第5話 思考のお弁当作り
時刻は17時半頃になる。夕焼け空には暗さが混ざり始めていた。
10月下旬にもなると、日が沈むのも早い。すっかりと空は冬の気配をまとっている。
駅前から15分ほど離れた住宅街の洋菓子店。その店の前にセーラー服姿の敦美はいた。
空中に敦美専用の電脳画面を出し、無表情で見つめる。
そこには、水城家周辺で〝電牙葦茂〟が見つからず、今日の捜査は一旦引き上げることになったという報告のメールが開かれていた。
(水城君の家の警備には、もっと人数を割くべきだった……)
今更、仕方のないことだが悔やまれる失態だった。自然と敦美の表情も険しくなる。
通行人は敦美の姿を見てはギョッとした。そして歩む方向を即座に変え、変えられない人間は慌てて近くの横断歩道を渡り、反対側の歩道に逃げた。その上、わざわざ敦美へと一礼してから去っていく。
現在、この藍領地で〝機國敦美『領王』〟の横を素通りできる図太い一般領民はまずいない。
これが1ヶ月前までなら彼女の横を素通りした者もいただろう。その頃の藍領民にとって、敦美は決して悪い『領王』でもなかったが良い『領王』でもない、いてもいなくても同じ存在感でしかなかったからだ。
彼女はこの9年間、『領王』として特に何もせず、藍領民にとって空気のような人物だった。
就任当初は8歳と幼く、何もしない『領王』の姿勢に対して「子供だからこんなものだろう」と藍領民は納得し、高校生に成長した現在は彼女の儚げな見た目も相まって「荒事や政治が不得手なのだろう」と解釈し、さらにはそれが謙虚で清廉な美点として藍領民に甘受されていたのである。
独裁的な人物よりずっといい――かつて独裁のかぎりを尽くした風族の『領王』による支配下にあった藍領地民にとって、彼女の怠惰な姿勢は意外なほど好意的に受け入れられていたのだ。
だが、今より1ヶ月前の9月36日にその評価は一変する。
その日、藍領地内で連続爆破事件が発生。
犯人が葛領地ランカーと報道されたかと思うと、そう時を置かずに葛領地へミサイルを撃ち込んだという緊急速報があり、人々は唖然とした。
問答無用でミサイルを飛ばしたのは、『領王』の敦美である。
その電光石火で苛烈な反応は、人々に敦美の師匠・風我唯『領王』を彷彿とさせる、まさに悪夢のような所業だった。
風我唯『領王』時代を知る中高年や高齢者は血の気が引き、「また突然開戦したのか!?」と恐慌状態となった。中には意識を失って倒れ、病院に運ばれた者までいる。
その時代を知らない世代にまで恐怖が伝染し、一時メディアや藍領地の電脳内はパニックのるつぼと化したほどだ。
メディアの報道員達は藍領地本部ビルへ詰めかけ、姿を見せた敦美に葛領地との戦争の可能性について詰め寄った。しかし敦美には「――全員、静かにして」と一蹴される。
『黙れないなら静かになるようにしようか』――そんな脅し文句だと解釈した藍領地民は震え上がった。
その後、葛領地とは戦争には至っていない。それだけで僥倖だったと、一連の騒動は表向き収束して終わった。それ以降、誰もが連続爆破事件の話題には蓋を閉じている。
唐突に噴火する恐ろしい山――『領王』敦美は、現在そんな比喩で評価されていた。
「敦美、待たせたわね」
洋菓子店から出てきた響華に、敦美は首を横に振る。それからともに歩き出した。向かうのは敦美の家である。
響華が「うちはダメ。『領王』サマが来るなんて親が卒倒するわよ。料理の練習くらいアンタの家でいいでしょ?」と提案したのだ。
敦美は反対することもないので、自宅で響華に料理を教えてもらうことにした。途中、スーパーで材料などを買い、響華の要望で洋菓子店にも寄って今に至る。
隣を歩く響華の両手が塞がっていた。敦美は半分荷物を持とうと響華が右手に提げる袋へと手を伸ばす。
しかし、すっと反対側の手に移動され、敦美の出した手は引っ込めざる得ない。思わず内心むっとして響華の顔を見ると、彼女は敦美の行動を見透かしたように口角を上げて笑うと機嫌良く視線を逸らした。
敦美としてはしてやられた気分だ。なんとなく悔しい。
「――ただいま」
「おかえりなさーい。あら! 響華ちゃんも! 久し振りねーっ。もうすっかり美人さんじゃないの!」
自宅に帰ると、敦美の母・斗乃香が笑顔で2人を迎えた。
「こんにちは、おばさん。今日はお邪魔させてもらいます。あの、これどうぞ」
「まぁっ、ありがとうね! そんな気にしなくっていいのに! しっかりしてるわね、響華ちゃんはー」
よそ行きの笑顔を浮かべた響華から斗乃香は洋菓子店の袋を受け取りつつ、ジト目を娘の敦美に向ける。
「それに比べてうちの子はー……」という無言の訴えを含んだ視線を、敦美は知らぬ振りをして流し、スタスタと台所へ向かった。
