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眠る月の皇子  作者: 古波萩子
『眠る月の皇子』
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第21章 その日、涸れ井戸を覗き込んだ

 背後の男が首から下げている鎖同士の擦れた音が、チャラチャラと耳元で鳴っている。

 輝夜てるやすは上手く状況が呑み込めなかった。

 後ろ手に腕を掴まれて動けないのだと、混乱する頭で理解はするのだが、どうして自分がこんなふうに扱われているのか考えようとして考えられない。頭の中は真っ白だ。


「彼を放して」


 その時、透明感のある綺麗な声が輝夜てるやすの耳に届く。

 はっとして顔を上げると、目の前にはあい領地の最高位を示す軍服を着た美しい少女が堂々と立っていた。


……ぐにさん……)


 顔が熱い。自分は夢でも見ているのだろうか。



 憧れの女の子が目の前にいる――……



 信次しんじは、ぐいっと捕まえている輝夜てるやすを前へと突きつける。

 輝夜てるやすは顔に冷たい温度を感じる。透明に近い、薄い氷の障壁が輝夜てるやすの目の前にあった。一部、針のような形状の氷が床から生えていて、鋭く尖った先端が輝夜てるやすの喉すれすれの位置にある。


「お前らこそ動くな……っ。でないとコイツの頸動脈けいどうみゃくかっ切るからなぁ!」


 鬼気迫る声音に、男は本気なのだと輝夜てるやすは息を呑んだ。

 蒼白になる涼柁りょうたと、睨み付ける敦美あつみ。そして表情を消した篁朝たかときが目に入り、背筋が凍った。

 篁朝たかときの、じっとこちらを見つめる無機質な瞳が心底恐ろしい。

 既に篁朝たかときは正気を保っているのかすら怪しいと思えた。


水岐みずき広早こうさ!! てめぇは翡翠ひすいで何やってたか答えろ!! 姉ちゃんが……っ、『四位』の氷藤ひょうどう信子のぶこが死ななきゃならなかった理由をだ!!」

「のぶちゃんの弟!?」


 反応したのは涼柁りょうただった。

 信次しんじはわめき散らす。


「原因を知りたいんだよ俺はァッ!! 〝火巻ほまき凰十おうと〟なんて偽名野郎と何やってたか吐けよ!!」



 ……ドクンッ……



 輝夜てるやすの心臓の鼓動が跳ねた。




火族ひぞくの名字を拝借して、太陽族たいようぞくということを一体どこまで誤魔化せるかな』




 ――誰かの……声がする。


 篁朝たかときとは違う、暖かな日差しを思わせる若い男性だ。




「お前ら2人が、大地族だいちぞくどもと戦争ごっこやってたのは知ってんだよ!! 関係ない姉ちゃんを巻き込みやがって!!」



 ……ドクン……ドクンッ



 次第に輝夜てるやすの心臓が早鐘を打ち出す。

 この、足元から這い上がってくるような焦燥感は一体何なんだ。




氷藤ひょうどうは、陛下に最後までお仕え致します。これが今生の別れとなるやもしれません。どうかお健やかに……輝夜かぐや殿下』




 ――凛とした女性の声は誰だ……?




「誤解なんっ! 戦争なんてするつもりもなかったん! こうちゃん達がしてたんは……っ」

「黙ってろ!! てめぇには聞いてねぇ!! 当日|翡翠にいて姉ちゃんを助けられたのはコイツだけなんだよ! 俺は姉ちゃんを見殺しといて、1人のうのうと助かってる水岐みずき広早こうさに聞いてんだっつーの!!」


 

