第5話 葛『領王』とゆかいな渡航者
敦美は、腕の中の白い薔薇の花束を無感情に見つめた。
その上に布のような次元空間を出現させ、ふわりと被せると花束を消す。
すると、周りでざわめきと驚きの声が上がる。一部の客人達は、機械族の敦美が電脳族の能力まで使えるとは知らなかったようだ。
敦美は何事も無かったかのように、遙かに背の高い葛領地の灰兼思『領王』を見上げる。
「――そちらは、どうやら無事に自領地に戻ったようで良かったですね」
灰兼の背後に控える粒島賢と氷藤信次に視線を向けながら、ちくりと言う。敦美なりの精一杯の嫌味だ。あまり踏み込んで言うと、こちらが逃亡を許した落ち度の話にもなりかねないので軽く濁す。
ただ彼らも妙な連中だと思う。あの時は既に無罪放免の釈放が決まっていたのに、わざわざ留置所から逃亡し、藍領地を無断で脱出しているのである。工作員ランカーとして何か理由と意味、利益があったのだろうか甚だ疑問だ。
あの逃亡は敦美だけでなく、取引をした灰兼の顔も同時に潰していた。
灰兼は探るように灰色の瞳を細める。
「ああ、確かに。彼らが再び藍領地で失踪しないよう祈るばかりだな。おかげでこちらは体裁を取り繕うのに、苦労をさせられた」
「――……」
(え……? 交渉を無くすために、私達がわざと逃がしたと思っている?)
灰兼の言葉に敦美は訝しんだ。微妙に話が噛み合ってない。いや、認識の齟齬が生まれている。どちらも相手が逃亡を企てたと思っているのだから。
(第3者が絡んでいるんだ。でも一体誰の仕業……)
こう言っては何だが、今の藍領地はフリーの不審者がはびこり過ぎである。敦美の中でも複数人ぱっと浮かぶ。
宙地原族らしい少女、大地族の集団、電牙葦成、その協力者達、電須佐由――……魑魅魍魎の魔境に思えてきて、敦美はそれ以上頭の中で容疑者をリストアップするのを止めた。きりがない。
灰兼が、ちらっと背後の船員スタッフに視線を向ける。
「……こちらは客人を含めて藍領地に泊まるつもりはない。ただ数日の滞在の間、船員スタッフも買い出しなどで藍領地に出入りする。それは了承してくれるな? 身元は保証しよう。何なら調べてくれてもいい」
「――構いません。信用しています」
「ほう、信用」
灰兼が流し目で意味深にほくそ笑む。それから直ぐに、敦美の後方に離れて立つ雷秀寿を見た。
秀寿は苦笑しながら敦美達へと近付く。
「こんにちは、灰兼さん」
「やあ、雷君。世話になるよ。先々月も思ったが本当に大きくなったな」
「灰兼さんもそう言うんですね。何だか親戚のオジさんみたいな口ぶりですよ」
秀寿のその一言で灰兼は突然笑顔を消すと、それまでの印象をガラッと変えるような早口で訥々と話す。
「君は9年前は小学生だったからね。俺達と違って姿が1番変わっているじゃないか。なら俺が年を取っているかどうかではなく、それを話題にするのが自然の流れだ。……ところで、彼はどうかな。出来れば会いたい」
「篁朝さんは家から連れ出せるような状態じゃないですよ」
秀寿の返答に、灰兼は敦美へと顔を向け直す。
「〝水岐広早〟に会う都合をつけて欲しい。病院、ショッピングモール、どこでもいい。偶然鉢合わせたという体裁で場を用意してもらおうか」
「――……」
「灰兼さん、『領王』様に無礼です」
命令口調の灰兼に、秀寿は苦言を入れる。
敦美は秀寿を静かに制して一歩前に出た。
「――その要望に等価するものは何ですか?」
「葛領地の後見だ。大地族を追い出すだろう? 協力しよう」
「――その件の見届けを、以前に大地族と揉めていた葛領地がやるのでは対外的には微妙です」
「ほう、それなりに情報収集能力はあるのか。……では、堅香子領地もつけよう。この後に招待を受けている。交渉は俺が責任を持ってしてやろう。どうだ?」
(堅香子領地――芸術とメディアの中央大陸の領地か。本当なら凄いことだけど)
やはり桔梗領地は、宙地原族と大地族の件では藍領地の味方にはなりえないのだ。ともに入領した桔梗領地の名を出されなかったことで、敦美は桔梗領地との交渉を完全に諦めた。
「――口約束で終わらないならば」
「成立だ」
パチンッと灰兼が手を鳴らす。黒の革手袋をしていて、何故指で音が鳴らせるのか。わざわざ音を仕込んでいるのかと敦美は軽く眉間に皺を寄せた。
灰兼の傍に3人……いや、3匹の2足歩行の動物が来る。桔梗領地の上位ランカー2人と、桔梗領民だ。敦美達に恭しく頭を下げた。
(鰐と犬と兎……)
犬と兎の毛が、もあっと逆立っている。秀寿の静電気の影響だろう。2匹はつぶりそうなほど目を眇めている。秀寿が彼らの苦痛に気付き、すっと後退りして距離を取った。
「桔梗領地の方々は藍領地内では決して人型を取らず、半獣型の姿でお願いします。破られた場合、護衛をまく不穏な動きをしたとして藍領地から全員追放します」
「分かっておるん。此度のご配慮、痛み入るん」
鰐がガラガラ声で応え、呼応して犬と兎も神妙に頷いた。
「私は桔梗の『五位』獣和隠近と申す者なん。こちらは、『六位』獣伏武。その隣は獣羽恵兎であるん。若がご厄介になっていること、申し訳ないん」
敦美は鰐姿で着流しの和装をした獣和隠近と握手し、挨拶をする。そして橙色の着物に紺の袴を着た白い兎姿の獣羽恵兎には、不思議な既視感と親しみを覚えた。
(初めて会うのに懐かしい感じがする。何でだろう……?)
