第23章 井戸を涸らした男は嗤う
「あら。死ぬほど眠そうね。また麻酔薬を撒いたの?」
「――睡眠薬の方……」
現在、敦美は半眼状態で目つきが悪い。眠くてまぶたが重いのだ。
襲う睡魔に耐えながら、背中に輝夜を抱えて百貨店から出て来たところだった。
響華が手を貸そうと輝夜に近付く。すると敦美に仏頂面で睨まれ、響華は目を点にしながら手を引っ込めた。
「――中に水城篁朝と氷藤信次がいるからお願い。特に氷藤信次には、人命救助と睡眠薬を水に溶かしきる時間稼ぎにもなってくれたから、丁重に――」
「敦美。そもそもそいつのせいで今回の事態じゃないかしら」
「――……。留置所に適当に放り込んでおいて」
「了解。相方と一緒にぶちこみましょ」
響華は救助や後始末のために呼んでいた下位領地ランカー数名に、氷藤信次の捕縛を命じる。
「外もなかなか凄かったのよ。突然、夜になって月が出るなんて夢のようで綺麗だったわ。後で映像を見せたげる」
響華は携帯端末を振って笑う。
「水岐……じゃなかったわね。水城篁朝が外でやろうとした洪水は止めたわ。誰だか知らないけど藍領地全土の水の障壁を氷で押さえ込んだ奴がいて、それが粉々に割れてね。割れた氷の欠片が纏まったところを、最後は私が燃やして終わり」
「――纏まった?」
「偶然の突風があったわ。氷が割れたのもそのせいよ。竜巻みたいな風まで起こったの。氷の欠片がその竜巻で1カ所に集まって……」
響華は風に靡く紅いウェーブを押さえながら、じっと青空を見上げる。
敦美も空を仰いだ。
「――まさか、風我師匠……?」
「……さぁ、どうだか。でも、もし風我師匠ならとっとと私達の前に出て来ていると思わない? 隠れているなんて変よね。皇族じゃあるまいし」
「『領王』様! 輝夜君!!」
現場に到着した水名透が、脇目もふらずに3人の元へやって来た。気を失っている輝夜を見て、透は青ざめた顔を引きつらせる。
「ぐっ、まさかこれは……!」
「見なさいよ敦美。透が闘技大会の心的外傷を発病しちゃったわ」
「――でも水族との闘いは、相手の出した水に薬物を混ぜるのが確実なんだよ」
「篁朝さんの水に麻酔薬を使ったんですか!? 水中に輝夜君もいたのに!?」
透は位置がずれた眼鏡を直しもせず、半狂乱なトーンで叫ぶ。
普段冷静な姿ばかりを見ている分、取り乱す様は異様だ。響華は引いて後ずさる。
そんな透の様子には眉1つ動かさず、敦美は訂正した。
「――睡眠薬だよ。とても軽いもの。だから水城篁朝の動きを鈍らせる程度だった。でも医者にはちゃんと診せて」
「勿論です……!」
透は敦美から輝夜を受け取る。
軽々と両腕で輝夜を抱える透の姿を、背中で抱えることしか出来なかった敦美は羨ましそうに見つめた。
「篁朝さんはまだ中ですか」
透は背後に連れていた水族の下位領地ランカー2名に目配せする。2名は素早く百貨店内へと姿を消した。
意図を察して、響華は溜息をつく。
「ちょっと透。この騒ぎの犯人よ」
「そんな騒ぎはありませんでした」
「はー……。アンタ達水族も、大地族をどうこう言えないぐらい隠蔽体質な種族だと思うわ」
「どの種族も似たようなものですよ。それに我々には節度があります。主君の命令なら無関係な人々の殺しを厭わない方々と同列にしないでください」
透は普段の落ち着きを取り戻し、鋭く響華に言い返す。踵を返して移動車の後部座席に輝夜を運んだ。
「『領王』様。電須殿の件ですが」
「――そっちはもういい」
「いいんですか」
敦美の素っ気ない返答に透は驚く。
「――代わりに、必ず彼にもう1度会わせて」
敦美が眠る輝夜に真剣な眼差しを向ける。
透はその様を見て、しっかりと頷いた。
「輝夜君なら、学校に来れば会えます。もう水城家は転居しませんから。もっとも、藍領地が水城家の安住の地になるよう『領王』様の御助力はいただきたいですね」
「――水名族長に、お目にかかりたいと伝えて」
