第15章 「私」を作るあなた【前編】
藍領地本部ビルに呼び出された響華は、ふわあっと大きなあくびをした。
「なんなのよ、敦美。いきなり呼びつけるなんて」
「――これから巫倉の兄の話を聞くの」
「巫倉の……!?」
敦美の従姉妹、電照巫倉が消息不明になって9年は経つ。
同じ姉妹弟子で幼馴染みの響華が彼女の身を案じているのは敦美も知っていた。
敦美の言葉に、平素はいい加減な態度を崩さない響華も真剣な表情に変わる。乗り込んだエレベーターが上へと動き出す中、響華は疑問を口にした。
「誰が知ってるわけ?」
「――水名」
「透が!? そういえば、今回裏でこそこそと何かやっているみたいだけど」
「――響華には黙っていたけど、昨日話題に出ていた〝電須佐由〟は巫倉の兄の名前なの」
「え!? 巫倉と名字が違うでしょ!?」
「彼の旧姓は電照佐由だよ。――1度養子縁組で名字が無くなって、その後養子縁組から籍が外された時に新しい家名を下賜された。……この辺りの話はついさっき機械族の族長に真偽の確認を取ったから」
「名字が無くなって下賜……。名字が存在しない種族ってまさか!?」
「――うん。彼は皇族家の養子になっていたの」
「待って! 巫倉も実は皇女様とか言い出さないわよね!?」
「――未来の皇后かな……。『皇帝』陛下と婚約していたみたいだよ」
「……」
表情1つ変えずに告げる敦美に、響華は両手を腰にやり盛大に溜息を吐く。
「電脳族が2人も皇族に格上げ!? そんな世界が引っ繰り返る情報を握っていてこの私には黙っていたの。へえ、良い度胸ね敦美!」
「――機械族内でも噂話でしかなかったし、ずっと内密の情報だったから……。それにどれもただの夢に終わったんだよ。電照佐由は電須佐由になった。巫倉の婚約者も翡翠革命で死んだ。2人は結局一般人なの」
「!? 翡翠革命で死んだって……! 『皇帝』陛下が!?」
エレベーターの数字を見つめていた敦美は響華へ顔を向ける。
「――響華、本当に何も聞いたことないの……?」
「……ええ、何にも知らないわ。よく『皇帝』陛下のこと、大地族の奴に喧嘩売られるみたいに聞かれることあるけど。本当に皇族御三家が失踪してから火族は、一族としては太陽族と関わりがないのよ」
エレベーターが上昇していく。響華は数字を睨みつけていた。
「大地族は、口振りからして宙地原族と今も関わりがあるんでしょ。向こうは従者でもね、火族は『皇帝』陛下直属といっても臣下だったわけ。臣下っていうのは地位なのよ。大地族みたいな皇族の小間使いとは違うの! あの地位が有効だった古代の階級順位制度が公にあってこその立場だったっての!」
響華はそこまで一気にまくし立てた後、荒くなっていた声を潜めて、
「……まぁ、でもここだけの話、火族の族長は今でも『皇帝』陛下の臣下職を隠れてやっていると思うわ。火族は一族全体としては関わらなくなったってだけでね。――『皇帝』の地位だって裏で引き継がれて続いているようだし」
現在、『皇帝』が誰でどうなっているのかは表の人々にはわからない。
だが誰もが『皇帝』制度は見えないところで続き、姿は見えなくとも「『皇帝』陛下は存在する」と感じており、また皇族御三家を敬い続けているのだ。
チィン! とエレベーター開閉の音が鳴った。
2人はエレベーターから降り、藍領地『三位』ランカー、水名透の事務室へと進む。
「移動中であれほどの内容を聞かされるんだもの。今から聞かされる本題なんて想像したくなくなってきたわ。本当最悪よ」
「――逃げないでね、響華」
「あら? 誰の口がそれ言ってるのかしらね?」
響華は不敵な笑みを浮かべる。
これまでの怠慢な『領王』としての態度を揶揄され、敦美はほんのり頬を赤らめて気まずげに視線をそらした。
そんな敦美の頬をむにっと人差し指で響華がつつく。
「らしくなってきたじゃない」
――それは〝敦美〟らしくなのか。『領王』らしくなのか……?
