第22章 眠る月の皇子は目を覚ます
青い水中内。
肺の空気を全て吐き出してしまった氷藤信次は、いよいよ意識が遠のきかける。
「力を発動させろ」
いやに鮮明に聞こえた声に従い、がむしゃらに再び力の発動を試みる。
すると、信次の周りの水を氷へと変えられた。
その氷の幅を縮めると空間が生まれ、やっと息が出来るようになる。
「っ……はっ」
「同じように他の者も救え。今、直ぐに」
命令する声に、何故だか逆らう気になれなかった。
溺れていた涼柁と草乃、敦美の周りの水を同じ要領で氷の障壁に変えて取り除く。
同時に、百貨店内の水中に閉じ込められている多くの人間の存在を感じられ、彼ら全員も力を行使して助けた。
「げほ…っ」
「はぁはぁ……」
皆、息も荒い。
涼柁は草乃を腕の中に庇ったまま床に倒れ伏す。
敦美はかろうじて踏ん張り、膝をついた。
さらに信次は、見えないはずの藍領地上空を包む水の障壁の存在が察知出来る。
続いて外に意識を向けて、藍領地の上空を覆う水の幕を全て凍らせた。
すると何者かがその氷を砕き、氷の欠片は突風で纏まる。それを残らず炎で溶かされた感触がどこからか伝わってきた。
思わず自身の両手を半信半疑で凝視する。
信次には、水岐広早の力に打ち勝つような力はないはずだ。
この溢れるような巨大な力は、一体どこから生まれてきているのか――……
ようやく命令を下した人物に視線を移す。ぎょっとした。
そこには、白練色の髪と瞳の少年がいた。
信次は混乱する。人質にとっていた空色の髪と瞳の少年は――水岐広早の弟はどこに消えたのだと。
「何者だ、お前……!?」
少年は、ちらりと信次を一瞥した。
「主上を拿捕していたのは貴様だったはず。力は授けた。あの水族の男を倒せ」
そう言って篁朝を指差した。
篁朝は秀麗な顔を歪めて、少年を睨み付ける。
「『かぐや』……ッ!!」
「……押さえ込め」
『かぐや』の静かだが強さを秘めた一喝に、条件反射のように信次の身体が動き、篁朝が再び出現させる水を瞬時に凍らせていく。
だが、篁朝の眼前でその勢いは止まり、新たに発現された水の壁で押し返され始めた。
「ぐっ……!」
「輝夜を返せ!!」
篁朝の狂気に満ちた鋭い眼光を、『かぐや』は表情ひとつ変えずに受け止めた。
「主上の制止の御言葉を一切聞かなかったのは貴様だ。だから私がこの場を収拾する」
「何もかもお前がいるせいで!! 輝夜が大地族に追われる元凶が!!」
「愚かな。全くやっかいな男だ」
『かぐや』は嘆息しながら、信次に声をかける。
「持ちそうか?」
「ぐっ……くッ! マジ血管がブチ切れる!! この力の量を平然と放出してるってマジどうなってんだよ、化け物かッ!!」
篁朝の力と一進一退の攻防を続ける信次は、血管が浮き、脂汗を大量に掻いた。
「あの男が扱うのは、少し受け継いだ月族の力によって常に極限まで増幅状態を保つ水族の力だ。それに他の月族からの力の干渉を拒める性質をも持つ。今は私もあの男の力を弱められない」
「ハァ!? 月族!?」
「今の貴様は月族の力の恩恵を受け、月族の力を多少宿す男と対等に戦っている。主上の臣下に選ばれた幸運に感謝をするといい」
柔らかく微笑を浮かべる『かぐや』に、信次はぎょっと目をむいた。
「臣下だあ!? 誰だよ月族のシュジョウってのは!?」
「目の前にいるだろう。旧姓、水岐輝夜。現在は水城輝夜――隠された真名は御高月煌夜。我らの皇子殿下だ」
「ああ?! 意味わかんねぇ! ソレてめぇのことじゃねーのかよ!?」
