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眠る月の皇子  作者: 古波萩子
第2章 けぶる翡翠の亡霊達
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 第1話 電拳剣と氷藤信子との思い出




 2つのバドミントンラケットとシャトルを傍の置き、コンクリートの坂道に膝を抱えて輝夜かぐやは座っていた。幼くあどけない顔には憂いを帯びた暗い表情が浮かび、じっと坂を下った先の広場で遊ぶ子供達を見つめている。

 輝夜かぐやが俯くと、輝夜かぐやの隣に人影があることに気付く。


「やぁ、かぐやちゃん」

つるぎさん」


 最近輝夜(かぐや)の家に来るようになった電脳族でんのうぞく族長の電拳でんつかつるぎが、笑顔で隣に立っていた。


 彼は細身だが程よく筋肉がついた体つきで、白銀の長い前髪から覗く目は刀身のように鋭い紫電の瞳である。ただ顔色は青白く、それが妙にチグハグに見える容姿で、とても電脳族でんのうぞくには見えない。

 つるぎは常に白いトレンチコートとタートルネックとパンツ、白い手袋と革靴という全体的に真っ白な服装をしている。そのため、黄緑色のチェック柄のネクタイがよく目立っていた。


 以前、暖かい日差しの時に「暑くないの?」と輝夜かぐやは訊ねたことがある。

 その時そっと袖や首元をめくってつるぎの普段隠された肌を見せられた。あのドス黒く変色した肌や傷あとを思い出すと、輝夜かぐやは震えて恐ろしくなる。いつか輝夜かぐやの身体もあのような痣だらけになるかもしれない。

 今朝も兄の広早こうさに「何故、防御が出来るくせに攻撃が出せないんだ?」と怒られ、数分間蹴られ続けた右足をさする。今もそこが痛んでいた。


 つるぎ輝夜かぐやの隣に腰掛ける。地面に座ると白いコートが汚れるのだが、つるぎは気にしない。そして、輝夜かぐやの傍に置かれたバドミントンラケットに物珍しそうな視線を向ける。


「それで遊ばないの、かぐやちゃん?」

「僕、ひとりだし……」

「ん? これ1人で遊べないのか。何でこんなの買ってもらったんだい?」

「親戚のオジさんが……お兄ちゃんとって……」

「はあぁ!? アイツとぉぉ?!」


 輝夜かぐやの答えに、つるぎが嫌悪感も露わに顔を歪めた。輝夜かぐやは俯く。つるぎの苛立つ気配を肌に感じ、輝夜かぐやは身体を縮めて小さくなった。

 つるぎはバドミントンラケットを持ち上げると、「ん!」と顎をしゃくりながら1つを輝夜かぐやに持つように促す。

 輝夜かぐやはきょとんとなる。つるぎはニヤっと猫のような笑みを浮かべた。


「かーぐやちゃん、遊びっまっしょー?」


 つるぎに誘われて恐る恐るバドミントンラケットを受け取って一緒に立ち上がった。

 つるぎはバドミントンラケットを繁々と眺めながら、もう片方の手でシャトルを持つ。


「これ、〝バドミントン〟ってやつだろうなぁ。どうやって遊ぶのか、かぐやちゃんは知っているかい?」


 輝夜かぐやは首を横に振った。つるぎも知らないのか、電脳画面を空中に出す。つるぎがバドミントンの検索を始める前に、凜とした女性の声が割って入った。


「それは、そちらのシャトルを地面に落ちないように交互に打ち合って遊ぶものですよ」


 その声の人物――氷藤ひょうどう信子のぶこは、柔らかく2人に微笑みを浮かべていた。


 彼女は薄水色の髪を後ろでポニーテールにし、最近テレビでCMをしている冒険ファンタジー映画のロゴが入った白いTシャツとピンク色のジーンズというラフな格好をしている。

 だが輝夜かぐやには、信子のぶこ広早こうさと似通った独特な雰囲気があり、近寄りがたい印象があった。


 信子のぶこつるぎと同じく最近輝夜(かぐや)の家にやって来るようになった人間で、初めは御天日みあめひ凰十おうと『皇帝』のお供だった。

 しかし近頃は、御天日みあめひ凰十おうと『皇帝』が来ずとも輝夜かぐやの周りでその姿を見掛ける。輝夜かぐやが公園にいると、何故か彼女も公園の隅に居たりするのだ。信子のぶこはいつも離れてこちらを見るだけで、話し掛けてきたり遊んでくれたりはしない。

 なので、今日突然話しかけられて輝夜かぐやはとても驚いた。

 つるぎも目を瞠って驚く。彼は微かに身体を強張らせ、信子のぶこに身構えた。


 信子のぶこ輝夜かぐやの正面に来ると跪いて「失礼を」と告げ、そっと輝夜かぐやの手からバドミントンラケットを取る。そしてつるぎから距離を取って離れるとシャトルを軽くバドミントンラケットに当て、つるぎの方へと緩く打ち上げた。

