第16話 強襲
葛領地『領王』灰兼思がフードコートに姿を現したその時、輝夜は初めて目にした灰兼の姿に目を丸くした。
灰兼はストライプのスーツの上に黒いロングコートを着て、意匠を凝らした銀のネックレスと黒革の手袋を身につけて着こなす風体である。
輝夜は銀色の髪によく似合う服装だと感心していた。
(え……どうしよう。普通に格好良いと思うんだけど)
彼の服装は童顔の輝夜では着こなせないものなので、凄く格好良く見えるし憧れる。あれが世間的にどう駄目なのか本気で分からないと思った。
灰兼の服装に対して、事前に派手だとか彼のセンスを含み笑うようなニュアンスの情報を聞かされていたので、輝夜は自身の感性に疑念が出てきて焦る。
(あ。でも、今日は普段とは違う格好なのかもしれない。お忍びなんだし)
そう結論づけ、灰兼と共にいる氷藤信次に視線を向ける。
薄水色の前髪から覗く白磁の瞳は鋭く光り、篁朝に会うせいか、口をへの字に閉じてどこか不機嫌そうだ。
信次は迷彩柄のジャンパーとVネックの白シャツ、水色のビンテージジーンズに革のブーツという服装だ。更に灰兼と同じように黒革の手袋を身につけていた。輝夜が以前見た彼と少し印象が違う気がする。何が違うのか頭を悩ませ、銀のアクセサリー類を身につけていないのだと気付いた。
実は信次の存在を、輝夜はこのフードコートの階に彼が来る前から仄かに感じていた。信次が、月族の力を宿して輝夜の従者の状態になっているからである。
それは輝夜が引っ越してきて直ぐの出来事による。
百貨店での篁朝の暴走を止めるため、輝夜の中の別人格『かぐや』が信次に月族の力を授けて信次の力を増大させた。それが今も継続した状態なのだ。
輝夜はこのことに罪悪感があった。
(勝手に俺の子分みたいにしちゃって……すみません)
『主上がお気になさらずとも良いのです』
凜とした『かぐや』の声音が、輝夜の内面から聞こえてくる。
『あれは、彼の者が主上の臣下という立場を受け容れ、月族の力を甘受しているからこそ成り立っています。主上があの者にお与えになった月の力は、強制的なものではありません。主上への従属や付与される月族の力を真に厭えば、とうに月の文様は自然と消え失せるものです。そのままあるということは、彼の者の打算――巨大な力を欲し、今は手放したくないと心の奥底から思っているからでしょう』
(俺の力が役立っているなら良いんだけどさ)
輝夜の脳裏を、信次の姉である氷藤信子との思い出が掠める。
少なくとも百貨店の時の輝夜は、信次が彼女の弟とは知らずに力を与えたのだ。今更ながら数奇な縁を感じた。
『では、氷藤信次に私が挨拶をしてきましょう。主上や私を煙たがる素振りを見せれば、主上の力を取り上げて参ります。少々お待ち下さい』
『かぐや』はそう輝夜に告げると、信次に話し掛けに行ったようだった。月の紋様を持つ従属者は、近くにいれば『かぐや』の声が紋様から伝わるらしい。
灰兼一行は、輝夜達の斜め前のテーブルに背を向けて着席する。直ぐにでもこちらに話し掛けてくると思っていたので意表を突かれた。
ひょっとしたら、輝夜と兄の篁朝が変装したせいで分からないのかもしれない。女装したのはまずかったのではないかと心配になってくる。
こちらが何もアクションをしなくて本当にいいのか、輝夜はハラハラとして焦れていたが、ふと、灰兼が篁朝を探す素振りが無いことに気付く。
(あれ。この人、兄貴に会いに来たんだよな……?)
ジリリリリリ!
