表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
眠る月の皇子  作者: 古波萩子
第2章 けぶる翡翠の亡霊達
78/141

 第17話 翡翠革命の亡霊


(〝水岐みずき広早こうさを出せ〟って――)



 ――〝翡翠ひすい革命〟の処刑実行側……翡翠ひすい領民が目の前にいる。



 輝夜てるやすは血の気が引いた。震えそうになる身体に力を籠め、かろうじて耐えると〝水岐みずき広早こうさ〟を要求する男に、この怯えと動揺を悟られないように顔を伏せた。

 〝水岐みずき広早こうさ〟は、輝夜てるやすの兄・篁朝たかときの旧姓で、その旧姓を名乗っていた頃、篁朝たかとき翡翠ひすい領地『二位』ランカーだった。



 9年前、翡翠ひすい領地で起きた〝翡翠ひすい革命〟。

 それは、翡翠ひすい領地出身の下位領地ランカーと翡翠ひすい領民が結託し、当時の翡翠ひすい『領王』と上位領地ランカー9名を処刑したという虐殺事件である。

 ……だが、実際は3名の上位領地ランカーの逃亡を許しており、その難を逃れた3名が、現(くず)領地『領王』灰兼はいかねおもいと、あい領地『二位』ランカーのあずま秀寿ひでとし、そして篁朝たかときだった。

 特に篁朝たかときは、3名の中で唯一当時の翡翠ひすい領地の処刑や虐殺を目撃している。

 更に翡翠ひすい領地内で数日間監禁され、拷問を受けた後に獣櫛じゅうくし涼柁りょうたの尽力によって救出された経緯があり、翡翠ひすい領民達は篁朝たかときの口から非道な行いの全てを語られることを恐れ、未だに篁朝たかときの命を狙い続けているのだ。

 そのため、水城みずしろ家は9年間領地を転々とし、逃亡生活を送っていた。


 翡翠ひすい領民が、翡翠ひすい『領王』と上位領地ランカーを処刑した理由は世間に明かされていないが、輝夜てるやすはその理由を知っている。

 彼らは、翡翠ひすい『領王』達の〝翡翠ひすい領地『領王』制度廃止案〟の執行を処刑という形で阻止したのだ。


 〝『領王』制度廃止案〟は、闘技大会ではなく、領民の投票で領地の代表を決めるという非戦闘種族、主に電脳族でんのうぞくの救済を目的とした新しい領地運営方法だったらしい。

 この法案は、電脳族でんのうぞく電拳でんつかつるぎ族長と御天日みあめひ凰十おうと『皇帝』の邂逅によって生まれた、電脳族でんのうぞくに対する皇族御三家の1つの回答である。

 しかし、領地の防衛面の不安によって翡翠ひすい領民には受け容れがたい政策だった。

 大地族だいちぞくもその回答は認めず、くだんのつるぎを味方に引き入れ、翡翠ひすい領民の不安を逆手に、裏で暴動と処刑を煽動して潰したのだ。


 大地族だいちぞくは皇族御三家の1つ、宙地原族そらちのはらぞくの従者である。彼らの動きは、そのまま宙地原族そらちのはらぞくの意志とも言えた。

 表の歴史的には、翡翠ひすい領民の異常な虐殺事件。

 その裏では、御天日みあめひ凰十おうと『皇帝』と宙地原族そらちのはらぞくの、皇族同士の政争が起こっていた。

 『かぐや』達からの情報で、それが翡翠ひすい革命なのだと輝夜てるやすは認識している。




 輝夜てるやすにとって、篁朝たかときの命を9年間狙っている人間が目の前にいるというのは恐ろしい状況でしかない。

 輝夜てるやすの腕を掴んでいた篁朝たかときの手が微かに震えていることに気付く。篁朝たかときおびえが伝わってきた。

 篁朝たかときの顔色は白く、感情が抜け落ちたような能面の表情でテーブルを見つめ続けている。


(……兄貴……)



水岐みずき広早こうさに会いたいのか?」



 唐突に、電牙でんかび葦成あししげが上品な笑みを浮かべて男に話し掛けた。

 輝夜てるやすは思わずヒュッと息が止まる。


(まさか兄貴のことを……!?)


