表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
眠る月の皇子  作者: 古波萩子
『眠る月の皇子』
14/141

第10章 話し合いの空論者


 遠くで狼の遠吠えが聞こえた気がした。




 身体を揺すられて目を覚ますと、反射的に腕で両目に入る光を防ぐ。ぼんやりとした視界に小さな女の子が覗き込んでいる姿があった。


「!?」


 慌ててベッドから半身を起こす。

 7、8歳ぐらいの幼い少女は、輝夜てるやすの反応に驚き、猫のような軽やかなジャンプをして1歩後退した。


「えっ、……誰?」


(でもどっかで見たことあるような、変な感じ……?)


 ここは輝夜てるやすの部屋だ。

 少女は白いワンピースをひらひらさせながら、扉の前で仁王立ちする篁朝たかときの横を通り抜け、部屋から逃げるように出ていく。廊下の方で、少女がぱたぱたと階段を下りていく音がした。


「な、何してるんだよ。なんか怒ってるの、兄貴……?」

「俺が守れる圏外に勝手に出るな!」


(ええ!? 兄貴の力に圏外なんてあるの!?)


「夜は外に出るなっ!!」

「……あ」


(――そうだ。兄貴は暗くなると怖くて外に出られないのに……)


 輝夜てるやすはそんな兄の目の前で外出したのだ。篁朝たかときは追いかけたくても追いかけられなかっただろう。

 部屋の様子を見たところ床も浸水していないので、篁朝たかときがパニックを起こして水族みずぞくの力を暴走させてはいない。篁朝たかときなりに耐えたのだ。


「心配かけてごめん……」

「大丈夫か」

「? 平気だけど……?」


(あれ。そう言えば俺、あずまとコンビニの前で話してたんじゃなかったっけ。それがいきなり自分の部屋にいる。しかも寝てた……?)


 状況を深く考え出すと、輝夜てるやすは次第に不安に駆られてきた。


「ちょ、ちょっと待って。俺まさか――倒れでもした!? 嘘!?」

あずまがお前をおぶって帰ってきた」

「うわ!? そんな迷惑掛けたの!?」

「あっちはお前だから触れられた。初めて他者と接触する経験が出来てむしろ喜んでいるだろ。かみなりぞくは存在が迷惑だからな。力の影響を受けないお前が迷惑なわけがない」

「こらぁっ! いくら兄貴でも俺の幼馴染みを悪く言うなよ!!」

「……」


 篁朝たかときは含んだ目つきで輝夜てるやすを一瞥し、黙って廊下に出た。


(あれ。兄貴怒らないな)


 身構えていた輝夜てるやすは拍子抜けした。





 篁朝たかときの後から1階に降りていくと、居間には帰宅した父の姿がある。無事な様子に輝夜てるやすは安心した。


「父さん! お帰りなさい!」

「ただいま。随分、遅くなってしまってごめんよ」


 おぼろが朗らかな笑顔で挨拶を返す。

 時刻は21時半頃。輝夜てるやすは意識を無くして倒れたようだが、それほど時間は経っていなかった。

 ついさっき、寝ていた輝夜てるやすを覗き込んでいた白いワンピースの少女が窓際でカーテンにくるまって、じっとしている。おびえているように見えた。彼女の足元では甲斐かいが尻尾を振って愛想を振りまいている。


けものぞくのお嬢さんは人見知りをしているんだよ。一言も喋らなくて。名前も教えてくれないんだ」

「獣族!?」


(あの女の子が子猫だった子!?)



