第7話 独りぼっちの皇族さま
11月12日。黒板に書かれた日付を輝夜はぼんやりと見つめていた。教室の喧噪の中、1人教室の隅の席で居心地の悪さを感じる。輝夜の護衛から『二位』雷秀寿が外れてからこの1週間、電谷も学校を欠席し、輝夜は教室で話をする相手がいなくなっていた。
(俺、本当に雷とやっくん以外の友達いないんだよな……)
転校するたびにリセットされる友人関係。それに慣れきっていたせいか、輝夜は自分から積極的に友人を作ったことがない。転校生と言える時期なら向こうから話し掛けてくれていただろうけど、今はその時期もとうに過ぎ去っている。輝夜は遠い目で曇り空を眺めるばかりだ。
休み時間をどうにかやり過ごし、お昼はいつも中庭で食べていた。
ひょっとしたら、電谷や機國敦美が中庭に現れるのではと期待半分である。教室で1人で食べるのが、いたたまれないせいも過分にある。日が経つごとに、いたたまれない理由の方が心の大半を占めるようになりつつあるので結構なつらさを感じていた。
今日も中庭に向かうために輝夜は教室を出る。
すると、扉の傍にいる藍領地軍服の筋肉質な成人男性にドキッと驚いた。
藍領地『五位』ランカーの刃佐間逍遙は、最近ずっと輝夜の護衛をしている人だ。
銀鼠色の短髪に切れ長の藤紫色の双眸。どうしても似た髪と色の電脳族族長の電拳剣を彷彿とさせ、彼がいると錯覚して毎回驚いてしまうのだ。
輝夜は毎度驚く態度を取ってしまうことが気まずくて、直ぐに彼に頭を下げる。
刃佐間は寡黙に頷くと、腕を組んだまま微動だにしない。無口なのか、それとも仕事中だから喋らないのか。とにかく実直な人だと輝夜は思う。
昼食を食べ終わると、足取り重く中庭から撤退する。輝夜は教室の扉に手を掛けたところで教室内から聞こえる声にその動きを止めた。
「水城って、何であんなに特別扱いされてるんだって話だよな。理由分かんねぇし、ぶっちゃけ恐いわ、話し掛けるの」
輝夜はクラスメイトの声に固まった。冷水を頭から浴びせられた心地がする。さっと顔色が青くなった。
(……俺、怖がられてる……)
指先が震える。突然、教室の扉を開けるのが酷く恐ろしくなった。
「水族の子に訊いてもだんまりだもんね。多分、亡命した他領地の上位領地ランカーでしょ……。だからうちの上位領地ランカーの監視がいつもついてるもんね」
「転校初日、髪の色とか染めてたし。一体何やらかして藍領地に逃亡してきたんだかね」
「あの顔で犯罪系かよ。ヤバ」
「見た目じゃ分かんないよ、犯罪者ってやっぱさ」
――それは、今まで輝夜が聞いたことのある悪口とは質が違っていた。扉から漏れるのは笑い声すらない陰口で、彼らが本気で輝夜を薄気味悪く思っている感情が伝わってくる。
輝夜は一歩、また一歩と扉から後退った。扉から離れ、柱の陰へ。気付けば壁に身体を寄りかかっていた。
息苦しい。心臓が不自然にドクンドクンと早鐘を打ち続けて、不安がどんどんと身体全体を重く蝕んでいくようだった。無意識に『かぐや』の名を呼びそうになり、輝夜はきつく目を閉じて懸命に堪えた。
ふと輝夜の横に人影が立つ。だが、輝夜は顔を上げることが出来なかった。
「具合が悪いようだな」
刃佐間の低い声が頭の上から聞こえた。彼はそれだけ呟くと身を翻す。
教室へと向かい、扉をスパンッと全壊した。そのけたたましい強烈な音に、教室内に居た生徒達は身体を飛び上がらせて目を剥いた。
突然の惨事に教室内は一瞬にして静まり返る。
そんな中、刃佐間は開けただけで壊れた扉を一瞥してから涼しい顔で輝夜の席へと向かい、机の中の教科書や筆記道具を輝夜の鞄へ詰め込むと、誰に向けて言うでも無くキリッとした顔で一言告げる。
「早退する」
「……は、はい……っ」
応えたのは、刃佐間とともに輝夜の護衛に付いていた水族の下位領地ランカーだった。刃佐間の行動に驚愕し、真っ青になりながらも、慌てて職員室へと走り出す。