「いなくて残念だったな」


 葦成あししげが口角を上げて男を嗤う。

 暴露ではなかったことに、輝夜てるやすはそっと息を吐き出した。驚かせないで欲しい。


 翡翠ひすい『領王』と呼ばれた銃を持つ男――森蚕もりこみのるは、灰兼はいかねではなく見知らぬ十代の青年が返答したことに怪訝な面持ちをした。

 葦成あししげ森蚕もりこの反応に興味を示さない。視線を逸らして何事も無かったかのようにまたコップに口をつけた。

 森蚕もりこ葦成あししげいぶかしみ、葦成あししげと同席する女性2人と電脳族でんのうぞくの少年に眉根を寄せる。

 輝夜てるやすは視線を向けられたのを肌に感じて酷く緊張した。心臓はバクバクと脈打つ。


(バレませんように……!)


「どうしてあいの一般領民が……?」

森蚕もりこ、馬鹿を言うな。そいつらも護衛のあい領地ランカーに決まっているだろうが」

「非公式だろうと他領地の『領王』が居る場に一般領民を近付けるわけがない。しっかりしてくれ、リーダさんよ」

「あーあ、どうするんだよコレ。こいつら、まだ煙に触ってないじゃないか」


 黒い煙の中から、痩せこけた3人の中年男性が顔を出した。それぞれ、森蚕もりこと同じように銃を手に持っている。


 輝夜てるやす篁朝たかときの正体がバレていない様子に心底安堵した。肝が冷えるとはこういう状況のことなのだろう。身体の芯が冷え切って冷や汗が背中を流れていた。密かに心の中で、この女装姿の変装を提案してくれた涼柁りょうたに感謝する。涼柁りょうたには兄弟揃っていつも助けられていると思う。


 森蚕もりこは仲間の男達の言葉に腹を立てていた。苛立たしげに銃口を電谷でんやに向ける。


「お前らが煙を蔓延まんえんさせる前に始めたせいだろうが……っ。それによく見ろ。電脳族でんのうぞくだ。電脳族でんのうぞくの領地ランカーは存在しない!」

「本当だ。何で次元空間に逃げない? てめぇらゴミどもの十八番だろ!」


 1人の男が水の壁を蹴りつけ、怒気を孕ませて電谷でんやに凄む。

 電谷でんやは無表情だった。

 それは男を歯牙にも掛けない余裕の態度にも映り、男は頭に血が上る。歯を剥いて顔を歪ませると、罵倒の言葉を発しようと口を開いた。

 ところが、そこを灰兼はいかねの低い声音に妨げられる。


「この黒い煙は能力封じの毒ガスか。煙に触るだけでも効果があるようだな」

「……ああ。直ぐに無事な人間もいなくなるかもな」


 男達は皆、水知みずちを一瞥する。

 半球体の水の壁を作って輝夜てるやす達と灰兼はいかね達を懸命に守る水知みずちは、とにかく動揺しないように心を静めることに腐心して、目を閉じ、防御に集中していた。

 だが、呼吸が少し荒くなり始めている。汗が滝のように流れ、水の壁を出現させ続ける限界が近いのは明らかだった。


「彼が駄目になる前に、俺達かこちらの他のあい領地の方々に、この中で防御壁を展開して交代すると解決するが」

あいの一般領民だか下位領地ランカーだかが防御壁をそれほど持たせられるものか。それに気付いていないようだな。既にくず領地の貴方達は、船内の食事で能力封じの薬を摂取している。力は使えない」

「船内、か」

「俺達が船員スタッフとして潜り込めたのも、貴方の馬鹿馬鹿しい虚栄心のおかげだ。豪華客船なんて規模の船でなければ、密入領みつにゅうりょう者を見つけるのも容易だったろうに」

「……。ここには、我々だけではなく、あい領地の方々もいらっしゃるのだが。それほどの武装をして皆殺しまで考えているのか?」

「こうなったら、むしろ貴方の失態を証明する生きた証人になってもらう。俺達がここだけで行動を起こしていると思うなよ。既にあい領地『二位』あずま秀寿ひでとしと『十位』闇束やみづかかすみの暗殺に成功しているんだよ」


