第16章 演目はリタイア不可の逃走劇
子猫姿の草乃に先導されて、輝夜と秀寿はコンビニの前に辿り着いた。そこは輝夜の家の近所だった。
(ここ、昨日の夜に草乃ちゃんが来ていたところだ……)
草乃達は、藍領地内ではぐれた際の待ち合わせ場所を事前に決めていたのかもしれない。昨夜、草乃が家から飛び出して来ていたのは、兄が心配でいてもたってもいられなかったからだろう。
周りを見渡すが、特に狼らしい獣の姿はない。
しかし草乃はピンク色の鼻をヒクヒクと動かし、コンビニの向かい側にあるバス停へと一直線に走っていった。
「ニャア!」
バス停のベンチに腰掛けていた見慣れぬ青年の胸に飛び込んでいく。
子猫の頭にお腹をタックルされた青年は優しく子猫を抱き上げた。酸漿色の優しい輝きに満ちた瞳と柔和で整った顔立ちの青年に、輝夜は見覚えがあると思った。
「草乃、無事で良かったん!」
「ミャアァ……!」
抱き上げられた草乃は青年にしがみつく。
青年はベンチから立ち上がり、輝夜にお辞儀をした。
「草乃を助けてくれてありがとう。僕、獣櫛涼柁って言うん。草乃のお兄ちゃんなんよ。涼柁でいいん」
「涼柁さん……。あ、あの喫茶店の前で会った、狼の獣族の人ですよね?」
「うん、そうなん」
「俺、水城輝夜です。その……」
輝夜は背後にいる秀寿をちらりと見た。
秀寿が頷くのをちゃんと確認して少し緊張しながら告げる。
「〝水岐広早〟の弟です」
すると涼柁は恥ずかしそうに、はにかんだ。
「実は僕……初めて会った時から、君がこうちゃんの弟って知ってたんよ。黙っててごめんなん」
「あ。それは、まぁ……気付いてて」
「わ!? そうなん!? 輝夜君は鋭いん!」
輝夜は苦笑いしながら、邪気の欠片も無い涼柁に癒される。
子猫の草乃は涼柁の腕の中で幸せそうに喉をゴロゴロと鳴らしていた。
(草乃ちゃんもすっごく懐いているし、絶対優しくていい人だよなぁ)
涼柁は尻尾を振る草乃の頭を撫でながら、
「合流する時間が遅うなってしまってごめんなん……。今日の草乃との待ち合わせ場所も、本当はコンビニのイートインスペースやったんやけど、店内の監視カメラが大丈夫かわからんで……。出来るだけ上空から姿が見えんように屋根のあるところを移動してたから、時間も上手く計れんで振り回してしまったんよ。
僕、いつの間にか隠れんぼをさせられて困ってるん」
「隠れんぼ?」
「昨日喫茶店が爆発したん、やっぱり僕が狙いなんよ。僕を攻撃してたらよっちゃんが助けに出てくると思われてるん。
だけどよっちゃんは人に強制されるんが好きやないんよ。出てくるぐらいなら、きっと僕を別の次元に放り込む方を選ぶんやけど、今はそれもしたくはないみたいなん。多分警戒しとるんよ……。見つかりたくない人が関わっているみたいなん」
涼柁はとても疲れているようだった。一晩逃げ回っていたせいだろう。
「僕、普段は半獣型やから人型の僕の顔をあんまりみんな知らんし、この人型であれからずっと逃げてるん。
――けど昨日は駄目なミスをしたん。ロッカーが見つけられんからって一旦荷物を置きにホテルに行くやなんて。何であんなことしてもたん……。ホテルの人達に謝りきれんほどの迷惑かけたん……」
涼柁が気落ちしている様子に、ご機嫌だった草乃の尻尾が下がってくる。
「ここに来て気付いたんやけど、この待ち合わせ場所も良くなかったん。T路地で見通しが良くて、ここに来るまで隠れる屋根もほとんど無かったん。早めに離れた方がいいと思うん」
「じゃ、じゃあこれ……!」
輝夜は持っていた四角いキャリーボックスを差し出した。
「さっきまで草乃ちゃんが入ってて、良かったらこの中に涼柁さんも入ってもらえたら俺が屋根のあるところまで連れて行きます……! あ。でも涼柁さんの獣型って大きいですか?」
「普通は大型犬くらいやけど子犬ぐらいの大きさにもなれるん。じゃあお言葉に甘えて連れて行ってもらうんよ。こうちゃんにもようやく会えるん」
「ニャア!」
少し怒ったように草乃が鳴いた。
涼柁は狐につままれたようにきょとんする。
「草乃、どうしたん? こうちゃん嫌なん?」
「えっ!?」
「ミャアァ……」
