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眠る月の皇子  作者: 古波萩子
『眠る月の皇子』
32/141

第27章 対峙するは天地の理、破壊者なり

「……水辺の癖に、意外と虫がいないな」

「ここの水、自然のものじゃないらしいです」


 電須でんす佐由さよしが話し出すまで、じっと隣で待っていた輝夜てるやすの出す声は少し擦れていた。

 深い漆黒の双眸が輝夜てるやすを見つめる。

 誰もがおびえるらしい彼の眼光に、輝夜てるやす自身は昔から1度も畏怖の念を抱かないことを思い出した。ただ、緊張はしている。


機國きぐにさん」


 ふっと同じ漆黒の瞳の人物を連想し、無意識にその名を呟いてしまった。

 佐由さよしは頬杖をつきながら言う。


機國きぐにか。血縁のある親戚だ」

「え!? そうなんですか……!」


 輝夜てるやす佐由さよしをまじまじと見つめる。

 彼は輝夜てるやす不躾ぶしつけな視線を気にすることもなく、「ふあぁ」と大きなあくびをした。

 そんな佐由さよしから急に手を伸ばされて、輝夜てるやすは身体を強張らせる。

 佐由さよしの手は輝夜てるやすの赤くなった目元を親指で軽く擦ると、輝夜てるやすの頭を撫でた。


(な、何か……兄貴みたい)


 輝夜てるやすはもう17歳なのだが、どうにも童顔な容姿のせいか、皆が幼い子供のように扱おうとする傾向がある気がする。

 頭が俯いた拍子に、手に持っていたお菓子袋が輝夜てるやすの目に入った。


「さ、佐由さよしさん! これどうぞ」

金平糖こんぺいとうか」


 佐由さよしは顔をほころばせて受け取った。草乃かやのに聞いた通り、好物なのだろう。


(良かった。喜んでくれ――)


 輝夜てるやすが喜んだのも束の間。

 佐由さよしは受け取った小袋を力任せに破裂させて引き破り、中の金平糖はその衝撃でほとんどふっ飛んで床に散らばった。ポチャンという音もしたので、庭の水の中にも落ちたようだ。

 佐由さよしは、かろうじて小袋の内側に留まった数粒の金平糖を口に放り込んで上機嫌だった。床に散らばった金平糖を拾う気はないらしく、目も向けない。

 輝夜てるやすは地味にショックを受けて呆然とする。

 人から贈られた食べ物を乱雑に扱える無神経さが信じられなかった。ましてや贈った輝夜てるやすの目の前で、こんな惨状にするなんて。


(俺が食べ物を粗末にしたら絶対母さんに怒られる)


 そこまで考えが及んで気付く。


(……あ。怒られたことが佐由さよしさんはないんだ。注意する親がいない……)


 親だけではない。同年代の友人も――そもそも学校すら通った経験が無いかもしれない。

 佐由さよしは他人と関わらずに生きてきた人間なのだ。だから他人がどう思うのか考えて行動しないのだと、輝夜てるやすは理解した。



 ――『獣櫛じゅうくし本人の無事より自分の感情が最優先かよ、自己中男がッッ!!』



 篁朝たかときが以前言っていた、佐由さよしへの罵倒が脳裏で再生される。


(あれは、ただの悪口じゃなかったんだな。佐由さよしさんの本質を兄貴なりにわかっていたんだ)



 バンバンッ!


 

 突然、佐由さよしが床を激しく叩く。

 輝夜てるやすは隣でビクリと肩を揺らした。

 佐由さよしは後方に離れて座る狼を振り返って怒鳴りつける。


りょうちゃん! 何でそんな離れた所にいるんだ!! 御高月みたかつく煌夜こうやと会えば撫でさせてくれるって約束だろうが! さっさとこっちにこい!!」


 狼は立ち上がると、とてとてと軽い足音でこちらに近寄ってくる。

 だが輝夜てるやす達の手前で立ち止まり、床に転がる金平糖を見て、そこで座り込んでしまった。

 クゥーン……と小さな鳴き声が聞こえる。

 佐由さよし高欄こうらんにもたれていた身体を離し、今度は床に寝ころぶ姿勢で狼の尻尾に手を伸ばすと、自身の方へと動かそうと力の限り引っ張った。


(うわ……っ、痛そう……!)