 水知みずちが流石にぎょっと目を剥いた。一瞬水の壁が薄くなる。しかし、直ぐに頭を振って「集中、集中……」とつらそうに耳を塞いだ。

 輝夜てるやすは、秀寿ひでとし闇束やみづかの名前を告げられて呆然とする。頭の中が真っ白になった。


(え……? 嘘……だよな……? 何、言ってるんだ、この人……)


 秀寿ひでとしは先ほどまでフードコートの入り口付近にいたのだ。そんなことを言われても信じられない。

 輝夜てるやすは全く言われた事実が受け止められず、頭の中にもやが掛かったようにぼうっとなった。

 灰兼はいかねは一瞬だけ苦悶の表情を浮かべると、冷静な声音で問う。


「まさか、あのあずま君があっさりやられることになるとはな……。他領地の上位領地ランカーの暗殺は侵略行為だ。翡翠ひすい領地があい領地に戦争を仕掛ける理由は何だ?」

「分かっていないな。その翡翠ひすいのテロリストを運んできたのは誰だ。この首謀者はくず領地なんだよ。戦争になるのは、くずあいさ」

「……翡翠ひすい領地もただでは済まないぞ」

「いいや、どうあっても責任を取ることになるのは、俺達を連れて来たくず領地『領王』だ。そろそろ、その中の空気も薄くなっているんじゃないか?」


 男の指摘に、電谷でんやが軽く身体をずらしてみせる。電谷でんやは背後に小さな次元空間を出していた。そこから新鮮な空気が流れてくる。

 男は舌打ちをすると、腹立ちまぎれに水の壁を殴った。

 輝夜てるやすは、男と電谷でんやのやり取りよりも電谷でんやの次元空間に目が釘付けになる。


(四角い。あれ……やっくんの次元空間ってどんな形だっけ。四角なんだっけ……?)


 その形に違和感があった。普段よく見ているはずなのに、いざ思い出そうとすると輝夜てるやすの記憶は曖昧である。合っているのか、違っているのかの確証が持てない。特に秀寿ひでとしのことを聞かされてから、輝夜てるやすは上手く思考が繋がらず、頭が働かなかった。



(……『かぐや』は、覚えている?)


『円形を見たことはあります。主上。くず領地の者の動きがあるまで、どうかお気を確かに……』


(え?)


 『かぐや』は何を言っているのだろう。


 『かぐや』は神経を研ぎ澄ませ、この場の人間を警戒しているようだった。

 ふと、輝夜てるやすの中で、月族つきぞくの力を与えている氷藤ひょうどう信次しんじは本当に力が使えなくなっているのだろうかという疑問が湧く。


 約1ヶ月半以上前、捕縛された信次しんじあい領地から脱出していた。

 歴史ドラマや刑事ドラマでよく描写されているのだが、捕縛や投獄の際は、能力封じの薬か、手枷などで種族能力の無力化がなされるらしい。

 その処置をされたはずの信次しんじが、その後、無事にくず領地に戻れていることが輝夜てるやすには不思議だった。電須でんす佐由さよしの横槍もあったようなので、余計にだ。

 このことから、月族つきぞくが他種族の能力を増減させて変えると、薬の無力化を無効化出来るのではないかと考える。

 本人達が元来持つ原始的な能力を、全くの未知の能力に変質させているのだ。その変質した能力を、無効化させる成分や要素が、現在の能力封じの薬や手枷には含まれていないのかもしれない。だから月族つきぞくの力を与えられた種族は、その種族能力を使える可能性がある。

 『かぐや』に交代して、皆に月族つきぞくの力を一時的にでも与えた方がいいのではないだろうかと思いつつ、輝夜てるやす躊躇ためらった。

 試すにしても輝夜てるやす月族つきぞくだとバラす行為であり、皇族なのが他領地の人間に知られてしまう。輝夜てるやすの判断だけでしていい情報の開示だとは思えないのだ。


 真剣に悩んでいると、『かぐや』が輝夜てるやすを案じながら苦言を呈した。



『主上。氷藤ひょうどう信次しんじからもたらされた情報ですが、この緊急事態は想定内――むしろくず領地『領王』が積極的に整え、翡翠ひすい領地民を炙り出した場だそうです。主上は静観に徹し、彼らに関わらない方がよろしいかと思います』


(え……)



