第19話 新世の欠片 【後編】
敦美の声に、水の壁の中の電牙葦成はゆっくりと振り返った。
「来たぞ、葦成。『九位』炎乃響華が――……、と『領王』……?」
八角形の水の部屋を作り出すダイビングスーツの子供は、葦成に告げながら敦美の姿に目を瞠る。この場では誰も想定していなかった『領王』の登場に、彼の隣に立つダイビングスーツの男にも動揺が走った。葦成へと、彼女をどうするのか伺うような視線を2人は向ける。
葦成は微かに目を瞬かせ、敦美を真っ正面から見据えながら腕を組み、悠然とした笑みを浮かべた。
「初めまして。藍の『領王』だよな?」
「――そう、水城輝夜の身柄を返してもらいにきた」
「へぇ。『領王』直々に」
葦成は面白そうに笑って肩を揺らした。
敦美はじっと無表情で彼を見つめる。
「こいつが……〝電牙葦成〟……?」
敦美の耳に、響華の微かに驚きを含んだ呟きが聞こえた。思わず響華を振り返ると、戸惑いに揺れる真紅の瞳とかち合う。困惑した表情の響華に、敦美は眉を潜めた。
「――響華?」
「敦美……。あの男、ニュース映像と同じ顔……よね?」
「――同じだよ」
「そう……よね」
敦美の返答に相づちを打ちながらも、響華はどこか納得仕切れていないのか、歯切れ悪く応える。そんな響華の反応を敦美は訝しんだ。
葦成は敦美の言動を興味深く見つめる。
「天敵。……なるほど。道理であの女が機械族を毛嫌いしているわけだ」
そう呟いた後、葦成は至極真面目な表情で敦美に問う。
「丁度、この水城輝夜の力を止めるために手が欲しいと思っていたんだ。ただ、こっちとしては水城篁朝の手が欲しかった。連れて来てくれてないよな?」
やはり敦美と響華の予想通り、この物質の液状化は月族の輝夜が起こしている現象なのだ。こんな月族の種族能力は聞いたこともないが、葦成は輝夜の力だと断言している。
「――いいえ。何故、彼の兄を? もし人質の交換をしたいと言うなら……」
「人質? 見当違いな勘ぐりは止してくれ。〝水城輝夜〟の力を押さえ込める〝兄〟だからだ。切実に殴り合える身内が欲しい。他人が殴り掛かったんじゃ、ただの攻撃だ! それじゃためにならない! 分かるよな?」
(――分からない……)
敦美は、突然目の前の誘拐犯が喋り始めた話が全く理解出来なかった。
葦成は次に響華を見て、気安く追い払うように手を振って嘆息する。
「折角来てくれて悪いが、炎乃姓の怠慢者じゃ、水城輝夜の教育に悪い。そっちの隅で大人しくしててくれ」
「……は?」
響華は唖然とした。葦成の言動があまりにも突拍子も無いため、響華の思考や感情の動きを鈍くさせる。貶めた名指しをされても、腹が立つ以前に理解に苦しむ。響華は顔を顰めた。
「……こいつ、何様なの。「ためにならない」とか「教育」とか、何を言ってるわけ……? どんな立場のスタンスで話してんのよ……」
引き気味の響華の横で、敦美の眉間に皺が寄る。
葦成は「困ったな」と呟きながらも、口元を手で隠しながら品良く笑った。彼は先ほどから口角が適度に上がる。無意識なのか、故意なのかは敦美には分からないが、彼にとって今この時は笑いが止まらないほど愉快な状況であるらしい。
次の瞬間、葦成は意味ありげに視線と立つ位置をずらす。丁度、葦成が身体で隠していた先には、悄然とした横顔の輝夜がうな垂れて座り込んでいた。
「――っ!!」
身を乗り出した敦美を響華が腕を掴んで引き留める。下手に動くなと真紅の瞳で睨まれ、敦美は唇を噛む。輝夜のか細い背中に、今すぐにでも駆け寄りたい衝動に駆られるのをぐっと我慢した。
「――彼に、何をしたの……っ」
「何もしていないと言うと語弊があるが、今のこの状態になったのには、俺は直接は何もしていないから、やっぱり何もしてないとしか俺は言えなくないだろうか?」
「言葉遊びをしているんじゃないわよ!」
響華からも苛立つ声が飛んできて葦成は含み笑いをした。
「美人2人に問い詰められている。何だか突然モテている気分だ」
「その発言、後で土菊に言っておくぞ」
