第17話 翡翠革命の亡霊
(〝水岐広早を出せ〟って――)
――〝翡翠革命〟の処刑実行側……翡翠領民が目の前にいる。
輝夜は血の気が引いた。震えそうになる身体に力を籠め、かろうじて耐えると〝水岐広早〟を要求する男に、この怯えと動揺を悟られないように顔を伏せた。
〝水岐広早〟は、輝夜の兄・篁朝の旧姓で、その旧姓を名乗っていた頃、篁朝は翡翠領地『二位』ランカーだった。
9年前、翡翠領地で起きた〝翡翠革命〟。
それは、翡翠領地出身の下位領地ランカーと翡翠領民が結託し、当時の翡翠『領王』と上位領地ランカー9名を処刑したという虐殺事件である。
……だが、実際は3名の上位領地ランカーの逃亡を許しており、その難を逃れた3名が、現葛領地『領王』灰兼思と、藍領地『二位』ランカーの雷秀寿、そして篁朝だった。
特に篁朝は、3名の中で唯一当時の翡翠領地の処刑や虐殺を目撃している。
更に翡翠領地内で数日間監禁され、拷問を受けた後に獣櫛涼柁の尽力によって救出された経緯があり、翡翠領民達は篁朝の口から非道な行いの全てを語られることを恐れ、未だに篁朝の命を狙い続けているのだ。
そのため、水城家は9年間領地を転々とし、逃亡生活を送っていた。
翡翠領民が、翡翠『領王』と上位領地ランカーを処刑した理由は世間に明かされていないが、輝夜はその理由を知っている。
彼らは、翡翠『領王』達の〝翡翠領地『領王』制度廃止案〟の執行を処刑という形で阻止したのだ。
〝『領王』制度廃止案〟は、闘技大会ではなく、領民の投票で領地の代表を決めるという非戦闘種族、主に電脳族の救済を目的とした新しい領地運営方法だったらしい。
この法案は、電脳族の電拳剣族長と御天日凰十『皇帝』の邂逅によって生まれた、電脳族に対する皇族御三家の1つの回答である。
しかし、領地の防衛面の不安によって翡翠領民には受け容れがたい政策だった。
大地族もその回答は認めず、くだんの剣を味方に引き入れ、翡翠領民の不安を逆手に、裏で暴動と処刑を煽動して潰したのだ。
大地族は皇族御三家の1つ、宙地原族の従者である。彼らの動きは、そのまま宙地原族の意志とも言えた。
表の歴史的には、翡翠領民の異常な虐殺事件。
その裏では、御天日凰十『皇帝』と宙地原族の、皇族同士の政争が起こっていた。
『かぐや』達からの情報で、それが翡翠革命なのだと輝夜は認識している。
輝夜にとって、篁朝の命を9年間狙っている人間が目の前にいるというのは恐ろしい状況でしかない。
輝夜の腕を掴んでいた篁朝の手が微かに震えていることに気付く。篁朝の怯えが伝わってきた。
篁朝の顔色は白く、感情が抜け落ちたような能面の表情でテーブルを見つめ続けている。
(……兄貴……)
「水岐広早に会いたいのか?」
唐突に、電牙葦成が上品な笑みを浮かべて男に話し掛けた。
輝夜は思わずヒュッと息が止まる。
(まさか兄貴のことを……!?)
「いなくて残念だったな」
葦成が口角を上げて男を嗤う。
暴露ではなかったことに、輝夜はそっと息を吐き出した。驚かせないで欲しい。
翡翠『領王』と呼ばれた銃を持つ男――森蚕稔は、灰兼ではなく見知らぬ十代の青年が返答したことに怪訝な面持ちをした。
葦成は森蚕の反応に興味を示さない。視線を逸らして何事も無かったかのようにまたコップに口をつけた。
森蚕は葦成を訝しみ、葦成と同席する女性2人と電脳族の少年に眉根を寄せる。
輝夜は視線を向けられたのを肌に感じて酷く緊張した。心臓はバクバクと脈打つ。
(バレませんように……!)