「心得ました」
「その転校生、うちのクラスだものね。アンタ、勝手に入領させた人間を、堂々と目立つ位置に置き過ぎじゃない?」
「周りが藍領地ランカーだと下手に狙えないでしょう」
「抜け目ないわね。自然とボディーガードさせる算段だったの」
「これからも期待しています」
透が当てつけるように、響華に満面の笑みを向ける。
響華はむっとして口をへの字に曲げた。
遠くからサイレンの音が微かに届く。西の空では黒煙が上がっていた。
「そういえば、月が出て力が戻った瞬間、どっかで爆発音がしてたわね」
「木蓮ホテルです。粒島賢が獣櫛殿がいると勘違いをして爆破したようですよ。ちょうど検問を張っている場所でしたので、自然な形で現行犯として捕まえることが出来ました。
しかも偶然なことに、今回の一連の事件の親玉がいらっしゃったホテルだったようで、大地族が藍領地から静かに撤退を始めています。面子を潰されていい気味ですね」
「え。粒島賢は捕まえて、秀寿に任せていたはずだけど」
「おかしいですね。雷様の目を盗んで逃げ出したと言うんですか? 所詮、工作員ランカー『十八位』でしょう。それほどの実力がある人物だったとは思えないんですが」
「でも本当に捕まえてたのよ。それで秀寿があのストーカーの連絡を待……」
トゥルルルル……
突如鳴り響いた電話のコール音に、敦美達は鋭く音源へと視線を向ける。
街路の真ん中に家庭用の固定電話が出現していた。
トゥルルル……トゥルルルルルル……
百貨店内から、先ほどの下位領地ランカー達が簡易担架で篁朝を運んできた。
彼も移動車に運び、透も搭乗する。
「後を頼みます。水族としては、電拳族長と篁朝さんを2度と接触させる気はありませんから」
敦美が頷くと、透は頭を下げて車を発車させる。
響華が面倒臭そうに大股で電話の目の前まで歩いていき、そのままの体勢から受話器を足のつま先で蹴り上げた。空中に打ち上がった受話器を敦美が左手でキャッチする。
『もしもぉーし?』
受話器からは無遠慮で人の神経を逆なでさせる男の猫なで声がした。
敦美と響華は表情を険しくし、互いに目を見交わす。響華は舌打ちまでした。
『もしも――』
「――久しぶりです。電拳剣族長」
敦美の声音は静かに暗く怒りを含んでいた。
それに比べて剣は声のトーンを上げ、ぱあっと明るくなる。
『わぁ! 敦美さんだ! お久しぶりです、お元気ですかぁ!? 俺は元気ですよ! でーもーこの前、嫌なコトあって落ち込んじゃって! 佐由様をたぶらかす獣のせいで、佐由様が電脳内で俺に死ねだなんて……! 絶対アイツが言わせたんです! 全くこれだから獣族なんて野蛮な種族はっ。
……はぁ。でも佐由様は極度の人間嫌いなんで仕方無いのかなぁ? 性別無視するほど重度のケモナーになるまで病んじゃってますしぃ。俺には動物の何がそんなにいいのかわかりませんよ。あいつら不衛生じゃないですか! 存在自体が気持ち悪いったら』
ぺらぺらと1人で楽しそうに喋り倒す声が、酷く場違いで不気味だった。
『あー! そうそうっ! 早く狼を捕まえません!? 黙って藍領地に入り込んでてさぁ! 密入領だよね!? とんだ犯罪者だよおっ』
ケラケラと嘲笑う声に、敦美は唇を噛んだ。
「――葛領地の工作員ランカー2人を操ってたよね。私達機械族は、破壊工作のために、電脳族族長に人工衛星を与えているわけじゃないよ」
『だーかーらっ、俺は族長代理しかも(仮)だっていつも公言してるじゃないですかぁ! 前族長御子息の佐由様が、皇族御三家並みにずーっと消息不明だから仕方なくですよ。次点の巫倉ちゃんまで消えちゃうし! おかげで俺なんかがピンチヒッター! はぁー』
敦美は怒りの感情を呑み込んで、毅然と言い放つ。
「――機械族の族長へ、藍領地『領王』として警告文を送らせていただく。人工衛星の権限を、扱いに問題のある電脳族族長に渡しておくのはいかがなものかと」