教室内に居た誰もが金縛りに遭ったかのように身動きが出来なかった。刃佐間達が退出した後もしばらくその状態は続き、チャイムの音が嫌に大きく教室内で響き渡っていた。
輝夜は目の間に差し出された自分の鞄を呆然としながら受け取る。
刃佐間は眉間に皺を寄せた小難しい表情で慇懃に切り出した。
「悪いが今日はここまでだ。他領地の客人が来ている頃合い……。早々に貴殿を家に送り届けて万全にしておきたい」
刃佐間は、輝夜が教室へ向かわなくていい理由をわざわざ作ってくれたのだと直ぐに分かった。輝夜は素直に刃佐間の気遣いを受ける。頷いて、先導する彼の後をついて家路に着くことにした。
逃げるように校門を出る行為がとても後ろめたかったが、校舎が見えなくなるまで離れると、ほっと安堵している自分がいるのを輝夜は自覚する。
(……いつの間に、こんなに弱くなったんだろう)
多少の陰口やいじめを乗り切れる自信が輝夜にはあった。今まで転校生を歓迎する教室だけでなく、異物として嫌がらせをする教室も経験していたからだ。
そして輝夜は、いじめにもめげずに頑張って学校生活を送れる人間だったはずなのである。だが、今の輝夜にはその心の強さがまるでない。
そもそも、その強さは本当にあったのだろうか。
家族と逃げ回り、引っ越しをしていた時は気を張っていた。だから輝夜は耐えられていただけだったのかもしれない。その緊張感が消えた今、輝夜はこんなにも弱く腑抜けてしまっている。
さっきは、ただただ悪口が恐かった。皆に嫌われたくない。あの教室では普通に過ごしたいと切望していた。
(――だってあそこは機國さんのいる教室なんだ……!)
輝夜にとって、あの藍白高校2年1組の教室は特別な場所だ。大切で特別な地位にいる好きな女の子と普通の高校生同士として過ごせる場所――……
しかし、輝夜のことを先ほど教室で話していたクラスメイト達への誤解が解けるとは思えない。自分は皇族だなんて反論する訳にはいかないのだ。
(せめて、陰口を言われていても動揺しないようにならないと)
意気込みながら、ふうと息を吐き出す。頭の片隅で『かぐや』がいたら、また自分の動揺具合も違ったのかもしれないと思った。
輝夜自身の弱さが生み出したはずの『かぐや』という人格。別人格の『かぐや』に、輝夜は少し前まで全幅の信頼を置いていた。彼は、ただ輝夜が現実から逃げ出すために人格を変わるのではなく、輝夜の意向に添い、支えてくれて苦難な現実を打開するための力を貸してくれていたのだ。
輝夜の弱さを、輝夜の代わりに強さに変換していた。
しかし、『かぐや』が輝夜の身体を乗っ取るために力を貸していた可能性を輝夜は知った。それからは『かぐや』を信頼出来なくなっている。
輝夜は、不意に疑問が湧いた。
(あれ……。『かぐや』って勝手に俺と入れ替われる力があるよな……? 何で今、それをしてないんだ……? 俺の身体を奪うならいつでも出来――)
輝夜は思い当たった考えに目を瞠った。
(〝俺の身体を乗っ取るのが目的じゃない〟……のか……? 本当に……?)
いくら自身の心の中で反芻しても正解は分からない。輝夜は緊張しながら軽く深呼吸し、勇気を出して当人に問いかけた。
(……『かぐや』。話したいことがあるんだ)
『主上。お声が掛かるのをお待ちしておりました』
打てば響くように即座に返ってきた応えに、輝夜は胸の奥に込み上げてくる熱い想いがある。たった2週間話さなかっただけで、『かぐや』の存在をこれほど自分が懐かしく切望していたとは思いも寄らなかった。
(『かぐや』は俺をどうしたいんだ)
『主上をどうにかしようなどと、臣下の立場で考えたことすらありません』
(「臣下」……。『かぐや』は本当に俺を主だと……主人格だと思っているのか? 俺、どうしても不安で信用出来ないんだ……。『かぐや』は電牙が話してくれた呪いの『かぐや』の話を全然否定してくれなかったじゃないか……!)
その問いに、やはり『かぐや』は黙り込んだ。
輝夜はじれったく歯噛みする。
(ちゃんと答えてくれ。『かぐや』は、呪いの月族の皇子『かぐや』なのか!?)