「どうして藍の一般領民が……?」
「森蚕、馬鹿を言うな。そいつらも護衛の藍領地ランカーに決まっているだろうが」
「非公式だろうと他領地の『領王』が居る場に一般領民を近付けるわけがない。しっかりしてくれ、リーダさんよ」
「あーあ、どうするんだよコレ。こいつら、まだ煙に触ってないじゃないか」
黒い煙の中から、痩せこけた3人の中年男性が顔を出した。それぞれ、森蚕と同じように銃を手に持っている。
輝夜は篁朝の正体がバレていない様子に心底安堵した。肝が冷えるとはこういう状況のことなのだろう。身体の芯が冷え切って冷や汗が背中を流れていた。密かに心の中で、この女装姿の変装を提案してくれた涼柁に感謝する。涼柁には兄弟揃っていつも助けられていると思う。
森蚕は仲間の男達の言葉に腹を立てていた。苛立たしげに銃口を電谷に向ける。
「お前らが煙を蔓延させる前に始めたせいだろうが……っ。それによく見ろ。電脳族だ。電脳族の領地ランカーは存在しない!」
「本当だ。何で次元空間に逃げない? てめぇらゴミどもの十八番だろ!」
1人の男が水の壁を蹴りつけ、怒気を孕ませて電谷に凄む。
電谷は無表情だった。
それは男を歯牙にも掛けない余裕の態度にも映り、男は頭に血が上る。歯を剥いて顔を歪ませると、罵倒の言葉を発しようと口を開いた。
ところが、そこを灰兼の低い声音に妨げられる。
「この黒い煙は能力封じの毒ガスか。煙に触るだけでも効果があるようだな」
「……ああ。直ぐに無事な人間もいなくなるかもな」
男達は皆、水知を一瞥する。
半球体の水の壁を作って輝夜達と灰兼達を懸命に守る水知は、とにかく動揺しないように心を静めることに腐心して、目を閉じ、防御に集中していた。
だが、呼吸が少し荒くなり始めている。汗が滝のように流れ、水の壁を出現させ続ける限界が近いのは明らかだった。
「彼が駄目になる前に、俺達かこちらの他の藍領地の方々に、この中で防御壁を展開して交代すると解決するが」
「藍の一般領民だか下位領地ランカーだかが防御壁をそれほど持たせられるものか。それに気付いていないようだな。既に葛領地の貴方達は、船内の食事で能力封じの薬を摂取している。力は使えない」
「船内、か」
「俺達が船員スタッフとして潜り込めたのも、貴方の馬鹿馬鹿しい虚栄心のおかげだ。豪華客船なんて規模の船でなければ、密入領者を見つけるのも容易だったろうに」
「……。ここには、我々だけではなく、藍領地の方々もいらっしゃるのだが。それほどの武装をして皆殺しまで考えているのか?」
「こうなったら、むしろ貴方の失態を証明する生きた証人になってもらう。俺達がここだけで行動を起こしていると思うなよ。既に藍領地『二位』雷秀寿と『十位』闇束霞の暗殺に成功しているんだよ」
水知が流石にぎょっと目を剥いた。一瞬水の壁が薄くなる。しかし、直ぐに頭を振って「集中、集中……」とつらそうに耳を塞いだ。
輝夜は、秀寿と闇束の名前を告げられて呆然とする。頭の中が真っ白になった。
(え……? 嘘……だよな……? 何、言ってるんだ、この人……)
秀寿は先ほどまでフードコートの入り口付近にいたのだ。そんなことを言われても信じられない。
輝夜は全く言われた事実が受け止められず、頭の中にもやが掛かったようにぼうっとなった。
灰兼は一瞬だけ苦悶の表情を浮かべると、冷静な声音で問う。
「まさか、あの雷君があっさりやられることになるとはな……。他領地の上位領地ランカーの暗殺は侵略行為だ。翡翠領地が藍領地に戦争を仕掛ける理由は何だ?」
「分かっていないな。その翡翠のテロリストを運んできたのは誰だ。この首謀者は葛領地なんだよ。戦争になるのは、葛と藍さ」
「……翡翠領地もただでは済まないぞ」
「いいや、どうあっても責任を取ることになるのは、俺達を連れて来た葛領地『領王』だ。そろそろ、その中の空気も薄くなっているんじゃないか?」
男の指摘に、電谷が軽く身体をずらしてみせる。電谷は背後に小さな次元空間を出していた。そこから新鮮な空気が流れてくる。
男は舌打ちをすると、腹立ちまぎれに水の壁を殴った。
輝夜は、男と電谷のやり取りよりも電谷の次元空間に目が釘付けになる。
(四角い。あれ……やっくんの次元空間ってどんな形だっけ。四角なんだっけ……?)
その形に違和感があった。普段よく見ているはずなのに、いざ思い出そうとすると輝夜の記憶は曖昧である。合っているのか、違っているのかの確証が持てない。特に秀寿のことを聞かされてから、輝夜は上手く思考が繋がらず、頭が働かなかった。
(……『かぐや』は、覚えている?)