「お前達が9年前の翡翠ひすいで使ったのも、この化学兵器だな?」


 灰兼はいかねの声が、嫌に鮮明に輝夜てるやすの耳へと飛び込んできた。輝夜てるやすの鼓動がドクンッと跳ねる。

 灰兼はいかねとつ(とつ)と喋り続けた。


「――ようやく腑に落ちた。本来なら、あの方々が下位領地ランカーに捕らえられるなどあり得ないことだ。下位能力者のお前達は、上位能力者をこの煙で能力を封じて捕縛した訳か。全員が無能力状態に陥れば、武器を持たない者の勝ち目は無い……納得だ」

「「あり得ない」だと!? 貴方はやはり全員の身元を知っていてっ……!」


 森蚕もりこは目を釣り上げる。

 他の3人の男達も怒り、一斉に灰兼はいかねへと銃口を向けた。

 灰兼はいかねは微動だにせず、暗い双眸で男達を見()える。


「まるで機械族きかいぞくのようだな。自身の種族への誇りも無いのか」


 灰兼はいかねが浮かべるのは侮蔑の無表情のみ。

 森蚕もりこは躊躇いも無く銃の引き金を引く。数発発射された銃弾は水の壁に呑み込まれ、そのまま水の壁の中を漂った。


「よくも……っ、そんな言葉が俺達に吐けるな! 素性を隠し、俺達翡翠(ひすい)領民を騙して! 翡翠ひすい領地を乗っ取っていた他領地民どもがっ!!」


「俺達は偽名も使用していなかった。元々どこの領地の者で、種族内で地位はあるのか、他領地出身の闘技大会出場者は身元捜査をするのが基本だろう。一切調べもしなかった翡翠ひすい領地民にこそ非がある。こちらの自己申告を鵜呑みして、自領地ランカー入りをさせるとは呆れたものだったな」


「偽名は使ってただろ! 〝火巻ほまき凰十おうと〟が……!!」


 反射的に怒鳴り散らした男は、自身が口にした名前にさっと顔色を変えた。

 他の者達も青ざめ、重い空気が流れる。


 〝火巻ほまき凰十おうと〟、彼らにとってその名はタブーだった。


 森蚕もりこがその沈黙を吹き飛ばし、灰兼はいかねに向かって叩き付けるような慟哭どうこくの叫びを浴びせた。


「俺達は翡翠ひすい領地を守っただけだ! 貴方達の横暴な政策に抗った! 『領王』制度を無くされ、防衛が完全に出来なくなる前に……! 他領地に抵抗出来ずに翡翠ひすい領地を蹂躙じゅうりんされる前に!! 

 なのに、処刑したのが全員族長か次期族長候補!? こっちが知らないうちに全ての中央大陸の種族が敵に回っていたんだぞ! 仕舞いにはこの世界全てがっ……!! 冗談じゃない! 俺達は何も知らなかったのに! 他領地に断交され……輸入に頼っていた島領地の翡翠ひすいが、全領地の輸入取引をなくされた。今の翡翠ひすいを知ってるか!? 取り返しがつかないほど飢餓きがで死人が出ている……! 皆、親族に絶縁されて故郷に避難も出来ない! 内紛まで起こってるんだ!!

 こんな……こんなはずじゃなかったのに! なんで貴方達みたいな特別な人が翡翠ひすいなんて小さな島領地の上位領地ランカーになっていたんだよっ……ふざけるな!!」


 森蚕もりこの絶叫に、他の男達も沈痛な面持ちで肩を震わせる。


「俺達はあの時から死んでいるも同じなんだ。翡翠ひすい『領王』……? 上位領地ランカー? そんな者、今の翡翠ひすいのどこにいるっていうんだ……!!」


 端で身を縮こませて聞いていた輝夜てるやすは、彼らの言葉にそれまで輝夜てるやすの胸中を蝕んでいた不安や恐れがすっと消え、もやっとした思いが一気に膨らんだ。


(兄貴に後遺症が残るまで暴力を振るって、凰十おうとさん達も殺しておいて、何で被害者ぶれるんだろう。その上、あずままで……)