次の瞬間、ベルの音が響き渡った。
輝夜はびっくりして飛び上がりそうになる。
『館内で火災が発生しました。お客様は速やかに、非常口から外へと避難して下さい。避難の際は慌てず口元に布を当て、煙を吸わないように屈んで歩いて下さい』
頭上のスピーカーから流れたアナウンスで、このベルが火災警報音なのだと知る。慌てて席を立とうとしかけ、テーブルの下で腕を力強く掴まれて立ち上がれなかった。
腕を掴んだのは、隣に座る篁朝だ。篁朝はじっとテーブルの一点を見つめて俯き、頑なに動こうとしなかった。
(兄貴?)
輝夜は動けず、また椅子に座り直した。
「火事……?」
電谷が、眉間に皺を寄せた難しい顔で訝る。電谷も身構えはしたが、篁朝の様子を見て、動かないことにしたようだ。
電牙葦成も座ったままである。それどころか、避難ベルの音が聞こえてないような飄々とした様子で食事を続け、輝夜達が残したピザにも手を出して片付け始めている。
斜め前に座る灰兼達も動かなかった。
そうこうしているうちに、フロアの通路の天井を黒い煙がはい始めた。
輝夜はドキリと鼓動が跳ねる。緊急事態が起こっていると嫌でも自覚し、身体を強張らせた。
フードコート内にいる他の客達は次第に焦った表情で、輝夜達の様子を何度もチラチラと窺う。その顔には「避難しなくていいのか」と困惑が浮かんでいた。
フードコートの店員は、客に偽装した下位領地ランカーに許可を取ってから先に避難していく。
フードコートの白い柱に穴が開き、黄色と黒でペイントされたロボットが現れた。
ロボットは『オ客様方、避難通路ヘ誘導致シマス』と、フードコートに残る人間に向かってフードコート外へと促し始める。
輝夜は促される先を見て不安に駆られた。
(さっきまでそこにいた雷は? どこ行ったんだ!?)
友人の雷秀寿の姿が消えていた。
いつ、いなくなったのだろうか――……
◇◇◇
フードコートの外の通路にいた雷秀寿は、何気なく自分達が上がってきた階段の方に目を凝らす。
黒い煙が静かに上がり、通路へと侵入し始めていたのだ。
(何だ、あの煙……)
真っ先に異変に気付いた秀寿は、フードコート内の食券前近くでたむろする若者の1人に、ここを離れるという合図を手で送る。若者は目の動きで了承の返答をした。
秀寿が階段へ行くと、煙は下の階の階段から漂っていた。
下の階段の床には、煙の発生源の筒が無造作に置かれていた。小さな円柱の筒からもくもくと黒い煙が上がっている。その円柱の筒は一見家庭で使う殺虫剤に似ていた。
ジリリリリ! と遂に火災警報のベルが鳴る。更には天井のスプリンクラーから水が降り注ぐ。階段の白い柱に穴が開き、そこから100センチほどの小さなロボットが出て来て、秀寿の傍へと近寄ってきた。
『オ客様、火元ガ近イデス。今スグコノ階段カラ離レ、反対ノ避難口ヘト避難シテ下サイ』
「いや、これは火事なんかじゃ……」
秀寿は言い掛けた言葉を呑み込む。常に放電状態の秀寿に、ロボットが近寄って来られるはずがない。ましてや頭上から水も撒かれているのだ。
瞬間的に秀寿の胸に強烈な衝撃がある。
突如、彼の意識は真っ暗な闇の中に落とされた。
◇◇◇
フードコートの入り口付近にいた若者達は、煙がフードコート内に入り出した状況に痺れを切らせて立ち上がった。彼らは一般領民に偽装していた藍領地の下位領地ランカー達だ。帰って来ない秀寿の代わりに、周りに避難指示を出して動き出す。
「口元を覆って、ここから避難して下さい!」
何人かは入り口へと動き出すが、それは護衛のためにいた藍領地の下位領地ランカー達だけだった。肝心の護衛対象が動こうとせず、彼らは困惑の表情で輝夜達や灰兼達を見る。