『円形を見たことはあります。主上。葛領地の者の動きがあるまで、どうかお気を確かに……』
(え?)
『かぐや』は何を言っているのだろう。
『かぐや』は神経を研ぎ澄ませ、この場の人間を警戒しているようだった。
ふと、輝夜の中で、月族の力を与えている氷藤信次は本当に力が使えなくなっているのだろうかという疑問が湧く。
約1ヶ月半以上前、捕縛された信次は藍領地から脱出していた。
歴史ドラマや刑事ドラマでよく描写されているのだが、捕縛や投獄の際は、能力封じの薬か、手枷などで種族能力の無力化がなされるらしい。
その処置をされたはずの信次が、その後、無事に葛領地に戻れていることが輝夜には不思議だった。電須佐由の横槍もあったようなので、余計にだ。
このことから、月族が他種族の能力を増減させて変えると、薬の無力化を無効化出来るのではないかと考える。
本人達が元来持つ原始的な能力を、全くの未知の能力に変質させているのだ。その変質した能力を、無効化させる成分や要素が、現在の能力封じの薬や手枷には含まれていないのかもしれない。だから月族の力を与えられた種族は、その種族能力を使える可能性がある。
『かぐや』に交代して、皆に月族の力を一時的にでも与えた方がいいのではないだろうかと思いつつ、輝夜は躊躇った。
試すにしても輝夜が月族だとバラす行為であり、皇族なのが他領地の人間に知られてしまう。輝夜の判断だけでしていい情報の開示だとは思えないのだ。
真剣に悩んでいると、『かぐや』が輝夜を案じながら苦言を呈した。
『主上。氷藤信次からもたらされた情報ですが、この緊急事態は想定内――むしろ葛領地『領王』が積極的に整え、翡翠領地民を炙り出した場だそうです。主上は静観に徹し、彼らに関わらない方がよろしいかと思います』
(え……)
「お前達が9年前の翡翠で使ったのも、この化学兵器だな?」
灰兼の声が、嫌に鮮明に輝夜の耳へと飛び込んできた。輝夜の鼓動がドクンッと跳ねる。
灰兼は訥々と喋り続けた。
「――ようやく腑に落ちた。本来なら、あの方々が下位領地ランカーに捕らえられるなどあり得ないことだ。下位能力者のお前達は、上位能力者をこの煙で能力を封じて捕縛した訳か。全員が無能力状態に陥れば、武器を持たない者の勝ち目は無い……納得だ」
「「あり得ない」だと!? 貴方はやはり全員の身元を知っていてっ……!」
森蚕は目を釣り上げる。
他の3人の男達も怒り、一斉に灰兼へと銃口を向けた。
灰兼は微動だにせず、暗い双眸で男達を見据える。
「まるで機械族のようだな。自身の種族への誇りも無いのか」
灰兼が浮かべるのは侮蔑の無表情のみ。
森蚕は躊躇いも無く銃の引き金を引く。数発発射された銃弾は水の壁に呑み込まれ、そのまま水の壁の中を漂った。
「よくも……っ、そんな言葉が俺達に吐けるな! 素性を隠し、俺達翡翠領民を騙して! 翡翠領地を乗っ取っていた他領地民どもがっ!!」
「俺達は偽名も使用していなかった。元々どこの領地の者で、種族内で地位はあるのか、他領地出身の闘技大会出場者は身元捜査をするのが基本だろう。一切調べもしなかった翡翠領地民にこそ非がある。こちらの自己申告を鵜呑みして、自領地ランカー入りをさせるとは呆れたものだったな」
「偽名は使ってただろ! 〝火巻凰十〟が……!!」
反射的に怒鳴り散らした男は、自身が口にした名前にさっと顔色を変えた。
他の者達も青ざめ、重い空気が流れる。
〝火巻凰十〟、彼らにとってその名はタブーだった。
森蚕がその沈黙を吹き飛ばし、灰兼に向かって叩き付けるような慟哭の叫びを浴びせた。
「俺達は翡翠領地を守っただけだ! 貴方達の横暴な政策に抗った! 『領王』制度を無くされ、防衛が完全に出来なくなる前に……! 他領地に抵抗出来ずに翡翠領地を蹂躙される前に!!