「響華ちゃんとお料理の練習? へぇー、うちのお姉ちゃんがねぇ。じゃ、夕飯は2人が作ったものってことで任せたわーっ。娘の手作りなんてお父さんもきっと喜ぶわよ!」
「はい、任されました」
響華が礼儀正しく請け負う。敦美はあえて無言だ。
斗乃香は「バトンターッチ」と明るく楽しそうに笑って洋菓子を冷蔵庫にいそいそと入れてから自室へと姿を消した。
斗乃香の姿が消えた瞬間、響華は肩の力を抜く。
「はぁ。アンタのうちってホント明るいわよね」
「――うちの母、騒がしいよね。ごめん」
「確かにテンション高いけど。まぁ、そうじゃなくて『領王』の家っぽくないってことよ。敦美って家族と仲良いわよね」
「別に、普通だよ」
「……ドラマの世界みたいだわ……」
響華は遠い目をして、敦美達家族が普段過ごしているリビングを見渡す。彼女の真紅の瞳は寂しさに陰ったようだったが、直ぐにいつもの強気な響華に戻ると、手を洗ってスーパーの袋からエプロンを取り出した。
着用してまた手を洗うと、敦美に向き直る。
「じゃ、さっさと始めるわよ」
敦美は同じように手を洗い、エプロン姿の響華をぼんやりと見つめる。
「……敦美、自分のエプロンを持ってきなさいよ」
そう言われても、敦美の私物にそんなものは存在しない。
棒立ちの敦美の様子に、響華は嘆息しながら「だと思ったわ……」と呟いてスーパーの袋から響華とは色違いのエプロンを差し出した。
敦美は興味深げにエプロンを見つめつつ、漆黒の瞳を輝かせて受け取った。
「――スーパーって食べ物以外の物も売っているんだ。コンビニみたいだね」
「雑貨はどこでも多少は置いているわよ。それより敦美、作るものに希望はあるわけ?」
「――華やかな感じで……」
敦美は、空中で丸を描く謎の手振りをする。
響華は眉根に皺を寄せて、敦美の仕草を見なかったことにした。
「特に食べたいものは無いのね。私が決めるわ。アンタは家庭科の実習なんて出たこともないんだったわね? 単純で簡単なものだけにするわよ。手始めにもう一度手を洗って、買ってきたプチトマトとキャベツを洗って、それからボウルを出して洗って、卵を割りなさいよ」
「――響華、どれだけ私に洗わせるの……」
「洗う、焼く。今日は包丁は使わないわ。あと、品数を増やしたいならレトルト食品も考慮しなさいよ。アンタはレパートリーを1人で増やせるようになる気がしないもの」
「刃物ぐらい普通に扱えるよ」
「敦美、包丁をなめてるわね。普段アンタが触っている機械工具とは違うのよ。今日は却下」
(それじゃ何も作れないんじゃない……?)
敦美はうさんくさそうに響華を上目遣いで睨みながらも、素直にプチトマトとキャベツを洗う。それから卵を手に取って固まった。
(割る……?)
響華がコンコンとボールの端に卵を打ち付けて、綺麗に割った。
隣でそれをしっかり観察してから、同じように打ち付けてみる。だが割れない。もっと力を込めて打ち込むと、ぐしゃあっと、中身が零れながら歪な形で割れた。慌ててボールに入れるが、殻の欠片が大量に混入する。
さっと顔色を変えて固まる敦美を尻目に、響華が横から手早くスプーンで混入した殻を丁寧に取り除いていく。
「――ごめん……」
「こんなのは慣れよ。殻が入ったって取れば平気だから。卵は菜箸で溶いて……じゃわからないわね、混ぜるのよ。敦美の家もだし巻き玉子は、甘い玉子焼きよね? 出汁と砂糖、あと塩を本当にパラっと振りかけたかわからないぐらいだけ入れて。塩は特に入れ過ぎると後戻りは絶対にできないわよ。ほんのひとつまみ分でも威力が絶大だから、扱いには注意して」
「――ねぇ響華。甘い玉子焼きなら、そもそも塩を入れる工程は必要無い作業なんじゃない? 入れなくても完成すると思う」
「必要よ。だから入れるの」
「試しに抜きで――」
「入れなさい」
最後は響華も命令口調でピシャリと敦美を黙らせる。その有無を言わせない迫力に、敦美は素直に従うことにした。
「アンタが効率重視なのは知っているわ。だけど、料理はレシピ通り作るのが基本よ。基本通り作ったって、同じ味が再現できないのが料理って代物なの。だから、料理過程を省いて創作で美味しいものを作れるのはプロの料理人だけ。次にそれなりに食べられる料理が作れるのは、普段からまともな料理を作ってきた人間だけ。敦美が自分で工夫して料理をするなんて一生手を出さなくてもいいくらいよ」
響華は茄子を切りながら、敦美にこんこんと言い聞かす。まるでお説教のようだ。敦美は真剣に響華の注意を聞いて頷き、言われるまま手を動かした。
響華の指示に従って、初めてフライパンで巻いた玉子焼きは上手く巻けなかったが、味見をすると美味しく仕上がっていて感動した。
(私でも巻き玉子が作れる! 作れるんだ……!)