その中の1人、電谷は動く気のない灰兼の背中を一瞥した後、近くで行動に悩んでいた下位領地ランカーの水知千尋に、こちらに来るように手を振った。
水知は目を瞬かせ、自分自身を指差して「え、俺?」と戸惑いながらも傍にやって来る。
「ここの防火シャッターはどうして下りないんだ?」
入り口にいる1人が頭上を仰いで訝った。他のテナントの入り口は、既に緊急用の防火シャッターが下ろされている。彼が足下に纏わり付き出した煙を見たその瞬間、彼の頭は銃弾で撃ち抜かれた。
ドサドサッドサ……ッと、次々とフードコートの入り口で人が倒れる姿を目撃した輝夜は声に出せない悲鳴を上げた。間髪入れずに目の前が水色の世界になる。
ドーム型の水族の水の壁が展開され、灰兼達と輝夜達を包み〝何か〟を止めた。そして黒い煙の侵入も防ぐ。
一瞬篁朝がやったのかと思い、輝夜は篁朝に振り向く。
「よっしゃあああああ!」
水知が、ぐっと握り拳を作って雄叫びを上げる。瞬時にドーム型の水の壁を出して輝夜達と灰兼達を守ったのは水知だった。
氷藤信次がそんな水知に対して、鬱陶しそうな表情で「うるせー」と両耳に指を突っ込み、文句を言う。
だが、感激する水知は臆することなく涙ぐんで喜びに浸っていた。その大袈裟な様子に、葛領地のランカー達は白い目を向けて若干引く。
輝夜は水知が喜ぶ理由を察して、非常時の中、少しほっこりした。
彼は、地下運河で輝夜と共に彷徨っていた輝夜の護衛の1人で、地下運河では、緊急時に動揺して力が全く使えなくなっていたことを、随分と気に病んでいたからだ。
この緊急時に支障なく使えて、本当に嬉しかったのだろう。地下運河での一件は、彼に精神面を成長させる経験にもなったようだ。
(……俺も負けてられないよな。平常心、平常心だ)
輝夜はせめてパニックにならないように何度も心の中で「平常心」と呟くと、深呼吸もして落ち着くように努めた。
心が落ち着いてくると、水の壁の水中に漂う異物に気付き、目が釘付けになる。
異物は先ほどこちらに向けられた〝何か〟だ。その正体は銃弾だった。
また黒い煙の中から銃弾が水の壁に撃ち込まれる。しかし、水知の水の壁はビクともしない。
フードコートは既に黒い煙で満たされ、正常なのは水の壁の内側だけになっていた。
緊迫する状況下で、葦成だけがどこ吹く風である。電谷のコップを奪って中の水を平然と床に捨て、水の壁にコップを近付ける。水の壁を削るように水をすくって、何のためらいもなくその水を口に含んだ。
「飲める!」
そう言って、得意げな笑顔を輝夜に向けてきた。
その非常識さにどう反応をしろというのか。
葦成は固まる輝夜の反応には頓着せず、「意外に硬水系なんだな」と水を味わっている。
水知は自身が出現させた水を飲水として批評されて、ぽかんと口を開けていた。突然の葦成の奇異な行動についていけないのである。
複数の足音が水の壁へと近付く。黒い煙の中から、やつれた風貌の男が現れた。手には輝夜が映画でしか見たことのないような、いかつい大きな黒い銃を握っている。
「だから煙が蔓延するまで、入り口の奴らを始末するなって言ったんだ……っ」
男は苦々しく吐き捨てると、銃口を水の壁越しに灰兼の額へと向ける。
灰兼は無表情で男を見た。低い声音で言う。
「翡翠の『領王』直々に暗殺か。大胆だな」
「……違う。ここにいるのは、9年前の翡翠下位領地ランカーの死体だ」
男は歯を剥いて憎々しげに灰兼を睨み付ける。
灰兼もまた男を睨み付けていた。
男は唸るように怒鳴りつける。
「水岐広早を出せ!!」