『……主上は、水城篁朝と人の価値の話をなされていましたね。あの男は言いました。人の価値は本人ではなく、他人が決めるのだと』
(え……?)
『私は価値観のようなもの。他者から呪いと断じられば、呪いに。祝福とされれば、祝福に。本来、答えられないのです。それは私や主上が断定するものではないのですから。
ですが、あえて答えを出すならば、私が祝福と見なされたことは主上の中に生まれた時から1度もありません。御天日凰十『皇帝』陛下も、水城篁朝からも、私は消滅を望まれました。更には主上にすら疎まれた私はまさしく呪い――そのものでしょう』
(誰も望まないから〝呪い〟――……。じゃあ、俺が……俺や他の誰かが『かぐや』の存在を必要としたら)
『祝福と、言われるでしょう。未だかつてそのようにおっしゃった方の記憶は……御神地皇殿下ただお1人。ですが、あの望まれ方は――受け入れてはならないのです……』
『かぐや』は苦しそうに言葉を吐き出す。
〝御神地皇殿下〟という単語に輝夜は震えた。ざわりと鳥肌が立つ。何故か酷く禍々しいものな気がした。
(『かぐや』は何者なんだ……? 俺の想いだけで生まれた存在じゃないよな)
『……はい。主上の『かぐや』として生まれる前は、別の月族の皇子殿下の中で『かぐや』として生まれ、生きていた記憶がございます。かの皇子殿下の苦悩、または苦痛を打開するために生まれ、時には皇子殿下に乞われて自害を手助けしたことすらあるのです。……主上が私を恐れ、厭うのも当然の所行を前世の私はしております』
(『かぐや』……)
輝夜は意識を内へと沈めた。
着いた先は、広大な湖の真ん中にある、丸い石畳の祭壇の精神世界。
以前はずっと夜空だったはずのその世界は、今や雲一つ無い蒼い空と透き通った巨大な白い月が頭上に広がっていた。石の祭壇は湖に軽く沈み、輝夜の足首は水の中だ。祭壇も形を変えている。石畳の中心がくり抜かれ、そこに丸い球体の夜空と月が浮かんでいた。まるで1つの惑星のようである。
輝夜は、すっかり様変わりした風景を呆然と眺める。輝夜の隣に、輝夜によく似た青年『かぐや』が並ぶ。そして輝夜へと跪いた。
「随分……ここ、変わったんだな」
「主上が力を望まれ、覚醒なされたのです」
「俺が……?」
『かぐや』は顔を上げて柔らかく微笑む。
「敦美姫様のお力になりたいと」
「……え……? えっ!?」
一瞬何を言われたのか分からず、ぽかんとした輝夜だったが、言われた言葉の意味に気付き、真っ赤になって慌てた。
「ちょっ、えぇ!! いや、あのちょっと腕力つけたいとかそういう! そういうもっと単純なっ! 俺、瓶の蓋開けるとか、荷物持ちたいとかその程度の意気込みだったんだけど!?」
「主上の想いはしっかりと地に足のついた、立派な動機たり得ると思います」
「いや、大ごと過ぎない!? っていうか俺って本気の月族の力を引き出さなきゃならないと駄目なほど、腕力つけるのって絶望的なのか!?」
「身体能力は遺伝による影響が大きいものですので」
「エエエェェー……」
『かぐや』にそっと目を伏せられて、輝夜は愕然とする。男としては致命的な虚弱さを宣告されてショックを受けた。このまま寝込みそうだ。
しゃがみ込んで顔を伏せた輝夜を『かぐや』が心配そうに見つめる。
顔を隠した輝夜は、ぽつりと呟いた。
「……『かぐや』。俺はやっぱり『かぐや』が恐いよ。知らないうちに身体を使われているんじゃないかってどうしても不安になる……」
震える輝夜の声音に『かぐや』はぐっと力を込めて応えた。
「主上。今後、私は主上に窺うことなく表に出ることは致しません。必ず主上の許可を得ることをここに誓います。今まで勝手な判断で表に出ていたことをお詫び致します。どうか身分不相応な勝手をしていた私をお許し下さい」
少しの間の後、輝夜が小さく頷いた。それから絞り出すような声で『かぐや』に言う。
「……俺の方こそ、一方的に怒って……ごめん」
すうっと輝夜は意識を外に引き戻した。
歩道で立ち止まっていた輝夜を、刃佐間は目を閉じ腕を組んだ姿でじっと待っていてくれていた。
輝夜は慌てて謝る。
「す、すみません。ぼうっとしてて……!」
「構わん。……少し顔色は良くなったようだな」
刃佐間は重々しくそう言って1人頷くと、再び輝夜の前を歩き出した。
心配してくれていた様子に、輝夜は刃佐間が護衛で良かったと思った。
◇◇◇
「あり? てるやんは?」
午後の授業中に突然次元移動で教室に現れた電谷は、空席になっている輝夜の席を見て目を丸くした。
「水城なら早退したぞ」
「早退!? 具合悪いの、てるやん!?」
びっくりして慌てる電谷に、「そうみたいだな」と宙地原史担当の教諭は肯定する。
「ああ、電谷。電脳や携帯が使えなくなっているんだが、いつ復旧する予定なんだ?」
「それは〝『皇帝』のみぞ知る〟!」
「……長引きそうだな」
教諭は面倒くさそうに嘆息する。
電谷が「じゃあ、おうちの方に行かないと」と呟きながら教室を見渡すと、何人かが電谷から気まずげに目を逸らして背を向けた。
(あ?)
