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眠る月の皇子  作者: 古波萩子
『眠る月の皇子』
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第6章 『領王』という名の少女

 高層ビルの最上階、領王執務室。

 そこはガラス張りの窓の側にプレジデントデスクと革張りの椅子が1つあるだけの、ただ広い空間だけの殺風景な室内である。

 窓からは普段と異なる街の様子が見て取れた。

 火災の爪痕を残す光景が、にび色の髪をさらりとなびかせる美しい少女の眼下に広がっている。

 彼女は藍色の開襟スーツの上着にタイトなスーツスカートの軍服姿で、スカートから黒のストッキングをまとった足がすらりと伸びていた。部屋にある革張りの椅子には座らず、立ったままブラックコーヒーを口元に運ぶ。

 背後の扉からノック音がした。


「――どうぞ」


 少女は振り返りもせず、許可を出す。

 同じくあい領地の軍服を着用した青年が一礼をして入室した。


「失礼します。経過報告を。現場での消火作業が終わったとのことです。軽傷8名、重傷3名、死者2名……」

「――現場周辺の検問は?」

「それが……特にこれといった人物は引っかかりませんでした。検問を行うのが遅過ぎたかもしれません。いかがいたしますか、『領王』様」


 『領王』と呼ばれた少女――機國きぐに敦美あつみは、手元のカップを左右に揺らして波立つ水面を眺め続ける。

 敦美あつみは無感情に淡々と指示を告げた。


「――検問は継続。加えて、藍領地全域に拡大。この件が片付くまで……全ての他領地への往来を封鎖する」

「かしこまりました。……今回の一件、『領王』様は内部で手引きした者の存在をお疑いでしょうか。藍領地ランカーの中に、他領地との内通者がいると」


 彼の質問に、敦美あつみはカップから視線を外してようやく顔を上げた。ガラス越しに部下の鋭い視線とかち合う。

 神経質そうな彼は、眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら顔を顰めた。


「出火元で、狼を見たという目撃情報があります。藍領地への入領にゅうりょうを許可していないはずの彼が来訪しているなら、それは他ならぬ藍領地の者の手引きによるものです。検問は意味をなさない可能性があります」

「――……」


 彼は言外に、検問をしている藍領地ランカー内に裏切り者がいる場合、既に藍領地からは逃げられていることを示唆しさした。

 バタンッと、領王執務室の扉がノックも無しに開かれる。敦美あつみは肩越しに、不作法な来客2人をちらりと一瞥した。

 仁王立ちの響華きょうかは、部屋の前で立ち止まる電谷でんやを遠慮無しに室内へと蹴り込む。


「ぎゃっ! ちょおっ、もっと優しくして!?」

「あら。丁度いいところにいるわね、とおる


 響華きょうかは先に入室していた青年に不敵な笑みを浮かべた。


 青年――藍領地の階級順位『三位』 〝水名みずなとおる


 彼は眼鏡のブリッジを今度は人差し指でくいっと押し上げると、鋭く冷え切った水色の双眸で床に転がる電谷でんや睥睨へいげいした。


「ここで何をしているんですか、豚電波野郎(くん)……」

「ヒイッ! この鬼畜眼鏡コワッ! 数分前まで豚にも優しかったのに!! 豹変ひょうへん早くない!?」

「貴方がまさか仕事上の守秘義務さえ守れない低俗な輩だったとは思いも寄りませんでしたよ」

「や、これは違うんっすよ! ちょっとした不運が! いや、謎の幸運が……? 偶然、隠しボスにエンカウントしちゃっての、このザマなんですよおぉ……!! つーか、まだナニも話しちゃいませんってば!!」


 とおるは床にひれ伏して派手に泣く素振りをする電谷でんやを無視して、響華きょうかの挑戦的な視線を真っ向から受け止めて睨み返す。


「貴女も他種族の諸事情をほじくる時間があるなら真面目に仕事をしてくださいませんか」

「仕事を妨害してるのはどっちよ。水族みずぞくが爆発現場にいた重要参考人を隠そうとしていたじゃないの」

「……電谷でんや君が氏名も教えていると聞いています。どこが隠しているんですか。あそこにいた学生はただの一般人です。身の潔白は水族一同が保証します」

「その言い訳、もうそいつに聞いたわ」


 響華きょうかに指差された電谷でんやは、ふうぅと大げさな溜息を吐き出して額の汗を腕でぬぐった。

 その仕草にとおるは眉をひそめながらも、電谷でんやが立ち上がるのに手を貸す。


敦美あつみ! ぶっとばすって言ったでしょ! サボってんじゃないわよ!!」


 響華きょうかの怒鳴りつける一喝に、ゆっくりと敦美あつみは振り返る。無表情な敦美あつみが発した声音には、けだるげな感情が籠もっていた。


「――今の内容で、私が口出すことはない」

「あるわよ! 事件現場の店内にいた水族の転校生!! なんでかこいつらがそれを隠したがってるの!」


 敦美あつみは持っていたカップをデスクの上に静かに置いた。

 彼女が座らずにいた革張りの椅子には主人の代わりに兎のぬいぐるみが座っている。この一室には不似合いなそのぬいぐるみの頭を敦美あつみは優しく撫でながら、平坦な声で幼馴染みに告げた。


