第15話 見えぬ出火 〈氷藤信次視点〉
「まだ、来てないみたいですね」
葛領地『十八位』ランカーの粒島賢がフードコートを見渡して言う。
賢の言葉を聞きながら、同じく葛領地『三十四位』ランカーの氷藤信次は、主を見てゲホッと咳き込んだ。吹き出し掛けたのを誤魔化したのである。
信次が見た葛領地『領王』灰兼思は、あんぐりと口を開けたまぬけな表情で固まっていたのだ。初めて見る顔だった。
(嘘だろ、あの灰兼が。つーか、笑うから止めろ!)
いつも泰然とした態度で澄ました笑みを浮かべているくせに、今はその余裕が欠片もない様子だ。何が原因なのか、動揺を通り越してテンパっている。それが信次はおかしくってならない。おかげで葛領地『十三位』ランカーの粒瓦めぐるに信次がジロリと睨まれてしまう。
灰兼がフードコート内に足を踏み入れる。ギクシャクと動きが硬い。
信次は、ちらりと背後を確認した。
藍領地『二位』ランカーの雷秀寿は、既に離れて通路を見渡している。フードコート内には立ち入らないようだ。
(……ま。順当に考えりゃ、このフロアにいる他の一般客は全員藍領地ランカーだよな)
灰兼は、とあるテーブルの1つに向かった。それは遠目にも目立っていたテーブルの側だった。その斜め後ろのテーブルには眩しいほど華やかな美女と美少女が座っていたのだ。
信次は一瞬彼女達に見惚れて思考が停止してしまう。
そんな女性達を背にして腰掛けた灰兼は、目を泳がせながら声を潜める。
「ひ、酷い美人だな……」
(オイ、こんな時に女の品評かよ! 何でキョドってんだコイツ……)
今、背後の女性達の感想を述べる必要はあったのか。時と場所を考えろと、信次はうろんげな視線を灰兼に向けた。
ふと、信次は美女達のテーブルにともに座る1人の男に目が止まる。男の正体にいち早く気付き、目を剥いた。
(殺人鬼〝電牙葦成〟!? どうしてここにいるんだ!?)
表情を強張らせた信次に、葦成が「ん?」と顔を向ける。信次は目が合う前に不自然にならない動作で顔を逸らした。
電牙葦成は、中央大陸では有名な通り魔殺人の指名手配犯だ。
信次は事前に葛領地の電脳技術屋の電徳遙一から、藍領地の電脳技術屋が葦成の情報を集めていたので藍領地に潜伏している、という情報を受けていた。
それとは別に、以前見た葛領地の報道で顔を見知ってはいたのだ。
しかし、葛領地ではあまり大々的なニュースとして葦成の事件を扱っていなかった。葛領地民の通り魔殺人犯への関心は薄い。「他領地の人殺しが何だ、葛領地で犯罪を起こしてから警戒報道をしろ! 戦時中だぞ!」という世論だったのだ。
闘技大会の参加が全領民強制の葛領地は、全領民が領地ランカー化していて、一般領民は存在しない。
そして、全領民が一兵士として戦争に駆り出される。信次が工作員ランカーに志願したのは、その一兵士になるのが嫌だったからだ。
信次の性格上、他人の命令に従い、周りに合わせて行動を取る軍隊は性に合わない。何も考えずに動くだけの方が気楽でいいという人間も多いが、信次はそうではなかった。ある程度、自分の指針で動ける立場でないと息が詰まる。
信次は手袋をする右手を左手で触り、はっとする。右手に刻まれた月の文様が光っていると思う。不思議なことに、革手袋の下で見えなくても右手の変化が信次には分かったのだ。
(水岐広早の弟がいる)
信次は視線だけを動かし、かの少年の姿を探した。
だが、見つからない。
『久しいな。主上の臣下、氷藤信次』
突然頭の中に声が響く。信次は目を瞠った。
『無知を認め、姉の真実を受け容れたか?』
覚えのある『かぐや』の声がどこからか聞こえてくる。姿は見えない。周りの人間にはその声すら聞こえないようだった。
信次は、どうやって話し掛ければいいんだ? と思いつつ、心の中で『かぐや』の存在を意識して喋り掛けるように言葉を考える。
(……まだ氷族の族長には会えてねぇし、姉ちゃんのことは、よく分かんね)
『そうか。貴様も苦労をしているな。電牙葦成には、このまま気付かぬ振りをしろ』
(は? どういうことだ?)