口では辛辣でも悪戯っ子のような笑顔の響華。
まだ敦美には、その笑顔から彼女の心情を読み取れるほどの器用さはない。敦美はとりあえず肘で響華の脇腹をつつき返しておく。響華はくすぐったそうに笑った。
目の前の扉が内側から開く。
「お待ちしておりました、『領王』様。お入りください」
透が頭を下げたまま室内へと促した。
しかし響華の姿を目に入れるなり眉根を寄せ、中指で眼鏡の縁を上げる。
「どこで何をしてらっしゃるのかと思えば……」
「敦美に呼ばれたのよ。それまでは家で堅香子領地のサスペンスドラマ全25話をヘビロテしてたわ」
悪びれもせずサボっていたことを言い切る響華に、透は口を開きかけ、ぐっと我慢した。応接間に2人を案内し、お茶を出す。
「電谷君から既に連絡を受けてます。――電須佐由殿を捜していると。私的なご希望だそうですね。我々水族が彼を匿っているとお思いで僕を問い詰めにきたのでしょうが、見当外れですよ。『領王』様と同じく捜して……いえ、相手が召喚に応じてくださるのをただ待ち続けるだけの立場でしかありません」
「――水族の理由は……?」
敦美の問いに、透は真っ直ぐな視線を向ける。
「『領王』様、その前にお聞きしたいです。電須殿に会って、それが叶った後はどうなさるのですか? これまで通りの日常を過ごされるおつもりでしょうか?」
「――……」
「無礼を承知ではっきり申し上げます。僕は……いえ、我々水族は貴女の『領王』としての資質に疑問を持っています。ですからどのように生きられるおつもりなのか、未来の展望を伺っておきたいのです。
たった1度の人生を好きなように謳歌なさりたいでしょうが、貴女は『領王』の地位を保持してらっしゃいます。『領王』様が描く未来は、そのまま藍領地の未来でもあるんです」
厳しく糾弾する声音を隣で聴いた響華は、敦美を横目でちらりと見た。
「――水族は、私に『領王』を辞めてほしいんだね」
無表情で淡々と敦美は呟く。
相手から返答は無い。
遠く、どこかで桜の花びらが落ちた気がした。
音も無いそれを感じるのは、敦美の中に今でも残り続ける後悔にも似た切望のせいだ。
9年前。
約束を誓ったあの時、何故少女の手を取って、彼女を連れ去る電須佐由から逃げなかったのだろう――……。
私は彼女と約束した――『領王』になると。
その約束を叶えたと、彼女に伝えたい――『領王』になったと。
彼女を探すためには力がいるんだ――『領王』としての力が。
(……そう、再会するためにも再会の時も、それにその後も。私は彼女の前で絶対に『領王』でなくちゃ駄目なんだ……)
約束の根源――『領王』……
これを外せば、少女と敦美の始まりは、約束は、今の敦美自身さえも全て無かったことと同然になる。
少女に声を掛けられるまで、追い詰められた敦美がやろうとしていたことはなんだったか。
――自殺――……
(結局――過去も、今も、そしてこれからも、『領王』の「私」を形作っているのはあの子なんだ。それが全て。それ以外の理由も縁も運も、私自身すらも――そこには欠片も無い……必要あるとも思えない……っ。だって彼女との約束が無ければ、私はここまで生きてこられなかったもの……!!)