なのに、処刑したのが全員族長か次期族長候補!? こっちが知らないうちに全ての中央大陸の種族が敵に回っていたんだぞ! 仕舞いにはこの世界全てがっ……!! 冗談じゃない! 俺達は何も知らなかったのに! 他領地に断交され……輸入に頼っていた島領地の翡翠が、全領地の輸入取引をなくされた。今の翡翠を知ってるか!? 取り返しがつかないほど飢餓で死人が出ている……! 皆、親族に絶縁されて故郷に避難も出来ない! 内紛まで起こってるんだ!!
こんな……こんなはずじゃなかったのに! なんで貴方達みたいな特別な人が翡翠なんて小さな島領地の上位領地ランカーになっていたんだよっ……ふざけるな!!」
森蚕の絶叫に、他の男達も沈痛な面持ちで肩を震わせる。
「俺達はあの時から死んでいるも同じなんだ。翡翠『領王』……? 上位領地ランカー? そんな者、今の翡翠のどこにいるっていうんだ……!!」
端で身を縮こませて聞いていた輝夜は、彼らの言葉にそれまで輝夜の胸中を蝕んでいた不安や恐れがすっと消え、もやっとした思いが一気に膨らんだ。
(兄貴に後遺症が残るまで暴力を振るって、凰十さん達も殺しておいて、何で被害者ぶれるんだろう。その上、雷まで……)
不快感と苛立ち。輝夜の中で怒りが込み上がってきた。
大地族と剣に洗脳されて翡翠革命を起こしたのではなく、多少の誘導と煽動があったとしても自分達の意志で起こしたと言っているのだ。そのくせ、処刑を決めたのも実行したのも自分達だと言うのに、全てを他人のせいにするような身勝手な言い分にしか、輝夜には聞こえなかった
きっと、他にも平和的に止める方法はあったはずで、彼らはそれを時間が掛かるだとか無駄だとかで、努力をせずに切って捨てたようにしか考えられず、輝夜は無性に腹が立つ。
「かやのん」
輝夜は声を掛けられてはっと意識を引き戻す。
電谷が心配そうに輝夜の顔色を窺っていた。
苛立ちが顔に出ていたのかもしれない。輝夜は慌てて笑顔を作ると、大丈夫だと顔を横に振る。
だが、電谷はそれでも気遣わしげな視線を輝夜に向けていた。
(そんなに心配掛けるような顔してたのかな……)
「おい、何している?」
翡翠の男の1人が葦成を咎める。彼は先ほどから電脳族を「ゴミ」と言ったり、水の壁を蹴ったりしている乱暴な男だ。
葦成はいつの間にか席を離れて床に手をやり、片膝をついて屈み込んでいて、乱暴な男には返答しなかった。
そんな葦成の体勢に輝夜は驚く。
次いで、信次とも目が合った。信次はこちらを振り返り、顔を強張らせて輝夜を凝視している。
周りの反応がどこかおかしいような気がした。
「落ち着け」
葦成に小声で言われる。葦成の視線は、自身が手に持つ携帯端末の画面に注がれていた。それから葦成は焦燥感を滲ませた表情を緩ませ、ふうっと重い溜息をついて携帯端末をポケットにしまい、輝夜に真顔で凄む。
「落ち着け」
「……俺は落ち着いてるよっ」
何故、謎の念押しをするのか。輝夜の返答に、葦成どころか信次と電谷からも微妙な視線を向けられた気がして「え?」と今度は輝夜が戸惑った。
『かぐや』の弱々しい声が聞こえる。
『主上。お気を鎮められたようで良かったです……』
(どういうこと!? まさか俺何かした!?)
真っ青になる輝夜を尻目に、葦成は再び席に座り直すとコップの水を飲む。
乱暴な男は、葦成の仕草に喉の渇きを思い出した。幸いにも近くにウォーターサーバーがある。男はコップに水を注いで飲んだ。
男のその行動を目撃した輝夜と電谷は固まる。
葦成だけがニヤリと口角を上げた。
ポタリ。森蚕の首筋に水滴が落ちる。
首に手をやり、軽く拭う。何気なく拭った指を見ると、白、赤、黄、鼠色などカラフルな色の水だった。
(塗装のペンキ……?)