『そんなぁ勘弁してくださいよ! 人工衛星は佐由様から預かってる形のつもりなんですからぁ!! なんかあの氷族のせいで俺がやらかしたみたいな流れ最っ悪っ!! バカだと思ってたのに、ちゃっかり賢い奴はダメだね! ちゃんと手駒で動かないもん! 意外だぁ。しっかりしてた連絡役の粒子族の方が扱いやすいバカだったかぁ!』
甘えた声を出す電話越しの相手に、敦美は嫌悪感が込み上げてくる。
「――貴方は、ヒナとうちの弟がいる藍領地を攻撃してこない人間だと思っていた……」
『残念ながら、そんな領地を含んだ考え方は電脳族には無いんだ。あいにく種族の領地が無くてね』
剣の声は瞬く間に硬質なものへと変貌した。
傍で2人の会話を聴いていた響華は顔を背ける。
『最下位でも階級順位があるとやはり違うな。機械族にとっても、所詮俺達は〝電脳族風情〟か? ……馬鹿馬鹿しい……』
癇に障る甘えた猫なで声を完全に消し去った剣は、低い声で提案する。
『敦美さん、取引をしようか。機械族族長への警告のくだりは無しだ。それを呑むなら今後、藍領地内を人工衛星で覗かない。そうだな……藍領地では御大も狙わない。桔梗領地と同様、聖域としよう。悪い話じゃないだろう?』
「――御大……?」
『君にしては鈍い。次代の御大、獣櫛涼柁だよ』
「――彼は御大候補を辞退している」
『浅はかな言葉を君からは聞きたくないな。今や狼の獣族は、宙地原世界に現御大を含めて3名。もう1人の候補者は御大の器じゃない。いずれどうあっても彼が継ぐさ。佐由様と縁を切ってね』
「――……」
『俺が彼の命を何だかんだ本気では狙わない理由だ。……縁を切った日がこの世界の終焉さ。ああ、これでも佐由様が本気で力を使う日がくるのを楽しみにはしている。侮っている連中の顔は見物だろうし、もう領地のことなんて考えなくてよくなるな』
剣が覇気無くせせら嗤う。本心では望んでいない結末なのだ。
敦美は話に耳を傾け、虚空を厳しく睨みすえていた。
「――侮っているのは、電照夫妻を殺した宙地原族でしょう……?」
『――』
剣が言葉に詰まる。慎重に敦美へと問う。
『どこでその話を? まさか水岐広早から……?』
「――今回、宙地原族と大地族にも情報を送っていたはず。何故、そんな相手と手を組むの?」
『別に、俺の本職は情報屋だから客に情報を売っただけ。客を感情で選ばないんだ』
「――翡翠領地と同じやり方で、最終的に『領王』の私や上位領地ランカー達を皆殺しにでもしてもらう気だった? 藍領地から永久追放をした私が、本音では随分と邪魔だったみたいだね」
『……っ』
「――私も貴方が邪魔だよ。弟はまだ中学生なのに、大人の貴方につけ回されて本当に気味の悪い思いをした。ヒナを手に入れたいからって友人面で弟に近付いて、人間不信にして……。弟は貴方を藍領地から追い出して、ようやく家から出られるようになったぐらいなの。
この際、はっきり言っておく。永久にヒナは売らないし、譲らない。弟のロボット技術は機密として外に出さない――これは機械族の一族としての総意だよ。私を排除したところで覆らないと肝に命じて。貴方のようなロボットをロボットとして見られない人間を増やす気は、機械族にはないの」
『……』
「――もう1度聞くよ、電拳族長。電脳族の地位向上を望む貴方が、どうして電脳族の皇族入りを暗殺で阻止した宙地原族と手を組むの? 9年前の翡翠革命の時も」
剣は沈黙する。
敦美はじっと答えを待った。
しばらくした後、ふうっと重い溜息が受話器越しに聞こえてきた。
『『皇帝』統治主義の筆頭が、宙地原族だった。単なる主義主張の一致だ……』
「――『皇帝』支配を支持……?」
『そう驚くことでもないだろう。当然の帰結さ。800年前以前の『皇帝』が直接支配していた世界に戻さなきゃ、電脳族は階級順位を……領地を貰えない」
「――でも宙地原族は」
『800年前の『皇帝』の意見に合意して、ともに姿を消した、か?