(ええ!? 兄貴が嫌われてる!? 見た目あんなに格好良いのになんでだ!? 男も女も顔じゃないの!? それとも態度に引かれた……? やっぱりあの突然の水攻めが怖かったのかな)
童顔の輝夜は密かに篁朝の顔を羨ましいと思っていたので衝撃的だ。まさか女の子の草乃が美形の篁朝を嫌うなんて想像もしなかった。
(だから兄貴に内緒でなら、涼柁さんとの待ち合わせ場所に連れてってくれるって言ってたのか……)
輝夜は落ち込んでしまう。何だかんだで、篁朝は輝夜の自慢の兄なのだ。
「そうなん、こうちゃんがそんな風に……。でも草乃やって草乃の意見で輝夜君のこと決めてるん。他人が良い悪いを判断しちゃいけないんよ」
草乃の丸まった背中をぽんぽんと優しく叩く。
涼柁の諭すような声音はどこまでも柔らかかった。
「草乃は輝夜君が好きみたいなん。輝夜君、草乃に親切にしてくれてありがとう」
「そんな……っ! 俺は全然そんな大したことはしてなくって」
褒められると、こそばゆくて気恥ずかしい。本当に大したことはしてないはずだ。
(涼柁さん……父さんに感じが似てる……)
涼柁と草乃の兄妹を見ていて、父の朧と兄の篁朝を見ているような不思議な心地がした。輝夜の口から無意識に問う言葉が出る。
「涼柁さんの実家は格式のある大きな家ですか?」
「ううん。僕は普通やけど」
「獣櫛さん、その発言は詐欺になります」
「えっ、でも僕の家は一般家て……」
反論しようとした相手をよく見て涼柁は目を丸くする。
秀寿は苦笑いしながら一礼した。
「お久しぶりです。獣櫛さん」
「まさか秀寿君!? 大きくなったん! 輝夜君もやけど、9年ってあっという間なん! 秀寿君も僕のことは涼柁でいいんよ」
「電須さんの手前、俺は呼べませんよ」
「雷と涼柁さん、知り合い……!?」
「獣櫛さんは翡翠革命の時に匿ってくれた恩人なんだ」
「……僕、恩人やないん。戦犯なん……」
「何を言ってるんですか。監禁されていた水岐さんを救出したのも獣櫛さんだと聞いています」
「兄貴を!?」
思わず、輝夜は悲鳴めいた声を上げてしまう。
(じゃあこの人は兄貴の命の恩人じゃないか……!!)
輝夜の反応に、涼柁は慌てて否定した。
「違うん! 本当なら僕はみんなが無事なうちに翡翠領地から救出が出来たはずなん! でも僕が……大事な僕のお役目だったのに、よっちゃんの説得に失敗したから……。こうちゃん、僕のことは責めんけど、きっとずうっと怒ってるん。それだけの目に合わせてしまったんやもん……」
涼柁は目に見えて意気消沈していく。
(無事なうちに救出……?)
輝夜は涼柁の言葉に引っ掛かった。
(何か変な言い方じゃないか……? まるで翡翠革命って事件が起こるのが事前にわかってて脱出の準備をしていたみたいな……?)
そもそも翡翠革命とは何だったのだろう。
何が原因で起こったのだろうか。
「灰兼さんも、獣櫛さんのせいだとは思っていませんから」
秀寿は否定してから輝夜に顔を向ける。
「獣櫛さんは桔梗領地『二十一位』のランカーだけど、そもそも〝御大〟になるのが生まれた時から決まっていた人だから格式はあるんだよ」
「オンタイ? ……ああ、〝御大〟か。獣族の族長って何故かそう呼ばれてるよな」
「歴史も古いし、獣族族長は桔梗領地の『領王』でもあるからね」
「あれ。じゃあ闘技大会は……」
「その闘技大会が無いよ。よそ者が入る隙が無いから、桔梗領地は獣族しかいない。唯一『皇帝』統治時代を維持し続けている最古の古代領地と言えるんだ」
「え、凄いな……」
輝夜は素直に感心した。
(じゃあ今回みたいに兄貴が外に呼び出さなきゃ、涼柁さんは狙われたり危ない目にあったりしなかったんだ……)
わざわざ安全な領地から危ない領地に来させてしまい、申し訳ない気持ちになった。
「大昔から桔梗の支配者は狼の姿の者って決まっていて、血筋や能力の大きさでは選ばないんだ。狼の姿か否か、それだけ。極端な話、力が無くてもなれて辞退も本人の自由――……でしたよね?」
「だから僕も辞退させてもらったん。〝最後の『皇帝』陛下〟と言われている御方の思想に影響を与えた継承方法らしいんよ。
