第19話 逆転の傍聴席
ショッピングモール9階、フードコート。
黒煙の閉鎖空間と化したこの場で、唯一種族能力が使える一角を半球型の水の壁が維持し続けている。その水の壁の中で、悠然と足を組み直した葛領地『領王』灰兼思は、突然恐慌状態に陥った翡翠領地『領王』森蚕稔に軽く片眉を上げた。
彼は手に持った銃を床に放り投げる。銃は黒煙の中へと消えていった。
「ば、馬鹿! 何してんだ!?」
翡翠領地『三位』ランカーの土稲哲雄が目を剥いて森蚕を怒鳴りつける。
怒鳴られた森蚕は何度かぱくぱくと口を開けて、身体を震わせながら彼らの銃を指差していた。しかし、異変に気付いていない他の3人にその意味は伝わらない。
すると、1人が呻き声を上げだした。
「ぐっ……」
「鉛戸?」
翡翠領地『四位』ランカーの鉛戸穀太郎が倒れる。水の壁を蹴り、乱暴な態度を取っていた男だった。
同じく翡翠領地の『二位』ランカーの粒馬勝忠が慌てて身を屈め、鉛戸の身体を揺する。しかし全く反応がない。それどころか息をしていないのに気付き、戦慄する。
「し……死んでる……!?」
「アハハハハ!」
突如、不気味な笑い声がフードコート内に響き渡った。
土稲と粒馬は、このような場で高笑いする不気味な青年に振り向く。
青年――電牙葦成が愉快げに笑いを噛み殺していた。
「その男、水なんか飲んで……クク! 電脳族ディスなんてしているから、そんな目に遭う!」
「お、お前、電脳族……?」
葦成は口元を歪めはしたが、応とも否とも答えない。
土稲と粒馬は、葦成の黒紅色の黒っぽい髪で電脳族だと結論づける。電脳族は笑う程度のことでしか他種族に報復が出来ないからこそ、ここぞとばかりに意趣返しで笑っているのだろうと思った。
電脳族が調子に乗っているのは腹立たしかったが、今はそれよりも鉛戸が急死した原因が問題だった。
土稲と粒馬は「水を飲んだ」という言葉で、鉛戸がウォーターサーバーの水を飲んでいた光景を同時に思い出し、水族が水に細工をしていたのだと考える。未だに水の壁を発動し続ける水知千尋を憎々しげに睨んだ。
当の水知と輝夜は、床に倒れ伏す鉛戸に驚愕の眼差しを注いで絶句していた。
輝夜は現実味がない事態に混乱する。
(え……この人、本当に死んでいるのか……?)
実感が湧かず、呆然としていた。ぼうっとしているのは輝夜だけではない。
森蚕も身動きせず、凍りついていた。彼は翡翠領地側でただ1人、自分達のもくろみが既に失敗したのだという考えに至る。
この場所での謎の威圧感は未だにあり、ここから一秒でも早く離れなければならないと強く思っていた。まだ生き残っている土稲と粒馬を説得し、いかに早くこの場から逃げるか、森蚕は必死に考え始める。
だが、既に手遅れではないかという不安が何度も脳裏をよぎり、そのつど否定するといった堂々巡りの思考を繰り返してしまう。上手く考えがまとまらない。森蚕本人は冷静なつもりでいたが錯乱していた。
灰兼は1度悪目立ちをする葦成へと不審の目を向けはしたが、直ぐに視線を逸らす。土稲達に口火を切った。
「そちらの人数も減ったな」
土稲は我に返り、灰兼の言葉に噛みつく。
「だったら何だ! そっちの危機は去ってない!!」
「危機とは? さぁ、何かあるのだろうか?」
灰兼は泰然とした様子で顎に手をやり、考える素振りをする。先ほどまで土稲達に見せていた態度が明らかに変わった。
土稲と粒馬は、鉛戸の急逝と森蚕の醜態のせいで急に灰兼が図に乗り始めたのだと苛立つ。
「折角骨を折って整えた場だ。ひと通りのイベントには参加しておきたい。さあ、危機とやらはまだか?」
「イ、イベントだと!?」
「何なら、お前達の解説をしようか。
お前達は俺の客死を船で狙い、今の葛領地を瓦解させるというシンプルな狙いしか当初は持っていなかった。だが、藍領地の上位領地ランカーの入院を知ったことで、葛領地との火種作りの暗殺を行った。
ついでに俺達がわざと見せた電拳族長のメールで〝水岐広早〟が来ると信じ、欲を出して更に計画を変更した上、俺を生かしたままここに来てしまったというわけだ。杜撰な素人のアドリブを知らぬ振りで通すのも大概疲れるものだな」
