第9話 宙地原世界の地下運河 その1
突然、つきまとっていた背後の足音が聞こえなくなり、視界全てが白く光って輝夜は目をつぶる。
唐突な光の明るさに慣れるよう慎重にまぶたを上げたが、それでもチカチカと目を刺す明るさに攻撃されて痛みを感じた。
輝夜は白い導水路のトンネルにいた。
白い天井と床はコンクリートではなく、白く光る巨大な石を彫って造られているふうで古い遺跡特有の荘厳さがある。昼間のように明るく、天井はアーチ状で地面は半分が床、もう半分は水路の形になっている。
水路の水は流れていない。水色の水は底が見えないほど深く、隣接する床の端から階段のような段差が水底へと伸びていた。
呆然と辺りを眺める輝夜とは対照的に、響華は視界が開けて直ぐに背後を振り返り大地族の少女がいなくなったことを確認していた。
響華の肩に乗る子猫姿の草乃も、小さな尻尾を下げて身体を小刻みに震わせながらも響華に倣って警戒をする。
「あの女が消えたっていうより、まるで私達が別の場所に移動したみたいね」
(移動……――あ!!)
「佐由さん!?」
輝夜は電須佐由の次元空間移動だと思い当たった。彼は電脳族で唯一他人を次元空間に招くことが可能なのだ。
「佐由さんの次元空間に入れられて出されたのか! うわっ、暗過ぎて全然気付かなかった! でもなんで力を使ってくれて……?」
「サヨシって、巫倉の兄で現人神系っていう電須佐由? そういえば、アンタは知り合いだったわね」
「アラヒトガミ系って何?! あ、いやでも変なんだよ。俺が迷子になっているぐらいで助けてくれる人じゃないんだ」
「どういう人間なのよ」
「えっと、例え恋人が爆破犯に狙われて逃げ回っていても助けないし、完全に命の危機な状況以外は放置する人……?」
「つまり、さっきアンタは命の危機だったわけね。私がいたのにそう判断された。あの女やっぱり一般領民じゃなかったんだわ」
「さすがに、さっきはそこまで大袈裟な状況じゃなかったと思うけど」
「大袈裟なんかじゃないわよ。あの地王那美って女、どうやって私達と同じ状況になったって考えられる? コンビニ付近は大地族を立ち入り禁止にしている区画だったのよ。なのに一緒に巻き込まれたって体裁で話してたわ」
響華は鋭い視線を自分達が歩いてきた方角へと向ける。今はその先に人影はない。明るく長い水路の道だけがあった。
「あの堂々とした態度が癇に障ったわ。こんな遭難状況じゃなかったら、つっこんで話したかったんだけど」
輝夜も響華と同じように水路の先をぼんやりと見やった。
そうしていると、振り返った響華と目が合う。彼女は盛大に眉根を寄せて顔をしかめていた。
「ねぇ、電須佐由と獣櫛御大って本当に恋人同士なの?」
「へ? あ、うん」
「それにしてはあの2人ドライ過ぎよね」
「はい?」
「……ニャ……っ」
パシッ……、と響華の頬に草乃の遠慮げな猫パンチが触れる。
響華はその小さな前足を掴みながら苦笑した。
「別にアンタの兄の悪口を言いたいわけじゃないのよ。大事な確認。こっちは獣櫛御大の護衛を……いや、どっちかって言うと監視ね。誰と関わっているか、人間関係の監視をしているわけ。この1ヶ月、あの恋人同士とやらは会うどころか連絡を取り合う気配すらないらしいじゃない。ちょっとありえないんだけど。遠距離恋愛でも連絡ぐらいするわよ」
「あー……。俺も喧嘩してるんじゃないかとか大丈夫なのかなって心配はしてるけど、相手が佐由さんだからなぁとしか言えない。佐由さん、元々この生まれ育った世界が嫌いで関わり合いたくない人だから」
「それ、本当に理由になるのかしらね」
「え?」
「あの2人の関係、偽装じゃないの。繋がっている裏の理由があると思わない?」
「え……えぇ!? な、ないって佐由さん達に限ってそんな!」
輝夜は思ってもみなかった疑惑に仰天する。本人達と会ったことがないと、嘘だと疑われるような不自然な関係に見えるのか。
(そっか……。他の人は、2人が17年前から友達で翡翠革命にも関わっていたことを知らないから、人と出会う機会がない佐由さんと、桔梗領地から一歩も出てない涼柁さんが唐突に恋人同士になっているみたいで、おかしく感じるんだ)