昔はそれこそ狼の獣族しかいなかったん。力比べや、じゃんけんで族長を決めたなんて話も残ってるん。けど、狼の獣族は年々減ってきていて僕の代なんて2人やし、その下の世代はまだ生まれてもないん」
覇気なく涼柁は話す。とても憂鬱そうだった。
「こうなって初めて気付いたん。全然自由とはかけ離れてる慣習やったんよ。よその領地の『領王』制度の方がよっぽど自由なん。狼の姿で生まれても『領王』にならんで暮らせるんやもん。
僕、辞退は自由やからしたけど、そもそも辞退をせなあかんのがつらかったん。狼の姿に生まれんかったら、僕の意思と関係無くそんな選択をさせられることもなかったのに――ってどうしても思ってしまうんよ……」
涼柁の話に、輝夜は既視感を覚えた。
どこかで――似たような話を聞かされた気がする。
ふっと、聞き覚えのない男の声が脳裏に響き渡った。
『――生まれる前にやられた〝最後の『皇帝』宣言〟! 階級順位から解放されたせいで、僕達種族は生まれた時から死んでいる。初めから蚊帳の外だ。この宙地原に存在しない種族にされているんだよ。
仕舞いには闘技大会ときた! 闘えない種族に世界での発言権などない。そもそも参加すら出来ない非戦闘種族は『領王』制度の奴隷とは言わないのかなぁ?! 新たな奴隷を作った自由とやらの感想を、当時の皇族どもからぜひ聞きたいね――……! 桔梗領地なんてものがあったせいで、あの最後の『皇帝』は自由を勘違いしたんだよ。だいたい笑わせる。獣族だって見た目で選んでるじゃないか? 種族で宙地原での地位を選ぶのと、容姿で選ぶ。何が違うのか全っ然わっからないなあ!
――〝かぐや〟……君はいつか月へ還るんだろう……? 未来の皇族様の意見を聞かせてくれないか? そのために、僕は君にわざわざ電話をしてるんだよ?』
……トゥルルルルル……
どうして。何で。
男の声は聞こえている。
受話器は取っているはずなのに。
電話の。
コール音が。
パチン!
視界が、まるで電気のスイッチをオフにしたかのように真っ暗な闇に包まれた。
――闇の中、誰かが嗤っている。
そこにはもう、何も無いと。
笑い声だと思ったそれは、ひたすら甲高くわめき続ける電話の受話機だった。
トゥルルルルル……
トゥルルルルル……
トゥルルルルル……
どこか遠くで、取れない電話が鳴っている。
取れないのに電話口から声がする。
『翡翠領地で勝つのは、御天日凰十『皇帝』陛下と、この僕――電拳剣のどちらの主張だと思う?』
トゥルルルルル……
トゥルルルルル……
トゥルルルルル…………
「輝夜!?」
意識が戻り、はっとする。
急に真っ白な場所に引っ張り出されて眩しい。目の前には、いつ見ても秀麗な容姿の篁朝がいた。
「あれ? 兄貴……?」
ぼんやりと見え始めた周りの景色は真っ白い壁と床。明るい外の日差しが入るガラス窓。
(まさか病院……? 俺、また倒れた……?)
「ここ……どこなん? お店……?」
隣から輝夜とは別の戸惑いの声が上がった。
輝夜は驚いて声の方へ顔を向ける。草乃を抱えた涼柁が輝夜と同様に立ちつくしていた。
周りの景色が次第にはっきりとしてくる。病院だと思ったそこはどうやら百貨店の店内だった。流されるポップな曲とガラスケースに並ぶ高価なアクセサリー。棚に並ぶバック――……
「え? えぇ!?」
(俺達バス停にいたよな!? 何でいきなりこんな場所に!?)
今度は突然倒れた訳でも、まして輝夜の記憶が無くなった訳でもない。何故なら涼柁もまたここにいて、そのことに疑問を持っている様子だからだ。
「誰だ」
篁朝の冷たい誰何が涼柁に投げられる。
涼柁は悲しげに眉根を下げて肩を落とした。
「こうちゃん……僕、涼柁やけど……」
「は?」
「いや、『は?』じゃないからさ!? 兄貴が藍領地に呼んだ人だろ!?」
呼びつけておいて苛立つように柳眉を釣り上げる篁朝に、慌てて輝夜は突っ込んだ。
(しかも命の恩人だってさっき聞いたんだけど!?)
「僕、こうちゃんの前で人型になってる姿を見せるの初めてやないと思うん……」
「俺は覚えてない。だから今日が初見だ、わかったか?」
「そうなるん……? わかったん」
(えええ!? 兄貴は何でそんな偉そうなんだよ!? 涼柁さんも怒っていいところだと思う!)