 ――獣族。その種族は大まかに3つの形態に姿を変化させられる。

  普通の人間の姿である〝人型ひとがた

  2足歩行で人間ほどの背丈を持つけもの姿の〝半獣型はんじゅうがた

  そして、完全な動物姿の〝獣型けものがた



 少女はずっと子猫の獣型になっていた獣族だったのだ。


「かろうじて人型になってくれたから、てる君の昔の服を出してきたんだけど、ずっとああなのよ。困ったわ。親御さんが心配なさっているんじゃないかしら」


 つむぎもカーテンから離れようとしない少女に困惑していた。


「ああ!? アレって俺が子供の頃に着てた変装用の服だっけ!?」


 道理で少女に既視感があったはずだ。あの白いワンピースが原因だったのだ。

 篁朝たかときを見ると、輝夜てるやすを凝視していて目がかち合う。


「……お前、あの服には反応して倒れないな」

「え」

篁朝たかとき輝夜てるやす。こちらに座りなさい。今日あったことを話してほしいんだ」


 おぼろがおっとりとした声音で促す。

 少女の存在が気になるが、おぼろに言われるままダイニングテーブルの椅子に座った。篁朝たかとき輝夜てるやすは、おぼろと向かい合う。

 つむぎが温かい緑茶をおぼろに、ホットミルクを篁朝たかときに振る舞う。少女にはミルクココアを渡した。

 輝夜てるやすつむぎが入れてくれる緑茶を断り、コンビニの前で知らない女の子に貰ったブラックコーヒーがテーブルの上にあったので飲むことにした。だが非常に苦くて渋面になった。

 おぼろは緑茶を一口飲んで喉を潤すと話し始める。


「じゃあ、輝夜てるやすから聞こうか」

「うん。……俺、今日学校の友達と喫茶店に行ったんだ。そしたら、その店を出た辺りで狼の獣族の人に声をかけられて」

「!?」

篁朝たかとき。今は輝夜てるやすの話を聴く番だよ」


 席を立った篁朝たかときを、おぼろが優しくいさめる。

 篁朝たかときは大人しく椅子に座り直した。


「えっと、それから喫茶店が爆発したんだ。狼の獣族の人が俺をかばってくれて怪我はしなかったんだけど。あの子猫はその獣族の人が連れてて……そう! 爆発で飛ばされてたんだ。でも獣族の人はあの子がいなくなってるって気付いてないまま、いなくなっちゃったんだ」


 少女に視線を向ける。彼女はカーテンにくるまりながらもミルクココアの入ったコップを両手で持ち、少しずつ飲んでいた。


「あいつの妹だったのか……」


 篁朝たかときが端正な美貌をひそめて呟いた。

 輝夜てるやすは驚愕する。


(妹!? あの獣族の人のってことだよな!? 狼の妹が猫なの!?)


 獣族の生態系は神秘的というか謎過ぎる。深い……。


「そうか。輝夜てるやすもあの子も無事で良かったよ。輝夜てるやすの話はそれで終わりになるのかな」

「一応……。あとは兄貴に会ったぐらい」

「じゃあ次は篁朝たかときに聞こうか。病院では診察を受ける以外に、特定の人の病気の治療をしたそうだけど、どうしてだい?」

「……保険。獣櫛じゅうくしが本当に藍領地に来るかわからなかったから」


(え!? 俺にはコスモスを貰ったからだって言ってたくせに、ちゃんと別の理由があったのか!?)


「あの〝例の頼みごと〟かな。君が親切を働いた青年が頼みごとを引き受けてくれる人なんだね」

「ああ。でもあずまには電須でんすの許可無く出来ないと断られた。しかもあずまじゃ電須でんすを呼び出せない。電須でんすをこっちの世界に呼べるのは獣櫛じゅうくししかいない。なのに獣櫛じゅうくしは、大方、電拳でんつかどもに襲撃されて今はどこにいるかもわからない……っ!」


 篁朝たかときが机に拳を振り下ろして荒々しく叩く。

 輝夜てるやすは暴力的だった頃の兄を思い出して身体が強張った。


(デンス……? あずまもその名前を言ってた……。そういえば、あずまはうちの住所も兄貴のことも俺の昔の名字や名前だって知っていたけど、兄貴達は元々知り合いなのか……?)


