第11章 平凡にたゆたう片鱗、白き影
◇◇◇
俺は、一体何を忘れているんだろう。
何を忘れた方が良かったんだろう。
『ああ……そうか。あの時にはもう〝かぐや〟じゃなくて〝てるやす〟だったんだな』
父の言葉が頭の中で響く。
「かぐや」は、改名前のただの名前のはずなのに。
あの言い方ではまるで……
――まるで、俺が別人みたいだ……
◇◇◇
「おはよう、水城」
「お、おはよう、雷っ!」
朝、水城家に迎えがやってきた。
「弟を護衛しろ」などと、篁朝が雷秀寿を呼びつけたのだ。一般領民が藍領地『二位』ランカーを顎で使うとはなんたる事態か。
(本当まずいって! 藍領地の人が知ったら、きっと怒るっての……!!)
内心冷や冷やしながら、輝夜は秀寿とともに登校する。
「う……兄貴が非常識でごめん! 雷は、この領地で2番目に偉い人なのに」
「水城こそ気にしすぎだよ」
秀寿は嫌な顔もせず、爽やかに笑った。
「その子も一緒に登校?」
秀寿は輝夜が持つ手提げの四角いキャリーボックスを見る。その中には白い子猫と、ワンピースなどの衣類が多少入っていた。
子猫は昨夜ようやく人型になって喋った7歳の少女――〝獣櫛草乃〟だ。草乃は随分と人見知りをするのか、まだ輝夜以外と話そうとしない。
ただ、連れてきたのには別の理由がある。
「うん。草乃ちゃん、どうしても俺についてくるって。……まずいかな?」
「俺が許可するから大丈夫だよ」
(ひえっ、凄い格好良い台詞!)
1度言ってみたいものだと憧れる輝夜だ。
2年1組の教室の扉を開けると、クラスメイトの注目を集めた。
雷族の秀寿の隣に、平気な顔で並ぶ姿はよほど周りを驚かせるものだったらしい。
クラスの出席率は昨日と同じで、秀寿以外の領地ランカー達は欠席していた。
目を丸くした電谷が芝居がかった身振りで、よたよたと蛇行をしながら輝夜達へと近付いて来る。
「ア、アズ様とてるやん!? 迷宮入りな謎チョイスの組み合わせ!?」
輝夜は照れながら、
「雷と俺は、子供の頃から知り合いで……」
「ええぇっ!? アズ様と幼馴染みだったの!? てるやん、まさかの修羅出身っ?!」
「は? しゅ、修羅……?」
電谷の発言にぽかんとする。
「ん、違った? 翡翠領地」
「え、いや……。行ったこともない領地だけど……」
「あらぁー?」
電谷は盛大に首を傾げる。首を傾げた状態で輝夜の隣にいる秀寿に顔を向けた。
「試される大地出身っすよね、アズ様は?」
「翡翠じゃなくて藍に来てから出来た古い友人なんだ」
「アー、なるほど?」
電谷は頷き、右に傾げていた首を今度は左に傾げた。何故か首を傾げる仕草を続行している。
(納得してないってアピールなんだろうか)
転校2日目にして電谷というクラスメイトを理解しつつある。
「翡翠ってどこだっけ。北方の……?」
「そそ。中央大陸から見て北東の島々よ。歴史や現代社会の教科書にも翡翠領地はよく載ってるっしょ。〝翡翠革命〟があったトコ」
「なんだっけ、それ」
「世紀の内乱ダヨー! 翡翠の『領王』と上位領地ランカー9名を、翡翠の下位領地ランカーと領民達が処刑したっていうトンデモ大事件。特に理由も無い数の暴力が彼らを襲う! ……っとまぁ、公言されないだけであったんだろうけどもね。処刑されちゃう理由がさ」
電谷は秀寿をちらっと見る。
秀寿の方は輝夜を怪訝そうに見ていた。
「水城。大丈夫なのか……?」
「え? うん。教科書に載ってる事件って全然現実感が無いよなぁ」
「うんうん」と、電谷は身振り大きく首を縦に振って相づちをうつ。
だが秀寿は輝夜の平然とした様子に愕然としているようだった。
(? 今の話のどこに驚いてるんだ? 俺、変なこと言った……?)