「私は主上の月族の力が人格を形成した者、架空の咎人〝かぐや〟という。つい先ほど、主上に思い出していただけた存在だ。……やはり分が悪いか」
篁朝の水の壁が迫り出し、『かぐや』は眉根に皺を刻む。
「悪かったな!! 水族と違って、クソ雑魚の氷族でよッッ!!!」
「恥じることはない。あの男が異常なのだ」
信次は苦痛に耐えながら歯噛みする。
「クソクソ! 水岐広早! こんなとんでもねぇ力を持ってるくせに、何で姉ちゃんを助けてくれなかったんだよ!!」
「……天才は初めから天才ではない。天才の片鱗を周りに見せるまでの課程で何かしらの努力を成している。潜在能力もまた然り」
「っんだと!」
「あの男は、9年前までこれほどの能力者ではなかった。だが、翡翠での暗い経験によって、最強の能力者へと昇華するに至った。……結果、正常な精神を殺された」
「それが努力だと!?」
怒りにみち満ちた瞳で『かぐや』を睨む信次を、『かぐや』は真顔で見つめ返す。
「生き続けることが地獄に値する経験や記憶は存在する。あの男と同じ拷問を受けた姉が生きて帰っていたなら、貴様は今、私に怒りを向けはしなかっただろう」
「拷……問?」
信次は、耳にする単語が理解出来なかった。
拷問は基本的に要求を呑ませるか、情報を吐き出させるための手段だ。
翡翠の領民は一体何の情報を求めていたんだ……?
要求? 翡翠領地ランカー『二位』を拷問して何の要求をしたかったんだ。
「貴様の姉の遺体は、美しい状態で死ぬ際も死後も一切の辱めを受けた形跡はなかったはず。見せしめの処刑に選ばれた1人だった。翡翠領民には自分達が正義だと、ただの暴徒ではないと示す大義があったから」
「!! お前っ……翡翠革命が起こった原因を知ってんのか!? 教えろ!! 俺は真実が知りてぇんだよ!!」
「翡翠領地の『領王』制度廃止案の執行」
「……は……?」
「本来、革命を起こしたのは、処刑を断行した翡翠の領民達ではない。翡翠の『領王』制度を廃止するという独善的な政策を持ち出して暴動を起こさせる火種をまいたのは、当時の翡翠『領王』と上位領地ランカー9名。……そう、貴様の姉の側だ。
翡翠の領民達は、ただ怖ろしい政策を廃案にしたかった」
「う……嘘だ……。い、いい加減なこと言いやがって……」
信次の氷の障壁が消える。瞬時に水中へと引きずり込まれた。
「がぼっ」
『かぐや』は動じず、力が使える精神状態を維持出来なくなった信次に、静かに語りかけた。
「昔、傲慢な男がいた。自らの優秀さに酔ったその男にとって、平凡な家族は、つまらない上にみっともなくてたまらない。ずっとともに暮らしていた人間、何もかも知った気でいて彼らを侮蔑していた」
視界の端に、篁朝が射殺さんばかりの形相でこちらへと歩いてくる姿を捉える。
篁朝だけは水の影響を全く受けていない。平素通りの慣性による動作だ。
「……だが、ある日突然『皇帝』陛下という雲の上の存在が来訪する。傲慢な男は家族への無知さを知った。平凡でつまらない存在だと思いこんでいた父親は、皇族の出自。『皇帝』陛下が自ら会いに来るほどの人物だった。みっともなくて腹立たしいと殴っていた弟は、自分自身より優秀に生まれていて、正統な皇族継承者……」
「げぼっ……」
「例え姉を想い慕っていても、貴様はその傲慢な男と同じだ。姉弟だからと、何もかも知った気でいる人間。そして、全てを知る人間の言葉を遮った。感情で情報を選ぶな。情報の優劣をつければ、最も有力な真実への情報を見失う」
信次が苦しみながらも、必死に『かぐや』を見た。
