最終話 世界の変革を望む者たち
水族本家族長・水名晴樹は、水族本家屋敷の広間の一段高い上座から、下座で手枷をされた水族の隠密衆頭領・水綿海津と、その部下・水乾朱石に渋面を作った。
水乾朱石にはセットで行動を共にする水盈王希という女性がいたはずで、そちらを取り逃している現状に頭を抱える。2人とも拘束しないと意味が無いのだ。同時に動きを封じて水綿に命令の撤回をさせなければ、そのまま片方が頭領の水綿と刺し違えてでもその命令を遂行し続けるのだから。
「水名晴樹族長。貴殿は子息の戦闘教育を怠っているな。あのような腑抜けた性根で藍領地の上位ランカーなぞ務まらん」
幼い子供のような容姿とは裏腹に、水綿は低く渋い声音で尊大に晴樹に告げる。晴樹は冷や汗を掻きながら、「はぁ……」と曖昧な返答を零した。水綿はこれでも晴樹より年上で晴樹が族長になる前から隠密衆頭領なのだから、晴樹は彼に頭が上がらない。
――いや、頭が上がらないのは晴樹だけではない。水族分家もだ。
同じ下座で息子の透の隣に座した、水族分家頭の跡取りである藍領地『八位』ランカーの水瀬英貴が顔色悪く水綿をきつく睨んでいた。
「水綿様はどういうつもりですか……! 外部の人間にっ、よりによってあんな殺人鬼の大地族に地下運河の存在を教えるとは……! 教えたのは貴方だろう!?」
くってかかる英貴を水綿は一瞥し、隣の透を見る。
「水名透は、私に問い質したいことはないのか?」
「……輝夜君を危険に晒したのは何故ですか!?」
透も水綿を眼鏡越しに睨み付ける。水綿はその答えを訊き、目を閉じた。
「腑抜けた性根と称したのは訂正しよう。戦闘には不向きな気性か。水族生来の気質がよく出ているな」
「はぁ……」
「水名晴樹族長、「はぁ」ではない」
「は……も、申し訳ありません」
晴樹は頭を下げながら、どちらが族長か分からないなと頭の隅で考える。バンッ! と拳で畳を乱暴に英貴が叩き、水綿に敬語も忘れて怒鳴り散らした。
「質問に答えろ!!」
水綿は冷ややかな視線を英貴に送る。
水乾が英貴を無視してずいっと前に出た。
「諜報内容を我が主、篁朝様以外の要請で喋る気はありません」
「諜報……。あの電牙葦成という青年は、やはりただの大地族ではないのですか」
晴樹は顎に手をやって考え込む。
苛立った英貴が立ち上がり、「月族本家への謀反行為だぞこれは!!」と吐き捨て乱暴に障子を開け、部屋から出て行った。同じ水族分家の水尾が後に続く。
晴樹は疲れたように嘆息してポリポリと頬を掻いた。
「此度、輝夜様が発揮された力は一体何なのでしょうか。あれは月族の力で合っているのですか? 我々の力に似通っているような……」
「正確には分からん。水城輝夜殿下も、純粋な月族ではなく水族と――あの方々の血を引いておられるからな」
「水綿様。この後、密入領と誘拐、犯罪者幇助の罪で貴方がたを『領王』様に引き渡さなければならないのですが……」
すくっと水綿と水乾は立ち上がり、容易く手枷を外す。「ああ……」と晴樹は頭を振って呻いた。透が身構えるのを、晴樹は「よせ」と手を振って制す。水綿達は堂々と障子を開けて立ち去った。
「父上……っ」
「すまん、透。『領王』様と雷様に何とか取りなしてくれないか。水知君、『領王』様の弟君が作られたヒナというロボットを液体化から救ったそうだな。よくやった。……透、この件を交渉材料にするといい」
水知は「意識を取り戻した後、無我夢中でパニックを起こして力を使っていただけですけど」と照れていた。水雲がにへらと笑いながら「やるじゃーん」と脇を肘で小突く。ジロリと透に2人は冷たく睨まれ、慌てて俯いた。晴樹は大業に嘆息する。
「疲れるな……」
「それは根回しをする僕の台詞です!」
生真面目な息子にキッと睨まれて、晴樹は背を丸めて小さくなった。
◇◇◇
藍領地、郊外マンションの一室。
扉を開けた婚約者に、土菊理砂は腰に手を当てて拗ねた顔をした。
「もう何よ。だらしない顔!」
「えぇ? そうかー?」
嬉しそうに満面の笑みを浮かべる葦成は、理砂に抱擁すると軽く口づけをする。だが理砂の機嫌は直らず、葦成を睨み付けた。
「ねぇ、どうしてあの女どもを殺さなかったの? ……まさか、私の家族を焼き殺した奴等への報復をもうやらないなんて言わないわよね!?」
「やるさ。ただし、俺は大地族分家を作るのは辞めたんだ」
「え。じゃあ、葦成はどうなりたいの?」
理砂は目を丸くする。理砂の質問に葦成ははにかんで笑った。
「別の分家になる……って言ったら?」
理砂ははっとすると、じわりと涙を滲ませた。
「どうして泣くんだよ、理砂。喜んでくれないのか?」
