閑話・剣との別れ
11月13日、夜。
夕方頃に降った雨が止み、道路には水溜まりが残る。独特の湿気た雨の匂いがする中、輝夜は、藍領地『五位』ランカーで輝夜の護衛役、刃佐間逍遙の自宅へ招かれた獣櫛涼柁と共に黒の服に身を包んで刃佐間家に来ていた。
ショッピングモールで葛領地と翡翠領地のいざこざに巻き込まれ、命まで狙われた出来事が、まだ今日の昼のことだとは信じられない。
あの後、輝夜は機國敦美の機械ロボットに地上へと降ろされると、直ぐに水族の下位領地ランカーの人達に保護されて自宅へと送られた。敦美とはあまり言葉を交わせずに別れ、疲労困憊で自宅に戻った輝夜と篁朝の元に、電拳剣の訃報がもたらされたのだ。
篁朝は自室へと引き籠もってしまった。
……無理もないと思う。剣は翡翠革命の諸悪の根源で、篁朝にとっては憎悪を向ける対象だったはずなのだから。
しかし輝夜の方は、剣にそれほど悪感情を持ってはいない。固定電話のコール音に心的外傷を持つほどの嫌味な罵倒をされた思い出もあったが、今の輝夜は自分と剣はどこか似通ったところがある立ち位置の人間だと漠然と感じていて、剣と再会し、もう一度言葉を交わす機会を密かに望んでいた。
輝夜は少し前まで頭の中で鳴り響いていた、あの電話機を思い浮かべる。
もう電話は鳴らない。
だが頭の片隅で、剣の罵倒の言葉の一部が反芻された。
『種族で宙地原での地位を選ぶのと、容姿で選ぶ。何が違うのか全っ然わっからないなあ!
――〝かぐや〟……君はいつか月に還るんだろう……? 未来の皇族様の意見を聞かせてくれないか?』
(あれ……? 「月に還る」……?)
不意に、輝夜は引っ掛かりを覚える。
少し前まで、月族本家に輝夜が行くことを言っている言葉だと思っていたが、もう1人の人格『かぐや』についての知識を知っていると、輝夜ではなく『かぐや』の生まれを示唆した意味合いにも聞こえてくる。
3000年前の歴史上の人物、輝夜皇女の月の光を浴びたことによって、月族の皇子が生み出すようになった別人格が『かぐや』だ。彼女の月の光からもたらされた『かぐや』が、もし消失することがあるのなら、それは「月に還る」という意味合いがしっくりくる。
ただ、その知識を皇族御三家でもない剣が知っているのはおかしい。
あの電牙葦成ですら皇帝城の書庫に忍び込んで手に入れた資料で、ようやく『かぐや』の存在を知ったのだ。特に剣は、太陽族と電須佐由の養子縁組が解消され、皇族家と電脳族の縁が切れた後の電脳族族長なのである。
(……それも、もう剣さんには聞けない)
剣との会話は永遠に出来なくなった。輝夜はぽっかりと胸の中に穴が開いたような喪失感を抱える。
輝夜がそんな重たい気持ちのまま、ぼうっと自宅の軒下にしたたる雨のしずくを見つめていた時、向かいの獣櫛家に車が止まり、涼柁が出掛ける姿を目撃した。輝夜が慌てて涼柁に声を掛けると、涼柁は剣の通夜に参列するというのだ。
それを知った輝夜は、涼柁に頼み込んで剣の通夜に連れて来てもらったのである。
(刃佐間さんって、剣さんの保護者だったんだ……)
それは意外な繋がりだった。刃佐間は剣の遠縁で、親族にたらい回しにされていた剣の最後の引き取り先だったそうで、輝夜は奇妙な縁を感じる。刃佐間と剣が似ているように感じていたのは、気のせいではなかったのだ。
「このたびは……」
座敷に上がると、涼柁がお辞儀をしてお悔やみの口上を述べていた。
刃佐間も恭しく頭を下げる。
「こちらの無理を聞き届けて下さり、御大の名代として来ていただけたこと、ありがたく存じます。これで電脳族族長として剣さんも浮かばれるでしょう」
