第29章 始まりの日常へ
事件から2週間後。
水城家は、水族本家から自宅へと戻った。
そのタイミングで向かいの家に、涼柁と草乃が引っ越してきた。
自宅の目の前は空き地だったような気がするが、輝夜は2週間前に約2日程度しか過ごしていない近所の光景なんて記憶も曖昧だ。きっと気のせい……だろう。
でなければ、2週間で立派な2階建ての一軒家が建ったことになる。ちょっとした欠陥があるのではないかと疑いたくなる早さで怖い。
朝、輝夜が玄関を出ると、向かいの門の前に淡いピンクのランドセルを背負った人型の草乃がワンピースの裾を押さえて、もじもじしながら立っていた。
「おはよう、草乃ちゃん」
「お、おはようなん……輝夜様」
草乃は輝夜にお辞儀をして、はにかんだ。
(おお、礼儀正しい。小さいのに偉いなぁ)
「今日からこっちの小学校に転入だっけ?」
輝夜の問いに草乃は、こくりと頷く。
(草乃ちゃん、かなり人見知りする子だけど大丈夫だろうか)
「草乃、お待たせなん」
家の中から涼柁が出てくると、草乃はパアッと笑顔になった。嬉しそうに涼柁と手を繋ぐ。
草乃と違い、涼柁は人型ではなく二足歩行の狼姿の半獣型だ。
その姿は藍領地で目立つと思うのだがいいのだろうかと輝夜は心配になる。
「おはようなん、輝夜君」
「おはようございます。えっと、涼柁さん、半獣型……なんですね」
「僕、この姿が1番楽なん」
尻尾を振って満面の笑みでそう言われると、続く言葉が出てこない。
涼柁は天然でおっとりとしているが、何と言うか、大胆で剛胆な人物でもある。
この2週間、誰に何を言われても1度やると決めたことを曲げない意志の強さを、水族本家でともに過ごしていて見ることになった。頑として桔梗領地には帰らないという意志を貫き通し、輝夜は尊敬の念を抱くほどである。
意外と彼はリーダー向きの性質かもしれないと輝夜は思った。
輝夜が「佐由さんとは住まないんですか?」とこっそり聞くと、涼柁は首を傾げて「うちには女の子の草乃がいるん。赤の他人の男性を家に入れるなんてありえないん」とばっさり斬られた。
(何か思ってたより佐由さんの優先順位が低い……っ!?)
「おはよう、水城」
「雷、ごめん! おはよう」
開口一番謝罪の言葉を口にする輝夜に、迎えに来た秀寿は苦笑する。
「ただの登下校なのに気にしすぎだ」
「でも毎日、俺の護衛を兼ねた送り迎えって大変じゃん」
輝夜は申し訳なさすぎて胃が痛くなりそうだ。
秀寿は輝夜の気負いを「じゃあ、『ごめん』は禁止で」と爽やかに笑い飛ばした。
それから輝夜と秀寿は涼柁達と別れ、学校へと向かった。
2週間ぶりに通った校門の先は、また景色が変わっていた。
運動場が消えている。いや、正確には運動場の地面が合成ゴム舗装をされて土の地面の場所がなくなっていた。
(これ、俺のせい……だよな)
環境を強制的に変えられた運動部の人達のことを考えると申し訳なくてつらい。
秀寿は、落ち込む輝夜を気遣って告げた。
「この運動場で不都合な人と大地族の生徒は、みんな転校してもらったから大丈夫だよ」
「ちょっ!?」
さらっと度肝を抜いてくる秀寿の発言に、輝夜は愕然とさせられた。
「ひゃっほー! てるやん、アズ様ー!」
教室に行くと、朝からテンションの高い電谷が迎えてくれる。
輝夜はショッキングなことが続いて気力を無くしかけていたので、電谷の明るさには救われた。
気分が上向けば、周りを見る余裕が出てくる。転校初日ほどではないが、領地ランカーの席の空きが目立つようだ。
機國敦美の席も、空席だった。
(機國さんに会えると思ってたけど……やっぱり忙しいんだな)
がっかりした。でも密かにほっと安堵もしていて、臆病な自身の心に情けなくもなる。
どうやら輝夜は、この2週間病欠ということになっていた。クラスに馴染む時間を見事に逃し、クラスメイト達に一線を引かれてしまった雰囲気がある。
しかも、突然白い髪と瞳になって戻ってきたのだ。どれだけ病が重かったんだと腫れ物に触る扱いを受けても仕方がないと思った。
窓硝子越しの晴天を自身の席で眺めていた輝夜は、はあっと憂鬱な溜息を吐く。
「このまま、雷以外の友達が出来なかったらどうしよう」
「てるやん!? それ大親友の俺の前で言う!?」
「やっくんも〝親友〟って別カウントじゃなくて〝友達〟の中に入れていいのか?」
「おっとカテゴリーの話? それとも概念の話? 精神的なふわっと俺語りもあるでよ。どの見解が聞きたいデス?」
「じゃあ、全部」
「ほほう!」
輝夜の前の席に座る電谷は、芝居がかった口調で流暢に持論の親友論を語り出し始める。
実はこの2週間で、輝夜と電谷は随分と親しくなった。彼も一緒に水族本家に滞在していて、自然と話す機会が多かったのだ。
電谷の方は、消滅した次元空間を再創造するのにまだ時間がかかるらしく、完全に直るまでは悪意ある人物に狙われても自力で逃げられないので、水族本家に匿ってもらう生活を続けているそうだ。
(やっくんが今使えている物を移動させる力と、使えなくなっている次元移動やシェルターの力は、実は全然別の能力なんだよな)
月族に戻ってから、輝夜は色々な他種族の力について直感的にわかるようになっていた。
中でも電脳族と氷族の力については、手に取るようにその特性がわかるので、こうやって思索にふけることがある。
(佐由さんも、多次元世界を操る能力が独立している。普通、種族の能力は多彩に見えて源は1つ。一部だけでも使えない状態になると、完全に全ての力が封じられるはずなんだけど、電脳族は違う)
電脳族は、最低でも異なる2種類の力を持つ種族だと知った。
太陽族と宙地原族でさえ月族の補助が無ければ持ち得ないこの特性は、上位種族の証だと輝夜は思う。
だが、肝心の電脳族自身はその凄さに気付いていない。
月族の輝夜だけが気付いた特性――なのだろうか……?
