第26章 水の間の対面
◇◇◇
真っ白な世界。
頭上から色とりどりの金平糖が、バラバラと降り続ける。
まるで雨のように。
これは幼いあの日、願いを叶えてくれるはずだった金平糖だろうか。
機械族の子にも手伝ってもらったのに、食べきれずに終わった約束のもの。
だから、輝夜の希望は叶えられなかった。
そして御天日凰十『皇帝』陛下の遺言が叶えられた。
楽しかったこと。嬉しかったこと。
幼い日々の思い出全てが消え去った。
はらはらと。
あの日のように桜の花びらが舞う。
足元には、食べきれなかった金平糖ばかりが散らばっていた。
途方もないほど。
バラバラと。
もしもあの時、この約束の金平糖を食べきれていたら。
死者は――
御天日凰十『皇帝』陛下は、この世に蘇っていたのだろうか――……
◇◇◇
輝夜が目を覚ます。
真っ先に目に入ったのは、懐かしさを感じる木造の天井だった。
「あれ……、俺の部屋じゃない……」
「輝夜。目が覚めたんだね。お水を飲むかい?」
枕元で、父の水城朧が柔らかく微笑んでいた。
「父さん……。うん……」
輝夜は寝ぼけまなこで布団から半身を起こす。
傍に置いてあるお盆の上の水差しから、朧が硝子コップに水を注ぐ。
輝夜はそれを受け取り、ゆっくりと喉に水を流し込んだ。
(冷たくて美味しい……)
頭の中がすっきりとして意識が覚醒してくる。
「あっ。ここ水族の本家?」
「そうだよ。輝夜は9年振りだったかな」
広々とした和室の客間。畳に敷かれた羽毛の布団に輝夜は寝かされていた。
ブレザーの制服ではなく、桐の植物文様の浴衣を着せられている。
輝夜の制服や荷物は少し離れた位置に纏めて置いてあった。
久方ぶりに、朧の横顔を近くで見て、刻まれた皺の数に父親も年を重ねていることに気付かされる。
「父さんは、年を取ったから月族本家を追い出されたの……?」
「輝夜、思い出したんだね。そうだよ。太陽族と月族の皇族は不老の種族だから、老いる私は月族として生きられなかったんだ」
朧は何でもなさそうにおっとりと笑った。
そんな朧の姿が段々と歪んでいく。輝夜の目には涙がいっぱい溜まっていた。
「ごめんなさい……」
「どうしたんだい。私は幸せだよ。元から本家では生まれていない子供となっていたから、こうやって家族を持てて夢みたいな生活をさせてもらえた」
「っ……! なっ、何だよそれ……! 何だよ……!!」
瞬間的に、輝夜の内から込み上げてきた感情は純粋な怒りだった。
朧を侮辱する、月族本家の人達への憤りが沸き上がる。
「と、父さんここにいるじゃんっ…! 生まれてないってふざけるな!!」
「輝夜。私は気にしていないから……」
「そんなの嘘だっ! 俺がこんなに腹立つのにそんなわけない……!!」
朧は虚を突かれて双眸を見張った。怒りながら泣きじゃくる輝夜を感慨深く見つめる。
「本当に……良い子に育って。私にはもったいないくらいだよ」
優しく笑みを浮かべるばかりの朧の声からは、ただ寂しさだけが伝わってきた。
輝夜は、自分はきっと怒ることを知らないまま育った父の代わりに怒っているのだと思った。
「俺だって最低だよ……っ。いくら、雷の力で記憶を消されていたって、完全に消失させた形じゃなかったのに……! 人がっ、凰十さんが亡くなったのに、綺麗に忘れて……どうしてこんなに薄情なんだよ……っ!!」
「気に病むことはないよ。皆が願ったことだったんだから」
朧に優しく背中をさすられて、輝夜はたまらず泣き崩れた。
「父さんと母さんにも……っ。俺、迷惑をかけてた。思い出そうとするといきなり倒れたりして……9年間ずっと! 兄貴1人でも大変なのに……! なのに兄貴にもまともぶって偉そうなことばっか……!!」
「2人とも普通の子だよ。父さんの大事な息子だ」
朧が優しく輝夜を抱き締める。
輝夜は朧の温かさに涙が後からあふれてきて止まらず、しがみついて泣いた。
少しして、輝夜は泣き疲れ涙も止まった。
照れくさそうに朧から身体を離し、ぐすぐすと鼻をすすりながら目にかかった自身の前髪が白いことに気付く。
「白髪……」
「記憶が戻って、元の色に戻ってしまったね。その白練色の髪と瞳が、生まれながらの輝夜の色なんだよ」
「そっか」
輝夜はスルッと流しかけて、直ぐさま泣いて赤くなった目元の顔を強張らせた。
「え!? 記憶喪失になったからって髪と瞳の色が変わる!?」
(怖いって! どんな異常体質だよ!?)
