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眠る月の皇子  作者: 古波萩子
第2章 けぶる翡翠の亡霊達
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 第3話 兄弟の時間

 輝夜てるやす電谷でんやとおるを見送った後、いつまでも人に心配を掛けては駄目だと意気込んで「よしっ」と気合いを入れる。まずリビングで昼食を取ることにした。

 母のつむぎが事前に茹でてキッチンに置いてくれているパスタを見る。


(この量、2人分だよな。一応兄貴の分も一緒に作ってリビングのテーブルに置いとけばいいか)


 パスタは電子レンジで軽く温め、鍋のミートソースは弱火で煮込む。

 輝夜てるやすの足下では甲斐かいが身体を擦りつけて尻尾をぶんぶんと振り、笑顔で輝夜てるやすの顔を見上げていた。


甲斐かい、邪魔だって。ソファで待ってろよ」


 輝夜てるやすが手振りでソファへと促すが、甲斐かい輝夜てるやすの手が差す方へと1度顔を向けただけで直ぐにまた輝夜てるやすを見上げる。嬉しそうにハッハッと舌を出して口を開けていた。


甲斐かいは食べられないだろ。ほら、お前の大好きな兄貴は向こう」


 甲斐かいは更に輝夜てるやすの足の表の上に身体を乗せて座り込んだ。小さな毛玉のくせに甲斐かいはロボットだから意外と重い。これほど甲斐かい輝夜てるやすに懐いている姿は珍しかった。

 輝夜てるやすは首を捻りながらも、甲斐かいを左足の表の上に乗せて摺り足で運びつつ、リビングのテーブルに水を入れた硝子コップとフォークを2つずつ並べた。パスタの上にミートソースと粉チーズを振って、空にした鍋などはシンクに置き、水につける。


「兄貴、お昼食べよう」

「……ああ」


 特に意識せず声を掛けた形の輝夜てるやすだったが、篁朝たかときの返答に虚を突かれた。

 篁朝たかとき輝夜てるやすの驚愕も気にせず、静かにテーブルへ近寄って輝夜てるやすの正面に座る。

 輝夜てるやすはしばし篁朝たかときの秀麗な顔を呆然と見つめていたが、篁朝たかときがフォークを手にするのを見て、はっと我に返るとフォークをパスタに突っ込んだ。


「おい。言うことがあるだろう」

「え? ……あっ。い、いただきます……っ」

「いただきます」


 手を合わせた後、篁朝たかときがミートソースパスタを食べ始めた。

 輝夜てるやすは目を白黒させながらパスタを口の中に頬張る。口をもぐもぐと動かしつつ、目の前の篁朝たかときの様子を窺った。


(あ、あれ……? 兄貴、何か普通……。それともご飯の時だから意識がまともになってるだけ……?)


 道路や建物液体化後に家に戻ってから自室に引き籠もっていた輝夜てるやすは、3日前から篁朝たかときと一緒に食事をしていないことに気付く。輝夜てるやすの食事はつむぎがわざわざ部屋まで運んでくれていた。

 輝夜てるやすはこっそり上目遣いで篁朝たかときの様子を観察する。


(さっきとおる兄が来ていた時はぼうっとしていたし、治った訳じゃないよな。一時的なものかな)


 以前の薬を使っていた時から、これと似たような瞬間は何度かあった。それだろうと結論づけると、輝夜てるやすはふっと肩の力を抜いて篁朝たかときに話し掛ける。


「そうだ兄貴。ご飯食べたら、またオセロする?」

「あんな無為な物はどうでもいい」

「ムイ? 「どうでもいい」ってもう飽きたの? 早いよ。じゃあ……トランプする?」

「お前の友人に電脳族でんのうぞくがいたな」

「へ? う、うん……?」


(突然、話が飛んだ!)