彼らの護衛につく時蔵石斗と水名透が傍にやって来て、彼らに挨拶をし、送迎車へと案内する。
そんな透の背中を見ながら敦美は寂しくなった。
透はいつも敦美の隣で補佐をしてくれていたので、彼がいないとこれほど他領地の『領王』達との会話の取っ掛かりが手探りになるものなのかと、少々疲れも感じていた。
同じ気持ちだったのか、一緒に透の背中を追っていた秀寿と目が合う。秀寿は肩を竦めて苦笑いを返してきた。
「仲が良いんだな」
灰兼は、からかい混じりに秀寿に尋ねる。
秀寿は腰に手を当てて嘆息した。
「これでも9年間、俺はこの藍領地の『領王』代理の職に就いているので」
「それほど彼女は信頼出来る相手か?」
「篁朝さん並には背中を預けられます」
灰兼はピクリと身体を揺らす。敦美を灰色の瞳に映してじっと凝視した。
敦美はそれを無表情で真っ向から受け止める。
「――灰兼『領王』。貴方は獣櫛殿には会わなくてもいいんですか?」
「ああ。ふっ、桔梗の彼らも往生際が悪いだろう? 彼の方を説得出来ると本気で思っているようだよ」
「――獣櫛殿は、まだ次期御大に望まれて……」
「死者の謝罪がないかぎり、彼が御大になることはない。世界の終焉が来たとしてもな。散るだけの望みさ」
灰兼は鼻で笑った。
敦美はその言葉に肩を揺らす。
(謝罪……? いや、それより今――)
敦美の漆黒の双眸は、一瞬動揺に揺れた。灰兼に悟られないように唾をゆっくりと呑み込む。
(〝世界の終焉〟……この、フレーズは)
「今日は、このまま船内に籠もっているよ。彼と会える日取りが決まり次第、こちらに連絡を。ああ、一応君達に謝罪の席を設けようか」
そう言って客船に誘うような手振りをした。
(船内は治外法権で藍領地じゃない。あの中は葛領地だ)
敦美は「――必要ありません。こちらはミサイルを発射しているので」と固辞した。
秀寿も同様に断り、別れの挨拶を交わす。今日は桔梗領地の上位ランカー達の送迎と顔合わせだけとなった。港に集めた下位領地ランカー達は、そのまま港の警備と警護のために残す。
灰兼は、葛領地の他6名を引き連れて船内へと姿を消した。
敦美はそれを確認してから身を翻して歩き出す。素早く電脳で、電谷に連絡を入れた。この胸騒ぎが杞憂であって欲しいと願いつつ、急場で取れる最前策を真っ先に切った。
「――電谷。どんな手段を使っても良い。今直ぐに藍領地内の通信と電脳を停止して。セキュリティを引き上げるだけじゃ駄目」
嫌な予感がする。敦美は乗り込んだ車の中から荘厳な豪華客船を苦々しく睨み付けた。
◇◇◇
「まるで、ままごとだな。あれで要人の護衛を揃えたつもりなのか。これだから闘技大会が強制ではない領地は困る。軍人の少なさは致命的だな。領民が戦いを避けられる選択の自由があるほど、他領地が侵略しやすい穴だらけの軍が出来上がる見本だ」
赤ワインを入れたグラスを揺らしながら、灰兼は足を組んで優雅に豪奢な椅子に腰掛けていた。クツクツと笑いを口元で殺しながら、愉快で堪らないと言った表情になる。
「それで藍領地の現状は? 電拳族長」
ご機嫌な灰兼の前には、窓際に置かれている長椅子に能力封じの手枷を填められた電脳族族長の電拳剣が座らされていた。
剣は嫌悪感も露わに灰兼に悪態をつく。
「三十路のおっさんが、そんな黒歴史な露出で生きていて恥ずかしくないんですかねぇぇぇ?」
「何だ、無能か。衛星を取り上げられたぐらいで藍領地の情報も吸い出せないとはな」
灰兼は余裕の笑みを浮かべて肩を竦め、わざとらしいほど大業な嘆息を零し、ワインを口にした。
剣は舌打ちをして床を何度か踏み鳴らして暴れると、ハアハアと荒い息遣いになる。白銀の前髪の間から紫電の瞳で灰兼を憎々しげにねめ付けた。
「……『領王』と『八位』がフリー配置の司令塔役。葛どもの護衛は『二位』のみ。『三位』と『四位』が桔梗担当。『五位』『六位』が水城家担当。『七位』が藍領地担当。『九位』配置無し。『十位』は負傷で入院中、配置無しだ……死ね!!」
「ちゃんと優秀じゃないか。……合っているか?」