「おい、やめろ。理砂は冗談が通じないんだからな?」
男に横から告げ口を予告され、葦成は真顔になった。
敦美が再度葦成に念を押す。
「――本当に、貴方達が何もしていないの?」
「していない」
葦成は心外だとばかりに片眉を上げる。
「――じゃあ、どうして」
「この状態なのか? ただの喧嘩さ。水城輝夜とその内側にいる別人格とのな」
「――え……」
「知っているか、藍の『領王』。水城輝夜は二重人格なんだ」
葦成はニヤリと口角を上げた。敦美は否定も肯定も返さない。
「彼の中には、『かぐや』というもう1つの人格がある。その『かぐや』は月族の基本の力に人格を与えた存在の別人、他人だ。水城輝夜は、今、生まれて初めて自分で月族の力を使い、そいつと喧嘩をした」
(水名が前にやろうとしていた月族の力を封じるって、これが前提だ……)
敦美は漸く、透達水族が〝篁朝と同じ薬〟や〝秀寿の記憶飛ばし〟で月族の力を封じるという妙な話に合点がいった。生まれ持った力が無くなるわけがない。だが、精神内で『かぐや』という別人がその力を扱っているのなら、それを消せば無くなるという目算が立つのも納得だった。
「多分、あいつは兄と力を使って喧嘩をしたことがないんだよ」と葦成は真剣に輝夜の分析を語る。
「だから、振り上げた拳の下げ方が分からないでいる。藍の『領王』は、弟と喧嘩ぐらいしたことあるだろ? 喧嘩の納め方は経験があっても難しい。特に種族能力を使ったものは。子供の頃に、親・兄弟・友人に癇癪を起こして力で攻撃して、逆にやり返されたり、大人から「他人に怪我をさせるな」と怒られたりして、誰もが徐々に力のセーブを覚えながらコントロールも体得していくはずだ。
……ところが今、目の前にいる水城輝夜はその経験をこの17歳になるまでしたことがなかったようだ。完成しきっている力を使ったはいいけれど、コントロールが一切出来ないんだ」
「――暴走を、している……?」
「だけど、至って正気なんだよ。ほら、本人も状況が分かっているから、真っ青だろ? 頭は冷静なんだ。でもいくら力を止めたいって考えてもな、止まらない。力の制御は感情の方じゃなく、長年の感覚ってやつだからな。……さて、どう納めるか。何かアイデアがあるなら聞いてやってもいいぞ」
敦美は葦成の言葉を聞き流し、輝夜だけを漆黒の瞳に映し続ける。敦美達の方を見ないで一心に床を見つめ続ける輝夜は、明らかに敦美達に声をかけられるのを拒絶していた。
「――貴方は、一体何のために水城君を誘拐したの」
葦成は、ふっと笑って目を伏せる。
「さぁ、何のためだったかと聞かれると、全ては想定外で成り行き……だな。元々、水城輝夜と面と向かって話すつもりもなければ、今日宙地原族と月族の皇子『かぐや』の殺害計画を立てる予定も無かったぞ。俺は昼間から、いや、この藍領地に来てから、他人に予定を狂わされっぱなしだ。お前の弟はいきなり爆弾を吹っ飛ばすし、今日までに宙地原族を急遽呼び出せるところまで根回しが終わっていたのは奇跡的だったと言える。だいたい電拳剣の、あのアプリなんだよ。リアルの人間と恋愛って頭湧いているのか? おかげで俺は――」
葦成は一旦言葉を句切り上を仰ぎ見て、混沌とする液体の景色をぐるりと見渡す。赤墨色の瞳を輝かせ、酷く眩しそうに目を細めた。
「……俺は正しい大地族として、歪んだ主を排除し、新たな大地族の分家を作るはずだった道を絶たれた。いや、それ以外の運命の道の上に、俺は遂に到達したんだな……」
葦成が感慨深げに嘆息する。
敦美は彼の感動する様は無視して一歩前に出た。
「――水城君を連れて帰る。そちらが抵抗せず、解放する気があるなら大人しく従ってもらう」
「俺がさっきから頭を悩ませている、危害を加えずに水城輝夜の力を止める手立てがあるのか? 本人を気絶させて強制的に止めるのは許さないぞ」
「アンタが許さないって何なのよ」
「力を止める実感という経験を積ませたい。皇族の力は頻繁に使えるようなそこらのお手軽な種族の力とは違うと、この惨状を見て分かるはずだ。って炎乃姓の奴は詳しくないとおかしいだろ」