 トゥルルル……トゥルルルルルル……


 頭の中でけたたましく電話が鳴っている。

 輝夜てるやすの身体は震えていた。ぐっと唇を噛み、歯をくいしばって堪える。

 意識が飛びそうなほど、視野がぐらぐらとしていた。




「……輝夜てるやすを返せ……」


 最後通告の言葉を口にする篁朝たかときの声が、いやに鮮明に聞こえてくる。




 ふっと、輝夜てるやすの頭の中で鳴り続けていた電話の音が掻き消えた。




 目の前は一面の闇。

 自分の手が随分と小さく、その手は電話の受話器を持っていた。

 電話が鳴らない理由に気付く。もう、受話器なら取っていたのだ。

 そこから男性の声がする。


『死にました! 君達の負けでぇすっ! 何が平等だ!! 処刑されてるじゃんっ! 皇族様のおっしゃる平和で平等な世界って凄いよ! 秩序が無いんだもの! あ、平等って誰でも力で好きな人間殺せるって、そういう意味だった? アハハハハ……!!』


 下卑げびた笑い声が木霊こだまする。

 幼い輝夜てるやすの手から、受話器が零れ落ちた。

 床に落ちた受話器からは、男の高笑いがいつまでも垂れ流される。

 ずっと、ずっと。

 それは――永久に。


 ……負け? 死んだ……?



「……だれ……が……」





 一体、誰が……死んだ……?





「ニャア!」

「!?」


 草乃かやの輝夜てるやすを拘束していた信次しんじの手を引っ掻く。

 姿が見えなかった草乃かやのは子猫の獣型けものがた姿に変身し、輝夜てるやすの足元付近に隠れて息を潜めていたのだ。

 とっさに信次しんじは手を離す。

 自由になった輝夜てるやすはバランスを崩して倒れ掛けたところを、何かの金属に寄り掛かって支えられる形になった。それは敦美あつみ輝夜てるやすの傍に出現させた次元の穴から出ていた、巨大な機械ロボットの指らしき物だ。


「このっ……邪魔すんなッ!!」


 草乃かやの信次しんじに蹴り飛ばされる。


草乃かやの!!」


 涼柁りょうたが悲痛な叫び声を上げた。


 ボールのように飛ばされる草乃かやのの姿に、ロボットの甲斐かいの姿がだぶる。

 空中を散る細かい氷の欠片が、桜の花びらに変わって視えた。

 目の前には、9年前に約束を交わした少年がいる。


 にび色の髪、漆黒の瞳――……あれは……




 あれは。




「……きぐに……さ……!?」





「がぼっ……」


 突然、輝夜てるやすの背後から妙な声が発せられる。

 振り返ると、信次しんじが苦しそうに口元を手で押さえていた。


 一面のあお


 フロア全てが、真っ青な水の世界に変わっていた。いや、百貨店の建物内全てがそうなっているのかもしれない。息をする場所も存在しない。天井から床にかけて、隙間無く、ぴったりと水が填め込まれている。

 輝夜てるやすの身体は水の中でふわりと浮かび、支えるものを必要としなくなった。

 代わりに、ふわふわと浮く身体は動作が酷く遅くなる。

 ついさっきまで輝夜てるやすを支えてくれた機械ロボットの指は、次元の穴ごと消失していた。

 信次しんじが出していた氷も無い。


「ごぼっ」


 信次しんじは懸命に氷の壁を自分の周りに出そうとするが無意味だった。この水の中で自身の力が発動出来ない。間違いなく、篁朝たかときの力によって阻まれている。

 それは敦美あつみも同じだった。脱出の手段が取れない。口元を押さえて愕然とした。

 草乃かやのを抱えた涼柁りょうたも、草乃かやの本人も息が出来ずに苦しんでいる。

 平然としているのは、水族みずぞく篁朝たかとき輝夜てるやすだけだ。


「やめろよ……兄貴……」


 重い水に阻まれて、いつもより直接声が届きにくい。


「みんな溺れてるだろっ……今すぐやめてくれよ!!」


 張り裂けるように声を振り絞った。

 それでも篁朝たかときは平然と――いや、淡々と、どこまでも無感情に信次しんじの姿を眺め続ける。

 輝夜てるやすはぞっとした。


(死ぬのを待ってる……っ!)





