第8話 水城家への招待状 【前編】
――『かぐや』が初めて生まれたのは、3000年前。輝夜皇女の葬儀だったという。
輝夜皇女の弟の中で生まれた『かぐや』に、『かぐや』と名付けたのはその弟本人だったらしい。
彼は月族族長の重圧と亡き姉への後ろめたさに苦しみ、『かぐや』という人格を生み出す弱さがあったが、とても豪胆で義憤に駆られる熱い人でもあったと『かぐや』は言う。
電牙葦成が見せた歴史書には記されていなかったが輝夜皇女と姉弟仲は非常に良く、姉を慕う彼は、病弱な姉にまるで早く死ぬことを義務づけるような〝輝夜〟という名付けをした皇族一族を酷く恨んでいたそうだ。
そして自らの意志で1年間計画を練り、太陽族と宙地原族の暗殺を謀る。彼はそれこそが輝夜皇女に報いる唯一の手段だと信じていた。『かぐや』はそのために彼女が与えてくれた力だったと。
『かぐや』は確かに、疎まれる月族の皇子の助けになるために輝夜皇女の願いの力で生まれた存在なのだと、輝夜に訴えた――……
『かぐや』に対しては、まだ輝夜の中にわだかまりが残っているが、道すがら『かぐや』が少しずつ自身の持つ記憶の話をしてくれることで、段々と『かぐや』に安心感を持ち始めていた。足取り軽く家に着く。
すると、水城家の向かいである獣櫛涼柁の家の門の前に、2足歩行の犬が立っていた。全体的には薄小麦色の毛並みで口元辺りが白い毛色。犬種で言えば柴犬、いや、秋田犬だ。愛らしい姿だが、怒ると恐そうなどっしりとした迫力がある。
(わ……。桔梗領地の獣族の人だ)
あらかじめ涼柁から他領地からの来客があるとは知らされていた。輝夜は失礼にならない程度に会釈をして、緊張しながら前を通り過ぎ、自宅の玄関前へ行く。
護衛の刃佐間は水城家の敷地内には入らず、道路左右を注意深く見渡していた。
「雷様は門の付近に留まっての警護だったのだろうか?」
「は、はい。家の中でもいいって言ったんだけど、物を壊してしまうからって。色部さんも同じ場所で」
秀寿が輝夜の護衛から外れてから、輝夜が自宅にいる間の護衛は藍領地『六位』ランカーの色部直晃という青年が行っている。
早退してきたため、まだ色部と刃佐間の交代時間がきていないのだ。なので刃佐間は、初めて自宅での護衛を担当することになった。
「すまない。私はどうも一所に留まるのは性に合わないのだ。身体を動かしていないと、いざという時の刃も鈍る。周囲を巡回していてもいいか?」
「大丈夫です。そもそも家には兄貴がいるし」
「では不審な輩がいれば直ぐさま駆けつけ、我が一閃にてその胴体を分離してみせよう」
(恐っ!)
刃佐間は自信満々に目を閉じて1人頷く。グロテスクな光景を想像して青くなる輝夜を置いて、彼は水城家から離れていった。離れると言ってもこの区画を巡回してくれるのだが。
輝夜は疲れた溜息を零し、玄関の鍵を制服のポケットから取り出す。
不意に背後から視線を感じて、輝夜は振り返る。
寡黙な秋田犬がこちらを見ていた。
目が合ってしまった輝夜は、とりあえず「こ、こんにちは」とぎこちなく挨拶をする。
秋田犬は静かに頭を下げた。
背筋を伸ばした綺麗なお辞儀に輝夜の目が止まる。
「初めまして、獣伏武と申す者なん。そちらは水族族長のご実家であらせられるん? 貴方は族長のご子息様では?」
「え!? い、いや違います……」
「しかし、護衛がついておられるん。隠さなくてもいいのであるん」
輝夜は戸惑った。月族だと言う訳にもいかないので否定もしづらい。
実際、獣伏の横にいる水族の下位領地ランカーは2人を交互に見て慌てている。彼は輝夜とともに地下に閉じ込められた水雲という名の人だったと思う。
(でも兄貴は次期族長に望まれているんだから、全然間違いでもない……か)
獣伏は耳をそよがせる。輝夜の沈黙を肯定と受け取った。
「涼柁様は、族長のご実家と同じ待遇を受けられておるようなん。虐げられることもないご様子にこちらはとても安心しておるん。礼を申し上げたいん。ご家族の方にどうか謝辞を伝えて欲しいん」
「わ、分かりました」
(……後で、透兄に連絡して言っておこう)
輝夜の返答に視界の隅で水雲が胸を撫で下ろしていた。どう説明するか妙案が浮かばなかったようで、微かに輝夜へ頭を下げる。
ガチャッ。
涼柁の家の扉が開き、藍領地の軍服を着た青年が喋りながら出て来た。
「水雲殿。この携帯端末なんだが、さっきから電話が出来ないんじゃ。私がどこか間違ったところを触ったらしい。直せるかのう?」
「時蔵様!」
水雲はぎょっと目を剥き、悲鳴のような声を上げた。
輝夜はこの青年を初めて見る。
(トキクラ……。あ! 階級順位表の『四位』だ! 前に雷が俺の予備の護衛役にいるって言っていた人。でも結局1度も会わなかったけど)
藍領地『四位』ランカー、時蔵石斗。突然変異種族の刻族である。若い見た目に反して結構高齢な方らしい。今は輝夜の護衛役ではないと聞いている。
護衛役を外れて初めて顔を合わせるなんて、輝夜と時蔵はあまり縁というものが無いのかもしれない。
「けけけけ携帯ですか!?」
水雲が凄い勢いでどもりまくる。
獣伏が耳を傾けて、隣の水雲の様子を不審げに警戒する。
「おや」
時蔵の視線は水雲を素通りし、輝夜を見た。
目が合った輝夜は勢いで会釈する。何だか先ほどから挨拶ばかりだ。早く家の中に入らなければと内心焦っていると、時蔵がにへらっと締まりのない笑顔になった。
(!?)
