第1話 藍『領王』の朝風景
朝6時。
漆黒の瞳に、肩までの鈍色の髪をさらりとなびかせながら、美しい少女が鏡を覗き込む。
彼女はまだ寝たりないらしく、眠たげな目を軽く擦り、髪を手で撫でつける。それから黒基調のセーラー服のスカーフの位置を直し、少女にとって、ひと通りの身支度を終えた状態になると鏡から離れた。
パイプベッドと、うっすら埃をかぶる学習机。あとは鏡ぐらいしか家具が置かれていない殺風景な自室のドアを彼女は開けた。
ドアの先は自宅の玄関。少女が自ら作り出す次元空間内にある自室は、玄関に身体を出したと同時にドアごと音もなく消え去った。
彼女の持つ、電脳族の力によるものだ。
彼女の名前は、機國敦美。17歳。
機械族と電脳族の2つの種族の力を持つ、特殊な機械族である。
9年前に開かれた闘技大会に8歳で出場し、見事優勝を果たした。この藍領地の支配者、現『領王』だ。
「お姉ちゃん、おっはよっ!」
「――おはよう」
早朝から元気いっぱいな挨拶をする母親に、敦美は淡々と挨拶を返し、靴を脱いで廊下を歩く。
敦美の母・電富斗乃香は、娘の言葉を聞き終わる前に台所へと姿を消した。バタバタと忙しなく、洗面所と台所を交互に行き来している。
食卓には、家族4人の朝食が既に揃っていた。
ソファに座って朝食の開始を静かに待つ敦美の父、機國冬衣の姿もある。
敦美はリビングを見渡した。弟の姿がない。
「はいっ! このお味噌汁で最後よっ! みんな、もう食べましょ食べましょ!」
「――仁芸は?」
「仁芸ねー、家の地下を掘ってるわ! お姉ちゃんが許可を出してくれたからってもうそればっかり。男の子って秘密基地なロマンが好きよねーっ」
「――お母さん。秘密基地じゃなくて、地下工房だよ」
「――いや、工場を兼ねた格納庫だ」
敦美の指摘に、冬衣がすかさず訂正を重ねる。
「秘密基地ねぇっ! 私アニメでしか見たことないから楽しみっ!」
だが、斗乃香は敦美と冬衣の声がまるで聞こえていない様子で目を輝かせていた。電脳族らしい我が道をゆく、マイペースさである。
「あぁ! 『電脳族の次元シェルター能力が秘密基地みたいなもんだろ!』ってつっこみは野暮よ野暮! 全然違うのよーっ。やっぱりこう、他人も呼べる特別な空間! そこで育まれる絆とロマンス! くうーっ、次のゲームはこのシナリオでいこっ!」
楽しそうに1人で喋り倒す斗乃香を尻目に、父と娘は「いただきます」と告げて黙々と朝食を食べ始めた。
電脳族はお喋りな人間が多い。
敦美は2人の能力を受け継いで生まれたが、性格だけは父親の血しか流れていないと常々思っている。
それに比べて、電脳族の力を一切受け継がなかったはずの機械族の弟・仁芸は、電脳族の趣味趣向に近い性質なので、斗乃香の血を色濃く継いだのは仁芸の方だろう。
今朝も無口な2人に代わって、斗乃香は1人で場を盛り上げ、楽しそうに喋っていた。
耳を傾けるだけの冬衣だが、たまに口角を上げて微かに笑っている様子が窺える。明るい妻の話をただ聞くばかりの時間が冬衣は何よりも好きなのだ。
こうしたふとした瞬間に、両親の仲の良さを垣間見れる。
敦美はさっさと朝食を食べ終わり、食器を台所に持っていって洗う。弁当バックを手に取って玄関に向かった。
「あ! お姉ちゃん、もう行くの!」
斗乃香が敦美を送り出すために慌てて追いかけてきた。
「いってらっしゃいねーっ」
「――いってきます」
敦美はドアノブを掴んだまま動きを止めた。
「――お母さん」
「ん?」
「――本当はもう言わないでおこうと思っていたけど、言っておくよ。電須佐由が、この世界に1ヶ月前から帰ってきてる」
「……会ったの……?」
「――ううん。私はまだ直接会ってない。でも昨日、変なアプリがバラまかれたし、何か接触があるかもしれない。念のため」
斗乃香は、ふうっと溜息を零すと苦笑した。
「そ。じゃあもし私の代わりに顔を合わせることがあったら、「佐由、親の墓参りぐらいしなさいよ! 私がずっと掃除してんのよっ」って伯母が怒ってたって言っておいてちょーだいっ!」
敦美は頷き、玄関を出る。
玄関の扉を閉めると、そこはいつも立ち寄るコンビニの前だ。
コンビニの自動ドアをくぐると、敦美の前にコンビニの店員が整列し「いらっしゃいませ」と頭を下げてくる。