……ふふ、揉めてるんだよ皇族御三家も。意見が対立したままかれこれ800年。とりあえず表から姿を消しはしたが、実は三者の意見は平行線。決着なんてしていない。だから裏に潜んでも『皇帝』制度の方は消えてないのさ』
「――種族の階級順位制度復活の件は、電脳族の総意じゃないよね」
『君は半分電脳族のくせに、まだ見て見ぬフリをする気なのか。大半の電脳族は、皇族に憧れを持っているだろう? 皆、『皇帝』統治時代に生まれていればどんな領地を与えられていたのか――幻の故郷に夢を馳せているんだ。
だから皇族史マニアも多い。最後の『皇帝』と呼ばれる存在に、奴隷制度と否定された階級順位そのものを欲しがっている姿が見えないのか?』
「――それは、貴方の個人的な見解とは言わないの」
『敦美さん、俺は電脳族族長だよ。個人じゃない、まごうことなき電脳族の見解。それでいい』
電谷の主張を思い出し、敦美は口を閉ざす。
確かに電脳族は自領地を欲しているのだ。
「――貴方は非戦闘種族が参加不可能に近い『領王』制度をずっと不平等だって嫌っていた。翡翠革命は大地族が翡翠領民を扇動して、『領王』制度廃止案の執行を阻止したものだったそうだけど、廃止案はそれこそ貴方が望むものだったはず。なのに廃止案を阻止する大地族側に協力したのは何故? そっちは協力しても領地を貰える訳じゃないよね」
2人の会話を黙って聞いていた響華は、敦美の「『領王』制度廃止案」という言葉にぎょっとした。
『いやぁ……はは……参ったな。敦美さんがそんな話を知っているなんて……。まさかあいつらが……? いや、喋るはずがない……。一体どこからそれを』
剣も敦美から問われて驚愕しているようだった。
思考を巡らす間があり、独り言を呟く。
『かぐやちゃん……?』
敦美はその名前に微かに肩を揺らした。
『あ……そうか。目を覚ましたのか……。あっちの思惑は成就した訳だ……』
剣の声音は沈み、憂いだ感情を覗かせる。
『……ああ、敦美さん。阻止側にいた理由だったか。答えは単純。俺が阻止側の総大将でね。翡翠関連自体が全て俺から始まったものだ』
「――え……」
『10年前ぐらいかな。『皇帝』の御天日凰十が表に姿を現してね。俺はこの幸運を逃さず、文句を言いに行った。お前らの言う自由は、力が全てになる『領王』制度なんて最低な奴隷制度を作っただけだとな。そうだろう!? 生まれた種族で詰むじゃないか! 全ての種族が領地を貰ってその領地内で暮らす階級順位制度の方がよほどまともだったってののしってやった……!!』
その時のことを思い出したのか、剣は声を高くした。
『だが御天日凰十『皇帝』は、昔の階級順位制度をやはり悪だと言う! 800年前の『皇帝』が下した決断が正しいと、くだらない考えを曲げなかった。それで何を言い出したと思う? 『領王』制度に代わる、投票制度を提案するんだよ。どの種族でも立候補出来て、投票で領地の代表者を決める自由な制度だとさ。……何も電脳族のことを分かっちゃいない。絶望したよ。『皇帝』にも、太陽族って皇族にも……!』
敦美は沈黙を返した。
剣は敦美ではなく、脳裏に蘇る『皇帝』に向かって憤慨をぶつける。
『そんなもの、種族の組織力で差が出るに決まっているだろう!? 電脳族に他の種族のような結束は無い。領地の代表者になるなんて不可能だ! この世に誕生した時から領地が無いんだぞ。同族同士集まる習慣すら生まれる土壌が無かった一族なんだよ!!』
一気にそこまでまくし立て、剣は喉を鳴らして嗤った。
『御天日凰十『皇帝』は、やってみないとわからないなんてほざく。自ら『領王』になって変えてみせるとまで言ってきた。俺はつくづく嫌気が差したよ。
だからこっちは賭けを提案した。「その投票制度とやらが実現不可能だった場合、電脳族のために階級順位制度を復活させろ」って。『皇帝』は賭けにのったよ』
「――それで『皇帝』陛下は、種族や名前を偽って翡翠の『領王』に……?」
『丁度、闘技大会をやっていたのが翡翠領地だった。
『皇帝』の側近や賛同する奴らが上位領地ランカーになって、それなりに翡翠領地を治めていたかな。