葦成は響華をちらりと横目で睨む。彼が響華に向ける赤墨色の瞳には怒りの籠もった光が見え隠れしていると敦美は気付くが、この場では何も言わなかった。
「――水城君に、そんな乱暴なことはしない」
「じゃあ、試しにお手並み拝見といこう」
葦成の目配せに、子供が静かに水の壁の一部を消した。敦美達に入るように促す。敦美はゆっくりと輝夜へと歩いて行った。響華が敦美の背後を、葦成達の動きを牽制しながら守ってくれる。
とてとてと軽く小さな足音をさせ、子猫姿の草乃が耳と尻尾を下げて敦美の前へやって来た。敦美は屈み、彼女を腕に抱えて立ち上がる。「ミャア……」と掠れた元気のない声音で草乃は鳴く。敦美は安心させるように頭を軽く撫でると、輝夜へと近寄った。
輝夜は敦美の気配に肩を揺らし、ぎこちなく顔を上げる。輝夜の憔悴しきった顔色は白い。痛々しい姿に敦美の胸がズキリと痛んだ。
「機……國、さん……」
敦美は何もない空間から布団ほどの大きな黒い布を出し、ふわりと輝夜の頭から被せ、輝夜と目が合う位置まで腰を下ろした。
輝夜は俯き、敦美と目を合わせない。握りしめる拳が震えている。
「俺、こんな迷惑掛けるつもりじゃ……。なのに、全然力が消せなくて……っ」
輝夜は敦美に掛けられた布のようなものの端を、掻き集めるように胸元でぎゅっと掴む。その手も震え続けていた。
「――もう、大丈夫だよ」
敦美は輝夜の顔を覗き込んで安心させられるように精一杯微笑んだ。その不器用な笑顔は、再び俯く輝夜の視界には入らない。
輝夜の頭の中を占めるのは、『かぐや』のことだった。今でも輝夜の胸中で、――裏切られた――という想いばかりがぐるぐると重い濁りのように這い回り、息苦しくて堪らない。込み上げてくる吐き気を呑み込み、きつく目を瞑る。
『嘘だ! いつか、俺の身体を乗っ取るつもりだったんだろう……!!』
そう『かぐや』に怒鳴ってから、輝夜は『かぐや』に会うための精神内の祭壇に意識を飛ばすことはしていない。
(顔も見たくない……!!)
「――水城君」
輝夜は掛けられた声にはっとする。
「――9年前を、桜並木で私の足下にいた子犬のロボットのこと」
「甲斐……?」
「――そう。あの子ね、家からずっと私の後をついて来ていたの。ついてこられて邪魔だった。次元空間に放り込むことも、次元移動で振り切ることも出来たのに、でも私はあの時それをしなかったんだよね」
「機國さん……」
「――あの時の私は、本心では1人が心細かったんだと思う。振り返るとついてくる甲斐の姿に、どこかでほっとしていたのかもしれない。力を使わないコツはね、「そのままでいい」だよ」
「そのままで、いい……?」
「――力を抑えたい、使わないって念じることじゃない。今の状態でもいいやって思って許容することが大事なの。何かをしようと思っちゃ駄目」
「でもこんな……」
周りの液体を見て、輝夜は怯む。敦美は真っ直ぐに輝夜を見つめた。
「――大丈夫。いくら液体化させたって私はかまわない。ここは私の領地だよ。誰にも文句は言わせない。それに、ほら。私が液体化を止めたから、これ以上被害は広がらないよ。無理に何かしようとしなくていいんだよ」
敦美は葦成達から死角になる布の裏側から、密かに小指サイズのミニチュアロボットを出し、輝夜にそう断言する。輝夜は目を瞠って、その液体にならないロボットを見た。敦美はさっとロボットを再び布の中に入れる。
「何だ、その布は?」
葦成が首を傾げ、目を丸くして声を張った。
敦美は背中越しに淡々と応える。
「――私の次元空間」
その応えに葦成は、ぽかんと口を開けて固まった。男と子供の2人も同じように敦美の応えに驚き、動きを止める。
しばし、奇妙な沈黙がこの場を支配した。
葦成は目を泳がせて、どうにか復帰する。頭に手を置いて呻いた。
「そ、それが本当に次元空間と仮定してだな……?」
「ハァ? 仮定しなくても、敦美の次元空間よ」