 不快感と苛立ち。輝夜てるやすの中で怒りが込み上がってきた。

 大地族だいちぞくつるぎに洗脳されて翡翠ひすい革命を起こしたのではなく、多少の誘導と煽動があったとしても自分達の意志で起こしたと言っているのだ。そのくせ、処刑を決めたのも実行したのも自分達だと言うのに、全てを他人のせいにするような身勝手な言い分にしか、輝夜てるやすには聞こえなかった

 きっと、他にも平和的に止める方法はあったはずで、彼らはそれを時間が掛かるだとか無駄だとかで、努力をせずに切って捨てたようにしか考えられず、輝夜てるやすは無性に腹が立つ。



「かやのん」


 輝夜てるやすは声を掛けられてはっと意識を引き戻す。

 電谷でんやが心配そうに輝夜てるやすの顔色を窺っていた。

 苛立ちが顔に出ていたのかもしれない。輝夜てるやすは慌てて笑顔を作ると、大丈夫だと顔を横に振る。

 だが、電谷でんやはそれでも気遣わしげな視線を輝夜てるやすに向けていた。


(そんなに心配掛けるような顔してたのかな……)


「おい、何している?」


 翡翠ひすいの男の1人が葦成あししげとがめる。彼は先ほどから電脳族でんのうぞくを「ゴミ」と言ったり、水の壁を蹴ったりしている乱暴な男だ。

 葦成あししげはいつの間にか席を離れて床に手をやり、片膝をついて屈み込んでいて、乱暴な男には返答しなかった。

 そんな葦成あししげの体勢に輝夜てるやすは驚く。

 次いで、信次しんじとも目が合った。信次しんじはこちらを振り返り、顔を強張らせて輝夜てるやすを凝視している。

 周りの反応がどこかおかしいような気がした。


「落ち着け」


 葦成あししげに小声で言われる。葦成あししげの視線は、自身が手に持つ携帯端末の画面に注がれていた。それから葦成あししげは焦燥感を滲ませた表情を緩ませ、ふうっと重い溜息をついて携帯端末をポケットにしまい、輝夜てるやすに真顔で凄む。


「落ち着け」

「……俺は落ち着いてるよっ」


 何故、謎の念押しをするのか。輝夜てるやすの返答に、葦成あししげどころか信次しんじ電谷でんやからも微妙な視線を向けられた気がして「え?」と今度は輝夜てるやすが戸惑った。

 『かぐや』の弱々しい声が聞こえる。



『主上。お気を鎮められたようで良かったです……』


(どういうこと!? まさか俺何かした!?)



 真っ青になる輝夜てるやすを尻目に、葦成あししげは再び席に座り直すとコップの水を飲む。

 乱暴な男は、葦成あししげの仕草に喉の渇きを思い出した。幸いにも近くにウォーターサーバーがある。男はコップに水を注いで飲んだ。

 男のその行動を目撃した輝夜てるやす電谷でんやは固まる。

 葦成あししげだけがニヤリと口角を上げた。




 ポタリ。森蚕もりこの首筋に水滴が落ちる。

 首に手をやり、軽く拭う。何気なく拭った指を見ると、白、赤、黄、鼠色などカラフルな色の水だった。


(塗装のペンキ……?)


 粘りもなく、絵の具を溶かした水のような水滴だ。これはペンキではない気がする。

 水滴に気を取られて口をつぐんだ森蚕もりこに代わって、3人の男達の中の1人、翡翠ひすい領地『三位』ランカー土稲つちいね哲雄てつお灰兼はいかねの前に出て問いただす。


水岐みずき広早こうさはどうした? ここに来ないのは何故だ?」

「始めから疑問なんだが、どうして彼がここにいると思っているのか聞きたいな。その発想の方が不可解だ。俺はただ、観光がてらにあずま君と気軽に話をする機会を作っただけだったんだが。彼の居場所は俺も知らないのでね。出せと言われても困るよ」