だが、『領王』制度廃止案を翡翠領民は怖がった。『皇帝』を含めて上位領地ランカー達はよそ者な上、若過ぎたな。年齢をかさねた大人達への説得力に欠けていた。
でも『領王』の命令は絶対だろう? 声を上げて反対はしなかった。そんな時だ。翡翠の情勢を眺めているだけだった俺に、もう1つの皇族、宙地原族が接触してきた。佐由様の件を知っていたからな。いい印象は無かったよ』
剣は宙地原族への侮蔑の感情を隠さず、言葉の端々に嫌悪感を滲ませた。
『「我々ではなく翡翠の領民相手なら、『皇帝』陛下は力を使わない。階級順位制度の復権を早めるためにも、現『皇帝』陛下を屠らないか」ってね。その時は、殺されかけても領民には力を振るわないなんてそんな聖人君子が存在するかよって思ったな。
ただ、可笑しくて話に乗ってやった。階級順位制度を否定した皇族御三家が、裏でも延々と階級順位制度を根底にした権力の争いを続けているなんて、本当笑える』
「――それで〝翡翠革命〟を一緒に起こしたの。
結局、貴方は賭けに勝った形になったの? 最初の賭けの相手は処刑されて報酬は出せないし、現代に皇族御三家も階級順位制度も蘇ってないところを見ると――」
敦美の冷静な指摘に、剣は苦々しく歯噛みする。
『……ああ。俺は勝ちはしたが、報償は叶えられなかった。階級順位制度の復活には『皇帝』の宣誓が必要だった。だが次代の『皇帝』は生まれたばかりで即位出来る年齢じゃなかったんだ。宙地原族は、そのことを知っていて俺に黙っていた。
その上、階級順制度には皇族御三家全ての長の同意宣誓も必須だと言われてね。月族本家が行方知れずの現状では不可能だと、太陽族にも断られた時はぞっとしたな。完全に選択を誤った。今でもその光景を悪夢に見るぐらいだ……』
響華が「本当の悪夢を見てんのは、最低なアンタ達に踊らされた翡翠の人らでしょ」と敦美にかろうじて聞こえるほどの小声で悪態をつく。
『太陽族すら月族の居場所を知らない。この事実は、宙地原族には衝撃的だったらしい。ずっと太陽族が隠していると思い込んでいたからな。いい気味だ。そもそも宙地原族の狙いは、目障りな現『皇帝』を廃して、葬儀をダシに月族と接触する機会を作ることだった』
「――貴方達は、私利私欲で人を殺しておいて何とも思わないの」
『不思議なことに何も感じないよ。ああ、敦美さん。宙地原族にも、真っ当な人間としての幻想を抱かない方がいいよ?』
剣は面倒臭そうに溜息をつく。
『どこまで話したっけ。そう、俺達はやっと、御天日凰十『皇帝』がわざわざ表に出て来ていた行動にも合点がいった。消息不明の月族を発見したからだったんだ。外に放逐されるような不完全な血縁者だったけどね』
「――その人から、月族本家のことを聞けなかったの」
『無理だった。表には、目隠しをされ、音も聞こえない状態で放り出されたらしい……。ただ御天日凰十『皇帝』は叶えられない賭けをするような男じゃなかった。とんでもない聖人君子だったからね。階級順位制度を復活させるためには欠かせない月族本家と、会う算段はあったんだよ』
「――算段?」
『とぼけるなよ。会ったんだろう? その息子――完全な月族〝かぐやちゃん〟に』
「――……」
『敦美さーん。さっきから俺ばっかり喋ってるよねぇー? 黙るのは図星ってことかなぁあ?』
剣がまた甘ったるく耳障りな声音に変え、ケラケラとあざ笑う。
「アンタ、いい加減にしなさいよね」
響華が敦美から受話器を引ったくって、ぴしゃりと一喝する。
剣は下卑た嗤い声を引っ込めた。
『……炎乃さん、いたのか』
「ストーカーに許可を取る必要があるかしら」
『あ、すみません……。俺、どうも人工衛星の映像がおかしくて』
「知ってるわ。敦美が別の映像流しているのよ」
剣は遠慮深く、響華に尋ねる。
『その、最近博士はどんな感じで……?』
「は? 敦美の弟の調子なんて知らないわ。姉の敦美に直接聞きなさいよ。アンタなんかに教える訳ないけどね」
『いや、炎乃さんは敦美さんと幼馴染みで、つまり博士とも幼馴染みでもあるから……。もっと気軽に、顔ぐらい見に行くのが自然な関係なんじゃないかなと』
「だから、どうして私がアンタなんかに敦美の弟の話をしなきゃならないのかしら?」