灰兼は促すように顎を上げる。整列していた6名のうち1人が1歩前に出た。
葛領地の電脳族で電脳技術屋として灰兼に重用されているうちの1人、電徳遙一である。
「はい、合ってます。俺も隣で確認しました。嘘は言ってません」
「自分の種族の族長を売るとは随分黒い了見だなぁ、電徳遙一!」
剣がギロッと遙一を睨んだ。
遙一は「うっ」と呻くと気まずげに顔を背ける。
「〝にゃんすけ〟目を逸らすな!」
「リアルでその呼び方は止めてくれよ!!」
「言っておくが、俺のせいで固定パーティーが崩壊したんじゃないからな。お前が調整するか、俺をさっさと切らない優柔不断さのせいだろ。リーダーの癖に人のせいにしやがってっ……」
「うぉおおい!? 俺がそれ恨んでアンタをはめたと思ってんの!? 違げーよ! 葛領地のために決まってんだろ!! 俺そこまでキチったゲーム廃人じゃねーから! つーか捕まえるまでアンタが〝のん〟だったって知らなかったって! ボイスチェンジャーで女声出してネカマやってんじゃねーよっ!!」
「お前に貢がれだした辺りから中の俺は引いていたからな。出会い厨が」
「だっ、誰が……っ! ち、違げーよ!!! そんなんじゃないって!!」
「電徳」
顔を真っ赤にして慌てふためく遙一に、灰兼が呆れた視線を送る。
遙一は口を急いで閉じて元の場所に戻った。だがまだ口元はもごもごと動かし、言いたいことを我慢しているようだ。
灰兼はそれを捨て置き、話を戻す。
「何にせよ、『十位』の闇族が負傷はありがたい。水城家に近付く際、最も懸念材料だった存在だ。何せ、闇族との戦闘の経験がある者が、俺を含めても皆無。知識の無い相手との戦闘は、格下でも倒される可能性を孕んでいる。……いや、格下でない可能性さえあるんだったな。藍領地の上位順位はデタラメらしいじゃないか。その闇族が『領王』クラスだったとしても驚くに値しない」
灰兼はうっとりとグラスを掲げ、灰色の瞳を輝かせる。強敵の存在に喜ぶ姿に、氷藤信次が面倒臭そうに呟く。
「灰兼って実は脳筋だよな」
「こらこら、シンちゃん! 申し訳ありません、灰兼『領王』様」
粒島賢は信次の頭を掴んで強引に頭を下げさせて謝る。
灰兼は口角を上げた。
「構わない粒島。氷藤には堅香子領地で役に立ってもらうからな」
「げ。めんどくせー……」
信次はぼやく。しかし、ふとそこで視線を感じた。気付けば剣がじっと信次を見ていた。目が合った信次は訝しげに片眉を上げる。
灰兼は2人の反応を静観しながら剣の手枷へと目をやった。
「電脳族がこれほど不可思議な種族だったとは、意外な発見だな。能力封じの手枷で封じられるのは次元能力のみか。次元能力で逃げるのを防ぐことは叶ってはいるが、電脳能力が封じられないとは」
「ハア? 何が不思議だ、頭が悪いのかあ? 電脳はお前ら他種族も使っているものだろうが。お・ま・え・らが使えるのに、能力として封じられる訳が無いだろうって、ちょっと考えてワカリマセンかねぇぇ」
剣は煽るように嫌味ったらしくせせら嗤う。
灰兼は気分を害した風でもなく尋ねる。
「藍領地の電脳は、まだ健在か?」
「外で何を蒔いてきたんだか。さっきやっくんが電源引っこ抜いたぞ」
「ほう。対応が早いな。優秀な部類だ」
「やっくんだからな」
「機國『領王』か……。雷君が随分と評価していた」
「いや、やっくんだから」
「族長! アンタの謎の電谷押し恥ずかしいから止めてくれよ!」
「黙れ直結野郎」
「ぶあ!? ちょっ、だ……誰が!! マジふざけんな!!」
怒る遙一を尻目に灰兼は言う。
「電拳族長。〝水岐広早〟と会う日取りが決まり次第、連絡を取ってその子細を知らせてもらおうか。どうせ統制の取れていない藍領地で何日も通信手段を潰す処置が保つ訳がない。復旧後、藍領地の電脳を奪い、利用し給え」
「……誰に連絡だ」
剣が尖った声音で問う。
灰兼は剣が身構えた様子を眺めながら悠然と告げた。
「君のパトロン。大地族の王である宙地原族――御神地皇殿下にだよ」