 つるぎは慌ててバドミントンラケットを掲げ、シャトルを打つ。力強く振りかぶってしまい、シャトルは遠方へと飛んでいってしまった。つるぎは顔を強張らせる。信子のぶこの顔色を窺い、身体を震わせておびえていた。

 信子のぶこつるぎの反応を見て見ぬ振りをしているようで、つるぎが気に病まないように優しく笑いかけた。


「これがバドミントンの醍醐味です。拾ってまいりますね。電拳でんつか様、少々お待ち下さい」


 颯爽と身を翻す信子のぶこの背を、つるぎは呆然としながら見送った。

 輝夜かぐやつるぎがそっと肩の力を抜くのが分かった。信子のぶことがめられるのではと、つるぎは怯えたのだ。輝夜かぐや広早こうさに咎められることが恐ろしいのでつるぎの気持ちが分かる。


つるぎさん。あの人ね、きっと怒ったりするこわい人じゃないよ」

「……俺は、電脳族でんのうぞくなんだ……底辺の、他種族にとってはごみ以下の……」

「でも、怒ってなかったし……」


 輝夜かぐやは言葉を詰まらせつつ、遠方の信子のぶこを見る。

 するとシャトルを拾った彼女が、こちらに向かって笑顔で手を振ってきた。輝夜かぐやも少し嬉しくなって、遠慮がちにぎこちなく手を振り返す。

 カシャンッと、隣でバドミントンラケットが地面に落ちる音がした。振り向くと、つるぎの姿が忽然と消えている。

 信子のぶこ輝夜かぐやの元に戻って来た。先ほどまでの笑顔は消え、表情を曇らせる。丁寧な態度で輝夜かぐやの手にバドミントンラケットを返してきた。

 信子のぶこ輝夜かぐやとバドミントンをするのではなく、ただつるぎと話したかったようだ。彼女は先ほどまでつるぎが立っていた場所を、物憂いげに瞳を揺らしてしばらく見つめ続けていた。





 ――輝夜てるやすが知る限り、つるぎ信子のぶこ、2人の個人的な接触は後にも先にもこの1度だけ。

 地下運河で、炎乃えんの響華きょうかから信子のぶこをモデルにしたらしいヒナというロボットをつるぎが欲しがっていると聞かされ、輝夜てるやすは今になって何気なく起こったこの軽いふれあいが、つるぎにとって非常に重い出来事だったのではないかと思う。


 つるぎ信子のぶこの2人に、もっと時間が有れば何かが変わっていたのだろうか。


 あの後、大地族だいちぞくと手を組んだつるぎ翡翠ひすい革命という暴動を翡翠ひすい領地で起こす。翡翠ひすい上位領地ランカーだった信子のぶこは、この時翡翠(ひすい)領民によって処刑された。


 果たして、つるぎ獣櫛じゅうくし涼柁りょうたを目の敵にして追い回す理由は、電須でんす佐由さよしを見つけるためだけなのだろうか。


 涼柁りょうた翡翠ひすい革命時、翡翠ひすい上位領地ランカー達を……信子のぶこを助けられるすべを持っていながら助けられなかった。涼柁りょうた佐由さよしに緊急連絡の報を妨害されて受け取れなかったのだが、その裏事情を知らないであろうつるぎには、まるで涼柁りょうたが見殺しにしたようにしか思えないのかもしれない。


(でも、それは責任転嫁だよ……)


 そもそもの翡翠ひすい革命を起こしたのはつるぎ自身だと、輝夜てるやすはぼんやりとした頭で思う。

 気付けば、深夜3時ごろだった。いつの間にか輝夜てるやすは眠っていたようだ。

 さっきまで見ていた公園の夢は頭が覚醒してくると脳裏から霧散していく。


 輝夜てるやすは、地下から機國きぐに敦美あつみ達に救出されて地上に出てから水族みずぞくの領地ランカーに保護され、そのまま自宅へ帰った。それから2日間、輝夜てるやすは家から一歩も外に出ておらず、人と連絡も取っていない。体調がすぐれないと家族には告げて学校も休んでいた。


 ヒヤリとした空気が室内に漂う。ベッドから半身を起こし、足下のスリッパを見た。

 強烈な違和感に襲われる。輝夜てるやすは、きっちりとスリッパを並べてはいなかったはずだ。

 悲鳴を呑み込んで後ずさる。


(『かぐや』っ……!!)


 『かぐや』が勝手に輝夜てるやすの身体を動かしたのだ。輝夜てるやすはぞっとした。

 今まで輝夜てるやすの意識が無いところで『かぐや』が表に出て来たことはない――……いや、果たして本当にそうなのだろうか。

 疑念が輝夜てるやすの内から湧いてくる。


(俺の身体を乗っ取る気なんだ……っ。今までだって俺の知らないところで、俺の身体を動かしていたんじゃないか……!?)


 疑い出すときりが無く、不安は次第と恐怖に変わってくる。『かぐや』に勝手に動きだされるのではないかと考えると恐くて眠れなくなった。


 輝夜てるやすは壁に背をつけて両足を抱える。兄の暴力に怯える幼い頃のように、身体を小さくして泣きそうな顔を伏せた。



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