『あ、いや! 俺に話さなくても別に! ね! 仲良いのならそれで!』
「……相変わらず頭が湧いている男ね。さっきの話は、月族の子供が生まれたから月族本家の人間がいつか迎えに来る。その時に月族本家と接触する算段だったって話でしょ。それぐらい絡まないで言えないのかしら」
『ですよね! 本当すみません! 俺ってば調子に乗ってましたねっ』
剣の返答に、響華は眉間に皺を寄せた。
「謎だわ。どうしてコイツって、私に対してこんな好感触なのかしら……。気持ち悪いし、不快なのよね」
「――響華。受話器を手で塞がなきゃ聞こえるよ」
「聞こえててもいいわ。ホント気持ち悪い男ね!!」
響華は最後の台詞だけ、思いっきり大声で強調する。
『姉御肌の炎乃さんには、おとなしい年下の男性が相性良いですよ』
まるで聞いていない様子の剣を無視して響華は言う。
「敦美。コイツが相手を責めるように会話のリードを取り始めるのは、話を誤魔化す時よ。あの転校生の話、このストーカーもあまりしたくないんだわ」
「――え……?」
『え……炎乃さん……』
「アンタも、翡翠革命なんて余計なことしたわね。それさえなければ、電脳族が皇族になっていたのに。情報屋のわりに、巫倉の婚約者が亡くなった御天日凰十『皇帝』陛下だったって知らないんじゃないの? 宙地原族に上手いこと利用されたわね」
電話越しに絶句している反応があった。
それだけ言うと、響華は受話器を放り出して敦美に渡した。
「――〝かぐや〟と、知り合いなの?」
『……まぁ、昔は……ね。ちょっとかまい過ぎて嫌われちゃって……』
「コイツ……かまうってまさか、嫌がらせでしかない電話責めやったんじゃないの。何度も煽り系の罵倒してくるやつ」
「――あの子に、うちの弟にした嫌がらせと同じことしたの……っ」
敦美が怒りを隠さず、一気に感情的になる。
『そんな、俺はただ……』
「貴方と取引はしない」
敦美は冷徹に宣告する。
『……いいんですか。そんなこと言って、俺を敵に回しても』
「――電拳族長。貴方はこれまでだって、ずっと私の敵だったよ。取引だって私が得をするものじゃない。貴方がいかに困らないようにするかっていう提案だった。御大の件だって桔梗領地の問題でしかないし、藍領地としては、機械族族長を通じて人工衛星の権限を取り上げれば終わるの」
『電脳族一族を敵に回す覚悟があるのか』
「――纏まることのない電脳族の特質を、さっき貴方が熱く語っていたじゃない」
『……。敦美さん、『領王』になったんだね……』
9年前から『領王』である敦美に、そんな言葉を告げて剣は通話を切った。
電話機はその瞬間、四角いドットの形で小刻みに砕けて消失する。
「アイツ、べらべらと喋り倒していったわねぇ」
「――電脳族は、知識や情報を話すのが好きだから。おかげで翡翠革命のことが知れて助かった」
「主犯だったわね。どうするの?」
「――今は忘れる。背後の支援者が厄介な皇族だもの」
「支援者といえば、あのストーカーに情報やりたくないからつっこまなかったけど、月族本家の場所を誰も知らないってくだり、引っかかったわ」
「――うん。水名の方は〝絶縁状態〟って言っていたよね。まるで月族本家の反応が見えているような言い方だった。内情も詳しかったし」
「……知ってるのかしら」
「――多分。水名族長に訊いても、肯定は返ってこないだろうけど」
「水族、やるわね。太陽族と宙地原族を出し抜いているなんて」
響華は笑いながら身体を伸ばした。
「もう帰るわ。ドラマの続きをみたいのよね」
身を翻した響華の背に、敦美は疑問を投げた。
「――何で響華は、我慢してまで藍領地ランカーを続けているの?」
ずっと不思議だった。闘技大会に出たことで、周囲への義理は果たしたはずだ。
縛られる生き方が苦手な響華が、藍領地ランカーを続けている理由はなんなのだろうかと。
「そりゃ、敦美とこうやって話がしたいからよ」
「響華」
軽く応えると、響華は振り返りもせず、敦美から遠ざかっていく。
秋の訪れをのせた涼しい風に吹かれながら、敦美は響華の背中が見えなくなるまで見送った。




