第2章 まどろみの日常
新しい学校の校門をくぐる瞬間だけは、ひとさじの勇気が必要だと輝夜は思う。
しかも、もう昼休み。遅れるといっても限度がある。
輝夜が尻込みしながら下駄箱へ向かうと、通りかかった女子生徒が職員室の場所を教えてくれた。
襟元に〝地王〟と名字が刺繍されていて大地族だと分かる。個人的な見解だが、どこの領地でも大地族は優しくて親切な人が多い。
(やった! 機國さんと同じ学校だ!!)
女性との黒基調のセーラー服を見て、心の中でガッツポーズを取る。校内ですれ違ったり、落とし物を拾って話しかけるなんてことがあるかもしれないと、甘い想像に期待が膨らんだ。
「おー、ミズキか。よく来たなぁ」
職員室で顔を合わせた担任の銅倉という鉱物族の男性教諭は、中年でお腹が出ているかっぷくのよい体格だった。ほがらかに輝夜を迎えてくれる。
輝夜が遅れたことをさして気にしない様子に、ほっと安堵した。
「名字は『ミズシロ』と読みます」
「そうなのか。すまんなぁ」
「いえ、よく読み間違えられるので」
申し訳なさそうに頭を下げる銅倉を見て、輝夜は優しそうな先生に当たったと喜んだ。
「山茶花領地から来ました。水城輝夜です」
教室での輝夜の自己紹介に、ぱらぱらと、まばらな拍手が送られた。男子も女子も真顔か反応しづらそうな微妙な表情をしている。
十中八九、輝夜の読みにくい名前と、どっちつかずな容姿のせいだろう。一部ニヤニヤと笑う輩がいたので、輝夜はなるべくそちらを視界に入れないようにした。
彼の種族をズバリ当てられる自信がある。絶対に電脳族だ。
昔、あの手の輩に電脳で〝男の娘〟(??)とかいう意味不明な書き込みをされて、勝手に裏で祭り上げる奇怪な所業をされたことがある。その人物は本人に了承もなくアイドル的に持ち上げておいて、学校で問題になった際はしらばっくれた。責任を取らされたのは何故か被害者の輝夜である。
それまで電脳でそんなふうに晒されていたことすら知らなかったのに……あまりに酷い。苦々しい悪夢とも言える記憶で、それ以来、輝夜は電脳族が苦手だ。
(まさか藍領地って電脳族が多いのかな。関わり合いになりたくないんだけど。あっ、電脳族とのハーフだけど、機國さんは勿論別として!)
見渡した2年1組の教室内は3分の1が空席で閑散としていた。
(風邪が流行ってる……?)
輝夜は教室の出席率の悪さに怪訝な顔をした。
「えー、とりあえず空いている席に……いや、ほとんど空いているな。じゃあ窓際の後ろから3番目に座ってくれ」
「はい」
指定された席に向かいながら窓際の1番後ろの席――……隅の席が他の席から随分と距離をとって離され、後ろの壁近くまで追いやられている状態が気になった。
(先生良さそうなのにイジメがあるのか……?)
「1番後ろの席からは、いくらでも離れていいからな。一応、水城が座る席の真後ろと斜め後ろも空席にして距離は取っているんだが。静電気は耐えられるものじゃないからなぁ」
「静電気って雷族ですか?」
「ああ。本人も離れてくれた方が気楽だそうだ」
ようやく輝夜は合点がいった。
(なるほど。みんなに静電気の被害出さないように席を離しているのか)
雷族はいつの時代も周りを気遣い、苦労して生きているイメージがある。彼等が常に体から発している微弱な電気は他の種族には痛くてたまらず、電化製品もまともに使えないという話だ。正直、この電気機器に囲まれた現代社会でどのような日常生活を送っているのか謎だ。
「……」
1人離れて授業を受けている姿を思い浮かべて気の毒になった。
輝夜は足を止め、軽く手を挙げて教壇へと振り向く。
「あの、先生。俺は大丈夫なので後ろから2番目に座ってもいいですか? そこも誰の席でもないですよね?」
輝夜の提案に、銅倉もクラスメイト達も、ぽかんと口を開けた。
「そうだが……いやいや。座れるような席じゃないぞ!?」
「本当に平気です。他人の能力の影響を受けにくいのが俺の能力ですから。目に見えないぐらいの薄い水の防御壁でいつも自然と防げているので」
(まぁ、自分の意志じゃ水1つ操れない非戦闘能力だけど。こういう無意識の防衛力ってひょっとしたら暴走状態かもしれないなぁ)
なので兄の水没攻撃を寝ていて受けても溺れることもない。ぶっちゃけると、輝夜は力を使っている感覚すらないのだ。
だが子供の頃から他の種族と喧嘩して攻撃されても怪我をしたことがなかった。どうして平気なのか父に疑問をぶつけたところ、先ほど輝夜が言った返答をもらったのである。
平然と着席した輝夜にクラスメイト達はわっと沸き立つ。驚きの声がそこかしこで上がった。
「マジで大丈夫かよ!? ただの雷族じゃないぜ。うちの『二位』! すげー強いの!」
「え!? 領地ランカー!?」
それを聞いて輝夜は驚く。
男子生徒の1人が得意げに笑った。
「そう。1組は藍領地の領地ランカーを一纏めにしているクラスなんだぜ。今日休んでいる奴は全員ランカー。仕事で欠席してるってわけ」
「『領王』様だっているよ」
(機國さんがこのクラスに!?)