涼柁の代わりに輝夜は理不尽さに歯噛みした。
篁朝が輝夜と涼柁に尋ねる。
「お前達、突然ここに出てきたな……。電須か。あの男自身は何故出てこない!?」
篁朝は声を荒げた。
輝夜は篁朝の言葉を聞き、状況に合点がいく。
(じゃあやっぱり、瞬間移動したみたいに俺達がバス停からここに現れたんだ……!)
電須佐由という電脳族は、他人まで移動出来てしまう桁外れに凄い能力者のようだ。流石に篁朝が頼るだけのことはある。
「よっちゃん……。あんなに警戒してたのに力を使ってこうちゃんのところまで移動させてくれたん」
涼柁は呆然とそう呟き、輝夜の顔を見た。双眸を見開く。謎が解けたのか、顔を綻ばせた。
「輝夜君なん! やっぱり輝夜君を特別大事にしてるん! よっちゃんは陛下との約束を守ってるんよ」
「――は……っ! 凰十を見殺しにしておいて、死んでから善人面するのにはヘドが出る」
篁朝が嫌悪感もあらわに吐き捨てた。
(「陛下」……「オウト」……?)
不穏な単語のように感じられて、輝夜の心臓がドキリと跳ねた。ピリピリとした空気が流れていた。
「……あ、あのうー、財布買い終わりましたけど、俺もナチュラルに混ざってもいいっすかね……?」
唐突に、場違いな電谷の緊張感に欠ける声が割って入った。本人も自覚しているのか、遠慮がにじむ声音でおどおどとしている。
「電谷!? ここで何してんの!?」
「〝やっくん〟でしょう、てるやん!」
間髪入れずに電谷の鋭い訂正が入った。
「や、やっくん……」
「うい」
相変わらず、謎のこだわりを見せる男である。
「財布を買いに来たんっすよ。いやぁ、現金持つなんて久々! いつもデジタルかカード払い人間なんだけど、カード類は次元空間に置いてたんで、今日次元空間が滅んだ時にともにお亡くなりに~」
「次元空間? って移動に使ってたり、シェルターとかの?」
「そそ! ……まあ、色々ありましてね! しばらく使えないんっすよ。ですがっ、悪いことあれば面白いこともアリ! 頭打ったんで、ちょい検査に行った病院帰りに何とこちらとんでもない美形がバス待ちしてたんっすよ!」
そう言って両手の人差し指で篁朝を指差す。
そこは片手でいい。いや、そもそも人を指差すのは失礼だと思う。
「思わずこの怪奇現象に『バス待ちの間、暇ならそこの百貨店で一緒に時間潰しません?』って声をかけちゃいましたわー。いやぁ、イケメンのくくりを超えた超絶美形ってリアルで見るとホラーっすね。完全に肝試しっすわ。しかも! これが偶然にも、てるやんのお兄様! なははー」
電谷の語りが芝居がかり過ぎて、実は輝夜の兄だと知ってて声をかけたのではないかという気がする。
「兄貴、よくこんな失礼なことを言ってくる電谷と遊ぶ気になったね」
「暇だった」
心底どうしようもなくバスを待つ時間が苦痛だったのだろう。そのためなら誰にでもついていきそうな危うさが窺える返答だった。
(本当に時間潰すの苦手だよなぁ。兄貴に何か1人で遊べるインドアな趣味を見つけてあげないと……あれ、でもオンラインゲームはやっているんだっけ)
「お前、本当に輝夜の友人だったんだな」
「何ですと!? 信じていただけてなかったとは不徳の致すところ……!!」
「輝夜、電脳族の友人には気を付けろよ。基本、頭がおかしい」
「え。いやそんな――う、うん……」
「てるやああああん!? 心の大親友に向かって酷い!!!」
大袈裟に手で顔を覆って電谷は泣き真似をし出す。
輝夜は若干引いた。
(い、いつの間に大親友に!? どっちかって言うと9年越しに再会した雷だ――)
そこでやっと気付いた。
1人いないことに。
「雷は!?」
◇◇◇
――突如、真っ黒な霧に視界が塞がれた。
秀寿が思わず閉じたまぶたを開ける。目の前から輝夜達の姿が消えていた。
秀寿は特に慌てはしない。今の黒い霧が誰の力によるものなのかは知っている。
次に、バス停の屋根やベンチがぐにゃりと曲がっていく。
秀寿は、ふっと息を吐くと静かに身構えた。
直後上空から押し潰してくるような重い見えない衝撃が降ってくる。
そしてバス停の屋根やベンチ、時刻表や道路に至るまで、その場の物が粉々に押し潰されていった――……