 傍で見ていた輝夜てるやすは、痛みを想像して顔をしかめる。

 狼はそれでも動かず、じっと足元に転がる金平糖を見つめていた。

 しびれを切らした佐由さよしは舌打ちをして立ち上がり、俯いて動かない狼を腕に抱え、再び輝夜てるやすの隣へ座り直した。


「また、俺との約束を破るのか……。ああ、水城みずしろ篁朝たかときに頼まれたんだっけ? そうだな。俺と自発的な約束なんて何ひとつしてくれたことなんて無かったのに、期待して馬鹿だった。いつだって、俺のことを誰かに頼まれて動いて人生滅茶苦茶で大変だな。もう一生困ってろよ……!」


 だき抱えた狼のふさふさの毛に顔を埋めながら、佐由さよしは凄みのある怒気をはらんだ声で吐き捨てる。

 輝夜てるやすには篁朝たかときの恐ろしい怒声とは違い、佐由さよしの声はどうしてだか悲鳴のように聞こえた。


「……お前も御天日みあめひ凰十おうとが好きだろ」

「はい!?」


 突然話を振られた輝夜てるやすは勢いで返事をしてしまう。

 佐由さよしの機嫌を損ねる返答だったと危惧したが、


「知っている。皆が御天日みあめひ凰十おうとが好きなんだ。俺だけがあいつを嫌いだ」

「そう、なんですか……」


 どうやら佐由さよしは、輝夜てるやすの返事はどうでもいいようだ。


「どいつもこいつも俺に話しかける理由は『御天日みあめひ凰十おうと『皇帝』陛下に言われた』からだ。本当は誰も俺と話したくはない。俺だってそんな奴らに声をかけられたくもない。なのに御天日みあめひ凰十おうとが特に理由もないくせに、いちいち俺を気にかけるから俺はいつも不愉快な思いをさせられる!」


佐由さよしさんが元々身内だからじゃないか……?)


 義兄弟で家族だった時期があったから――それ以上の理由がこの世に存在するのだろうか。

 その考えに全く及ぶ気配のない佐由さよしの思考が、輝夜てるやすは純粋に不可思議だ。


「あんな奴に一瞬でも気を許して、秘密の思い出なんて話すんじゃなかった……。おかげで俺はとんだ道化をさせられた。9年前だ。何があったか思い出しているな?」


 これも輝夜てるやすの答えを必要としていないと感じた。

 それでも輝夜てるやすは答える。

 佐由さよし輝夜てるやすは、間違いなく〝会話〟をしているのだから。


「……翡翠、革命」


 少し、声に出すのは怖かった。

 だが意外とこの単語を口に出しても平気だった。


(俺の中で、もう過去になってる)


 記憶を無くしてはいたが、それでも9年の月日が輝夜てるやすの中で流れたのだ。

 もう死者を――御天日みあめひ凰十おうと『皇帝』をこの世に呼び戻したいという気持ちは湧いてこない。


つるぎ御天日みあめひ凰十おうとの勝負。俺は一切関わりたくなかった。つるぎが覗けない連絡場所を用意して欲しいって、あいつがわざわざ頭を下げて頼むから用意してやるぐらいの関わりだったはずなのに」

「その連絡場所は、今も兄貴達がやっているというオンラインゲームですか?」


(一体どんな内容のゲームなんだろう?)


 疑問に思っていると、輝夜てるやすの眼前に10型の小さなテレビ画面のようなものが出現した。

 ゲームのログイン画面らしい。ゲストアカウントとパスワードが記されていた。

 輝夜てるやす用に出してくれたもののようだが、今は携帯電話も書く物も持っていない。

 戸惑っていると、画面からそれが印刷された紙が出てきたので受け取った。


(このゲーム、多分(かみなり)ぞくあずまもいる……んだよな? 電化製品が触れないと思うんだけど、どうやって遊んでいるんだろうか)