考えても輝夜の方に思い当たることはない。昨日家族と話した記憶関連のことだろうか。
2人の反応は気に止めず、電谷は饒舌に話を続ける。
「で、話は戻るけどアズ様はその事件があった9年前にこの藍領地に疎開して、今に至る勢なんですぜ」
「疎開って」
大袈裟な、と輝夜が言いかけたところ、
「アズ様は、元・翡翠領地の上位ランカー『五位』様なのだよ!」
と電谷が爆弾発言をする。
「え!? だって9年前って……子供じゃん!?」
「俺達8歳ね。やー、物心ついてたか怪しい! 当時の記憶も薄過ぎー! でもうちの領地も今の『マスター』や上位領地ランカーは、その順位勝ち取った時が8歳な方とかいるからね。我が領地、超人集め過ぎでは?」
「でも翡翠は生き残りいないって話じゃ!?」
「うんにゃ。フツーに目の前におるじゃないの! 『五位』のアズ様でしょ? あと『三位』のハイ様閣下ね。閣下は今は葛領地の『領王』をやってらっしゃる。このセーフ2人組は事件当日に翡翠領地を留守にしてたんっすよね?」
電谷は当人である秀寿に確認を取る。
秀寿は輝夜を凝視しながら上の空で頷いた。
「あ。それと消息不明の『二位』ね!」
「『二位』……?」
「当日に領地にいた方らしいんで死んでるってのが通説なんだけど。遺体未発見の行方不明なせいで、歴史オタ界隈では生存説が根強い。ちな、俺も生存説を支持してんの、ホホ」
「他の人は遺体が残ってるんだ……?」
急に恐い話になり、輝夜は恐る恐る聞き返す。
電谷は話の暗さに反して、からりと明るく笑った。
「うんむ! 翡翠領民は猟奇的な凶行をしたけど、各種族にそれぞれの遺体を詫び状とともに丁重に送るというヒッジョーに真っ当な対応をしたんっすよ! ま、いくら謝られても遺族はブチ切れてますがねー。で、問題は火族と水族にそれが送られてない。処刑された翡翠『領王』は火族、『二位』は水族なんっすよ。この辺りの話は教科書には載らない裏話ってやつ」
(……水族……)
輝夜の心拍数が不自然に上がった。
この9年間、似たような話を聞かされていなかっただろうか。
領民の恨みを買い、命を狙われ続けているという元領地ランカーの話を――……
「『領王』は晒し首目的? とにかく遺体を返してない。遺体は他の領地の奴が見てて本人と確認済み。でも『二位』のキー様は誰も遺体を見てないって話だし」
「……キー……さま……?」
ごくりと唾を飲み込んだ。
「またまたぁ! てるやん、同じ種族なら存在くらい知ってるでしょ? 〝水岐広早〟!! 9年前に水族内で話題にならなかった?」
(……兄貴……)
脳天気に笑い飛ばしていた電谷は、輝夜が顔色を青くして固まっているのに気付き、笑い声を引っ込めた。
「ごめん……。俺ってば、無神経に地雷原でアホみたいに転げ回ってましたか、ね……?」
明らかに肩を落として電谷はしょげる。
口が軽いだけで悪い奴ではないのだ。輝夜は硬い表情ながらも笑いかけた。
「平気だって……。そんな気を使うなよ。らしくないって、電谷」
「『やっくん』!」
「や……やっくん」
脊髄反射の早さで訂正されて、電谷は本当に落ち込んでいたのか疑いたくなる。
秀寿が輝夜に尋ねた。
「――昨日は『死んだ』って単語だけで倒れていたのに、本当に大丈夫なんだな」
「え?」
(心配させてる?!)
