだれながら話を続けた。
「翡翠革命が起こる前の2週間、光耀隆詩君は幽霊が見えるとか、翡翠領地がおかしいって内容の訴えを何度もしてるん。だけど懐疑的に見ていた上位領地ランカーが多かったん。元々神経質な子やったし、色々つらい目に遭っていたから病んでヒステリーを起こしているんじゃないかって逆に精神状態を疑われたりされてたん。
でもそこまで言うならって、のぶちゃんから、もしも何かが起こった時のために脱出経路の確保をしておいて欲しいって桔梗領地の僕に打診したん。それが翡翠革命3日前の出来事なん」
信次は眉間に皺を寄せた。「遅い……」と険しい表情で呟く。
「その日数じゃ、ロクな準備も出来なくねぇか」
「……そうなん。根回しも全然間に合って無かったん。それでも、よっちゃんに次元空間での移動を頼めば何とかなったはずなんよ」
「つーか、アンタ別に戦犯じゃねぇわ。あんな不確定要素しかねぇデンスに頼る時点で詰んでる。くっだらねぇ、負け確の試合じゃん」
「え」
涼柁は目を瞬いた。
信次は頬杖をつき、面倒くさそうに溜息を吐く。
「裏工作は事前準備の時間が全てだぜ。準備段階でどれだけ手間と時間を掛けたかがモノを言うって、俺も散々葛領地で言われまくった。獣櫛は3日で、向こうはたっぷり2週間かけてリハーサルしてたっぽいな。事前準備はもっと時間を掛けてたのは確実だ。ああ、不可能だったんだな……姉ちゃんの救出は……」
信次は自分の口で不可能だと断言する。
意外なことに、姉の救出が無理な状況だったのだという事実をストンと納得出来ていた。
それだけ信次が工作員ランカーとして知識を増やし、大人になったからだろうか。
――いや、藍領地の一件以来、信次は姉の死を見つめ続けていた。その時間が、姉の死に対する心の整理がつけられる大事な時間となっていたのだ。
「その点、藍領地でアンタを追い回した電脳族族長のやつは雑だったよな。不確定要素の俺とケンちゃんを動かして、アレ失策過ぎ」と冷静に酷評を口にする余裕まであった。
「信次君、僕に気を遣ってくれてるん……?」
「は? ざけんな。何でてめぇのご機嫌取りしなきゃならないんだよ」
涼柁は信次のあけすけな罵倒に目を丸くしてから笑ってはにかんだ。
「ありがとう、信次君」
一旦、会話を打ち切って飲み物を頼んだ。信次はギムレットのカクテルを、涼柁は雪国のカクテルを口にする。
「なぁ、獣櫛。不満があってもアンタは9年動かなかったよな。なのに今になって桔梗から出たのは何でだ? 水岐……――あー、水城篁朝……以外に絶対理由あるだろ?」
「たっちゃんが理由なのは間違いないん。僕、たっちゃんから9年振りに連絡来て、初めて知った9年前の出来事があったん」
「ふーん、ネミミにミズってやつか」
「うん。輝夜君に対する陛下の遺言のこと知らなかったん。よっちゃんと秀寿君が輝夜君の記憶飛ばしなんてことを指示されていたなんて。……ここだけの話なんやけど」
「あん?」
涼柁が神妙な表情で口元を隠して声を潜める。
信次は釣られてゴクリと唾を飲み込んだ。
「僕、かなり怒っているん!」
聞いた瞬間、ガクッと信次は肩の力が抜ける。椅子から転げ落ちかけるほど脱力した。
(何を言い出すんだって真面目に身構えちまっただろクソがッ!! てめぇの感情なんてどうでもいいっての!!)
信次が胸中で涼柁に悪態をついていると「そういえば、堅香子領地やけど……」と涼柁が話し出す。
「信次君は最近公開された時代劇の映画を知っているん? 史実を改変した月族と宙地原族の架空の歴史恋愛映画」
「映画自体あんま観ねぇな。しかも恋愛って」
「堅香子領地が、太陽族を無視して宙地原族寄りに政権が傾いているのがよく分かる映画なん」
「は? どういうことだ……?」
「これまでの堅香子領地なら撮らないような内容の映画なん。氷族本家がある堅香子領地は太陽族の傘下やから。でも、どうやら現在は宙地原族に服従の姿勢を見せているん。完全に世界の覇権は、宙地原族が握っている情勢なん」
「何でそんなことになってんだ!?」
「宙地原族から見て、太陽族内に『皇帝』として敬える人物がいないようなん。自分と対等な『皇帝』になれない人間は、たとえ次期『皇帝』候補と決まっていようと宙地原族は『皇帝』の就任を認めないん。だからこそ皆が宙地原族側につき始めて、隠れる月族に狙いを定めるのに追従している感じなん。桔梗領地も宙地原族寄りになっているから、僕が狙われても宙地原族に抗議はしないん」
「それ、灰兼もか?」
「思君は宙地原族側ではないけど、月族本家に何か含むところがあるようなん。太陽族側の人なのに、藍領地で暴れる人達をわざわざ連れてきたのがその証拠なんよ」
(灰兼……。あの野郎、藍の『領王』に大地族を追い出す見届け役として、わざと大地族の親玉を支持する堅香子領地を紹介してたってのかよ。ガチで藍領地を潰す気か)
勿論、藍領地側にも問題はある。工作員などの情報収集を行う役割の部署を作らないから、悪意を持った相手との交渉で痛い目に遭うのだ。
ただ、諜報機関が無いのは藍領地だけではない。近年はどこの領地も争いの無い平和な情勢に慣れきっていて防衛関係が甘くなっている。領境防壁まで機能していなかったのは流石に藍領地だけだが。
かくいう葛領地も、灰兼が君臨するまで工作員ランカーは存在しなかった。灰兼ひとりが乱世に生きているのである。
「信次君は輝夜君の力の影響下にあるから、月族の味方ってことになるん。氷族本家ではそのことを言わないように気をつけた方がいいん」
「獣櫛は月族の味方なんだよな?」
信次の問いに、涼柁は柔らかく微笑んだ。
「僕は、誰の味方にもならないん」