「……。電拳でんつか族長がそのようなメールを作成していた」

「メールとは何のことだ? 誰宛にそんなものを? まさかあい領地に彼がいるのか?」

「い、いや……。そうか、あの男の悪戯……っ」


 土稲つちいねは舌打ちをすると、他の男達と互いに目を見交わし頷き合う。

 灰兼はいかねは冷たく目を細めた。


「……何故、お前達は彼を追い回す必要があるのだろうな? 既に翡翠ひすいの悪行は、彼が喋らなくても世界中に知れ渡っているだろうに」

「うるさい!! あいつは盗人なんだ!!」

「止めろ、土稲つちいね!!」

「〝盗人〟?」


 灰兼はいかねは聞き咎め、目を見開いて男達を見上げる。灰兼はいかねにしては少し大袈裟な反応だったが土稲つちいね達はそのことには気付かない。

 土稲つちいねは仲間の制止を振り切って灰兼はいかねを見下しながら言い放つ。


火巻ほまき凰十おうとの遺体を盗んだんだ。俺達は丁重に火族ひぞくへ返す準備があった。アイツが盗んだせいで、いつまで経ってもおかしな流言が無くならない! 遺体を取り返さないと……!!」

翡翠ひすい『領王』が間違いなく火族ひぞくの者だったと火族ひぞくに証明してもらえない、か?」

「!! ぎ、偽名だったが、あの人は火族ひぞくだった!! 処刑後何日も遺体が残っていたんだ!! こっ、『皇帝』陛下のはずがっ……」

土稲つちいね!!」


 仲間に言葉を遮られ、土稲つちいねは苦々しく歯噛みする。咎められてもなおボソボソと喋りきった。


「『皇帝』陛下が亡くなると、その遺体は直ぐに消失する。小学生でも知っている常識だ。絶対に水岐みずき広早こうさが、火巻ほまき凰十おうとの遺体を盗んでいる……! 逃亡の時に盗んで……。俺達に、皇族殺しの罪を捏造するために……!」

「ほう。つまり水岐みずき広早こうさが逃げる前まで遺体は残っていたのか。だから火族ひぞくのはずだと。ふっ、浅慮な」

「何がおかしい!!」

「『皇帝』陛下の遺体が、直ぐに消えない前例はある」


 灰兼はいかねの発言に、土稲つちいね達は衝撃を受ける。


「次代の『皇帝』となりえる人物がいない場合、遺体は消えない。彼が逃げ出した時に、次代の『皇帝』陛下が生まれただけではないのか? 流言は事実で、やはり翡翠ひすいは皇族殺しの、この世から消滅されるべき謀反領地だろうな」


 灰兼はいかねは悠然と彼らの罪を肯定して微笑んだ。


 絶句する土稲つちいね達の隣で、森蚕もりこはただ1人天井を仰いでいる。

 黒煙が充満していて天井の状態は分からない。

 不意に、この黒煙の中で自分達のいる背後や周りが全く見えない状況が急に恐ろしくなった。

 船の上のように足元が揺れているという感覚がある。

 ここが9階なので多少の振動があるのは当たり前のはず。しかし、異様な違和感があった。

 先ほどから突然この建物が変質してしまったような、全く別の建物になったような気味の悪い心地がするのだ。

 森蚕もりこは床の上の足を滑らす。


 グチャリ……


 まるでゼリーのような柔らかな液体の上に沈みもせず立っている――そう、表現するしかないような感触が靴底から伝わって息を呑んだ。

 黒煙で見えない足元は一体どうなっているのか。

 そもそもこのフードコートに立ち入る前から、重苦しいプレッシャーを感じていたことを思い出す。他の者達が入り口の者を真っ先に片付けてしまったのも、無意識に脅威を早く取り除くべく焦った節があったのではないか。

 森蚕もりこは、この感覚に既視感があった。

 強烈に記憶にこびりつく、10年前の翡翠ひすい領地闘技大会の光景。上位領地ランカーに入る寸前まで勝ち上がっていき迎えた試合だ。

 その時の森蚕もりこは対戦相手をひと目見て、根本的に異質だと、次元が違うと恐怖したのだ。

 棄権する以外に、生存を許されないと思わされる何かがあった。



 対戦相手、火巻ほまき凰十おうと



 慈愛に満ちた柔らかな微笑みを浮かべる彼の姿を思い出し、森蚕もりこは震え上がった。

 このフードコートはあの試合場に似通った威圧感があると、森蚕もりこはつい力んで銃のグリップを握り込む。


 ぐにゃりと銃がひしゃげた。グミのような弾力の感触が伝わる。


 森蚕もりこは異常な事象に遭遇し、声にならない悲鳴を上げた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