辛辣な応えが響華から浴びせられ、葦成は顔を歪めた。
「……。……布代わりに人に掛けられるって、どんな素材だよ……?」
「――ただの種族能力。貴方の要望通り、外の物質の液体化は止まったはず。私の次元空間が力の発動の遮断をしているから外に出れば分かるよ。響華、もうここに用はない」
「了解」
敦美がすくっと立ち上がると、響華が炎の塊を斜め上に放ち、水の壁も併せて液体を一直線に蒸発させた。緩い傾斜の坂道に、敦美が別の次元空間を敷き詰めた道が完成する。
輝夜は敦美に促され、足下を少しふらつかせながらも1人で立ち上がった。地上へと向かい始めた敦美達の背後を葦成達も歩き出し、後をついてくる。
響華は敦美と目を見交わすと歩を緩めて敦美と輝夜の背後につき、彼らの動向を見張った。
「……機國さん、俺……強くなりたかったんだ」
上擦る輝夜の独り言めいた呟きを、敦美は静かに聞く。
「――充分、水城君は強いよ」
きっと今、輝夜が求めていないであろう言葉を敦美は告げる。気休めにしか相手には思えないはずのその言葉は紛れもなく敦美の本心だったのだ。
月族という特別な種族で、広範囲の凄まじい威力の種族能力が使えて――これ以上、『領王』の敦美の手の届かない範囲を広げないで欲しいと思ってしまう。輝夜の力になりたいのに肝心なところで輝夜を守れなかった。
輝夜の方は周りの景色を見て愕然としている。
「違う……こんな強さじゃ……俺はただ――」
輝夜は敦美を見る。泣きそうな表情の中にありながら不釣り合いな強い意志を感じさせる白練色の双眸に、敦美はドキリと鼓動が鳴った。
「……ごめん。迷惑掛けて」
惚けたように輝夜を見つめていた敦美は、謝る言葉に意識を引き戻される。逸らされた横顔をただぼんやりと見つめ続けた。顔が熱い。
――傍にいたい。隣にいて欲しいと思った。輝夜に、ずっと。
よく考えたらお弁当の時からそう、『領王』としての領分とはかけ離れた日常での輝夜とのやり取りを気にしていて、決して彼を守ることには繋がらないことばかりが気に掛かっていたのだと、敦美は自分自身の思考を思い起こす。
ただ、敦美は輝夜の傍にいたいだけだったのだ。
敦美はやっと自分の気持ちに気付く。眩しい光が差し、周りが明るくなった。
(私――水城君が好きなんだ)
青空が目の前に広がる。地上では巨大な月の姿が消え去っていた。
這い出た場所は、液体が湖のようになっている湖上の位置。無事な端の地面へ向けて、更に敦美は次元空間を伸ばして敷く。響華が後を由理に託した炎の柱が消えていた。敦美は輝夜の耳元で囁く。
「――岸まで走って」
「……えっ……」
輝夜は敦美に背中を押され、前につんのめりながらも足を動かす。草乃が先導するように前を走った。
同時に、敦美と響華が身体を翻す。自分達の這い出てきた道へと次元空間を複数出現させ、そこから機械ロボットの巨大な両腕が振り下ろされた。響華は炎の塊を葦成達に放つ。
水族の子供が八角形の水の球を炎の塊へとぶつける。押し負けるが炎の塊の軌道を逸らした。次々に繰り出される炎の塊に水の球で対抗し続ける。
雷族の男の方は機械ロボットの腕に電撃を流すが動きを止められず、ロボットの拳に潰された。
葦成は紙一重で拳を避け、更に掴みかかってくるロボットの手から逃れるためにドボンと液体の中に沈む。葦成を追って液体の中に入ってくるロボットの指先を瞳に映しながら、葦成はにやりと嗤った。
響華の攻撃を防ぎ続ける子供と、液体に潜った葦成へ別の次元空間からガトリングの銃弾が降り注ぐ。だが子供とは別の人物が作った水の壁が張られ、ガトリングとロボットの手から葦成と子供は逃れた。
地上の建物の影から新手の水族の青年が叫ぶ。
「水綿様! 電牙殿!」
水綿と呼ばれた子供が声の主に怒鳴りつける。
「馬鹿者!! 我々を守るな!!」
水族の青年がその言葉を聞き終える前に雷が落ちた。失神して倒れる青年を秀寿が拘束する。