「そこにログインする奴らは、御天日みあめひ凰十おうとと翡翠領地上位ランカー9名と、もう1人特別ゲストがいた。そのゲストは御天日みあめひ凰十おうとの右腕で次期御大(おんたい)候補者。俺の秘密の思い出……御天日みあめひ凰十おうと以外に教えなかった、誰も知らないはずの幼馴染み」


 佐由さよしは狼の首に腕を回して抱きつきながらも、表情険しく水面を睨み続ける。

 決して、狼の顔を見ようとはしない。


「俺は短い間だが、子供の頃は太陽たいようぞくの屋敷で暮らしていた」

「太陽族の養子になって、凰十おうとさんの義弟になったから、ですよね」

「あいつと暮らしたことなんてない。俺はたった1人、離宮に幽閉されていた。一生自分の部屋と目の前の庭以外の景色を見ないで死ぬと思っていた」


 佐由さよしの横顔は無機質で冷め切っている。


「たまに、庭には野良の子犬が迷い込んでくることがあった。俺はそいつだけが唯一の遊び相手で……――っ」


 一旦、佐由さよしは言葉に詰まらせ、ぐっと何かを呑み込むと歯を食いしばって吐露する。


「……離宮とはいえ、太陽族の屋敷に野良犬が迷い込むはずがなかった。そのうち、そいつがけものぞくだと判明した。御大に連れられて『皇帝』に拝謁しに来る度に、幽閉されている俺を哀れんでたのか、わざわざ席を抜け出して離宮に来ていたんだ。正体を知った後は、そいつへの見方が変わった。ただの遊び相手じゃない……俺にとって特別なたった1人の親しい〝人間〟だった」


(……佐由さよしさん……)


「親が死んだら、たやすく太陽族に離縁された。宙地原そらちのはら族と揉めないためにな。それきり、その獣族とは会ってなかった。それから7年後に――10年前、オンラインゲーム内で再会したんだ。偶然に運命的な再会をしたと、馬鹿な勘違いをした。……御天日みあめひ凰十おうとの仕込みだったのにな!」


 壁に叩きつけるように喋っていた佐由さよしが急に黙り、隣の輝夜てるやすを無表情で見つめる。


「お前も俺を恨んでいるんだろう。翡翠革命で誰も助けず、見殺しにした俺を」

「……いえ……」

「どいつもこいつも嘘を言うな。あの直前、りょうちゃんにも言われたんだ。御天日みあめひ凰十おうとに俺と仲良くしろって言われて、俺を協力させるためにゲストで参加することになったってな。まさかこんなふうに俺の大事な思い出を……御天日みあめひ凰十おうとに踏み荒らされるなんて……!!」


 輝夜てるやすがただ黙って聞き続ける。


「俺も踏み荒らし返してやった。りょうちゃんは翡翠領地の外にいて、緊急時には皆を逃がす脱出経路の確保と手配をする役割だったからな。だから翡翠からの緊急連絡をりょうちゃんには届かないように全部妨害した。見事に成功して、あいつは処刑。水岐みずき広早こうさは拷問行きだ」

「……佐由さよしさん」

「いい気味だ。特に水岐みずき広早こうさ! いや、もう水城みずしろ篁朝たかときか。お前の兄が俺は嫌いだ。何が御天日みあめひ凰十おうとの親友だ。あいつと対等な人間がいるはずないだろうが!」


佐由さよしさん……!!」


 輝夜てるやすはたまらず大声を出して佐由さよしの言葉を遮り、立ち上がった。


「動物の尻尾は引っ張られると痛いんです!」

「は?」

「それは佐由さよしさんが、凰十おうとさんにされたみたいに嫌な目に遭わせているってことです! 佐由さよしさんは今、涼柁りょうたさんを踏み荒らしています! でも涼柁りょうたさんが佐由さよしさんに何かをやり返してますか!?」


 全然同じなんかじゃない。こじつけもいいところだった。

 彼の常識に合わせて話さないと何も伝わらないと思ったから声を上げたが、考えを、感情を伝えるために言いつのっているのに、本当に伝えたい言葉はどんどんとこぼれていくようだった。