「――今回の重要参考人は桔梗ききょう領地ランカー『二十一位』獣櫛じゅうくし涼柁りょうた殿どのだよ、響華きょうか

「え……」


 驚く響華きょうかに、とおるは不機嫌も隠さずまくし立てた。


「だから貴女が指摘している相手は関係無い一般人なんですよ。あの店にいた獣櫛じゅうくし殿どのが第三者に狙われたか、爆発を起こした犯人かのどちらかです」

電谷でんや使って一般人の記録映像操作させてる奴が何よ! でも獣櫛じゅうくし御大おんたいがあの店にいたの!? どうやって藍領地に来たのよ。電脳族でんのうぞくのストーカー族長に電脳ネットでマークされてる限り、入領にゅうりょう禁止にしてるし、滞在許可なんて出さない――出してないわよね!?」

「正確にはもう御大おんたいではありません。あの方は桔梗ききょうの『領王』及び獣族けものぞく族長の後継を正式に辞退されましたから」


 そこで、閃くことがあったらしい電谷でんやが両腕を上げて左右に振り、ぴょんぴょんと跳ねた。


「ハイハイハーイ! 俺の中でジュークシ様がなぜ藍領地という名の密室にいるか!? その完璧推理がありますが!!」

「貴方はこれ以上余計なことを喋らないでください」

「うへ……」


 とおるにピシャリと冷たく釘を刺され、電谷でんやは一気に大人しくなる。


「どうせ架空の人物の仕業とか言い出すんだわ」


 響華きょうかの吐き捨てた一言に、電谷でんやはカミナリに打たれたかのように驚愕した。


「エン様も名探偵の1人だったか……!」

「アンタが頭いいって触れ込みは嘘なの? どうしてそんなに日常会話が馬鹿なのよ」

「いや、でも電須でんす佐由さよし様の力で簡単にどこでも行けると思いません!?」


 兎のぬいぐるみを撫でていた敦美あつみの手が止まる。


「実在するかも怪しい能力者の話を持ち出すのはやめて。アンタも実際にその力を見たことはないんでしょ?」

「ぐう……。それは、まあそうですがあ」

「やめませんか。今、我々はやるべき仕事があるんです」


 とおるがこれ以上の会話は無駄とばかりに眼鏡のふちを指で押し上げながら会話を断ち切る。

 響華きょうかはそんなとおるの言動を鋭く観察していた。


とおる、話を逸らそうとしてるわね。さっきの転校生と同じ反応してるって自覚ないの?」


 彼女の指摘に、ぐっととおるが詰まる。苦々しく表情を歪めると眉間に皺を寄せた。

 とおるの意外な反応に目を丸くしたのは電谷でんやである。


「最悪。とおるのせいで、なんか急にそいつの能力に信憑性が出て来ちゃったわ。ねぇ、敦美あつみ……」


 当の敦美あつみは兎のぬいぐるみをじっと見つめていた。

 3人の会話を聞いていない様子に、響華きょうかは烈火のごとく怒った。


敦美あつみ! 最近のアンタ、本当にどうしようもないわね!!」

「では『領王』様。引き続き、此度の騒動の収拾に努めてまいります。電谷でんや君も送り届けておきます」


 とおるはさっときびすを返し、電谷でんやを追い立てて早々に退出した。


「もう! 逃げられたじゃないのよ……! 敦美あつみ、部下の勝手な行動を容認してていいわけ!?」


 まるで言い返してこない敦美あつみの様子に、響華きょうかいかりを鎮めるしかなかった。

 しばらくすると、心ここにあらずといった状態の敦美あつみがぽつりと呟く。


「――『領王』になったから、私はあの子に会えないのかな……」


 響華きょうかは返答しない。敦美あつみの心を占め続けるその疑問に答えを出せるのは、当事者の敦美あつみ自身とその相手だけだからだ。


 始まりは9年前。

 敦美あつみは見ず知らずの少女に、闘技大会へ出場して『領王』を目指すという約束を口にした。

 しかしその後、約束を交わした少女とは会えていない。

 敦美あつみが『領王』になった後、権力を使って藍領地中を探し回っても少女の痕跡すら見つからなかった。

 まるで最初から存在していなかったかのように。




 ――敦美あつみは、もう1度あの子に会いたくてたまらない。

 会って、約束を果たしたのだと彼女に報告をしたい。でなければ1歩もあの日から先に動けないのだ。

 最近は、闘技大会で『領王』になってさえいなければ、あの少女が自分を慰めに会いに来てくれたのではないかとまで考え始めている。


 ……まるで恋わずらいのよう……。


 子供の頃、敦美あつみは思い詰めるほど『領王』になりたかった。

 だが、今ではこの地位への情熱も興味もない。年月を重ねるごとに、慣れ飽きていくけだるさに感情は包まれていく。もう少女との再会以外の事柄に、敦美あつみの心は動かなくなりつつある。




「……馬鹿ね。他人の言葉で作った夢なんかを叶えるから、叶った先に何も無いのよ敦美あつみ


 響華きょうかは哀れな思いに取り憑かれた幼馴染みに、そっと嘆息した。


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