輝夜の鼓動がドキリと跳ねた。
だが直ぐに、輝夜がこの領地の支配者達と同じクラスなのは偶然ではないだろうと思い当たって顔色を曇らせる。彼等の目に届くように、という思惑が容易く想像出来てしまう。一瞬跳ねた鼓動は早くも静まることになった。
――水城家は胡散臭い。
様々な領地を転々と引っ越す行動も非常に怪しく、きっとどこかの領地工作員だと疑われているのだ。 毎度、兄の精神的な病気を診てくれる病院を探しているという半分本当の理由を転居書類に記載して提出しているそうなのだが、それで誤魔化せるほど入領審査は簡単ではないだろう。
あの機國敦美に疑われているのだと思うと、輝夜の気分がどんどんと沈んでくる。
「無理ならいつでも席を替えていいからな」
気遣ってくれる銅倉の声を、どこかうわの空で輝夜は聞き流していた。
◇◇◇
そう時間も経たずに下校時間となる。
輝夜は詰め襟の学ランやセーラー服姿の生徒達を横目に見ながら、校門を出て溜息を零した。あの制服を輝夜が着られる日は果たしてくるのだろうか。
自身が着用しているブレザーの制服を見下ろす。最初に入った高校の制服だったと思うのだが、もう領地名も高校名も覚えていない。
(俺はこの制服以外は着られないのかな……)
新しいクラスメイト達は、積極的に輝夜に話しかけてくれて、とても気さくだった。彼らの口振りから、同級生の『領王』と領地ランカー達を誇りに思っているのも肌で伝わってきて、自分もその一員だったらどんなに良かっただろうと、心底羨ましくてたまらなかったのだ。
輝夜は溜息を吐く。自分も機國敦美と同じクラスメイトのはずなのに1人だけ部外者だ。
鬱々《うつ》と沈みかけた次の瞬間、ぽんと背中を叩かれて振り向いた。
そこには、ふっくらとした丸い顔にレトロな銀縁丸眼鏡。その奥にあるまた丸い目を生き生きと輝かせる青年が立っている。
(げ。クラスの電脳族っぽい奴……)
ニタニタ笑いで輝夜を見ていたから、顔を1番に覚えてしまった。
しかし教室にいた時のニタニタ笑いが今は消え、意外と言っては失礼だろうが、とても明るく爽やかな笑みを浮かべている。
「いやー、廃校した雉子領地の桐煌制服とは面白チョイスっすな」
「は……?」
「それで山茶花領地からっしょ? 不思議ちゃんめ。何狙いなの? 気付くの俺しかいないんだけど! まさかの俺を狙い撃ち?! 色々妄想してたら可笑しくってさ。もうずっとツボってた」
あははと楽しそうな笑い声は、からっとした心地良さで、あまりいい感じのしなかった第1印象がガラリと変わるインパクトがあった。
何より輝夜の顔立ちを見てニヤニヤ笑っていたのではなかったことに好感が芽生える。
(え。なんか普通にいい奴そう……)
「俺、電谷ね。頭おかしい電脳族の1人でーす! 呼び方はやっくんでも、やっちゃんでも、クソ電波でもお好きにござれ~。ちな、俺は名前の方で呼ばせてもらおう! 藍領地ったら圧倒的な水族人口率! 君達を名字呼びは混線し過ぎて俺が死ぬ」
「あ、うん。よろしく、電谷……」
「〝やっくん〟ください!」
(……「お好きに」とはなんだったんだよっ)
「や、やっくん……」
「ういうい! かぐやん!」
瞬時、ひゅっと輝夜が息を止めた。
顔を強張らせた輝夜に電谷も直ぐに気付く。
「あ、嫌だった? じゃ、てるやんで!」
「……な、んで……かぐ……」
「やー、だって名前の漢字、素直に読んだら『テルヤ』か『コウヤ』、『カグヤ』って読めたからさ。正直『テルヤス』って読みにくくて勝手に改名すまんかった!」
まだ固い表情を崩さない輝夜の背を、電谷は軽くぽんぽん叩く。
「途中まで一緒に帰らん? どっか寄りたいトコあったら案内しますわ。とりあえず駅前へゴーっすな!」
「う、ん……」
さらっと電谷が話題を変えたので輝夜はほっとした。
だが『かぐや』呼びの驚きが残り、まだ激しく心臓が波打っていて静まりそうにない。
(……やっぱり兄貴と同じように、俺も漢字ごと改名するべきだって)
〝輝夜〟という字は、逃亡生活を始めてから〝てるやす〟と読み名を変更しているのだ。
――本当は〝かぐや〟と読む――……
この程度の変更では普通に読めてしまうし、意味が無いと昔から思っている。
しかし完全に改名した兄とは違って、両親は頑なに輝夜の名前の漢字を変えない。輝夜の名前はどんな読みになろうと〝輝夜〟のままでなければならないらしい。
このこだわりは、まさかとは思うが絶縁しているはずの父の実家が輝夜の名付けに関係しているのだろうか。
(あれ? 父さんと母さんは名前を改名してないよな……?)
突然、疑問が湧いた。
追われている兄と共にいるからと、家族の中で輝夜だけがどうして呼び名だけでも改名を余儀なくされているのだろうか。
(これじゃまるで、俺まで隠れて誰かから逃げているみたいだ――……)
不可思議なことに、9年間全く気付かなかった疑問を見つけて輝夜は内心愕然とした。
※「入領(読み:にゅうりょう)」は、入国にあたるものの造語です。