敦美は片手を上げ軽く応じて、いつものようにブラックコーヒーを棚から手に取りレジへと向かう。歩きながら、ふと外を眺めた。
(水城君の家……ここから近いよね)
無意識にそう考えて、敦美は眉間に皺を寄せる。
(だから、何……? 護衛は雷がやっているし、私が彼の自宅に行く必要はないはず)
――〝水城輝夜〟
敦美は幼い頃、彼に闘技大会に出場する勇気をもらい、自殺まで止めてもらったことがある。今の『領王』という立場と命があるのは、彼のおかげだ。かけがえのない大切な恩人である。
1ヶ月前に、その輝夜と9年振りの再会を果たし、彼を守り続ける決意と新たな約束を敦美は誓った。
輝夜は水族と偽っているが、『皇族御三家』の1つ、月族の生まれで、他の皇族に狙われている。
『領王』として水族本家にも要請を受け、水城家を護るという約定を交わせたことは、敦美にとって喜ばしいことだった。
彼を守ることこそ、敦美がここまで生きてきた意味に他ならないと思う。そのために『領王』になったのだという自負があったから余計にだ。
……だが、このコンビニから輝夜の家が近いと考えるのは、特に守ることには何も繋がらない。
どうしてそんなことを考える必要があったのか、自分自身の思考回路が理解し難いと、敦美は悩んだ。
視線を下げると、雑誌棚に並ぶ料理のムック本が目に留まった。上部につけられた『誰でも簡単に作れるお弁当レシピ!!』というフレーズに目が釘付けになる。
最近、敦美はコンビニ弁当をやめた。
たまに通う学校で、輝夜と昼食をともにする機会もあり、それがコンビニ弁当だと何故か気恥ずかしい。輝夜の隣で食べても恥ずかしくないように、今では毎日斗乃香に弁当を作ってもらっている。
ただ、中身は父や弟のついでなので、どうにも茶色い色合いのラインナップなのが気にかかっていた。
輝夜が食べている弁当がカラフルで可愛いのだ。
そのせいだろうか。何となく、敦美は苦々しい気まずさを感じている。
しかし、斗乃香に作ってもらっている立場で、敦美の分だけ別の中身を作る手間をかけさせるのも忍びない。
『領王』の権力を使って、弁当を作る料理人を雇ってもいいのだが、それは何かが違うと感じる。何よりそのことが輝夜の耳に入ったら非常に恥ずかしい気がして実行したくない。
敦美は料理本をそっと手に取り、試しにぱらりとページをめくる。
本には、輝夜の弁当のような色鮮やかで豊富なおかずのレシピが、写真付きで事細かに紹介されていた。
(別に料理なんて、『領王』に必要な技能じゃ――)
頭では否定しながらも読み進めていく。だが次第に敦美の表情は渋くなっていった。
(乱切りってどう切れば……? こす? どういう状態……? 塩を少々? 重要なことを曖昧に書く理由は何? これじゃわからないよ。本当に、これで完成するの……?)
何度も表紙の謳い文句である『誰でも簡単に作れる』という文字を確認して目を白黒させた。
敦美には、料理用語が理解不能過ぎる。
これほど文学的で感覚に任せる詩的な単語で記載する理由は何なのか。これをよしとするこの分野がわからない。敦美のような文系音痴の朴念仁には、料理が到底ひも解くことが叶わない難問のように思えた。機械の設計図のように、必要最低限かつ正確な数値と図面であってほしいのだ。
(私がこんなお弁当を作っているって言ったら……水城君は、どんな顔をするのかな)
出会った当初の面影が残る顔立ちで目を細めて優しく微笑む輝夜の姿を、敦美は自然と頭に思い浮かべていた。
(ちょっと頑張ってみようかな)
いつもの無表情に戻ると、ブラックコーヒーとその料理の本を早足でレジへと持っていった。
次元移動でコンビニの自動扉の前から、藍領地本部高層ビルの玄関の自動扉の前に出る。
すると、同じ制服姿の響華が目の前に立っていた。
「あら、敦美。おはよ」
「――おはよう、響華」
藍領地階級順位『九位』、炎乃響華。
敦美とは姉妹弟子でもあり、幼馴染みだ。
響華は敦美の隣を歩き、茜色の長いウェーブの髪を掻き上げながら、真紅の瞳をつぶってふわあっと眠そうなあくびをした。
「――朝早いの、珍しいね」
「透に呼び出しくらったのよ。面倒だけど、ストーカー族長関連だって言われるとね。無視するのも気持ち悪いから、一応耳には入れておこうって気になったのよ」