「どんな奴だ」

「やっくん? 兄貴も百貨店や水族みずぞく本家屋敷で何度か話してるじゃないか。さっきも見舞いに来てくれてたんだよ。兄貴が嫌かなって思って、廊下で待……」

「素性だ。あい領地以外に親しい人間はいるのか? 横の繋がりはどうなっている?」


 輝夜てるやすは眉根を寄せて、不快げにくしゃっと顔を歪めた。


「……何で、俺の友達を詮索するんだよ。兄貴に関係ないだろ……っ」

「本気で言っているのか」

「えっ」


 さらりと靡く青藍の前髪の隙間から輝く藤色の双眸が見える。射貫くような真っ直ぐな視線を受けて、輝夜てるやすはたじろいだ。それから輝夜てるやすは考え無しに発言した自身の言葉を胸中で思い返して俯く。篁朝たかときの言葉を否定したことに後悔した。たどたどしく弁解する。


「……ごめん。兄貴は翡翠ひすい領民に命を狙われてるんだから、気にするのは当然だよな。警戒し過ぎるぐらいが丁度良いのに。

 俺、あい領地に定住出来るようになってから……その、護衛の人がいつもいるし、危機感薄くなっているかもしれない。皇族だって言われても、未だに全然ピンとこないんだ。気が緩んでるのは……言われなくても分かってるつもりなんだけど」


「俺はお前に関係があるから聞いているだけだ。輝夜てるやすは今、気が緩んでいるんじゃない」


 篁朝たかときの声音が柔らかくて、輝夜てるやすは驚いて顔を上げた。

 篁朝たかときの視線は何故か話し相手の輝夜てるやす本人ではなく、密着して伏せをしている甲斐かいに注がれている。

 輝夜てるやすも何となく甲斐かいを見た。

 篁朝たかときは続けて言う。


「お前は、周りを見られる心の余裕が無くなっているんだ」


(確かに……余裕は、無いよ……)


 思いがけず、『かぐや』のことで弱っている本心を暴かれて、不覚にも輝夜てるやすの瞳が潤む。だが、涙が生まれそうになるのを必死に別のことを考えて堪える。幼い子供のように泣くなんて格好がつかない姿を篁朝たかときに晒す訳にはいかない。輝夜てるやすにだって弟の沽券があるのだ。


「兄貴は俺を心配して、やっくんのことを……。俺、そこまで大事にされる資格ってあるのかな……。あい領地に来てからなんて、基本的に周りに迷惑しか掛けてないよ。そんな価値なんてないのに」

輝夜てるやす、資格なんてものはお前が保有していない。お前の価値は他人が決めることであって、お前の考える自身の価値基準は不要であり、存在さえしていない」


 篁朝たかときにスパッと切るように断言されて輝夜てるやすは目が点になった。


「え……。エェー……」

「人間の価値の尺度は、他人に必要とされる数がものを言う。覚えておけ」

「必要とされる……?」

「無駄飯()らいの俺が生かされているのが良い見本だ」


 篁朝たかときが口角を上げて笑い、自身を指差して皮肉る。しかし、ふっと笑みを引っ込め、真剣な眼差しで輝夜てるやすに問う。


「お前は、俺が必要か……?」

「兄貴が!? 必要とかそんなっ! 家族じゃん、当たり前だろ! 変なこと言うなよっ」


 篁朝たかとき輝夜てるやすの返答に笑みを零す。「そうだな」と相づちを打つとパスタを食べるのを再開した。


「おまへぇもともはぁちもともはぁちはからしゅんぱいしてるひゃろ。ひょれがかひぃってひゃつさ」

「兄貴! 頼むから呑み込んでから喋ってくれない!?」


 篁朝たかときの眉目秀麗な顔もそれまでの知的っぽい会話も、全部モゴモゴ喋りで台無しである。輝夜てるやすは呆れながら突っ込みを入れて笑っていた。楽しいと感じる。


(兄貴はいつも通りの兄貴なのに。兄貴とこうやって話すのが久し振りな気がする。変な感じ)


 パスタを呑み込んで水を飲む篁朝たかときに、輝夜てるやすが「噛まなきゃ身体に悪いよ」と苦言をつけると、「お前、母さんみたいなこと言うなよ」と篁朝たかときの文句が返ってくる。たわいない会話なのに打てば響くように、普通に返答があることが何より輝夜てるやすは嬉しかった。