土稲と粒馬は虚を突かれる。
灰兼は余裕の笑みを浮かべていた。
「なっ!? さっきは〝水岐広早〟の居場所は知らないと……!!」
「ま、まさか知っていて食っていた……のか……」
「……彼の居場所は知らないさ。電拳族長がどういうつもりでそんな〝嘘の内容のメール〟をしたかは推し量れないが、わざと見せたと言っただろう? 俺はお前達と会話がしたかったのだよ」
「会話!?」
「絶対的に優位な立ち位置になって、ようやくお前達は当時のことを語ったぐらいだ。おかげで聞きたかったことは聞けた。整えた甲斐はあったな」
「聞きたかったこと……?」
土稲と粒馬が灰兼を睨み付けながらも眉を潜める。
灰兼は続けて言った。
「俺はこの9年間、〝火巻凰十〟の遺体がいつ消失したのかを知りたかった。そして翡翠革命であれだけの最高の人材達が、有象無象の弱者に負けた理由を――いや、ある程度納得したかった。どんな犠牲を払っても」
灰兼の瞳が力強く輝いた。
土稲と粒馬はその気迫に蹴落とされる。
「雷君には気の毒な結果になったが。……。いや、おかげで俺は前に進める。感謝しているよ。お前達のスポンサー、藤袴領地の不屈の精神にはな」
「!!」
土稲と粒馬は顔色を変えてばっと灰兼へと銃口を向ける。
灰兼は朗らかに笑った。
「藤袴領地が、裏で隠れて翡翠領地に食料支援をしていた事実は掴んでいる。どうやら藤袴は同じ敗戦領地の女郎花とは違い、まだ葛領地に戦争で負けた現実が見えていないらしい。終戦の本発表前に葛領地が荒れれば、まだ自領地を取り戻せると本気で思っているとは愚かしい。それとも、食糧危機のお前達が勝手にやっていることなのだろうか。……さてと」
灰兼はゆっくりと立ち上がる。
土稲と粒馬は戦慄いた。
「俺は自身の美学に部下を付き合わせるほど、愚者ではなくてね」
灰兼の言葉と同時に粒瓦めぐると粒島賢、氷藤信次も席を立つ。
土稲は顔色を変えた。
「この煙があるんだ! 例え力が使えたって、お、俺達に攻撃するなんて不可能で……!!」
「お前達が船内で食事の仕込みをした理由は? よく思い出せ。攻撃なら防御壁内から出来るからじゃないか?」
次の瞬間、土稲、粒馬、森蚕、更に水知までが、頭に重力の質を変えた攻撃を受けて昏倒する。水知の水の壁が完全に消失する前に、灰兼達がいる葛領地のテーブルだけを囲う形で粒子の壁が素早く展開された。
輝夜達は黒煙の中に晒される。
葛領地の全員が輝夜達へと振り返った。灰兼は輝夜達を見下ろしながら告げる。
「翡翠の者は見逃すとぬるいことを言っていたが始末させてもらおう。会話の一部始終を聞かれていたのでね。そちらの電脳族の2人は、意地を張らずに次元空間内にさっさと逃げていれば死ぬこともなかったのだがな」
灰兼は全く動く気配のない絶世の美女――に扮する篁朝に視線を固定すると、落胆を滲ませて言う。
「水岐君。この場は、君に翡翠の者達への復讐の機会を作った場でもあったんだがな。だけど雷君の言う通り、君は壊れた人間のままなんだな。……残念だ」
灰兼が目を伏せる。
それを合図に粒瓦達が動いた。輝夜達の場の重力を変える。
それで全ては終わるはずだった。
次に灰兼は信じられないものを目撃する。
粒瓦と賢を一瞬にして氷漬けにし、いくつもの氷柱が出現していた。
信次の能力だ。信次が灰兼と対峙している。
粒子の壁が消え失せ、今度は灰兼も黒煙の中に放り出された。
灰兼は目を見開いて信次を凝視する。信次が黒煙の中で種族能力を使っていた。有り得ない光景だ。
灰兼はごくりと唾を飲み込み、信次に慎重に話し掛ける。
「……驚いたな。力が……いや、それよりどういうつもりだ氷藤。〝水岐広早〟を恨んでいたはずだろう。お前が今庇っている藍領地民にその男がいるんだぞ」
「灰兼、俺はお前も鼻持ちならねーんだよ。姉ちゃんのことを調べたいのに、直ぐに調べられねーわで、イチイチてめぇのお伺いたてんのがメンドクセー! マジうぜぇ! 姉ちゃんの友達ってことで今まで世話になったから一応礼は言っとくわ、クソがッ!!」