(いや、太陽族は気付いている。だから佐由さんを、わざわざ凰十さんの――『皇帝』陛下の義弟として特別に養子にしたんだ)
種族の階級順位制度がこの世界に蘇ったら、多分電脳族は太陽族によって皇族御三家に迫る高い地位を与えられると、輝夜は感じている。
でもそれは、宙地原族を怒らせる決定だろう。
(兄貴みたいに、2つの種族の特性を力で持っているハーフって実際に強いし)
輝夜はそう考えながら、篁朝ではなく、藍領地『領王』の少女の姿をまぶたの裏に思い起こしていた。
(だからハーフでもないのに、生まれた時から2つ以上の特性を持っている電脳族は、やっぱり種族として凄いんだよ!)
『主上も特別な特性をお持ちです』
輝夜の深層から『かぐや』の声が聞こえる。輝夜は苦笑いすると、優しく大切な宝物を抱き締めるように心の中で呟いた。
(『かぐや』ありがとう。……その、ずっとさ)
すると、存在しないはずの『かぐや』が柔らかく微笑む顔を、輝夜は視た気がした。
「お昼、中庭にしません?」
電谷が財布についている丸い輪っかに人差し指を通して、くるくると回しながら訊く。
弁当を持って隣を歩く輝夜は頷いた。秀寿も了承の笑みを浮かべる。
「天気も良いし、いいね」
「おっと、じゃあ素早く購買で惣菜パン確保してきますわ! ……うおぉわっ!?」
回していた財布が、指からすっぽ抜けて彼方に飛んでいった。
「ちょっ!? 後生だから逃げないで!? 俺の生命線ー!!」
電谷は走って、空中を旅する財布を追いかける。
輝夜と秀寿はそんな電谷を見送り、互いに目を見交わして笑った。
中庭は四方を校舎に囲まれている作りだが、閉塞感はない場所だ。
煉瓦の床、ベンチや石のチェス台などがあり、植木も多く校舎内よりも広い。植木には根っこの土が出ている部分に籠のような鉄の囲いがしてあり、元からあったものなのか、これも輝夜のせいなのかはわからない。
輝夜は中庭の隅のベンチに腰かけた。
目の前には大きな銀杏の樹がある。黄色に染まりかけた葉の間から木漏れ日が差し込み、暖かい。風は秋に向けて涼しくなり始めており、心地よい案配だ。
輝夜は持ってきた弁当を広げる。
電谷は、ああ見えて人を待たせていることを気に病むタイプなので、電谷が気にしないように先に食べ始めることにした。
秀寿はポケットから小さなパックのゼリー飲料を取り出して飲んでいる。
「雷、本当にそれだけで平気なのか?」
「ああ。食べるのが苦手なんだ。昼間は」
輝夜が気にしないように、「昼間」という単語を付け足した風に感じる言い方だったので普段の食生活は怪しいものだと思った。
(しっかり食べなきゃ成長しないんだぞ)
きちんと食べていても成長していない自身の背丈事情には目をつぶって、説教染みたことを胸中でぼやく。
ふと、視線を感じて中庭の入り口に目を向けた。
電谷がいる。
こちらに来ず、右手を挙げると、先ほどの財布のようにパンの入った袋をぐるぐる頭上で回す。さらにがばっと頭をこちらに下げてから困ったように、にへらとこちらに笑うと校舎内へササッと姿を消した。
(??)
電谷のジェスチャーの意味が輝夜にはよくわからなかった。
だが、秀寿には通じたらしい。
「ちょっと席を外すよ」
「え? うん?」
秀寿が中庭から立ち去り、輝夜は1人ぽつんと取り残される。途端に寂しい。
俯いて、もそもそと弁当を食べ続ける。
(2人とも、早く帰ってこないかな)
ガサ……。
直ぐ近くでビニール袋の音がした。電谷達が戻って来たのかと、顔を上げる。
そこには、セーラー服姿の機國敦美が立っていた。




