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眠る月の皇子  作者: 古波萩子
『眠る月の皇子』
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第4章 逃げる待ち人、追いつく訪れ人

 喫茶店から黒い煙が天高く上がり、真っ赤な炎に次々と隣接した建造物が呑み込まれていく。

 輝夜てるやすは呆然とその光景に魅入っていた。


「僕のせいかもしれん」

「……え……?」


 隣で神妙な声を出した狼の毛先は少し焼け焦げていた。


「だ、大丈夫ですか!?」

「このぐらい平気なん。僕、こう見えても桔梗ききょうのランカーなんよ。怪我はしとらん? きみに何かあったら、こうちゃんに会わせる顔がないん」

「平気です! 助けていただいてありが……っ」


(〝こうちゃん〟……?)


 その単語に輝夜てるやすは眉を潜めて狼を見た。

 狼の右耳がぴくんと揺れる。


「あっ、まずいん。もうあいのランカーが来るん! 僕、行かんと。じゃあまた今度なん!」

「え!?」


 輝夜てるやすが引き留める間もなく、狼は走り去ってしまった。


「今度って……」


 おかしい。見ず知らずの輝夜てるやすに彼はまた会う気満々な別れの挨拶をしていった。輝夜てるやすをオンラインゲームの友達と勘違いしたなんて話していたが、あれはやはりその場の嘘で、実は最初から輝夜てるやすを知っていたのではないだろうか。


(とっさに俺をかばってくれたし、多分……兄貴の命を狙っている連中とは違う、よな……?)


 輝夜てるやすは狼への警戒心を解き、肩の力を抜いた。


(〝こうちゃん〟ってまさか兄貴のことだった……? 兄貴の知り合いだったんならそう言ってくれよー……!)


 そもそも声を掛けてきた時の演技力に問題を感じた。輝夜てるやすは腕を組んでうなる。

 正直者と言えば聞こえはいいが、兄の知人かもしれないけものぞくは非常に残念な人だ。どうせならこちらに不信感を持たせないぐらいに設定を作り込んでほしい。


(うちの兄貴は命を狙われているんだから、もっとしっかりしてくれないと)


 サイレンの音が近付いてきた。

 遠目に、藍領地の軍服を着た青年が瓦礫がれきを乗り越えてこちらへと向かってくるのが見える。


(やばい、俺も逃げないと素性を聞かれる!)


 輝夜てるやすは大急ぎで身を翻した。その拍子に白い毛玉が地面に落ちているのに気がつく。

 狼の肩に乗っていた、あの白い子猫だ。

 恐る恐る子猫の背中を触る。反応はなかったが心臓は動いているようだった。気を失っているだけだ。

 焦って周りを見渡しても、既に狼の姿はどこにもない。


 輝夜てるやすは背後から迫ってくる人の気配に急かされて、急ぎ子猫をだき抱えると走ってその場から逃げ出した。




                ◇◇◇




 遠くなった駅前の方角を何度も振り返りながら走っていた輝夜てるやすは、ほどなく足を止める。

 くたくただった。立ち止まると、どっと汗が流れ始めて呼吸するのも苦しくなる。たまらずゲホゲホとせき込んだ。

 

「どうした?」


 いきなり背後から肩に手を置かれ、反射的にびくっと体が震えた。警戒しながらゆっくりと振り返る。

 そこには長身で非常に秀麗な顔立ちをした美貌の青年が立ち尽くしていた。

 絹のようにさらさらとした青藍せいらんの髪に、輝くふじ色の双眸。類いまれなる容貌に反して服装は白いワイシャツに灰色のパンツ、安売りのスポーツシューズという飾らない格好だ。


 昔の名前は、〝水岐みずき広早こうさ

 現在の名前は、〝水城みずしろ篁朝たかとき〟――8歳年上の輝夜てるやすの実兄だ。


(びっ、びびった……っ。なんだ兄貴か!)


 一瞬、現場から追いかけてきた藍領地ランカーに声を掛けられたのかと本気でおびえた輝夜てるやすは安堵の息を吐く。

 だが逆に、篁朝たかときは怯えた弟の反応に表情を硬くした。

 突然、周囲に水の壁が出現する。四角い水の箱の中に輝夜てるやす達は閉じ込められた。

 輝夜てるやすはぎょっとする。これは篁朝たかときの力だ。

 運悪く、ちょうど2人の横を通りすぎていた老人も、共に四方八方を囲んだ水の壁の中に閉じ込められて顔色をなくしていた。


(兄貴……!? やばい! さすがに今は俺だけじゃないのに!)