妙な雰囲気を察し、電谷は珍しく露骨に眉間に皺を寄せる。
「……せんせぇ。ミズシロ君がいないので、ボクも早退しまぁすぅ!」
「お前は最初からの欠席のままでいいだろう。仕事が残っているなら早く行きなさい」
授業の邪魔だと手を振る教諭に、電谷はビシッと敬礼して次元空間を開く。その前に教室の隅に目が吸い寄せられた。
「あの、先生。教室のドアがありません?」
「……そういうこともあるだろう。刃佐間様だ」
「はい? ハザ様を誰か怒らせたんっすか。命を投げ捨てたいのかな?」
電谷の茶化した揶揄の発言に、「ヒッ!」と悲鳴を何人かが上げた。彼らは真っ青になって顔を見合わせる。ざわつきだした教室に教諭は手を叩いて「静かに! 授業中だ」と生徒を静める。
電谷は訝しげに周りの反応を見てから一旦次元空間を消した。スタスタと歩いて廊下に出て、扉の無い出入り口を繁々と眺める振りをする。
電谷の電脳に着信が入った。相手はクラスメイトの男子生徒で同族の電脳族だ。彼は小声でボソボソと喋る。
『水城なら、昼休みにでかい声で陰口言ってた奴等の悪口聞いて帰ったぞ』
「……。それは最早本人に聞かせている時点で陰口じゃないっすね」
『な。俺も聞いてて護衛もいるのに頭悪いとは思った。藍領地の電脳切ったのって、電拳族長か?』
「多分ねー。最近、殿から連絡無いなぁと思ってたらコレよ」
『まぁ、電脳族には何の影響も無いけどな。自前の電脳有るし。電拳族長に会ったら元気そうだったか教えてくれよ』
「あいよ。で、具体的には、てるやんをどう言ってたのかね?」
『水城が犯罪起こしたヨソの上位領地ランカーって仮説を、まるで真実みたいに話してた』
「キミはそう思わんの?」
電谷の問いに、彼は更に声を潜めて緊張が窺えるほどの真剣な口調で言った。
『……水城、いや、あの方は……月族の皇子殿下だろ……?』
「――何故にそう思います?」
『藍領地でだけ、あの月が2度出てる。丁度その頃に来た転校生。極めつけがあの白い瞳! 水族は青と水色、それに白色の種族色だけどよ、それは髪だけだ。白い瞳の水族なんてこの世に存在しないっての!』
「あ。そういや最近も瞳に1番種族能力値が色として集約されてる説が学会で研究発表されたんだっけー?」
『……まぁ、断定の答えくれなくても良いけどさ。何にしても皇族に近付けているなら、お前ただの変人じゃなかったんだな。本当に凄いよ……。頑張れよな』
「うんむ。何かとっても助かったゼ!」
電谷の応えに彼は軽く笑うと通信を切った。
電谷は聞いた話を頭の中で吟味して首を傾げる。
(てるやんが〝犯罪者の元・上位領地ランカー〟って発想に、何がどうしてなるんだ?)
今なら輝夜の特別扱いを見て、先ほどの彼のように「月族ではないか」という考えに至る方が自然な気がする。
電谷は又聞きした陰口が、とても不自然な断定の仕方をされている奇妙さを感じていた。




