第1話 電拳剣と氷藤信子との思い出
2つのバドミントンラケットとシャトルを傍の置き、コンクリートの坂道に膝を抱えて輝夜は座っていた。幼くあどけない顔には憂いを帯びた暗い表情が浮かび、じっと坂を下った先の広場で遊ぶ子供達を見つめている。
輝夜が俯くと、輝夜の隣に人影があることに気付く。
「やぁ、かぐやちゃん」
「剣さん」
最近輝夜の家に来るようになった電脳族族長の電拳剣が、笑顔で隣に立っていた。
彼は細身だが程よく筋肉がついた体つきで、白銀の長い前髪から覗く目は刀身のように鋭い紫電の瞳である。ただ顔色は青白く、それが妙にチグハグに見える容姿で、とても電脳族には見えない。
剣は常に白いトレンチコートとタートルネックとパンツ、白い手袋と革靴という全体的に真っ白な服装をしている。そのため、黄緑色のチェック柄のネクタイがよく目立っていた。
以前、暖かい日差しの時に「暑くないの?」と輝夜は訊ねたことがある。
その時そっと袖や首元をめくって剣の普段隠された肌を見せられた。あのドス黒く変色した肌や傷あとを思い出すと、輝夜は震えて恐ろしくなる。いつか輝夜の身体もあのような痣だらけになるかもしれない。
今朝も兄の広早に「何故、防御が出来るくせに攻撃が出せないんだ?」と怒られ、数分間蹴られ続けた右足をさする。今もそこが痛んでいた。
剣が輝夜の隣に腰掛ける。地面に座ると白いコートが汚れるのだが、剣は気にしない。そして、輝夜の傍に置かれたバドミントンラケットに物珍しそうな視線を向ける。
「それで遊ばないの、かぐやちゃん?」
「僕、ひとりだし……」
「ん? これ1人で遊べないのか。何でこんなの買ってもらったんだい?」
「親戚のオジさんが……お兄ちゃんとって……」
「はあぁ!? アイツとぉぉ?!」
輝夜の答えに、剣が嫌悪感も露わに顔を歪めた。輝夜は俯く。剣の苛立つ気配を肌に感じ、輝夜は身体を縮めて小さくなった。
剣はバドミントンラケットを持ち上げると、「ん!」と顎をしゃくりながら1つを輝夜に持つように促す。
輝夜はきょとんとなる。剣はニヤっと猫のような笑みを浮かべた。
「かーぐやちゃん、遊びっまっしょー?」
剣に誘われて恐る恐るバドミントンラケットを受け取って一緒に立ち上がった。
剣はバドミントンラケットを繁々と眺めながら、もう片方の手でシャトルを持つ。
「これ、〝バドミントン〟ってやつだろうなぁ。どうやって遊ぶのか、かぐやちゃんは知っているかい?」
輝夜は首を横に振った。剣も知らないのか、電脳画面を空中に出す。剣がバドミントンの検索を始める前に、凜とした女性の声が割って入った。
「それは、そちらのシャトルを地面に落ちないように交互に打ち合って遊ぶものですよ」
その声の人物――氷藤信子は、柔らかく2人に微笑みを浮かべていた。
彼女は薄水色の髪を後ろでポニーテールにし、最近テレビでCMをしている冒険ファンタジー映画のロゴが入った白いTシャツとピンク色のジーンズというラフな格好をしている。
だが輝夜には、信子は広早と似通った独特な雰囲気があり、近寄りがたい印象があった。
信子は剣と同じく最近輝夜の家にやって来るようになった人間で、初めは御天日凰十『皇帝』のお供だった。
しかし近頃は、御天日凰十『皇帝』が来ずとも輝夜の周りでその姿を見掛ける。輝夜が公園にいると、何故か彼女も公園の隅に居たりするのだ。信子はいつも離れてこちらを見るだけで、話し掛けてきたり遊んでくれたりはしない。
なので、今日突然話しかけられて輝夜はとても驚いた。
剣も目を瞠って驚く。彼は微かに身体を強張らせ、信子に身構えた。
信子は輝夜の正面に来ると跪いて「失礼を」と告げ、そっと輝夜の手からバドミントンラケットを取る。そして剣から距離を取って離れるとシャトルを軽くバドミントンラケットに当て、剣の方へと緩く打ち上げた。