「……」


 佐由さよしは力任せに狼の首にまわしていた腕を解く。

 狼は、ふさふさの尻尾を振った。


「ほら、涼柁りょうたさんはやり返したり怒ったりしない人です。俺は知り合ってそんなに時間が経っていないけど、涼柁りょうたさんの人柄はわかります。とっても良い人で優しくて、でも天然具合凄くて、設定の作り込みが甘い。嘘を付くのが絶望的に苦手で素直な人なんです!」

「お前、りょうちゃんの悪口を言いたいのか」

「そして佐由さよしさんは、今のが酷い悪口に聞こえるくらい他人の言葉が読み取れない人なんです」

「は……?」


 輝夜てるやすは視線をそらさず、佐由さよしを正面から見すえる。


「きっかけは凰十おうとさんだったかもしれない。でも涼柁りょうたさんの人柄で、佐由さよしさんを利用するために近付くなんてこと、俺はありえないと思います。絶対当時の佐由さよしさんが曲解して涼柁りょうたさんの言葉を聞いていたんじゃないですか!?」


 佐由さよしは半信半疑に狼の顔を見つめた。狼は心なしか柔らかく笑顔のように見える。


佐由さよしさん、俺も貴方を恨んでません。だって佐由さよしさんは、わざと翡翠からの救難信号を無視していようと救助側にいた人です。そんな事態を作った凰十おうとさん達を殺した加害者側の人達じゃありません。

 佐由さよしさんをうちの兄貴はキレまくって毛嫌いしているけど、本当に心の底から恨んでいるのは、きっと佐由さよしさんの方じゃないと思います。敵側の元凶の方です」

「何だお前……御天日みあめひ凰十おうとみたいなことを言って俺の行動を肯定するな」

凰十おうとさんに似たようなこと言われてたんですか?」

「あいつの言い分は、もっと小難しくて理解不能だ」

佐由さよしさんにはピンとこない言い方だったんですね」

「いつだって俺のせいじゃないと言う。だが、二言目には力を使うな。世界を壊すな。暴れず大人しくしていろ。つまり俺のせいじゃないのか、それは」

「う、うーん……直接、凰十おうとさんの言葉を聞かない限り、それだけで判断はちょっと出来ないというか」

「お前、俺の発言を何1つ信用していないな」

佐由さよしさんを信用してなきゃ、記憶を消されに会いに来たりしません。えーと、信用するのと人の言葉を鵜呑うのみにするのって、かなり違うというか、別のことだと思いませんか?」

「俺に訊くな」

「違うと思うんだよなぁ」


 腕を組んで真剣に考え込む輝夜てるやすの姿に佐由さよしはフッと笑う。


「俺はお前の記憶なんて消さないぞ。もういいだろう、その話題」

「え!?」

「俺はりょうちゃんに頼まれたから、こっちの世界に顔を出しただけだ。お前の顔なら四六時中見ているから、特に久しぶりって気もしない」

「四六時中見てる!?」

御天日みあめひ凰十おうとにお前の面倒を頼まれていた。記録に残る監視カメラ映像の消去と、お前が路上で倒れた時に家の中に移動させるってこと程度だが」

「あ。それは今まで面倒をかけてすみません。ありがとうございました」


 素直に深々と頭を下げて礼を告げる。つっこむところしかない仰天の内容だったが、それでもこの9年間、佐由さよしの世話になっていたのは事実だと思う。


「でも佐由さよしさん。記憶は消さないって」

「9年前のやり方は無駄だとわかった。深層意識に眠らせるだけで『かぐや』の始末が出来ないなら意味がない。いや、遺言は結局それで良かったのか? 9年の時間稼ぎで、藍の『領王』が機械きかいぞくか。最も不可能そうだった世界が来たな」

「え……」

「あまり覗いたことがない未来世界を現実に起こされてもな。もう関わるのも面倒臭い。御天日みあめひ凰十おうとが選ぶことさえ不可能だった世界の分岐点なんて、俺は一抜けだ」