確かに佐由と涼柁2人の間には温度差があるように思う。水族本家で会った時、輝夜は佐由の固執の仕方がやや一方的なものに感じた。そして涼柁の方は、どことなく佐由の保護者のようなスタンスの雰囲気があったのだ。
輝夜がどう佐由達の関係を信じてもらうか悩んでいると、響華の肩にいる草乃の姿が目に入ってハッとした。
「そうだよ、草乃ちゃん! 今回は草乃ちゃんを助けたかったのかも」
「獣櫛御大の妹だから?」
「そう。そうしたら涼柁さんからお礼の連絡あるだろうし。涼柁さん、特に用が無いからって佐由さんに連絡してないみたいだし」
「……ソレ、電須佐由から連絡すればいいだけよね?」
「一方的に意地の張り合いをしているのかもしれない。連絡入れた方が負け的な」
そこまで口にして、思わず口にした言葉が思った以上にしっくりときた。
「やばい……本気でそうかも。水族本家で、涼柁さんが佐由さんからかかってきた電話を無視したことあったぞ。あれをまだ根に持っている気がしてきたっ。涼柁さん覚えているかな!? たぶんあれから、涼柁さん連絡してない!?」
「ああ……なるほど。電脳族って根に持つタイプ多いものね」
響華は肩の力を抜いて「妙な勘ぐりして悪かったわね」と草乃に謝った。
草乃は浅葱色の大きな目を丸くしてきょとんとする。
「あのね、草乃ちゃん。佐由さんが助けてくれたってここから出たら涼柁さんに絶対伝えてね! 俺達本当に助かったからさ!」
「どうして外には出してくれなかったのかしら」
ぽつりと響華から漏れた呟きに、輝夜も首を傾げた。
(それもそうだなぁ。場所もタイミングも変だし。今になってなんで助けてくれたんだろう。落ちた時は助けてくれなかったのに)
落下した瞬間の方が、輝夜も草乃もよほど命の危機だったはずだが、そこは佐由に流されている。しかし、大地族の少女に追われ始めると輝夜達を助けてくれたのだ。
(予定外の人物が出てきて慌てたとか。……ん? それ、誰の予定なんだ。佐由さんが進んで協力する相手なんて、もう涼柁さん以外には――)
ふっと、柔らかい笑顔を浮かべた太陽族の青年の姿が脳裏をよぎり、輝夜は頭を振ってその考えを否定した。
(凰十さんは、もうどこにもいないんだ……馬鹿)
未だに、彼が亡くなった事実に自覚が足りない自分自身が嫌になる。
「ねぇ、戻る形になるけど、私達が離れた方向に行かない? ここはさっきいた場所と完全に別のところだろうけど、地下1階、2階みたいな階層構造の場所に移動した可能性も確認したいのよ。霞達がいるかもしれないわ」
響華の提案に輝夜は従った。そして出口を探しながら共に歩く。
しばらくすると、輝夜の前を歩く響華が愚痴をこぼした。
「後ろが守れないし、これじゃちっとも護衛代わりになってないわね。だからってアンタを先に歩かせるわけにもいかないし、1人の時の正しい対処って風我師匠から習ってないのよね。普段、他の奴はどんな感じなの?」
「雷はいつも隣を歩いているかな。でもこんな知らない場所で迷ってる状況じゃないし参考にならないと思う。そんなに気にしなくていいよ」
「これでも『九位』なのよ。他の上位領地ランカーが出来るのに、私が出来ないなんて格好がつかないでしょ」
「つかない、かな?」
「ええ」
響華は力強く肯定すると、少し歩みを緩めて輝夜の水際側の隣に並び微笑んだ。
輝夜はそんな余裕のある響華を頼もしく感じると同時に、不甲斐ない自身に落ち込む。
(響華さんの方が、男の俺よりずっとしっかりしてる。上位領地ランカーだからってだけじゃないよな。メンタルで負けてる)
「……巫倉」
不意に、響華が呟いた。
「輝夜は電須佐由の妹の電照巫倉を知っているかしら? 会ったことはある?」
「いや、知らない。佐由さんから話も聞いたことないよ」
「そう。兄なら今でも巫倉と連絡を取っているかと思ったけど、なさそうね」
響華は微かに真紅の瞳を寂しげに揺らした。
(妹、か)
輝夜は、自然と草乃を見る。草乃は響華の肩から下りて、今は彼女の腕の中で丸くなっていた。身体をすっかり預ける形でじっとしている。どうやら響華に随分と慣れたようだ。