『かぐや』は目を逸らさず、信次に向かい合う。
「獣櫛涼柁。きっと当事者の誰よりも、『皇帝』陛下に全ての計画を告げられていた者。貴様は私などより彼の御方の言葉を聞くべきなのだ」
いつの間にか、涼柁と草乃の姿はない。『かぐや』はそれに気付くと薄く微笑む。
「現代も、いにしえの理を保守する桔梗領地と御大が、『皇族御三家』にどれほど重臣として見え、尊ばれている存在か理解し……ぐっ……」
『かぐや』は目の前に立った篁朝に、力の限り右腕を掴まれる。
「輝夜を返せ……っ、今すぐに!!」
「主上の腕を乱暴に扱うな……痴れ者が……っ」
『かぐや』の顔が苦痛で歪む。
だが、篁朝は力を加減しない。
「お前が邪魔だ!! 輝夜の中から出ていけ!!」
水圧を変化させる攻撃を直に頭に受け、信次が堪えきれず失神する。
「ここまでか……」
遂に『かぐや』は諦めの決断を下した。
「……貴様にその言葉を言われるとは笑えもしない。私は、貴様が主上へ行った暴力から目覚めたというのに。隠し続ける月族の力を、いつか貴様に知られて今以上に酷く殴られるかもしれないと……幼い主上がどれほどそのことに怯えていたか理解をしていない」
「俺も輝夜も、とっくに忘れたんだ!! それをお前の存在が台無しにする……!!」
「そんな、都合の良い解釈があっていいものか……っ」
ガッ!
突然『かぐや』を掴む篁朝の左手首が掴まれた。
掴んだ相手を見て、篁朝は憤慨もあらわに柳眉を釣り上げる。振り解こうと一旦『かぐや』から手を離し、乱暴に振り払った。
だが、相手は掴んだ手を離さない。
《主上》
《……え……?》
そこは深い闇の中。月が半分沈む湖の中心に浮かんだ祭壇。
石畳に両足を抱えて座る輝夜が振り返ると、自身に似た青年が跪き、頭を垂れている。
彼が差し出す手のひらの上の真っ白な光に手を伸ばして触れた。
瞬間、視界が白く包まれる。
そして次第にぼんやりと周りの景色がクリアになっていく。
目の前には、青い水中内でもはっきりと分かる鈍色の髪の後頭部と、藍色の軍服を着用した人物が、輝夜を背に庇うように篁朝の前に立ち塞がっていた。
後ろ姿から、篁朝の手首を掴む彼女が何者か、何よりも真っ先に脳が認識する。
(機國さん……!!)
敦美は篁朝に対峙し、水中に空気をはき出すのも惜しまず、毅然と言い放つ。
「――私はもう見送らない。誰にもあの子を渡さない」
篁朝がギロリと睨み付ける。
敦美は気迫を込めて睨み返し、右の拳を篁朝の腹部に突き出す。
篁朝が出している水の障壁によって、敦美の繰り出した拳の速度はスローになる。
だが、その敦美の拳には真っ黒な布が張りつき被さっていた。
布に見えたそれは次元の穴。
篁朝は目を瞠った。次元から、水の重さを無視した速さで巨大な機械ロボットの拳が篁朝に殴りかかった。
「がっ……!」
とっさに防げず、吹き飛ばされる。
壁に激突した衝撃で篁朝は気を失った。さあっと水が引く。
敦美は浮いていた足が床につき、空気を吸い込んで咳き込んだ。
ともに地面に着地した輝夜は、ぐらりとふらつく。
足に力が入らず、身体の重心が支えられない。そのまま篁朝のように床に倒れ込むと思ったが、細い腕に支えられた。
「――やっと会えた……」
綺麗な声が頭上に降ってくる。
誰の声か自覚して、輝夜は恥ずかしくて顔を上げられなかった。
寄りかかっている華奢な身体が動き、輝夜の背へと彼女の腕が回されて真っ赤になる。
しかし、まぶたが酷く重い。
とても目を開けていられず、輝夜は意識を失った。