「世界の分岐……?」

「創世から続く皇族御三家の確執に終止符が打てるか、それとも滅ぶか」

「滅ぶって」


 輝夜てるやすはごくりと唾を飲み込んだ。


「お前は大人しい気質を大事にするあまり、力を使わずに一生涯を終える他の月族つきぞくとは違う。月族の力に『かぐや』という人格を与えて独立させたことで、積極的な攻撃性を手に入れることに、完全に成功した唯一無二の月族だ」

「あの! 俺は、何かするべきですか……?!」

「何も。これまで通り、普通に毎日を過ごせばいいだろう」


 佐由さよしに投げ捨てるような返答をされ、輝夜てるやすは肩すかしをくらう。


「今……世界の分岐点が、唯一無二がどうだとか」

「大義名分のために生きたいのか? 御天日みあめひ凰十おうとと同じ末路なんて馬鹿馬鹿しい。お前だと、もれなく水城みずしろ篁朝たかとき宙地原そらちのはら世界を水没させて滅ぼすおまけが付くしな。やめとけ」

「そんな、うちの兄貴が起こす大惨事をお菓子のおまけみたいに……」


 ふと、床に転がる金平糖が輝夜てるやすの視界に入った。




 ――『俺は一抜けだ』




 何故だろう。

 先ほど佐由さよしに告げられた言葉が、いやに引っかかる。


「――佐由さよしさん。佐由さよしさんはこれからどうするんですか?」

「お前に関係ない。御天日みあめひ凰十おうとの遺言に付き合うのもここまでだからな」



 ……ドクンッ……



 輝夜てるやすの鼓動が跳ねる。得体の知れない不安感に襲われた。


佐由さよしさんを……このまま何もないまま行かせていいんだろうか。やばい……まずい気がする!)


 佐由さよしは抱えていた狼をぶんっと乱暴に持ち上げるが、狼の酸漿ほおずき色の双眸を覗き込み、少し考えるとゆっくりと優しく床へと降ろして言う。


「今生では2度と会うこともないな。じゃあな、御高月みたかつく煌夜こうや


(――!!)



 パアァンッ!



 輝夜てるやすが何の前触れもなく、佐由さよしの目の前で両手を叩いた。

 猫だましのようなその動作に佐由さよしは面食らい、動きを止める。



「――5分経った。時間切れだろう、電須でんす佐由さよし



 『かぐや』が、静かに笑っていた。

 佐由さよしは目を細めて、輝夜てるやすではなくなった『かぐや』を睥睨へいげいする。


「……何の話だ」

「9年前の主上との約束を覚えているか?」

「死んだ御天日みあめひ凰十おうとに会わせてやると言ったやつか」

「そう、翡翠革命を起こさなかった世界の、生存する御天日みあめひ凰十おうと『皇帝』陛下に会わせるという約束だった。だが、主上の願いは叶わずに終わった。叶うには条件があったからだ」

「大袋の金平糖か。古い話を出すな。5分で食べ切れなかったのはそっちだ」


 『かぐや』は浴衣ゆかたの着付けを崩さない綺麗な所作で屈み、床に散らばる金平糖をつまんだ。


「主上の渡した金平糖を、今度は貴様が食べきれていない」


 佐由さよしは言いがかりをつけられて眉間に皺を寄せる。しかし、『かぐや』の言い分に少し興味を引かれて思案した。


「そうだな。俺が達成しないことを約束の条件にしたのは卑劣だったか? いいだろう。詫びとして今からでもあの約束を叶えてやる」

「いや、9年の月日が経ったのだ。主上のお心は変わられた」

「願いごとは無くなったのか?」

「ある。主上は貴様の動向を案じている」

「……俺を? また御天日みあめひ凰十おうとみたいだな。さっきから真似でもしているのか」

「貴様には、力を行使せずに細心の注意を払って大人しく暮らして欲しいのだ」

「別に表に出て暴れる気はないと言っているだろ」

「それでも貴様は世界を壊す。『領王』制度廃止案の発想をこの世界に持ち込んだ元凶――それは別の可能性世界を知る力に他ならない」

「……」

「貴様の力で得た情報は、間違いなくこの世界に影響を与え、歴史を変えたのだ。〝もし『領王』制度を廃止した投票制の領地があったなら、電脳でんのうぞくが領主になる領地が低い確率でも存在する〟――そんな不確定な未来を貴様から知らされ、御天日みあめひ凰十おうと『皇帝』陛下は翡翠の『領王』となり、処刑されたのだから」