「……やめろよ!!」





 ――その一言を大声で発するのに、力の限り全てを込めた。

 

 意識が吹っ飛んでもいい、どうなろうとかまわない。

 もう目の前の誰かが死ぬのを見たくない。


 瞬間、朦朧とした意識の中で浮かぶ人影があった。



 『お誕生日、おめでとう。輝夜かぐや



 優しい声と温かな微笑みを浮かべて、白い兎のぬいぐるみを差し出す青年。

 


 『じゃあ、今度帰ってきたらここでお花見しよう。大丈夫、きっと……』



 彼が告げた言葉は途中で霧散する。

 彼が誰なのか、今――輝夜てるやすにはわかった。




 ――御天日みあめひ凰十おうと『皇帝』陛下……




 貴方の死を、何故、今更思い出さなきゃならないんだろうか。


 もう会えないなら、一生忘れていたかった――……




 ……いたかったんだ……







 ――――《お呼びですか。主上しゅじょう》――――









 百貨店の外では、人々の戸惑いや怯えた声が上がった。

 百貨店の建物がすっぽりと水に包まれ、中に入ることも、ましてや出ることも叶わない。それは同族の水族も同じで、出入り口から出られない恐怖にパニックを起こしている。

 水に包まれているのは百貨店だけではない。あい領地の空全体を水の障壁が覆い尽くす。

 この青空は、本来の空の色なのかどうかすら判断がつかない。



『地上最強の能力者だと断言しておきます』



 とおるの言葉を脳裏で反芻し、響華きょうかは苦笑いする。


とおる。とんだ爆弾を藍領地に引き入れてくれたわね……」


 響華きょうかの携帯端末に連絡が入った。


「あら、とおる。丁度アンタを思い出していたところよ」

『光栄ですね。……駅前街灯の監視カメラ映像は見てます。最悪の状況になりました。領民に死傷者が出るかもしれません』

「『かも』じゃなくて出るわ。水族以外は死ぬんじゃないの?」


 響華きょうかは自らの右手を見た後、頭上に広がる水の障壁を睨み付けた。


「力が使えないわ。正直、初めての経験ね……。これが強者の力に押さえ込まれて発動出来ない状態ってやつなのかしら。ずっと弱い奴らの詭弁きべんだと思ってたわ」

『負けた時の言いわけだと? 貴女ぐらいですよ。子供の頃ですらその経験をしたことがないなんて。

 上空の障壁は、藍領地全ての土地を包んでいます。しかも段々と水かさが増しています』

「それで最後には落ちてくるのね。逃げられない大洪水? 大地族だいちぞくを追い出すっていうならある意味手っ取り早いけど勘弁してほしいわ。

 ついさっき敦美あつみから、百貨店内に氷藤ひょうどう信次しんじが現れてよりにもよって水岐みずき広早こうさと接触したって連絡あったのよ。それでこの惨状かしら。……中の敦美あつみとも、全然連絡がつかないのよ」


 響華きょうかの珍しく不安が滲む弱気な声に、とおるは返答を躊躇った。


『……『領王』様なら、いついかなる時も覚悟は出来ているはずです』

「そこで慰めの1つもよこさないのがアンタって男よね」


 響華きょうかは皮肉げに笑う。しかし、直ぐに空の異変に気付いて笑みを引っ込めた。

 段々と薄暗くなり、徐々に足元の影が移動し始める。


「何……!?」


 真っ暗な闇のとばりが下りた。

 この場に居合わせた者は誰もが固唾かたずを呑む。

 室内でもないというのに、まるで暗室のような光1つない暗闇になった。

 そこに白きほのかな明かりが差す。

 響華きょうかは頭上に現れた光源に双眸を見開いた。


 空を覆い尽くさんばかりの大きな満月。

 真っ白な月の光が、皆を照らしていた。





                ◇◇◇





 木蓮もくれん高級ホテル。

 最上階のスイートルームの窓から悠々と外を眺める人物は、水の障壁と更にその内側に月が出現した藍領地の空に動じる気配すらない。

 むしろ悦に入る口調で、


「おはよう、〝かぐや〟」


 と軽くささやき、あでやかに笑った。


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