蒼白になる輝夜とは対照的に、朧はとても落ち着いていた。
「輝夜は月族として生まれたけど、水族の血も継いでいるんだ。月族であることを忘れてから、輝夜が自分自身を水族だと思い込むことで、暗示にかかった状態だったんだよ。その暗示に合わせて身体が水族の特徴に変わっていたんだ」
「エェ……」
「そう考えると、身体的変化ぐらいしか輝夜には水族のものが受け継がれていないのかもしれないね」
「でも水族の力で出した水の中で平気なのは水族の力じゃ……?」
「ずっと騙していてすまなかった。あれは私と同じ、月族の力によるものなんだ。自己防衛の時だけは無意識に月族の力を出していたんだよ。他種族の力は月族の力で無効化したり弱められるから」
「あ……、そうだったんだ……」
硝子コップの水に反射する自身の瞳が白練色だ。
長年見慣れていたはずの身体の色が消えた違和感に、輝夜はそわそわとして落ち着けず、不安になる。
つい、錫色の短髪に菫色の瞳を持つ朧に、何も考えずに疑問をぶつけていた。
「月族の身体の色って、白の他には銀か紫が特徴?」
「白だけだよ」
おっとりとした朧の返答に、輝夜は朧がどれほど月族らしからぬ容姿なのかを痛感し、顔色をなくす。急いで話題をそらした。
「かっ、母さんと兄貴は……!?」
「2人とも、水名族長に呼ばれて席を外しているんだ。事件の事後処理が一段落つくまでは、この水族本家でお世話になるからね」
「兄貴、無事だったんだ。良かった……」
輝夜の肩の力がやっと抜けた。
(じゃあ、しばらく引っ越しはしないんだ)
いつまで藍領地にいられるのかはわからない。
それでも今回のことで藍領地から離れずに済むのは嬉しかった。
(あの子に……機國さんに、また会えるかもしれないんだ)
抱き締められたことを思い出してドキドキと胸が高鳴り、顔が熱くなる。
あれからどれくらい時が経ったのだろう。
結局、お昼に買った唐揚げ弁当にはほとんど口をつけていなかったように思う。
空腹に気付くと、輝夜のお腹が鳴った。
「食事を用意してもらおうか」
「俺、着替えた方がいい?」
「長襦袢じゃなくて浴衣だから、そのままで大丈夫だよ」
朧が腰を上げて退室した。
輝夜は隅に置かれていた荷物を確認する。
水中の後に床へと叩きつけられたであろう弁当は無かったが、あんころ餅と千代紙風の小袋に入った金平糖は無事だった。どちらも人にあげるために買った物だ。
ウォォーン……
どこかから犬の遠吠えのようなものが微かに聞こえて顔を上げる。
お菓子の入った袋を手に持ったまま、障子を開けて長い外廊下に出た。
水族本家は、湖の真ん中に建つ造りの大きくて広い屋敷だ。
廊下の簀子縁を下りた先の庭は土の地面ではなく、水中になっている。所々に水面より背の高い石があり、それが庭園の通路を担っていた。
輝夜は庭に出て設置されている石の道を渡り、庭園の奥へと進む。足元では水の中を美しい錦の鯉が優雅に泳いでいる。
水面に太陽の光が反射した。そのオレンジ色の光の眩しさに、輝夜は目を細める。
太陽が沈みかけていた。
前方の中島と呼ばれる小島にある東屋の前で、軽い足音がする。
逆光の中、大型犬よりも一回りも大きな獣の影があった。
狼が座っていた。
灰色に縦縞の模様が入った毛並みと、真っ赤な酸漿色の瞳。
軽く焼け焦げた毛先と垂れ下がった両耳を見て、獣櫛涼柁が獣型になっている姿なのだと察した。
狼は尻尾をひと振りすると立ち上がり、輝夜の前を歩き出す。
飛び石をジャンプして渡っていく狼に、輝夜はついていった。人気の無い離れの、釣殿の簀子縁へと辿り着く。
その外廊下の曲がり角には、高欄に身体を預けて気怠げに座る、黒い服装の青年の後ろ姿があった。
狼がその場で座り込み、輝夜を笑顔で見つめてふさふさの尻尾を振った。
輝夜は狼に頷き、緊張しながら青年に近付く。
そして傍へとたどり着くと、ぎこちなく隣に正座した。
輝夜は、御天日凰十『皇帝』の義弟だった〝電須佐由〟の横顔を9年振りに仰ぎ見た。