粘りもなく、絵の具を溶かした水のような水滴だ。これはペンキではない気がする。
水滴に気を取られて口を噤んだ森蚕に代わって、3人の男達の中の1人、翡翠領地『三位』ランカー土稲哲雄が灰兼の前に出て問いただす。
「水岐広早はどうした? ここに来ないのは何故だ?」
「始めから疑問なんだが、どうして彼がここにいると思っているのか聞きたいな。その発想の方が不可解だ。俺はただ、観光がてらに雷君と気軽に話をする機会を作っただけだったんだが。彼の居場所は俺も知らないのでね。出せと言われても困るよ」
「……。電拳族長がそのようなメールを作成していた」
「メールとは何のことだ? 誰宛にそんなものを? まさか藍領地に彼がいるのか?」
「い、いや……。そうか、あの男の悪戯……っ」
土稲は舌打ちをすると、他の男達と互いに目を見交わし頷き合う。
灰兼は冷たく目を細めた。
「……何故、お前達は彼を追い回す必要があるのだろうな? 既に翡翠の悪行は、彼が喋らなくても世界中に知れ渡っているだろうに」
「うるさい!! あいつは盗人なんだ!!」
「止めろ、土稲!!」
「〝盗人〟?」
灰兼は聞き咎め、目を見開いて男達を見上げる。灰兼にしては少し大袈裟な反応だったが土稲達はそのことには気付かない。
土稲は仲間の制止を振り切って灰兼を見下しながら言い放つ。
「火巻凰十の遺体を盗んだんだ。俺達は丁重に火族へ返す準備があった。アイツが盗んだせいで、いつまで経ってもおかしな流言が無くならない! 遺体を取り返さないと……!!」
「翡翠『領王』が間違いなく火族の者だったと火族に証明してもらえない、か?」
「!! ぎ、偽名だったが、あの人は火族だった!! 処刑後何日も遺体が残っていたんだ!! こっ、『皇帝』陛下のはずがっ……」
「土稲!!」
仲間に言葉を遮られ、土稲は苦々しく歯噛みする。咎められてもなおボソボソと喋りきった。
「『皇帝』陛下が亡くなると、その遺体は直ぐに消失する。小学生でも知っている常識だ。絶対に水岐広早が、火巻凰十の遺体を盗んでいる……! 逃亡の時に盗んで……。俺達に、皇族殺しの罪を捏造するために……!」
「ほう。つまり水岐広早が逃げる前まで遺体は残っていたのか。だから火族のはずだと。ふっ、浅慮な」
「何がおかしい!!」
「『皇帝』陛下の遺体が、直ぐに消えない前例はある」
灰兼の発言に、土稲達は衝撃を受ける。
「次代の『皇帝』となりえる人物がいない場合、遺体は消えない。彼が逃げ出した時に、次代の『皇帝』陛下が生まれただけではないのか? 流言は事実で、やはり翡翠は皇族殺しの、この世から消滅されるべき謀反領地だろうな」
灰兼は悠然と彼らの罪を肯定して微笑んだ。
絶句する土稲達の隣で、森蚕はただ1人天井を仰いでいる。
黒煙が充満していて天井の状態は分からない。
不意に、この黒煙の中で自分達のいる背後や周りが全く見えない状況が急に恐ろしくなった。
船の上のように足元が揺れているという感覚がある。
ここが9階なので多少の振動があるのは当たり前のはず。しかし、異様な違和感があった。
先ほどから突然この建物が変質してしまったような、全く別の建物になったような気味の悪い心地がするのだ。
森蚕は床の上の足を滑らす。
グチャリ……
まるでゼリーのような柔らかな液体の上に沈みもせず立っている――そう、表現するしかないような感触が靴底から伝わって息を呑んだ。
黒煙で見えない足元は一体どうなっているのか。
そもそもこのフードコートに立ち入る前から、重苦しいプレッシャーを感じていたことを思い出す。他の者達が入り口の者を真っ先に片付けてしまったのも、無意識に脅威を早く取り除くべく焦った節があったのではないか。
森蚕は、この感覚に既視感があった。
強烈に記憶にこびりつく、10年前の翡翠領地闘技大会の光景。上位領地ランカーに入る寸前まで勝ち上がっていき迎えた試合だ。
その時の森蚕は対戦相手をひと目見て、根本的に異質だと、次元が違うと恐怖したのだ。
棄権する以外に、生存を許されないと思わされる何かがあった。
対戦相手、火巻凰十。
慈愛に満ちた柔らかな微笑みを浮かべる彼の姿を思い出し、森蚕は震え上がった。
このフードコートはあの試合場に似通った威圧感があると、森蚕はつい力んで銃のグリップを握り込む。
ぐにゃりと銃がひしゃげた。グミのような弾力の感触が伝わる。
森蚕は異常な事象に遭遇し、声にならない悲鳴を上げた。