「いや、そんな簡単に倒れたりしないって! 雷も兄貴に頼まれてるからって俺のことをそんなに気にしないでいいからさ」
「何、何? てるやん体調悪いのん?」
(平常心だ、平常心……)
確かに倒れはしないが、心臓がどくどくと早鐘を打ってはいた。
(そっか。兄貴は、ずっと翡翠の人達に命を狙われていたんだ)
同じ翡翠の領地ランカー同士だったから秀寿とも知り合いだったのだ。
〝翡翠革命〟は何度も教科書で目にしていた単語だったのに、輝夜はずっと篁朝と結びつけもしなかった。
(これも俺が忘れた記憶と関係があったものだったのかな。だから今日までどんなに教科書で見ても、ずっと気付かないでいられたんだ)
波立つ気持ちを落ち着かせるために深呼吸をする。それから努めて明るい声で秀寿と電谷に言った。
「ほら、2人とも席に座ろう」
輝夜に肩を軽く叩かれて、秀寿は不意打ちを受けたかのように身構えた。
「あ、悪い。不快にさせたならごめん」
「……いや。初めてのことで、ちょっとどうしていいのか……はは」
戸惑いはしたが秀寿は照れくさそうにはにかんだ。
釣られて恥ずかしくなった輝夜が照れ笑いながら、自分の席へと向かう。電谷も後に続いた。
離れていく輝夜の背中を見ながら、秀寿は声を潜めてぼそりと呟いた。
「……電須さん、聞いてますよね。変です。彼は忘れた記憶に関連したものを見たり聞いたりするから倒れているのに、同じ連想では2度倒れない。段々と平気に……? そもそも桜並木のことを断片的に覚えているのもおかしい。あの時はまだ『かぐや』がいて俺はその輝夜君の記憶を――」
秀寿は続く言葉を呑み込んだ。
「――俺は本当に、『かぐや』を殺せていたんでしょうか……?」
彼の焦燥を訴える問いに返答は無かった――……
1限目。
数学教諭が黒板に数式を書き始めた直後、突然電谷が席から立ち上がった。
「ぐ、ぐおおぉ……。の、逃れられぬカルマ……っ!」
「仕事か。早く行きなさい」
追い払うように手を振った教諭に、電谷は律儀に敬礼をし返す。
電谷の背丈よりひと回り大きな円形の黒い次元空間が彼の背後に現れ、その中に呑み込まれて教室から消えた。電脳族の次元移動能力だ。
(便利そうだよなぁ……。どうせ非戦闘能力なら、電脳族みたいな能力欲しかった)
輝夜の目に見えない水の防御壁という能力は、実感が無い分、物足りないものだ。微妙に思う。
『中学生が、夜に出歩いちゃ危ないよ』
ふっと、昨夜コンビニ前で会った電脳族の子を思い出す。
(俺、中学生じゃないっての!)
輝夜は腹を立てて口を尖らせた。次に会う機会があれば、絶対に「高校生だ」と言い返してやろうと密かに心に決めたのだった。
授業が終わり、休み時間になる。輝夜は早々と外廊下へ出た。手提げのキャリーボックス内にいる草乃の様子を見るためだ。いくら同行を秀寿に許可してもらっても教室内で堂々としているのは後ろめたい。
キャリーボックスを覗き込む。子猫の姿の草乃は丸まってよく寝ていた。
(草乃ちゃんは小学校どうしているんだろう。休学? それとも創立記念日とかで休み?)