「――覚えていたのか。俺と御天日みあめひ凰十おうととの会話を」

「幼かった主上は、3人で話した会話を曖昧にしか覚えていらっしゃらない。だが、身体年齢に左右されない私は会話を全て記憶している」

「相変わらず、御高月みたかつく煌夜こうやが生み出した存在なのか疑わしい奴だ……。あの時隣にいたなら、俺が御天日みあめひ凰十おうとに投票制度になっても必ず電脳族がトップになるとはかぎらないと散々忠告していたのは聞いていたな?」

御天日みあめひ凰十おうと『皇帝』陛下は、何より貴様の言葉を信用していたのだ」

「さっき信用と人の言葉を鵜呑うのみにするのは違うと言われたが」

鵜呑うのみではない。御天日みあめひ凰十おうと『皇帝』陛下は、初めて義弟が教えてくれた未来の話を、義兄として実現したかったのだ。行動で貴様への信頼を伝えたかったのだろう」

「それを鵜呑うのみと言うのと何が違う。『かぐや』、御高月みたかつく煌夜こうやと違って頭が悪いな」

「主上もまた、貴様の力の影響によって通常の人生を壊された」

「次は9年間記憶を消していた文句か」

「違う。〝御高月みたかつく煌夜こうや〟だ」


 『かぐや』は重々しく静かに呟く。


御高月みたかつく煌夜こうやという名――貴様に初対面でそう呼ばれた時、主上は自身が皇族に値する存在だと知った。皇族として月族本家で生まれていれば名付けられたという、架空世界での真名まなだ。本来ならこの世界には存在しない。私という存在を創り出す土壌はまず貴様からもたらされた。そして水岐みずき広早こうさの暴力によって、私は目覚めた」

「――」

「他に、貴様によって人生どころかその資質まで変えられた別の人物の話もしよう。水族内で最上位の力程度だった水岐みずき広早こうさという青年は、間接的な貴様の力の影響で宙地原そらちのはら世界最強の能力者、水城みずしろ篁朝たかときに変貌した」

「もういい、わかった。お前らは、俺が今まで通り隠れて暮らすぐらいじゃ不満なんだな。いいだろう。これから先、2度と多次元世界に行かないし観測もしないと約束してやる」


 佐由さよしは涼しい顔で右手を差し出した。


「俺との口約束が不安でお前が出てきたんだろう。願い通り、眷属けんぞくになってやる。月族の力で俺の多次元の力を封じろ。9年前の約束もこれで決着だ」


 すると、白き月の紋様が佐由さよしの両手に刻まれる。

 佐由さよしは左手と右手を交互に見て、愉快げに笑った。


「まさか氷藤ひょうどう信次しんじと仲間になるとはな。海の藻屑じゃなければ、あいつも俺のゲームに誘ってやるか」

「海のもくず……?」


 『かぐや』が消え去り、佐由さよしの前には蒼白になった輝夜てるやすが立っていた。

 佐由さよしはニヤリと口角を上げ、ニヒルに笑う。


「他には何が所望だ。我があるじ

「ご、ごめんなさい……俺……」

「なんで謝る。俺はお前との約束をやり直しただけだ。先の未来を知らないのは意外と楽しい気がするな」


 子供のように屈託なく佐由さよしは笑う。足元では狼が尻尾を振っていた。

 突然、庭の水が高く盛り上がった。かと思うと、廊下の人間に覆い被さる。


 バシャァッ!


 波が去った後、佐由さよしの姿は廊下から消え失せていた。

 狼はびしょ濡れになって目を丸くする。濡れ鼠にされた輝夜てるやすも、むっと口を尖らせた。


「ち。逃げたか、あの男!!」

「……兄貴……」


 ドスドスと大きな足音を立てて篁朝たかときが廊下を渡ってきた。

 夕焼け空のどこかからカラスの鳴き声が聞こえてくる。輝夜てるやすは、はあっと疲れた溜息をこぼすのだった。

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