水綿はそれを見るや身を翻し、ロボットに視線を向けずに、水球をロボットの拳をぶつけながら自身の足下の液体を水の膜で覆う。水面を歩けるように整え、倒れた青年の方へ走り出す。
水綿がぶつけた水を媒介に、押し潰された男が再度電撃を流してロボットの手をショートさせた。
「!」
「逃げてんじゃないわよ!!」
響華の炎の塊が、水綿の背を追った。しかし、突然液体の中から生えた分厚い黒土色の壁に弾かれる。響華は自身の力を弾かれて目を剥いた。
液体の中から葦成が腰に手をやる姿勢で現れる。黒土色の足場がぐんぐんと上へと伸びていく。葦成は炎の塊を弾いた黒土色の壁一面にひびが入っているのを眺めて眉を潜めた。
「この威力、本当に怠慢じゃないか。お前は炎乃姓をもらった癖によくもまぁ『九位』などと……っ。だが、もうそれはいい。藍の『領王』!」
葦成は敦美に向かって叫ぶ。瞳を輝かせて微笑んだ。
「9年前の革命が放棄されし藍領地に感謝と敬意を示そう! これが今日この日、俺が知った、俺がこの世に誕生した理由だ!!」
葦成の宣言が終わった瞬間、液体が円の文様を浮かべて光った。
物質が全て元の形に戻る。
建物は元の場所に、元通り建っていた。道路など一部抉られたように無くなっているものは、響華達が力で液体を蒸発させて破壊したのが反映されているようだ。
輝夜は呆然とする。夢でも見ているのかと思った。
皆の目が周りの景色に奪われた隙を突いて、葦成と雷族の男の姿は消えている。
水綿だけは残っていた。彼は水の球を数発秀寿に撃ち込むが別の水の壁に阻まれる。透が秀寿のところへ駆けて来た。
透は、秀寿が拘束する青年と水綿の顔を見てぎょっとした。
「水乾赤石さんに、水綿海津様!? どうして……っ」
愕然とする透に向かって、水綿は複数の水の球を再度放つ。透は慌てて水の壁を出して防ぐが、その壁で防御出来たのは球だけだった。水の球の中に仕込まれた鋭い棒手裏剣が貫通して透へと牙を剥く。寸前で、秀寿が電撃で消し炭にした。それを見た水綿はふっと動きを止め、勢いを無くす。膝をついて両手を挙げ、降伏を示した。
「雷秀寿殿では、これ以上勝算は無いな」
「え、本当に水綿さん……?」
驚く秀寿に、水綿は神妙に頷いた。
「貴殿とは翡翠領地で別れて以来か。大きくなったものだ。……しかし、水名透、何をぼうっと突っ立っている。雷秀寿殿がいなければ確実に死んでいたぞ」
「で、ですが、水綿海津様……一体、貴方はここで何を……」
「本来なら、水城輝夜殿下も死んでいた。ちっとも水城家を護衛出来ていないではないか。こちらは苦渋の想いで我が主を預けているのだ。精進してくれ」
「その電牙葦成のお仲間、知り合いなわけ?」
響華が盛大に目元を釣り上げながら、不機嫌さも隠さずに秀寿達の方へとやって来る。秀寿は肩を竦めて苦笑した。
「9年前の翡翠革命で、ちょっとね」
「何。ストーカー族長側の奴なの? アンタ達の敵側?」
「いや、味方だったよ」
秀寿は目を伏せて溜息をつく。
「篁朝さんの直属の僕。主に隠密を生業にしている水族の隠密衆頭領だったはずだ」
雑居ビルの外付け階段から、液体化の惨事があった一帯を一望していた紺色のブレザーの少女〝地王那美〟は、風に茶色の髪を靡かせ、手すりから手を離した。
「あやつも藍領地にいたとはな」
「辛夷の『領王』が釈放したようで……。此度は偽情報に踊らされ、主上を危険な地へお1人で向かわせたこと、誠に申し訳なく……」
葦成が曾孫である大地族族長の地原は、彼女の前に苦々しい表情で平伏する。那美は「よい」と地原を許した。
「私が勝手に向かったのだ。地原に非があろうか」
「主上……」
「しかし、今度の器は厄介な。よもや『かぐや』を押しのけるとは図々しいものよ。父親も不良品なら、子も満足に器にすらなれない出来損ないか」
眼下で輝夜に駆け寄る敦美の姿に、那美は不快げに柳眉を釣り上げる。
「私の平穏を乱す者、目障りな。……潰さねば、次の『かぐや』の器が手に入らぬ」
彼女は平坦な表情で、先日観た映画のパンフレットを鞄から取り出すとパラパラとめくった。