余計なお世話かもしれないが、草乃の学業が心配だ。
「寝てる?」
「うん。退屈してるかと思ったけど、そうでもなかったや」
秀寿は寝ている草乃への静電気被害を配慮して2メートルほど離れていた。
「あ、あのさ。雷って……記憶が消せるのか?」
「――。水岐さんに……?」
「いや、兄貴には聞いてない。けど、昨日そういう感じの話をしてさ……。うちの兄貴も人体を水みたいに液状化出来る恐い能力使えるし、雷族もそういう感じのことが出来るんだな」
「雷族でも俺だけだよ。他の人は出来ない」
(やっぱり兄貴と同じか、それ以上の能力を持っているんだ)
上位領地ランカーは一級の能力者が勢揃いしているのだ。
(機國さん、よく機械兵器だけで勝ったよなぁ。化け物級の人達を倒すのは大変だったろうに……)
可憐な彼女の横顔が脳裏に浮かぶ。
「俺のは病気を水の不純物として人体から取り除けるような、凄い能力じゃないよ。水城は脳が電気信号で動いているのは知っている?」
「あ、聞いたことある。でも〝電気〟って名前ついてても機械に流す電気とは違うんだよな……?」
「そう。体内で造る生物電気は、違う性質のものだ。俺は擬似的にそれに似た特殊な電子を造り出せる。本物の生物的な電気信号とは違うけど、それで脳を瞞せるんだ。ただ、俺の造る電気信号は大雑把にそれまでの記憶を忘れさせるってだけのもの。人の脳内の記憶なんて見られないから内容も選べない。それまでの記憶を全部吹っ飛ばすって荒技でしかないんだ」
「全部……」
ごくりと唾を飲み込んだ。
秀寿は少しでも輝夜を安心させるように笑みを浮かべる。
「吹っ飛ばすと言っても、脳に蓄積された記憶自体は無くならないよ。思い出は脳内にちゃんと残っている。でも覚えた瞬間を知らない状態になるから、記憶の出発点が無くなって記憶喪失のようになる」
癖毛の髪を秀寿は掻く。さらにボサボサとした髪型になった。
「えっと、俺がついさっき食べた物がそれまでの記憶を消されることで、何を食べたのか、食べたこと自体も思い出せない。そもそもなんで自分はテーブルに座っていたんだろ、みたいな……?」
「まあ、そんな感じの全般にわたる記憶を、って感じかな。脳内には残っているから既視感を覚えるきっかけがあったりすると、奥から関連した映像のものが引っ張り出されて記憶が復活するんだと思う。
だけど水城は、俺が9年前にそれまでの記憶を吹っ飛ばしてその映像を経験した時の記憶が無い状態になっているから、そんな映像が出てきた時に脳が混乱してパンクする前に強制的に考えを止める――それが脳を休ませる気絶……になっているはず、なんだけどな……」
急に秀寿が語尾をにごす。
輝夜は自身がどれほどの記憶を消されることになるのかという話に繋がるものだというのに、実感が無いせいか動揺もなく説明を理解しようと努めていた。
(子供の頃の記憶が曖昧なのはそのせいなのか? でも雷の説明だと、その曖昧な記憶すら残らなそうなんだけど、俺は兄貴に殴られたことを覚えてる?)
「水城の状態は俺の想定したものと、ところどころ違う。悪い方向ではないと言い切れないのが申し訳ないけど。
……水城の能力のせいかな。俺が9年前に施した記憶の喪失状態が完全じゃなかった――正直、当時の俺自身を疑っている。しくじっていたんじゃないかって」
「あ、俺が力を防御出来るから当時も防御していたってこと? それで変な感じに記憶があったりとか……」
「とっさに話を合わせたけど、桜並木でのことも本来なら全て忘れていないとおかしいんだよ」
秀寿にはっきりとそう言われ、輝夜はショックを受けた。
(……え……。俺との約束……それじゃ、雷は別に必要なかったんだ……)
秀寿にとっては他愛ない会話の1つで、どうせ記憶を無くす相手だからと、輝夜と本気で話してはいなかったのだ。輝夜は俯いた。
――馬鹿みたいだ。たわいもない会話を、人の励みになったって。役に立てたって思っていた。
この9年間、自分は何をいい気になっていたのだろう……。
「……そ、で……でも、俺程度の能力者が……雷みたいな凄い能力者の力を、本当に防げたりしたのかな……」
「水城の能力は、自ら闘えないだけで防御能力じゃない」
「え……」
再会して間もない秀寿に、いやに力強く断言される。
「いや、水の防御壁だぞ……攻撃にならない……って……?」
(な、ならないよな……?)
自分自身のことだが、能力に関しては輝夜の意思で使えないため、まるで自信が無い。
「……」
「……」
戸惑う輝夜の問いにいくら待っても答えは返ってこなかった。
無言の間に耐えられず、輝夜は話題を変える。
「あのっ病院の兄貴が治した子だけど! その後どう!?」
「果凜なら、ひと通り検査が終わったら退院するそうなんだ」
秀寿は〝果凜〟の名を口に出すと顔をほころばせ、かなり喜んでいるのが伝わってきた。
(凄く大事な子なんだな。か、彼女……かな)
「果凜は藍領地の兄妹弟子なんだ。形だけだけど、藍領地でも師匠を持ったんだよ。それが藍領地の闘技大会への出場資格の条件だったから」
(形だけ? でも、闘技大会は出たくなかったんじゃなかったっけ? あれ?)