「私にあるのは――そうしたいと想う気持ちだけ……」
敦美は探る。
自分自身のうちにある心を。
「『領王』自体に興味は無い。ただ『領王』という私でないと顔を合わせられない恩人がいるの……」
彼女に命を救われたからこそ、ここで話をしている自分が存在する。
「たとえ、その恩人に会えたとしても、彼女との約束をずっと守り続けていきたい。それにみっともない姿を見せる気はない」
「電須殿に聞いても、その方が見つからなければどうです?」
透はじっと敦美を注視する。
敦美もまた彼の視線をしっかりと受け止めた。
「見つからないなら探しに行くよ。だけど他領地に彼女を探しに行くなら、自領地に圧倒的な力が必要だからその点はこれから変える。
――透にいくら言われても藍領地の未来なんて私はどうでもいい。私が気に入らないならいつでも実力で『領王』の地位を奪いに挑んでくればいい。領王制度はそういうもののはずだよ」
しばし、敦美と透は無言で対峙する。
響華は1人お茶を飲みながらカップで隠した口元は笑んでいた。
先に折れたのは透だった。深く溜息をつく。
「どうやら、少しは藍領地に目を向けてくださるようにはなったのですね。及第点ですが、まぁいいです」
「及第点!? アンタえっらそうねぇ!」
「は? 僕はこの藍領地の『三位』で3番目に偉く、水族の中では族長の息子で2番目に偉く、次期水族の族長候補ですので、のちに1番に偉くなる存在ですよ」
眼鏡のブリッジをくいっと指で持ち上げながら力説する透を、響華は白い目で見る。
「親のスネと叶ってない願望と、『九位』の私に勝てないで出された数字を誇ってるなんて絶妙に微妙な男だわー」
「出されている結果が全てなんです! 貴女こそ何故本気を出して結果を出さないのですか!」
肩にかかった紅いウェーブの髪を払いながら既にこの会話に興味が失せている響華の様子に、透は苛立ち鋭く睨みつけた。
「――水名」
敦美が中断した話の先を促す。
透は咳払いをすると脱線した話を戻した。
「……我々水族が電須殿にお会いしたい理由は、身内の能力を再度封じてもらうためです」
「――それは水城輝夜、という子の?」
「ええ」
「誰だったかしら? 聞き覚えが……ああ、喫茶店にいた水族の転校生?」
「――そう。それに私達のクラスの転校生みたい」
「ちょっと透! アンタ、職権乱用じゃないのよ!」
「藍領地の外務と防衛業務をずっと投げていらっしゃったのはそちらじゃないですか」
「獣櫛御大が藍領地に入領しているのもアンタらの仕業じゃないの!?」
「我々の力は貸していません。呼んだのは水族の人間ですが、獣櫛殿の入領は電須殿のお力だと思われます。……電須殿は獣櫛殿がおられないとこちらの世界に出てくるのが億劫な御方のようですので」
「――じゃあ、会えるの……?」
「ところがそう簡単にはいきません。獣櫛殿が狙われた爆発事件が2件あったでしょう」
そこで言葉を一旦切ると透は腹をくくる。
「……こちらも余裕がありません。隠しごとは無しにしましょう。最初の喫茶店。あの場には電谷君と輝夜君、獣櫛殿と電須殿がいました。
そして獣櫛殿は待ち合わせをしていた。その相手は輝夜君の兄の水城篁朝です。彼の旧名は水岐広早といい、生死不明になっている元翡翠領地『二位』ランカーです」
「はぁ!?」
「――!?」
「雷様とは翡翠の同僚ですね。ただ雷様と違う点は、翡翠革命当時に翡翠領内にいた人物でした。現地での真相を知る唯一の生き証人となります。そのため現在も口封じを目的に命を狙われ続けています」
「ちょっと……なんて人物を藍領地に引き入れてるのよ。頭が痛くなってきたわ……」
「――それで……?」
「最初に喫茶店の爆発事件が起こった時、4人のうち誰が狙われているのかわかりませんでした。水族にとって重要なのは電須殿、篁朝さん、輝夜君です。なので緊急処置として獣櫛殿に全てを被せ、彼を犯人役として事件を早く終わらせようとしました」
「――でもうやむやにはできなくなった」
「……ええ。2件目のホテルの爆発で、単純に獣櫛殿が何者かに狙われているのだと気付きました。