また卵を割り、二度、三度と玉子焼きを作り続ける。繰り返し作ることで自信もついてきた。
無表情な敦美の頬がほのかに赤くなる。ほくほくと胸中で喜んでいると、隣では茄子のおひたし、ハンバーグ、ポテトサラダ、切り干し大根の炒り煮と響華が着々と品数を増やしていた。
敦美が玉子焼きに集中している間に、随分と時間が経過していたようだ。知らぬ間に響華が色々な料理を作っている。
「ハンバーグのたねは、明日アンタが焼いてお弁当に入れなさい。プチトマトと切り干し大根もそのまま入れていいわよ。レタスも1、2枚いろどりに使って」
「――私、だし巻き卵しか作ってないけど……」
「1つずつ作り方を覚えていくの。ハンバーグのたねもそうだけど、後はウインナーを炒める……アンタには焼くって言った方が通じるわね。ウインナーも焼くだけでおかずになるわ」
どうやら響華は長期で料理を教えてくれるらしい。
敦美は「ありがとう」と呟いたが、響華は特に返答もせず、さっとお皿を並べた。
「さぁ、好きなようにここにあるおかずを並べてみて。お弁当にどう入れるか、考えながらね」
「――うん。ねぇ響華、おにぎりの作り方も知りたい」
「おにぎりはアンタが毎朝続けられないわ。向いてないわよ。だから私は教えない。どうしても知りたいなら母親に訊けばいいわ」
意外な返答に敦美は目を瞠る。
「――おにぎりって、簡単なものだと思ってた」
「そうね、とんでもなくお手軽で簡単よ。でもね、朝の忙しい時間を潰されるの。本当にちょっとした手間で大した時間の消費じゃないんだけど、ご飯部分のひと工夫って積み重なると体感ですごく面倒臭くなるものなのよ。多忙で効率屋のアンタが毎朝続けられる忍耐があるとは思えないわ。まぁ、おにぎりだけのお弁当を作るっていうなら、おにぎりが一番早いお弁当に化けるんだけどね」
「――奥が深いんだね」
「深くないわよ、ただの常識」
敦美の額に、響華はつっこみのようにぺしっと軽く手で触れる。そして身を翻すと、スーパーで買っていたらしいタッパを出して、別によけてあったおかずを入れていく。
「さてと、私もそろそろ帰るわ。今日の私の夕飯分はしっかりもらっていくから」
「――あ。お弁当箱……」
「え? 持ってるわよね」
「――うん。でも、中身に合わせてお弁当箱も明るい色に変えた方がいいのかなって。響華はどう思う?」
「まぁ、女子で銀色一色の小判型アルミ弁当箱を使っているのは敦美だけだろうけど……」
(え……!? 私だけだったの。綺麗なのにどうして?)
衝撃を受けながらも、敦美は無表情を崩さず響華の答えを待つ。響華ならきっとどんな弁当箱がいいかアドバイスをくれると信じていた。
「敦美は、彼にどう見られたいの?」
だが響華の口から出たのはアドバイスではなかった。
突然、見定めるような厳しい真紅の眼差しを向けられて敦美は息を呑んだ。
――その問いには沈黙しか返せなかった。
弟の仁芸は地下の工房作りに夢中なのか、声をかけたのに夕飯に顔を出さないので放置して両親とともにさっさと夕飯を食べた。斗乃香達は敦美の手料理を褒めてくれていたが、敦美は生返事をしてそのまま自室に引っ込んだ。
響華が帰ってからも、敦美はぼんやりと言われたことを脳裏で反芻していた。
ベッドに寝転がり、何とはなしに電脳画面を空中に表示する。『領王』への申請書や部下の報告など、次々と大量に流れ続ける案件をぼうっと眺めた。
(……答えられなかった……。私が、水城君にどう……見られたいか……。どうして、お弁当の中身を気にしているのか)
輝夜の弁当がカラフルで可愛かったから――敦美も同じように……。
敦美は可愛く見せたかったのだろうか。
輝夜に、敦美自身を。
(可愛いなんて印象は『領王』にはよくない……。頼りないって、きっと不安な思いをさせてしまう)
なのに可愛く女の子らしさを輝夜に見せたいと敦美は考えていたのかと、知性と心が相反する現状に悩む。
(どうしてそう思うようになってしまったんだろう。……わからない)
敦美と輝夜の間には、9年の月日が流れている。けれど、2人ともあの頃から何も変わらずにいるのだと思っていた。少なくとも敦美は、変わっていないことに何よりも安堵していたはずなのだ。
何故、変わることを望み始めるようになってしまったのだろうか――……?