「じゃあ、あの子ったらホントに太陽族本家にいるんだわ」
「太陽族本家!?」
「アンタ達は皇族で関係者だから話しておくわね。巫倉は、9年前に翡翠領地で処刑された『皇帝』陛下の婚約者だったそうなの。それで翡翠革命後は藍領地から出て行った。それからずっと音信不通だったけど、1ヶ月前の爆破事件の時に連絡を寄越してきたわ。その時、次期『皇帝』陛下の名代を名乗っていたみたいよ」
「凰十さんと佐由さんの妹が婚約してたんだ……。えっと、デンショウミクラさん? ――は、凰十さんがいなくなった今でも太陽族に大事にされてるんだね」
「だといいけど。まぁ、元気ならなんでもいいのよ。全く兄妹揃って失踪好きなんて困ったものだわ」
響華の話を聞いて、輝夜は水城家の電話や電脳回線を管理している謎の電脳族は佐由の妹ではないかとひっそりと思った。
(そのまま結婚していたら、今度は佐由さんが凰十さんの義兄になっていたのか。ああ、凰十さんが佐由さんと養子縁組破棄した後も、変わらずに佐由さんを兄弟扱いしていた理由ってその関係のせいもあったのかな)
そして佐由の信頼を得るために、御天日凰十『皇帝』は、佐由からもたらされた未来の可能性を実現しようと翡翠領地の『領王』となり――結果は無惨な最期を遂げた。
御天日凰十『皇帝』について考えていると、輝夜の心も重く沈んでくる。気持ちを浮上させようと話を変えた。
「響華さんは、機國さんと仲がいいよね」
「まぁ、姉妹弟子だし、付き合いが長いから」
「機國さんの好きなものって何かな?」
ピタリと、響華の足が止まった。
輝夜は気付かず3歩分先に進んでしまい、隣から消えた響華に驚いて振り返る。
響華は真顔で輝夜を見つめていた。
突然まとう雰囲気が鋭くなった響華に、輝夜の心臓がドキリと跳ねる。
「敦美も、アンタも――ホント勘弁してよね」
「え……?」
「アンタは自分の身分が見えてないわけ? 冗談じゃないわ……。敦美に近寄らないでちょうだい。あの子をアンタの火遊びの犠牲者にしないでくれる」
輝夜の敦美への気持ちを吐き捨てるような言いざまに、反射的に頭に血が上った。
「俺は本気で……!」
「本気かどうかなんて関係ないわ!!」
響華の高い声がバッサリと輝夜の想いを断ち切る。言葉を詰まらせた輝夜にたたみかけるように響華は怒鳴った。
「アンタ、月族の皇族様なのよ! そのうち月族本家に引き取られて、表の世界からいなくなるくせに! ましてや表の、階級順位制度で最下層の種族と恋愛なんて周りに認められると思ってるわけ!?」
輝夜は目を見開き、真剣な眼差しで糾弾してくる響華を呆然と見つめた。
――月族本家が輝夜を迎えにくる未来。どうしてなのか、欠片もそんな日がくることを考えたことがなかったのだ。
青ざめた輝夜に響華は気付き、先に気を静める。
輝夜が絞り出した声は震えていた。
「……俺、全然……そんなこと」
「まぁ、ね。誰だって自分が将来どうなるかなんて、なかなか想像出来やしないだろうけど。アンタは私から見たら、いつ失踪してもおかしくない奴なの。巫倉や電須佐由と同等の存在だってことは忘れないで」
「父さんが……ずっと表にいるから、俺もなんとなくずっといると思ってて……」
「残念だけど、アンタは父親と違って、本当に特別な力を持った皇族の人間よ。百貨店の外で私は見たわ。美しいって言葉はこういう時に使うんだって思えるような、圧倒的な月が空に浮かんでいて――」
一旦、響華はまぶたを閉じると、脳裏に焼き付いた白く輝く月の姿を思い起こし反芻する。熱の籠もった溜息を軽く吐くと、再び目を開けて言葉を続けた。
「少なくとも、水族本家側は月族本家にアンタを戻す方向で準備していると思うのよ。迎えがくるのを待っているって言っていたもの」
「……」
『篁朝を治さないと、将来困るのは輝夜だ。一生大変な状態の篁朝の面倒を見続けられないだろう?』
朧の言葉を思い出す。あれは輝夜が社会人になった時の心配をしていたのではなかったのだ。
輝夜が月族本家に行ってしまう時のことを案じていたのだとわかり、血の気が引く。
(それって兄貴どころか、いつか父さんと母さんとも会えなくなるってことじゃないか……!)