「それが礼だと……?」
灰兼は釈然としないまま信次の罵倒を受ける。
信次の隣からパチパチパチと手を叩く音がした。葦成がニヤニヤと笑いながら信次の隣に姿を現す。
灰兼は目を眇めた。よく見ると、葦成は引きずるほど長い黒色の布のようなものを頭から羽織って顔を少しだけ露出させていた。黒煙のせいで他の人間の姿が見えにくくなっていると思い込んでいた灰兼は、自身の間違いに気付かされる。嫌な悪寒が走った。
「その布は……何だ」
「ヒントは〝電脳族〟だな? あと、このために煙は黒いらしい」
葦成は心底楽しそうに灰兼を嗤った。
灰兼はこの黒煙が機械族の兵器の類だったことを思い出す。
「――それはヒントではなく、答え」
涼やかな少女の声音がする。もう1人の電脳族がいた場所からだ。
居るはずのない声を聞き、灰兼の背にどっと冷や汗が流れた。
黒煙の中から1人の小柄な少女が黒い布を羽織った状態で姿を現す。
「――数秒前と立場が逆転しました。この黒煙の中で種族能力が使えないのは貴方だけです、灰兼『領王』」
「機國……『領王』――……」
灰兼は喘ぐように呟く。
電谷の擬態姿から藍領地『領王』機國敦美に戻った敦美は、淡々と灰兼に事実を突きつけた。
「――今件に関わった葛領地、藤袴領地、翡翠領地に再度ミサイルを発射しました。前回の2倍の規模になります」
「俺と戦争を始める気か」
「――……」
漆黒の双眸は揺れることもなく、じっと灰兼に注がれる。
底知れぬ深さを感じ、灰兼は息を詰めた。
「――攻撃される前に壊滅させる。私が師から学んだ、唯一の領地防衛法です。戦争にするなら、今すぐミサイル以外のもので領地を破壊します。それを聞いても、藍領地を敵に回しますか?」
灰兼は目眩がした。十代の子供に頷く以外の選択肢が与えられない場を作られて脅されているという、あってはならない現状に、夢でも見ているのかと呻く。灰兼の自尊心は粉々だった。
パチンッ!
突然鳴った音にビクリと灰兼が肩を揺らす。次にふっと臓腑が揺れるような浮遊感が灰兼を襲った。床がザバッと水が流れるような音とともに消失する。
「!?」
指を鳴らしたのは葦成だった。彼はそれを合図に、自身の力でかろうじて建物の体裁をつくろっていた状態を解除したのだ。葦成達の足元の床も流れる。ただそこは機械ロボットの手の上の範疇で、葦成達に支障はなかった。
葦成は底冷えするほど冷淡な表情で、9階の高さから落下する灰兼を睥睨する。
「お前、俺を見たくせに何度も視線を逸らしたな。俺を見ない振りをした奴を俺は一生涯許さない。平伏し続けろ下郎」
灰兼は目を見開いて、怨嗟を吐いた葦成の姿を見続けながら落下した。
バシャン! と水面に叩き付けられる衝撃を受ける。気を失いかけ、何とか意識を保つと水面へと浮上した。
建物が水に変化したプールのような場所を泳いでいる。何とも不可思議な状態を灰兼は味わう。あの場にいた翡翠と葛領地の者達も同じように水中に落ちていた。
外に待機していたらしい藍領地の下位領地ランカー達が、こちらに向かってくる姿が目に入る。
救助――いや、捕まるのだなと、灰兼はぼんやりと考えながら空を仰いだ。
生憎の曇天の空模様。ぽつりぽつりと雨が顔に当たり、まだ濡れるのかと、くしゃりと顔を歪める。
灰兼は疲れた溜息を吐き、ひっそりと愚痴を零した。
「本当何なんだ、この斜め上の領地は……」
輝夜は一部始終をぽかんと口を開けたまま見ていた。
黒煙に放り出された瞬間、次元空間の布を電谷に掛けられて、輝夜は衝撃を受けた。
(これ、機國さんの次元空間じゃ!?)
輝夜が目を見開いて電谷を食い入るように見つめると、電谷は口元に人差し指を添えた仕草を返してくれた。その仕草にも見覚えがあり、輝夜の鼓動が跳ねる。
次第に電谷の姿がぶれ、敦美の姿へと変化した。
敦美は次元空間の布でその姿を素早く隠す。一瞬でも目に映った敦美の姿に、輝夜は頬を赤らめてバクバクと鼓動を早めて慌てた。
(え!? ちょっと待って、いつから機國さんだったの!? やっくんどこ!? 俺、機國さんの前で変なこと言ってないよな!?)