剣は慌ててバドミントンラケットを掲げ、シャトルを打つ。力強く振りかぶってしまい、シャトルは遠方へと飛んでいってしまった。剣は顔を強張らせる。信子の顔色を窺い、身体を震わせて怯えていた。
信子は剣の反応を見て見ぬ振りをしているようで、剣が気に病まないように優しく笑いかけた。
「これがバドミントンの醍醐味です。拾ってまいりますね。電拳様、少々お待ち下さい」
颯爽と身を翻す信子の背を、剣は呆然としながら見送った。
輝夜は剣がそっと肩の力を抜くのが分かった。信子に咎められるのではと、剣は怯えたのだ。輝夜も広早に咎められることが恐ろしいので剣の気持ちが分かる。
「剣さん。あの人ね、きっと怒ったりするこわい人じゃないよ」
「……俺は、電脳族なんだ……底辺の、他種族にとっては塵以下の……」
「でも、怒ってなかったし……」
輝夜は言葉を詰まらせつつ、遠方の信子を見る。
するとシャトルを拾った彼女が、こちらに向かって笑顔で手を振ってきた。輝夜も少し嬉しくなって、遠慮がちにぎこちなく手を振り返す。
カシャンッと、隣でバドミントンラケットが地面に落ちる音がした。振り向くと、剣の姿が忽然と消えている。
信子が輝夜の元に戻って来た。先ほどまでの笑顔は消え、表情を曇らせる。丁寧な態度で輝夜の手にバドミントンラケットを返してきた。
信子は輝夜とバドミントンをするのではなく、ただ剣と話したかったようだ。彼女は先ほどまで剣が立っていた場所を、物憂いげに瞳を揺らしてしばらく見つめ続けていた。
――輝夜が知る限り、剣と信子、2人の個人的な接触は後にも先にもこの1度だけ。
地下運河で、炎乃響華から信子をモデルにしたらしいヒナというロボットを剣が欲しがっていると聞かされ、輝夜は今になって何気なく起こったこの軽いふれあいが、剣にとって非常に重い出来事だったのではないかと思う。
剣と信子の2人に、もっと時間が有れば何かが変わっていたのだろうか。
あの後、大地族と手を組んだ剣が翡翠革命という暴動を翡翠領地で起こす。翡翠上位領地ランカーだった信子は、この時翡翠領民によって処刑された。
果たして、剣が獣櫛涼柁を目の敵にして追い回す理由は、電須佐由を見つけるためだけなのだろうか。
涼柁は翡翠革命時、翡翠上位領地ランカー達を……信子を助けられるすべを持っていながら助けられなかった。涼柁は佐由に緊急連絡の報を妨害されて受け取れなかったのだが、その裏事情を知らないであろう剣には、まるで涼柁が見殺しにしたようにしか思えないのかもしれない。
(でも、それは責任転嫁だよ……)
そもそもの翡翠革命を起こしたのは剣自身だと、輝夜はぼんやりとした頭で思う。
気付けば、深夜3時ごろだった。いつの間にか輝夜は眠っていたようだ。
さっきまで見ていた公園の夢は頭が覚醒してくると脳裏から霧散していく。
輝夜は、地下から機國敦美達に救出されて地上に出てから水族の領地ランカーに保護され、そのまま自宅へ帰った。それから2日間、輝夜は家から一歩も外に出ておらず、人と連絡も取っていない。体調がすぐれないと家族には告げて学校も休んでいた。
ヒヤリとした空気が室内に漂う。ベッドから半身を起こし、足下のスリッパを見た。
強烈な違和感に襲われる。輝夜は、きっちりとスリッパを並べてはいなかったはずだ。
悲鳴を呑み込んで後ずさる。
(『かぐや』っ……!!)
『かぐや』が勝手に輝夜の身体を動かしたのだ。輝夜はぞっとした。
今まで輝夜の意識が無いところで『かぐや』が表に出て来たことはない――……いや、果たして本当にそうなのだろうか。
疑念が輝夜の内から湧いてくる。
(俺の身体を乗っ取る気なんだ……っ。今までだって俺の知らないところで、俺の身体を動かしていたんじゃないか……!?)
疑い出すときりが無く、不安は次第と恐怖に変わってくる。『かぐや』に勝手に動きだされるのではないかと考えると恐くて眠れなくなった。
輝夜は壁に背をつけて両足を抱える。兄の暴力に怯える幼い頃のように、身体を小さくして泣きそうな顔を伏せた。