「馬鹿……嬉しいの。遂に決心したんだ……」
「ああ! 俺は今日、俺がこの世でただ1人の変革者じゃないことを知ったからな!」
葦成は部屋のカーテンを引き、瞳を輝かせて住宅街の景色を眺めた。
「素晴らしいな、藍領地は。9年前に革命が起こっていたのは翡翠領地だけじゃないとは分かっていたけど、これほどだったなんてな……! 皇族御三家の決めた階級順位制度の根底を覆した藍領地の闘技大会。あれは階級順位最下位の機械族が、最上位の『領王』に君臨する異常事態の大会結果だった。まさに宙地原族達が潰すべき革命は当時2つ起こっていて、ここは奴らが9年前に見落として放置してしまった革命の成就せし地だ……!!」
葦成は肩を揺らして笑った。
「俺こそどうして気付かなかったんだろうな。機械族の『領王』の存在、『かぐや』を始末しない電須佐由、御大を継がない獣櫛涼柁、『かぐや』を放置する決定をした水族本家――水城輝夜に深く関わる人間が、悉く御天日凰十『皇帝』の遺言に……皇族御三家の意思に反して動いていたっていうのに!」
「〝水城輝夜〟? 彼、呪われた〝水城輝夜〟じゃなかったの?」
「あれは、古き者には呪いにしか視えない。本当は祝福の存在だったのさ」
「そうなの?」
理砂は、よく分からないと首を傾げる。それからテーブルの籠の中に置いてあった梨を1つ取って「食べる?」と訊ねた。葦成が頷くと、果物ナイフを取りに、台所へと向かう。
葦成は、遅れて部屋に入ってきた雷建勇厳に梨を1つ投げた。雷建は、敦美の機械ロボットに拳を振り下ろされた際に腕を折られていたため、上手くその梨を受け取れない。すると、扉の壁に立っていた水盈王希が水で伸びる手を作って代わりに受け取り、雷建の目の前で囓り出した。雷建はひくっと口角を引き攣るが、彼女に鋭い眼差しで見つめられて目を逸らした。
理砂が梨を剥きながら、ふふっと幸せそうに笑みを零す。
「皇帝城の果樹園にも入れたんだものね、葦成は」
「結局、獣櫛涼柁の説得材料にはならなかったけどな? しかもその梨を平然と水城家に配るとか化け物メンタルかよ、あの人」
深く溜息を吐きながらも、葦成は高い目標を見つけ、楽しそうに目を輝かせた。理砂が剥いた梨をしゃくしゃくと咀嚼しつつ頬張る。
「御神地皇――……俺を同族と認めず、大地族の姓さえ与えずに取り上げたことを後悔するといいさ。おかげで、俺が真の宙地原族になる道を与えたのだからな」
葦成は皮肉げにせせら笑った。
「なぁ、理砂。地下運河で顔を出しただろ? あまり勝手にあいつらの前に姿を出すなよ。危ないぞ」
「だって、一言言ってやらなきゃ気が済まなかったのよ……!」
焼けただれた肌を指でなぞりながら、憎しみに染まった理砂の表情を、葦成は綺麗だなとしみじみと思う。梨の乗る皿を部屋の隅のソファに座る少女に差し出した。
「電照巫倉、お前も食うか?」
「いえ、いりません」
御天日凰十『皇帝』の元婚約者であり、電須佐由の妹――そして敦美の従姉妹で、姉妹弟子でもある電照巫倉は、敦美に似た儚い容姿で静かに首を横に振って、ぺこりと頭を下げると、再び目の前に展開する電脳画面に目をやった。
その画面には、地下運河で虫に擬態した監視カメラで撮った映像が流れている。
『私をこのまま、馬鹿でいさせてくれないかしら』
「響ちゃん……」
漆黒の瞳を悲しげに揺らして、巫倉はじっと画面内の響華を見続けていた。
◇◇◇
水城家の居間。深夜1時。
静まり返ったリビングの床には、ぼんやりと窓の外を見つめ続ける篁朝が横になっていた。
篁朝の傍にそっと彼の弟が近付いて正座し、じっと篁朝の背中を白練色の双眸に映していた。子犬ロボットの甲斐は、彼に尻尾を振りながらも不思議そうに首を傾げる。
「……水城篁朝。貴様に主上を頼みたい」
『かぐや』は、淡々と篁朝の背に語りかけた。
「主上が強さを求められるようになられたのだ。これから主上自らがお力を振るわれる機会が増えるだろう。喜ばしいことだが、……私では主上を助けられない……」
篁朝は相変わらず微動だにしない。
それでも『かぐや』は真摯に語り続ける。
「私は、主上の問いに何も答えられなかった。私を呪いにするのも、祝福にするのも、全ては周りの者達の捉えようだからだ。貴様は私を煙たがっているが、どうか主上のためにも、私を呪いのまま終わらせないでくれないか……」
『かぐや』はそれだけ呟くと、立ち上がって静かに部屋へと戻っていった。
カチカチと、時計が秒針を動かす音だけがリビングに響き続ける。しんと冷え切ったリビングの床で、篁朝はしっかりとした意志を藤色の瞳に宿し、夜空をじっと睨み付けていた。
【第1章 地底へのいざない・終】