視界の隅に電脳画面のアプリがちらつく。
『藍らふらいふ』。藍領地の恋愛シミュレーションゲームだ。輝夜もその攻略キャラクターとしているという。
彼と恋愛をするというのは、どういうことなのだろうか。
どんな、ものなのか。
そっと、アプリに伸ばした手は電脳画面に触れる寸前で止まった。
敦美はその手を引っ込め、怯えたように身体を丸めて目を閉じた。
翌朝。胸中で矛盾を抱えつつ、それでも響華に教えてもらった料理に挑戦した敦美は、真っ黒に焦げたハンバーグと玉子焼きに愕然とする。
(そんな……昨日はちゃんとできたのに。何が間違っていたの!?)
こんなに焦げてしまっては食べられたものではない。捨てるしかないだろう。
敦美は昨日と同じように作ったつもりだった。違うのは、敦美の心情ぐらいだろうと思うのだが。
(これは手際、が原因なのかな。料理も技能が必要なんだ)
「――捨てちゃうのかい? ならお父さんが食べるよ」
父の冬衣が傍にやってきて、自身の弁当箱を差し出した。
「――こんなに焦げてる食べ物、身体に悪いよ……」
「――1日くらい平気さ」
娘の手作りに頬を緩める冬衣に促され、真っ黒な塊を弁当の隅に添える。
すると、斗乃香もいそいそと別の弁当箱を差し出した。悪戯っ子のように漆黒の目を輝かせ、口角をニヨリと上げている。
仁芸の弁当箱だ。敦美は斗乃香が差し出す弁当箱に残り全部を詰め込んだ。昨日の夕食も今朝の朝食も、家族が呼んでも食卓に来ない仁芸が悪いのである。遠慮することはない。
受話器マークが敦美の目の前に出現した。
敦美は手を止めて廊下へ出てから自室へ次元移動する。敦美が脳内で取るのを了承すると、透が電話画面に現れた。
「――おはよう、水名」
『おはようございます、『領王』様。朝早くに申し訳ありません。先ほど辛夷領地から、本日の13時に通信会談を行いたいとの申し入れがありましたので、了承の返答を勝手ながら致しました。折り返しでの返答は、藍領地への心証が悪くなると思いましたので』
「――いいよ、ありがとう。向こうが提案してくる前に、連絡を取ったこっちが事前に日付を決めて伝えておくべきだったね」
(電谷に動いてもらったのが昨日。早くて3日後ぐらいにお互いのスケジュールを照らし合わせて、日時を決める話し合いを始めると思っていたんだけど。辛夷領地はずいぶんと動きが早い……)
辛夷『領王』がせっかちなのか、それとも〝電牙葦成〟の問い合わせだから慌てているのか――……
『その、『領王』様。電谷君のことなんですが……』
「――電谷が、何?」
透は歯切れ悪く言いづらそうに口を開く。普段は鋭い水色の瞳も戸惑いに揺れているように見えた。
『ひょっとして電谷君は、藍領地の電脳族の中で優秀な部類というのではなく、〝宙地原世界の中で優秀な電脳族〟なんでしょうか……? 辛夷領地にこんなに早く渡りをつけられるなんて』
透は電谷への疑念を口にしながら、敦美に対して疑惑の眼差しを向けていた。
敦美は視線を逸らさず、じっと正面から透を見つめ返す。返答はしない。
(そう。水名達、水族本家が雇った電谷は凄いんだよ。私は他人に自分の能力の幅を開示する形になっちゃうからそうだって言わないけど)
藍領地で電谷が過小評価される最大の理由――それは電谷ができることは敦美もできるからだ。
機械族の敦美に劣る能力だから、電脳族の電谷の能力は低いとされている。
しかし、ついに透は気付いたようだ。
電脳族と名乗っても遜色ないほどの、強大な電脳族の能力を持つ機械族――敦美が、機械族として異常なのだと。