 輝夜てるやすは無関係な老人と、腕の中にいる子猫の安否が心配で焦る。こうして思考している間も目の前で篁朝たかときの表情が段々と消えて目がうつろになっていった。

 先ほどの態度は兄を拒絶したわけではないことを、どう伝えた方が1番効果的なのかと頭を悩ませる。

 輝夜てるやすはわざとらしいほどの笑顔を作り、無邪気な子供っぽさが出るように高く声を張った。


「わあっ、兄貴! ずっと探してたんだよ! 会えて嬉しい!! 早く一緒に帰ろうよっ」


 篁朝たかときの中で輝夜てるやすはいつまでも小さな弟に見えている節があるので、子供っぽく振舞えば振舞うほど兄が安心するのを輝夜てるやすは経験上知っていた。

 隅で顔面蒼白になっている老人の訝しげな視線が突き刺さるが、ぐっと堪える。対岸の火事より目の前の火消しだ。


「……ああ。うん、そうだった。家に帰ろう……輝夜てるやす


 バシャンッ! と水の壁がはじけ、波が引くようにその存在がどこかに消え去った。


(やった!成功!)


 びしょ濡れになった老人は1度足元から土を噴出させて身体を覆い、土が水を吸い込みきると再び地面へと土を落として消す。そしてよたよたと足取り怪しく急いでこの場を去っていった。

 どうやら大地族だいちぞくだったらしい。

 落ち着いた表情を取り戻した篁朝たかときは、淡く慈愛の笑みを輝夜てるやすに注ぐ。

 老若男女を一撃で堕とせるであろう美しい微笑みだが、身内の輝夜てるやすには長年見慣れた兄の顔でしかなく特に何も思わない。

 篁朝たかときの異様なほど端麗な容姿は、父のおぼろ曰く、父の父――輝夜てるやすが会ったことのない祖父に生き写しらしい。

 輝夜てるやすは、ふーっと大業に息を吐き出した。軽く仕事を終えた疲労感を覚える。


(危ないところだった……。こんな街中を水没させるなんてさすがに他種族の人を溺れさせて人死にが出まくるって)


 篁朝たかときは家族のひいき目無しに化け物級の力の保持者なのだ。


 現水族(みずぞく)の族長が、能力で足下にも及ばないという異常事態が起こっており、次期族長候補として篁朝たかときを養子に欲しがっている話は親族内では有名である。平凡な水城みずしろ一家の中で1人だけ次元の違う人間なのだ。

 だがその優秀さに反して、現在の篁朝たかときは強迫観念にも似た家族への偏愛と、重篤な暗所と閉所恐怖症など、日常生活に支障をきたすほどの精神的な重病をたくさんわずらっている。取り扱い注意な人間でもある。

 なので輝夜てるやす篁朝たかときを無視してはならない、怖がってはならない。篁朝たかときを不安にさせる言動を輝夜てるやすがするのは周りを巻き込む災害にもなりうるので一切禁止だ。


「新しい学校に転校おめでとう」

「…へ?」


 何の脈絡もなく、篁朝たかとき輝夜てるやすにコスモスの鉢植えを突き出してきた。

 輝夜てるやす篁朝たかときが後ろ手に何か持っているのは気付いていたが、本当に唐突だと思う。


「何これ。兄貴が花屋で買ったの?」

「病院で貰ったんだよ」

「びょ、病院で鉢植えの花を……。兄貴、喧嘩を売られてんじゃないの。誰に貰ったんだよ」


 病気が根付くと言われ、鉢植えの花は縁起が良くないのだ。科学的に見ても土自体に雑菌が多く、弱っている病人に触らせるのは危険だ。


「よくは知らない奴だが、親切な奴に貰った。元は別の奴に渡す物だったらしいから、大人として礼はその場で返しておいた」

「エェー……」


 色々とつっ込みどころが多くて頭が痛くなる。

 知らない人間なのになんで親切な奴とわかるんだとか、家族以外の人間と本当にまともに会話出来たのかとか、そもそも大人って自覚があったのかとか――様々な言葉が輝夜てるやすの頭の中を駆け巡って、げんなりとした。

 ただ篁朝たかときの機嫌は良いので水を差すのも野暮な気がして、輝夜てるやすは話の粗探しをするのはやめた。


「持てそうにないな」


 篁朝たかとき輝夜てるやすの腕の中の子猫を見て、鉢植えを突き出す手を引っ込めた。それから目を細めて軽く子猫の頭を撫でる。


「兄貴。病院の後はどこ行ってたんだよ」

「ここに来た」

「この辺で何か用事あったの?」

「――ああ。結局どの辺りだったのかわからずに終わったな」


(ひょっとして、あの獣族の人に会いに……?)


「……もしかして、友達と待ち合わせしてた?」

「この世に俺の友人はいない」


 かくも寂しい篁朝たかときの断言が返ってくる。

 輝夜てるやすも転校続きでまともに友人が作れた試しがないので悲しくなった。


(喫茶店の爆発と獣族の人との詳しい話は家でした方がいいよな)


 往来で話し込むような内容ではない。さっきの老人のように通行人を巻き込みかねない事態になっても大変だ。


「……コスモスって、庭に放したら増えるかな」

「どうだろう。母さんに聞いてみないと」

「あ。これ、元は植物族しょくぶつぞくの人への見舞い品だったんじゃない? 確か植物族って切り花だと花の悲鳴が聞こえてダメって話をどこかで聞いたことあるよ」


 そんな取り留めのない話をしながら、兄弟は真っ直ぐ家路についたのだった。

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