それは今現在も続いています。そしてこのままでは電須殿も姿を見せないでしょう。なので我々水族もまだ会う算段はつきません。……ここで水族は後手に回っていたんです。唯一の救いは雷様が輝夜君についている理由ができていたことでしょうか……」
「――どうしてここで水城輝夜の名前が出てくるの……?」
「本当よ。だいたい秀寿は果凜の見舞いで病院にいるんじゃなかったの」
「いえ。輝夜君の護衛についています。森花果凜さんは篁朝さんが病を治しましたので、検査が終わればほどなく退院なさるでしょう」
「今、あの子の病を治したって言った!?」
「――獣櫛殿を襲撃していた犯人は葛領地ランカー2人だとわかったよね」
「はい。確証はありませんが、電拳族長が絡んでいるかと……」
透は言葉をにごし続ける。
響華はその態度にいぶかしんだ。
「さっきからアンタの言っていることが全然わからないわ。さっさと犯人の葛領地ランカー2人を捕まえて獣櫛御大を保護したら終わりでしょ? それから電須佐由って奴に出てきてもらいなさいよ。この際、上位領地ランカー全員使いなさい」
「……使えません。別のことで使っているんです。勝手ながら『四位』以下の現場指揮が取れる権限を持つ上位領地ランカーの方々には、藍領地の防衛についてもらっています。『九位』の貴女以外は出払っているんです。だから葛領地ランカーに割く余裕がないんですよ」
敦美は初耳で目を見張った。
響華も驚く。
「『四位』以下ってまさか時爺もいるの!? 火事の煙を吸って倒れたんじゃないの!?」
「います。時蔵さんがそんなことで倒れるなんてあるわけないでしょう。あと、一応見た目は20代なんですから、あまり老人扱いは感心しません。時蔵さん、若者の発言が1番こたえるってこの間も愚痴ってらっしゃいましたよ」
「ジジイの話なんてどうでもいいわよ! アンタ、爆発現場と爆破犯人放置して何を防衛させてるって言うのよ!?」
透は部屋の壁に設置されている照明のスイッチにある蓋をスライドさせ、その下に隠れていた起動ボタンを押した。
室内の空中空間いっぱいに電脳の藍領地の地図が現れる。地図の中には無数の赤い点と青い点、そして4つの少ない黄色い点があり、それぞれ移動している。
「赤色の点がよそから侵入してきた大地族と藍領地内の大地族。青色の点が藍領地ランカー及び水族。黄色の点が輝夜君と獣櫛殿の妹君、獣櫛殿本人、篁朝さんです」
敦美と響華は赤色の点の多さに息を呑む。
藍領地の街は制圧されているかのように見えるほど、街中の角や道々に赤い点が立っていた。青色の点の側には一定の距離を置いて赤い点は近寄ってこない。
黄色い点を中心に円を描くように、一定の距離を保って青色の点は動いていた。
「どこから湧いてきたのよ、この大地族ども……!」
響華が嫌悪感もあらわに叫ぶ。
敦美は黙ってその地図を凝視していた。
「土がむき出しの地面があれば地中のどこからでも出てこられるような種族です。電脳族が誕生するまでは、移動系能力のトップとしても大地族は有名でしたからね」
「藍領地を乗っ取りにでも来てんの!? どこの領地の奴らよ!?」
「全ての領地からです。特定の領地なんて存在しません。ある意味、乗っ取りでしょうね。藍領地の領民のフリをしてらっしゃいます。目的は――輝夜君です」
敦美は顔を上げた。
透が苦々しく話を続ける。
「彼らは能力が戻った輝夜君が欲しいんです。今のところ大地族はこちらが近付くと逃げ、離れるとまた近付いてくる。一定の距離を置き、戦闘さえ起こらずのこうちゃく状態が続いています。向こうはこちらが気付いているとは思っていません。
喫茶店の爆発事件があった直後、篁朝さんの力によって輝夜君の周りで通行人のフリをしてうろつく大地族の存在に気付かされました。ですが検問なども完全に後手に回り、大人数の侵入を許すことになりました。まさか初日に、大地族が仕掛けてくるなんて……!」
「――どうして兄ではなく弟の方を? 〝水城輝夜〟は一体何者なの……?」
敦美の問いに、透はすっと背筋を伸ばす。
「彼は皇族御三家の1つ――月族の血筋を受け継ぐ御方です」