輝夜は突然親しみの籠もった笑みを向けられて困惑する。
(えっ、何? 初対面だよな……?)
とりあえず当たり障りのないように軽く笑みを浮かべて、身体の影でさっと鍵を鍵穴に差し込んで回す。扉の取っ手を素早く引くが、ガチャッという無機質な音がした。
(あれ!? 鍵、開いてた!?)
何だか恥ずかしくなった輝夜は直ぐに鍵をまた回し、逃げるように家の中に入った。
はあっと溜息を吐く。父の朧が顔を出した。
「お帰りなさい、輝夜。随分早かったんだね」
「ただいま。父さんこそ仕事は?」
輝夜は朧が昼間に家に居ることに驚いた。今朝、背広を着て出掛けていたのでいつも通りに会社へ行ったと思っていたのだ。
「今日からしばらく休暇だよ。他領地の方が来ているから、水族本家から自宅待機を求められたんだ」
「じゃあ、朝はどこに行ってたの?」
「港だよ。初めて市場に行ったのだけど、魚だけを卸している場所じゃなかったんだね。知らなかったよ」
「市場か、良いなぁ。俺もいつか行ってみたい。でも父さん、どうして突然市場に?」
「近くに寄る用事があったからね」
「ふーん。あ、父さん! 今、涼柁さんの家に『四位』の時蔵って人がいてさ。何故か俺、笑い掛けられて……」
輝夜は低い背丈と童顔のせいか、昔から見知らぬ不審な輩に絡まれやすい。ニタニタ笑顔を向けられると、まず悪い好意を想定して身構えずにはいられないのだ。
輝夜の渋面に朧はくすりと柔らかく笑った。
「輝夜に書道や礼儀作法を教えて下さっている、由理様の旦那様だよ」
「由理先生の!?」
「きっと由理様から輝夜のことを聞いてらっしゃるのだろう」
「あ……。それであんなに親しげに……」
輝夜も初対面だった機國仁芸に、敦美の弟だというだけで親しげに話し掛けた記憶がある。親しい人の身内は、知り合っていないならただの他人でしかないはずなのだが、妙に気軽に接することが出来たりする。
「輝夜。リビングに大判焼きがあるよ」
「大判焼き! 市場で売ってたの?」
「いや、帰路で砂岳さんに偶然お会いして――。砂岳さんというのは、少し前まで私の護衛をしてくれていた藍領地ランカーの方なんだ。その砂岳さんから大判焼きをいただいたんだよ。もう護衛が出来なくなって申し訳ないと、随分私を気に掛けて下さっていた」
「じゃあ父さん、今は護衛いないんだ。危なくない……?」
「元々必要ないよ。多少の護身術は嗜んでいるし、私に月族としての価値は無いから誰にも狙われはしないんだよ。あの護衛は水名族長の気遣いだね。皇族のように扱ってもらえたのは嬉しかったよ」
卑屈でもなく自分自身に価値がないと淡泊に言い切る父の姿に、輝夜は悲しくなった。
(俺、そんな風に父さんのことを扱う皇族御三家って人達が嫌いだ。多分一生好きになれない)
輝夜は自身がその一員に数えられることに違和感を覚えていた。電牙葦成の話や『かぐや』の話からも、好意的に見られる要素が無いのだ。
朧に促されて輝夜は制服から私服に着替えてから、リビングに大判焼きを食べに行く。
リビングにいる篁朝は、縁側の隅っこで甲斐とひなたぼっこをしていた。
その姿を見ながら輝夜は大判焼きの箱を開ける。大判焼きは小刻みにバラバラにされて無残な姿となっていた。輝夜は目が点になる。
「大判焼き、ぐしゃぐしゃ……っていうか、サイコロ状に切っているのは一体……」
「ああ。砂岳さんが目の前で鬼食い役をやって下さって」
「オニクイ?」
ピンポーン。インターフォンが鳴った。
朧と輝夜は顔を見合わせる。
「? 刃佐間さんかな?」
「護衛の方だろうね。私が出るよ」
「あ」
輝夜が止める前に、朧がさっとリビングから出て行ってしまった。母の紬に、朧に何かさせるなんてとんでもないと怒られるとは思ったが、今は紬がいないのでバレなければ大丈夫だろうとタカをくくる。
大判焼きをひとかけら摘まんで口に運んだ。あんこの甘さも丁度良くて美味しかった。これはがっつり食べたいと思った輝夜は、朧に甘い声でねだりながら玄関に顔を出す。
「父さーん。俺、2個ぐらい貰っていいー?」
「輝夜。篁朝にお客様だから呼んできてくれないかい」
「おきゃ……」
輝夜は客の顔に固まった。頭の中が真っ白になる。
「やっほーですよ、てるやん。お邪魔しますデース」
からりと笑う電谷の隣には、藍領地の最高位の軍服を羽織った敦美が無表情で立っていた。美しい漆黒の双眸が輝夜へと向けられている。
(機 國 さ ん ……!!)
声なき悲鳴を叫んだ輝夜は、ばっとリビングに逃げ込む。
心臓がバクバクと激しく波打っていた。家族用の甘ったれた発言を聞かれた羞恥心で真っ赤になった顔を手で覆う。最悪である。最高に格好悪いところを見られてしまった。
――ああ、今すぐ時間を戻せるなら戻したい……っ!