「――あのアプリの件かな」
「削除も出来なくて、ちょっとキレそうになったわ」
響華は携帯端末を気怠げに取り出した。それから画面に表示される『藍らふらいふ』という名のアプリを忌々しそうに、にらみつける。
「使おうとしたら、毎回この勝手にダウンロードされたアプリのアイコンを見せられてイラッとくるのよね……!」
「――起動はしてないんだ」
「だってコレ、あのストーカーに藍領地の情報を流すためのアプリでしょ。まさか敦美、触ったの?」
ストーカーこと、現・電脳族族長、電拳剣。
敦美の弟、仁芸が作った〝ヒナ〟というロボット欲しさに、過剰なストーキング行為を機國家にしていたため、敦美が1年前に藍領地から永久追放した青年である。
彼は先日、葛領地ランカーを使って、藍領地で爆破事件を引き起こした。
裏で皇族御三家の1つ、宙地原族に情報を売り、藍領地『領王』である敦美と上位領地ランカーを暴動で領民に殺させるというたくらみに関与していたのだ。
さらには輝夜も狙っていた節がある。
後日、敦美は機械族族長に要請し、彼の人工衛星の権限を取り上げる制裁に至った。
「――私は起動してないよ。ただ、電谷はどんな情報が流れるアプリか、分析のために起動したはず」
「じゃあ、これから何のアプリだったか発表会なわけね。あの男、腐っても電脳族族長なんだわ。敦美と電谷が取り除けないようなアプリを作って、遠方から藍領地にバラまくなんて」
「――あれから、1ヶ月。何か仕掛けてくるとは思っていたから、むしろ遅いぐらいだよ。人工衛星が無くなって、他の電脳族と同じように、彼も電脳で情報を集めるしかないはずだから」
「根に持つ男なのよね。藍領地から追い出した敦美のことを逆恨みしているのも判明したし、気をつけなさいよ?」
響華の案じる声音に、敦美は静かに頷いた。
2人はエレベーターに乗り込む。上昇する数字から目を離した響華は、敦美が提げるコンビニ袋に目を留めた。
「雑誌? 珍しいわね」
ひょいっと気軽にビニール袋の中から、響華は弁当のムック本を取り出す。
この遠慮の無さは敦美と響華の間ではいつものことだったのだが、今日の敦美は固まった。
(あ……私が料理本なんて……。響華、笑うんじゃ……)
敦美は胸中でかなり動揺していた。
無表情を崩さずに響華を見つめながらも、いつ「似合わないわね」と馬鹿にする言葉が投げられるのかと、密かに身構える。
「コレが大さじ2? 小さじ2の誤植じゃないのかしら」
響華はそう呟くと、パラパラとめくっていたムック本を閉じて敦美に返却した。
「目新しいレシピは無かったわね。ありがと」
何でもなさそうな響華の態度に、敦美は虚を突かれる。
「――響華。まさか……料理、出来るの……?」
「まぁ、人並みには作れるわよ。自分の分のお弁当もいつも作っているし」
「――料理なんて、響華は面倒がると思ってた……」
「馬鹿ね。料理作りよりダイエットの方が私は面倒だと思うわよ? アンタみたいにコンビニの店屋物で楽に済ませた分はね、そのうち倍の面倒が身体に積み重なっていくのよ。ダイエットをする日が来るなんて考えるだけで疲れるわ」
エレベーターの扉が開く。さっそうと出て行きかけた響華の腕を敦美は強く引っ張った。
再びエレベーターの中に引っ張り込まれた響華は、腕に絡む敦美をうろんげに見る。
「何よ?」
「――響華。料理……出来るんだよね」
「はあ? ねぇ、それ何度も聞くこと?」
響華は文句を連ねようとして、間近に迫る敦美の真剣な顔に面倒くさそうに嘆息した。
「敦美、男相手なら勘違いさせる距離よ」
「――料理、教えてほしい」
「母親に教えてもらいなさいよ」
「――忙しいの」
「つまり私がアンタの母親より暇だって思っているわけね。いい度胸じゃないの」
「――そんなに忙しいの、響華」
「ええ。さっさと帰って、ドラマの続きを見なくちゃならないわね」
「――……。なら『領王』命令。『九位』ランカーの仕事を真面目にするか、私に料理を教えるか、どちらか選んで。じゃないと、今日から給料出さないから」
「はぁ。仕方ないわね。敦美に料理教室を開いてあげるわよ」
敦美は微かに顔をほころばせると、抱きついていた響華の腕を解放する。
そんな幼馴染みの仕草に、響華は口角を上げて笑むと大袈裟に肩をすくめた。