『この愚かな電牙葦成なる者は、宙地原族だ。他種族では認識が出来ぬことになっている力を持つ。実際その力は、機械族と月族の支配下に置かれた強化者には認識阻害が効かないという弱点がある。まだそれすら熟知していないで不遜な態度を取る痴れ者なのだ』
(なっ、宙地は……!?)
驚愕の声を上げそうになり、信次は慌てて耐える。1度ゆっくりと息を吐き出して、頭を冷やした。
(電牙葦成が皇族って。マジ信じられねー……。ってか、月族のお前……っと、『かぐや』殿下? だったか。何かズイブンとキレてんのな)
『――この賢しい宙地原族が腹立たしいのだ。主上とさも対等であるかのような口をきき、机上の空論を騙る。多少歴史書を読み、知った風な口を利くが、まだ真の知恵者たりえない。所詮は浅知恵の域を出ないのだから』
(ふーん、水岐広早の弟に……)
『主上であらせられる』
(あ? えーと、何つったけ……水城、テルヤスー……殿下でいいか?)
『我らが主だ、主上と』
(シュジョウ。やっぱりこのモールのどっかにいるのか)
『ああ。……しかし、忌々しい宙地原族の若造だ。教育が必要なのは貴様の方だろうに。あの者に新たな皇族御三家を作るのは不可能だ。後見につく他種族の族長を、最低でも3人は揃えられなければ実現しない夢物語を主上に吹き込むとは――…』
苦々しい呟きを最後に、『かぐや』の声は掻き消えた。
(他種族の族長3人? よく分からねぇけど、電牙葦成が味方にするって話か? 無理くせぇ。誰がまともに犯罪者の話を聞くんだっての)
「シンちゃん、どったの?」
幼馴染みの賢が、黙り込む信次に小声で尋ねた。
信次は「何でもない」と首を横に振り、他のテーブルを見る。先ほどまでは分からなかった〝主上〟がどこにいるのか、信次は直感で把握出来るようになっていた。
知った途端、思わず引き攣った半笑い顔になる。
(……ってことは、まさか隣の美女が水岐広早か!?)
信次は渋面で彼らを食い入るように見つめた。灰兼のことをもう笑えない。
そこで、信次はあることに思い至る。
(待て。灰兼は、こいつらが誰かひと目で分かったってことか?)
顔を知っていても別人に見える化けっぷりだ。しかも、先ほど信次に話し掛けてきた『かぐや』が、月の文様を宿す信次にも直ぐには分からないように力で隠していたようだった。
なのに灰兼はよく一目で気付けたなと、信次が素直に感心した、その時。
ジリリリリリリリ!
耳障りな警報音が館内に鳴り響いた。
◇◇◇
豪華客船の一室。廊下から騒ぎの声とバタバタと走り回る足音が聞こえ始め、葛領地『四位』ランカーの霧原雹は読んでいた文庫小説のページを閉じた。
「電徳。次元空間に避難なさい。もしもに備え、24時間は戻ってこないこと」
「え、はい、あの……」
「次元空間内の部屋は、この船に繋げたままで大丈夫でしょう。彼らも領地に帰る足は必要ですから沈めはしませんよ」
「でも、族長は」
遙一は、手枷を填められた状態の電脳族族長、電拳剣の顔を何度も見て戸惑っていた。
霧原が「電徳」と静かな声音で再度促す。
遙一はビクリと身体を震わせ、霧原に従って次元空間に姿を消した。
剣は紫電の瞳を眇めて頬杖をつき、そんなやり取りを他人事のように眺めている。
霧原は次いで、共に部屋に待機していた葛領地『二十五位』ランカーの灰紋望に指示を出す。
「灰紋は獣和さんの護衛について下さい。必ずお守りするように」
「はい」
灰紋が静かに客室を出て直ぐ、扉の隙間から白い煙が侵入し始めた。
それから慌ただしい足音とともに扉が乱暴に開かれる。駆け込んで来たのは船員の従業員だ。
「火災です! 一旦船から降りて下さい!」
霧原は身を引き締め、険しい表情で立ち上がった。