「そういえば、今度兄貴もやっているオンラインゲームを俺もやろうと思うんだ。やっくんと一緒にさ。だから、その時は色々教えてよ」

電須でんすのか? お前どうやって始めるつもりだ」

「えっと、ゲストアカウントとパスワードは貰っているけど」

「携帯端末でDL(ダウンロード)出来るゲームじゃないぞ」

「え!? アプリ系じゃないんだ! でも兄貴達は、それを連絡用に使っていたんだろ? うち、PC(パソコン)なんて無いのにPC用なら不便じゃないか。あれ? じゃあ、どうやって涼柁りょうたさんと連絡取ってたんだ? まさかのネットカフェ!?」

「あの電須でんすがネットカフェから接続を許す訳ないだろう。外出用のチャット専門アプリが別途あるんだ。携帯端末でもゲーム内チャットは出来る。だが新規アカウントキャラ作りとゲームを遊ぶことはPCでしか出来ない」

「チャット専門アプリ!? ……単語だけで凄い。俺が思っているより佐由さよしさん、凄い玄人のゲーム作ってそう」

「駄作」

「ちょっ!? やる前からそんなクソゲー宣言聞きたくなかったよ……!」

「PCを買ってもらえ」

「高いよ……。あ、そうだ。皆が使っているさ、機械を通さずに空中に出す公共の電脳を使うのは?」

「駄目だ。脳を気安く電脳族でんのうぞくに渡すな」


 輝夜てるやすの提案に、鋭く篁朝たかときが否を唱えた。輝夜てるやす電谷でんやから「脳をユーザー登録してリンクさせることで使える」と言われた時に恐いと感じたので、素直に篁朝たかときの言葉に従うことにした。


 それからしばらく、篁朝たかときとだらだらと特に身にもならないことを話していた。



 楽しい時間は長くは続かない。

 つむぎがパート勤めを終えて家に帰って来たので輝夜てるやすは玄関に迎えに出た。リビングに戻ってくると篁朝たかときはまた虚ろな状態になり窓際に座り、甲斐かい篁朝たかときの傍で肉球と腹毛を見せて寝転んでいる。

 輝夜てるやすはその姿に肩を落とす。後から入ってきたつむぎ輝夜てるやすの顔を見て頷いた。


「顔色も良くなったみたいね、てる君」

「兄貴も、今日は凄く良くなってたんだよ」

たか君が?」


 つむぎは「そうは見えないけど……」と篁朝たかときを見て呟く。

 輝夜てるやすは意を決してつむぎに切り出した。


「……母さん。俺、欲しい物があるんだけど」

「何が欲しいの?」

「……PC……」

「……」

「欲しい……。友達と、ゲーム一緒にするって約束していて……。佐由さよしさんのゲームだから、俺も兄貴みたいに緊急用の連絡に使えると思うから……」

てる君、どうしてそんな約束を事前にしたの。いくらすると思っているの? 最近は本当に高いのよ。今はほら、機械を必要としない電脳があるでしょう? 皆あれを使っているじゃない。それじゃ駄目なの?」

「兄貴があれは使うなって言うから」

たか君が!?」


 つむぎはぎょっとして篁朝たかときへと視線を向けた。取り乱し、胸を押さえてオロオロと戸惑う。


「駄目な理由が、きっとあるのよね。まさか翡翠ひすい革命と関係していたりはしないわよね……? どうしましょう!?」

「よく分からないけど」

あい領地の電脳なら大丈夫だと思ったんだけど、甘かったのかしら。おぼろさんに相談するわ。ねぇ、てる君。おぼろさんが駄目って言ったら諦めるのよ、分かった?」

「うん……」



 望みは薄そうだと思った輝夜てるやすだったが、その後(おぼろ)から「今度の休みにでも好きな物を買っておいで」と許可が下りた。

 PCに詳しくない輝夜てるやすは急いで電谷でんやに連絡を取って見繕って欲しいと頼む。電谷でんやは快く請け負ってくれた。



 電谷でんやとおる篁朝たかときと話して不安がかなり消えたのか、その夜輝夜(てるやす)は思い悩むこともなく眠ることが出来た。



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