「それで輝夜てるやすが会ったのが、篁朝たかときが呼んだ獣櫛じゅうくしさんだね。

 驚いたな。篁朝たかとき桔梗ききょう領地の獣櫛じゅうくしさんに連絡が取れる手段があったんだね」

「……オンラインゲームで。ゲーム内の電脳ネットだけは領地関係なく繋がっているから」

「おんらいんげーむっ!?」


 すっとんきょうな声を隣で出した弟に、篁朝たかときは目を丸くする。


「あっ、あああ兄貴! オンラインゲームやってるの!?」

「……ああ。10年前から電須でんすが製作したログが残らないゲームチャットを連絡ツール代わりに使っている」

「ええ!? じゃあまさか、あの獣族の人が言ってたことって本当のことだった!? でもいきなりとんでもない声かけで」

獣櫛じゅうくしが?」

「げ……ゲイだって、初対面でカミングアウトを」

電須でんすっていう最低最悪な男と付き合うボランティアを長年やっているんだ。別に間違ってない」

「ボランティア!?」


 同性同士でも付き合ってるなら、互いに想いあっているはずだと輝夜てるやすは思う。それをボランティアなどと失礼な言い方をする篁朝たかときが理解出来ない。

 おぼろ篁朝たかときに尋ねた。


「そのゲームチャットで、電須でんすさんに直接連絡は出来ないのかな?」

「あいつは俺を嫌っている。俺が直接チャットで話しかけたところで反応しない」

篁朝たかときが話しかけた時に、たまたまゲーム内にいないのではなくて?」

「いや、いる。見ているくせに反応しない。この間なんか獣櫛じゅうくしと会う話をし始めた途端、ブチキレ状態で乱入してきてチャット欄を荒らしまくられた」


 篁朝たかときはその時のことを思い出しているのか、不快げに眉根を寄せた。


「今、そのゲームで獣櫛じゅうくしさんと連絡は取れないのだろうか?」


 おぼろの提案に、部屋の隅にいる少女がこちらを見た。

 だが篁朝たかときは首を振る。


「ゲーム自体がメンテナンス状態でログイン出来ない。また電須でんすが見苦しいキレ方して閉じてやがる。獣櫛じゅうくしが狙われてそれどころじゃない状況で、獣櫛じゅうくし本人の無事より自分の感情が最優先かよ、自己中男がッッ!!」


 怒気をはらんだ声音に輝夜てるやすは怖くて身体がすくむ。


篁朝たかとき、落ち着きなさい。電須でんすさんにも事情があるというだけだよ。篁朝たかときだって自分の事情を優先しているじゃないか。獣櫛じゅうくしさんが危険になるのを承知で、桔梗領地から外に出て来てもらったんだろう?」


 おぼろに静かな口調で正され、篁朝たかときは黙り込んだ。


(兄貴の事情……?)


 輝夜てるやすには話が見えない。

 よほど輝夜てるやすは不安そうな顔をしていたのだろうか。おぼろ輝夜てるやすを安心させるように優しく微笑んだ。


篁朝たかときはね、輝夜てるやすを心配しているんだよ。ここ最近、輝夜てるやすがよく気を失って倒れるようになったから」

「え……」

「父さん!」


 とがめるように篁朝たかときが口を挟むが、おぼろは真摯に篁朝たかときをさとす。


「いくら輝夜てるやすのためでも、最初から私は今回の篁朝たかときの考えに賛同はしていないよ」

「何を言ってるんだよ……っ、輝夜てるやすが気を失う症状を治さないと危ないじゃないか! 父さんは輝夜てるやすが可愛くないのか!?」

篁朝たかとき輝夜てるやすも、2人とも大事な息子だよ。でも篁朝たかとき電須でんすさんに頼もうとしていることは、輝夜てるやす本人を無視した一方的なものなんだよ」

「俺達家族がずっと一緒にいるにはそれしかない!!」

「方法は今の状態だとそれしか無いからそうなんだろう……。だけれど篁朝たかとき、はっきり言っておくよ」

「もうどこにいても輝夜てるやすの周りに目ざわりな大地族だいちぞくどもが……っ!」

「弟は、甲斐かいやぬいぐるみとは違うんだよ。1人の人間だ。篁朝たかときは本当にそのことをわかっているのかい」



 ごぼっ……



 瞬間、家の中が水槽すいそうに早変わりした。

 水中内。

 篁朝たかときが鋭い双眸でおぼろを睨みつける。

 おぼろは動じず、静かに目を閉じた。嵐が過ぎ去るのをただただ待つ姿勢だ。

 兄が父にいかりの態度を取るのは非常に珍しかった。輝夜てるやすは、水族みずぞくではない少女が溺れているのではと焦ったが、少女とロボットの甲斐かいの場所だけくり抜いたように水が無い空間があって無事だった。