思わず頭を抱えてしまう。
電谷が別の誰かに入れ替わっていたのは、これで2度目だ。電谷はそれほど、なりすまししやすいのだろうか。結構難易度は高い気がするのだが、実際輝夜は気付かなかったので反論の余地はない。
そんな中、灰兼が輝夜達の口封じを宣言し、輝夜の高揚は直ぐに消え失せる。
ただ、パニックになるほどの恐怖は湧かなかった。
寝返って守ってくれた信次がいたし、こういう場では不思議と葦成から頼りがいを感じ、傍には輝夜の自慢の兄の篁朝もいた。何も怖いことなんてない。
輝夜はひたすら誰の邪魔にもならないように息を潜め続け、灰兼が落とされるまで大人しく隠れていた。
灰兼とのやり取りを端で見て、敦美の凜々しい『領王』としての姿を目撃した輝夜は、自身がとても思い上がった勘違いを彼女に抱いていたのだという思いが浮かんだ。
輝夜は戦闘以外でなら、男として彼女の役に立てることがあると漠然と思っていた。
しかしそれは間違いで、そもそも輝夜の手を彼女は日常生活でも必要としないのだ。敦美は誰の手も借りず、藍領地の有り様を堂々と決断出来る自立した女の子なのだから。
(……ありがた迷惑……)
相手が必要としていない親切は迷惑になると、どうして想像がつかなかったのだろうか。輝夜の心がしぼむ。
細々としたことでも、役に立てるように努力さえすれば力をつければ、敦美に近付けると――色々と身勝手な下心を持っていたのだと輝夜は思った。
結局のところ、輝夜が格好をつけたかっただけだ。それだけのために迷惑しかかけない力にまで目覚めて――
「――水城君のおかげだね。あっさり片付いたよ。ありがとう」
敦美の一言に驚いて、輝夜は顔を上げる。
葦成が下を見下ろしながら頷いた。
「そう、おかげで最高の眺めだ。すかっとするな」
「――……」
そういう意味では無いと、敦美は無表情で葦成を見る。
信次が頬杖をついて、だるそうに呟いた。
「兵器系の無力化だろ。翡翠の奴ら、建物に爆弾仕掛けてたっぽいからな。灰兼はここ自領地じゃねーし、被害出ようが知ったこっちゃねぇってスタンスで進めてたけどよ」
「裏切り者、氷藤信次だったか。俺のところに来ないか?」
「は?」
信次は葦成をうろんげに見る。「何だコイツ、うさんくせぇ……」とぼやいた。
敦美に礼を言われた輝夜は、勇気を出して敦美に尋ねる。
「俺の力、本当に迷惑じゃないかな……?」
「俺の好意は」という言葉の方は胸の奥へしまった。ぎゅっと手を握り込み、敦美の言葉を待つ。
「――全然。もしもの時は頼りにしているよ」
敦美は柔らかく微笑んだ。
輝夜は初めて見る敦美の優しい笑顔に魅入る。そしてもらった言葉を胸に刻んだ。嬉しかった。心の中がふわりと軽くなり、暖かくなる。
「俺も頼りにしている。共に、この世界の頂点に立とうじゃないか」
葦成が馴れ馴れしく輝夜の肩を叩いた。その目は一切笑っておらず、真剣そのもので輝夜は返答に困る。葦成は雑談でもするかのような気軽さで言った。
「雷秀寿な。探しても死体は出てこない」
「え……」
「うちの雷建が救助して回収したがってたんだけど、どこぞの電脳族に先を越されたとさ」
輝夜は、はっと目を瞠る。他人を次元空間に入れられる電脳族は、この宙地原世界で1人しかいない。
(佐由さん! じゃあ、雷は生きているんだ……!!)
じわっと目頭が熱くなる。安堵したせいか瞳が潤んだ。出来るだけ涙を流さないように我慢していると信次が消えていた。
「あれ……?」
「また先を越されたか」
葦成は嘆息して突然飛び降りた。
輝夜はぎょっとして下を覗きこむ。
すると、土の螺旋階段を優雅に降りていく背中が見えた。葦成が作った階段なのだろう。さっきまでは存在していなかったものだ。
「――水城君、お兄さんもこっちに」
敦美に手を差し伸べられる。敦美の手を借りて輝夜と篁朝は立ち上がり、彼女の傍に寄った。
男女逆じゃないだろうかとエスコートされた輝夜は少しだけ情けなく思う。
だが直ぐに、
(でも、今は俺が男らしさを出して頑張るところじゃないってだけだ)
と気持ちを前向きに浮上させた。それに今の輝夜は女装姿なのだし、色々とさまにならない。今回はカウントしなくていいだろうと自分に言い聞かせる。
先ほどまで輝夜達が乗っていた方の機械ロボットの手が動く。片手を動かしてやることがあるらしい。
しかし、二足歩行の巨大な機械ロボットが動く様を見るのは心が躍った。非常に格好良いのである。その片手をどう動かすのだろうと、わくわくしながら動きを目で追った輝夜は、次の衝撃映像に「ヒッ」と思わず悲鳴を上げた。
問答無用で土の螺旋階段に機械ロボットの拳が叩き付けられたのである。
よくよく思い出せば、葦成は殺人鬼の指名手配犯だった。
葦成の生死は不明。正義の鉄槌がくだった瞬間であった。