輝夜は目を瞬かせる。覚えている話がくい違っている気がした。
だが一部記憶喪失中の輝夜の記憶力なんて当てにはならない。疑問には蓋をする。
「植物族の果凜は変わった子だったよ。俺の力は家族とも相性悪くて、とてもじゃないけど一緒に暮らせなかった。だから俺は翡翠や藍で領地ランカーになって早くに自立して……。果凜はそんな俺と普通に話して友人になってくれてさ。そんな子、初めてだったんだよ」
(はっ、8歳前から自立!? ずっと1人暮らししてるのか!?)
まだ1人で生きていく想像すら出来ない輝夜は、話を聞きながら仰天する。
「俺と一緒にいるのは、電磁波や静電気が肌に突き刺さって常に痛くてつらかったと思う。でも長年何も言わなかった。優しい子だったよ」
「過去形……?」
輝夜はつい無意識に思ったことを喋っていて、はっと口元を押さえる。
秀寿は寂しい笑みを浮かべた。
「彼女が癌の告知を受けた時、優しさは終わったんだ。ずっと俺の力の影響を受け続けていたから癌になった、俺のせいだって言われたよ」
「そんな……っ」
「俺も言いがかりと思えなかった。普段から周りに与える力は、些細で見えないけれど攻撃だと思う。人体に影響を与えたはずだ。だから俺は彼女に謝った。でもそれが……果凜との仲を以前のものに戻せなくなるまで粉々にした。炎乃に――『九位』の上位領地ランカーの子にさ、怒られたよ。「嘘でも否定し続けるべきだった」って。「彼女が欲しかった言葉は肯定じゃなかったって」。……難しいよな、人の気持ちを察するのって」
トンと、秀寿は輝夜に軽く拳で胸を突かれて双眸を見開いた。
「……こうやって全く影響受けない俺が言うのもなんだけど! どうして終わったことになってんだよ!!」
輝夜は、やるせない怒りを隠しきれずにまなじりを釣り上げて怒った。
「うちの兄貴が治したんだろ!? 喧嘩した原因が無くなったんだから仲直り頑張れよ……!」
「水城。1度入った亀裂は」
「亀裂なんて言い方して勝手に終わらせるのかよっ!! 前と同じでいいんだよ! 無神経に話しかけていけってばっ。謝ったのがまずかったって気にしてるなら、この際それを相手に言って謝れよ! うちの家族だって端から見たら仲良さそうだろうけど、色々と亀裂入りまくってるんだぞ! それでも喧嘩はその日までって折り合い付けてムカついても言わないで、次の日には普通に話しているんだからなっ」
「水城……」
(そこで終わらせてたら俺と兄貴の仲なんて、とっくに破綻しまくってるんだよ!)
昔の暴力的だった篁朝に何度殴られてののしられたことか。
輝夜はその過去の兄の所業と折り合いをつけたのだ。それでもまだ決して楽な気持ちにはなれない。今の関係が成り立っているのは、篁朝と輝夜、双方が自ら相手に手を差しのべて歩み寄っているからで、片方が手を引っ込めた時に良好な兄弟関係は途端に崩れさり跡形も無くなるだろう。
――時々、自分だけがこのことを覚えていて我慢していると思うことだってある。……あるけれど、今の篁朝に言っても仕方がないのだ。篁朝はもう輝夜を殴ってはいないのだから。
「ニャア!」
草乃がいつの間にか目覚めていた。キャリーボックスを持っていた輝夜が、静電気を発する秀寿に近付いたせいかもしれない。
草乃は軽やかに外へと飛び出した。地面に着地すると耳をそばだてて校外へと顔を向ける。
「ミャア……!」
猫語はわからないが、草乃はついて来るよう促していると思った。
「獣櫛さんの声が聞こえたんだ!?」
輝夜は秀寿を振り返る。
「偉そうな言い方ばっかりしてごめん。俺、行かなくちゃ。この件は兄貴には少しの間秘密に」
「――わかった。今直ぐ学校を出よう」
心得たと、秀寿は真摯に頷く。
1匹と2人は授業開始のベルが鳴る中、校門を出ていった。