たまらず、きつく拳を作って握りこんだ。くい込む痛みは、決して輝夜の心を紛らわせてはくれなかった。
草乃が耳と尻尾を下げて、恐る恐る2人の顔色を交互に見る。
視線に気付いた響華は草乃の頭を優しく撫でた。
「とにかく、覚悟はしておきなさいよ。敦美とアンタに覚悟があって関わるのなら――2人の問題だわ。本当ならここで私がうるさく口を出すことじゃないんだけど、今のアンタ達はそうじゃないでしょ」
「……ちゃんと、考える。ごめん……ありがとう」
「私もいきなり突っかかって悪かったわね。ちょっと、昔の考えなしだった自分を見ているみたいで言い過ぎたわ」
輝夜が顔を上げると、響華は皮肉げに唇の端を上げて笑っていた。
「私も昔、先をよく考えもせずに流されて闘技大会に出た馬鹿の1人よ。子供の私が大人に勝てるわけがないって、漠然と思い込んでいたわ。いつか負けるのが普通だってね、思考を放棄して試合をこなしていたら上位10名の順位を決める試合にまで残っていたわけ。そこでやっと目が覚めたけど、遅すぎてこのザマよ。
敦美は他人の言葉で作った夢を叶えた馬鹿だけど、私は現実逃避の結果の『九位』馬鹿。敦美も私も闘技大会に出ない選択肢があったのに、流されてその未来を選ぶ覚悟がなかったのよね」
「覚悟……。覚悟って何なんだろう」
「経験から言わせてもらうと、決断だわ。自分にとって最悪だと思う未来や出来事を、考えられる時間があるなら考え続けて、妥協以外の答えを出せるように準備や心構えを持てるようにする――それが覚悟じゃないかしら」
「……響華さんって」
「何?」
「うちの兄貴の次に格好いいかも」
「は?」
瞳を輝かせて尊敬の眼差しを向けた輝夜を、響華は半眼で睨み付けた。
「――悪いけど、アンタが思っているほど水城篁朝はイケメンの類いじゃないから」
「え!?」
「美形だけど美人寄り過ぎて、正直女子受けするタイプじゃないわ。微妙」
「嘘?!」
輝夜は本気でショックを受けて絶句する。
響華は輝夜をうろんげに見つつ口角を上げた。
「ブラコンねぇ」
「いやいやいや! 響華さんが好みのタイプじゃないってだけでしょ!? うちの兄貴、普通に格好いいよね?!」
草乃に必死で食い下がってみたが、彼女も首を縦には振らなかった。「そんな馬鹿な」と愕然として頭を抱えた輝夜は、下げた目線で水面が動いた様が目に入る。
「あれ……?」
輝夜が凝視する先へと、響華も目を向けた。水に波紋が生まれている。
次第に、ぽこ……ぽこ……と水泡が水の中から上がり始めた。響華は輝夜を背にかばって身構える。
水面に影が見え、段々と大きくなり浮上した。バシャッという水音と水しぶきと共に、青年と幼い少女が水面に顔を出す。2人は、1人の少年を挟んで支え、水の中から石の床上へと少年を引っ張り上げた。
「げほげほっ……、ごほっ」
『おーおー、大丈夫かよ。はは』
青年は笑いながら少年の背中をさする。
幼い少女の方は、くるりと身体を捻り、輝夜達にずぶ濡れの姿で丁寧に頭を下げた。
『響華様。これはお久しゅうございます。偶然ですね』
輝夜はぽかんと口を開けて、彼ら3人を指差した。
「あの、知り合い?」
「そうね。知人みたいだわ」
響華は柳眉を釣り上げて、床にはいつくばって咳き込む少年に怒りを含んだ声音で話しかけた。
「偶然で会うような場所だと思えないんだけど、どうやら敦美にぶっとばされたいようね――仁芸!」
仁芸と呼ばれた少年はビクッと身体を震わせ、この世の終わりを見たかのような悲壮な顔で、輝夜達を仰ぎ見たのだった。