刃佐間の妻がしんみりとした口調で言う。
通例として族長が亡くなった場合、他種族の族長の参列か弔辞が直ぐに送られてくる。
だが、それが剣には全くない。これは異様なことである。そのため刃佐間は大々的な葬儀はせず、身内だけの密葬で剣の葬式を済ませるつもりだと語った。それならば他種族の族長が関わらないのは当然という体裁が整い、電脳族族長としての剣の矜持を守れるのだそうだ。
剣の遺体は、布団の上に静かに寝かされ、顔に白い布を掛けられていた。傍に置かれた灯籠の揺れる光りが仄かに剣に当たり、何だか幻想的で現実味が無い。
目の前に剣の身体が横たわっているのに、ここまで死の実感が湧かないものなのだろうか。
剣が亡くなったことに対する悲しみが襲ってこない。代わりに、言葉にならないジクジクとした気怠く重たい気持ちが胸中に広がる。
輝夜は座ってじっと彼を見つめていた。それは自分を見つめていたのかもしれない。
挨拶の終わった涼柁が、そんな輝夜の傍に同じように正座して何も言わずにずっと居てくれた。
そのうち、2人の弔問客が部屋に入って来る。
1人は嗚咽して既に号泣していた。転びそうになりながら、剣の傍に近寄り崩れ落ちる。そして悄然とした様子でその人物に付き添うもう1人は、見知った人間だった。
「やっくん」
「あ……、てるやん……」
「俺のせいで! 俺がっ……族長を呼び出さなきゃ……こんな!!」
「うわあああ」と泣き叫んで畳に額をつけるのが誰なのか、電谷が輝夜に教えてくれる。
葛領地で電脳技術屋をしていた電徳遙一という人らしい。葛領地の灰兼思『領王』の命令で電脳内で剣に声を掛け、外に呼び出した際、飲料水に能力封じの薬を仕込んで捕縛し、ここまで連れて来る企みに手を貸していたのだそうだ。
(飲料水)
輝夜は、昼間のウォーターサーバーに毒が盛られていた一件を思い出し、ぞわっと鳥肌を立てる。遺体として横たわっていたのは、本来輝夜の方だったのではないかという気がしてならない。
輝夜の胸中で妙な据わりの悪さがつきまとい、不安がしこりのように残って消えてくれなかった。
電谷は遙一の所業に、思うことはあっても責めはしない様子で、輝夜も遙一の行動を悪く言う気は起こらない。剣はそれ以上に、沢山の人を苦しめる行動を取ってきた人でもあったからだ。
大声で泣き叫ぶ遙一とは真逆に、電谷は声も出さずに静かに泣いていた。
電谷に上手くかける言葉も浮かばず、しばらくしてから刃佐間夫妻に挨拶をして刃佐間家を辞すことになった。
輝夜は自宅に戻ると、自室の積んだままだった段ボールの1つを開ける。目的のものは奥の方に仕舞われていた。
古びたバトミントンラケット一式。
子供の頃、輝夜はこれを持って1人公園で佇んでいたことがある。それを見かねた剣が一緒に遊ぼうとしてくれた思い出があった。
(そういえば、剣さんも俺も遊び方が分からなかったんだっけ)
そんなとりとめのないことをぼんやりと思いながら、バトミントンラケットを軽く振ってみた。ヒュッと風を切る音が微かにする。
――御天日凰十『皇帝』、
氷藤信子、
電拳剣。
子供の頃の知り合いが、もう3人もいなくなった……
「かーぐやちゃん、遊びっまっしょー?」
聞こえた空耳に、輝夜は振り返る。
背後には誰も居やしない。分かっていたことだった。
「うん……」
輝夜はそっと頷いた。
子供の頃の輝夜は、遊びに誘ってくれた剣の言葉にちゃんと返事をしたことがなかったと思う。
頬に涙がつたう。
後悔ばかりがあふれ出た。