 驚いたことに、篁朝たかときが少女と甲斐かいを配慮して力を使っている。感情的に激怒していると思いきや、意外と冷静だった。


「……」


 篁朝たかときは、おぼろの意思を変えられないと諦めたのか視線をそらす。

 直ぐに部屋いっぱいに満たされていた水は消え、ガタンッ! ガシャンッ! と水の中で浮いていた家具や雑貨が床に叩きつけられた。割れやすい物は無惨な姿と成りはてる。

 少女の傍にいる甲斐かい篁朝たかときは拾い上げるとだき抱えて、怒ったようにわざと大きく物音を立てて居間のソファにドサッと座った。

 輝夜てるやすは目の前で起こった2人の話し合いに呆気に取られていた。


「あ、の……俺が気絶したのは、今日が初めてじゃない……?」

「ああ。昨日も藍領地に着くなり倒れたんだ。目を覚まさないものだから、篁朝たかときが慌ててしまったんだよ」


(じゃあ、今朝……家の中が水没していたのは兄貴が俺を心配して……)


 つむぎ輝夜てるやすに気を使って「ランキングニュースを見たから」と、嘘をついていたのか。


「な……何で倒れるんだろ……。俺どっか悪いのかな……?」

「いや、身体的には健康だよ。ただ、記憶を……。昔にね、強制的に忘れさせられたことを段々と思い出せるようになってきたから、そのせいで脳が混乱するんだろう。それで一旦整理するために気を失う――……いや、眠る行動を取ってしまうようになったのだと思う」

「……じゃあ俺が気絶しなくなるように、兄貴は獣族けものぞくの人を藍領地に呼んだり、あずまに親切にしてたってこと? それって結局ど、どういうこと? 俺に何をしようとしてるの……?」

「……」


 おぼろからの返答はなかった。

 輝夜てるやすは一気に怖くなり、泣きたくなってくる。


「そこ、ぼかさなくったって……。お、俺だってなんとなく聞いててわかったよ……。誰かの力かで思い出そうとすることを、もう1度忘れさせるって話をしてたんだ……そうなんだろ!?」

「――輝夜てるやす。私は反対の意見だということを頭の片隅に覚えておいてほしい。もう輝夜てるやすはおぼろげな記憶ばかりの、幼い子供の頃とは違う。記憶を失うのは日常生活にかなりの支障をきたすはずなんだ」

「……っ」

「だから輝夜てるやす電須でんすさんという方がその処置の権限を持っているから、もし彼と会えるようになったなら篁朝たかときの意見に流されずに話をよく聞くんだ。輝夜てるやす自身が判断していいものだからね」

「父さん」

「あと、このことで篁朝たかときを嫌わないように。篁朝たかとき篁朝たかときで、輝夜てるやすが大事なんだよ。輝夜てるやすを治して、心配な要素を日常から取り除きたいだけなんだ」

「それは……うん、わかる」


 輝夜てるやすは頷き、少し声を潜めて言う。


「でも、さっきはびっくりした……。家族大好きな兄貴が父さんにあんなこと――」


 おぼろは苦笑した。


「誰にだって優先順位があるんだよ。それは家族の中にもね。篁朝たかときにとって1番は弟の輝夜てるやすなんだ。9年前に篁朝たかときが重傷で家に帰ってきた時、ベッドから起き上がれない篁朝たかときの手をずっと握って一緒にいたのは輝夜てるやすだからね」




 『だいじょうぶ。ここにいるよ』



 ――確かにそう言って、輝夜てるやすは傷だらけの篁朝たかときの手をずっと握っていた思い出がある。



「……覚えてる。兄貴の手は冷たくて、俺が温めてやらなきゃって思って」

「――」


 おぼろ輝夜てるやすの言葉に驚いた。


「……体温まで覚えているのは、実際に経験したからこその記憶だからだね。ああ……そうか、あの時にはもう〝かぐや〟じゃなくて〝てるやす〟だったんだな」

「え?」


 おぼろは背を向ける篁朝たかときに言った。


篁朝たかときの傍にいたのは、今の〝てるやす〟なんだよ。本当に消してしまっても篁朝たかときはいいのかい?」


 篁朝たかときは無言だった。はたして聞いているのか、聞いていないのか。

 おぼろは溜息をつくと床で割れているコップの破片に手を伸ばす。その仕草につむぎが悲鳴を上げた。


おぼろさん! そんなことなさらなくていいんです! 私がやりますから!!」

「え」

てる君! 掃除機を出してきてちょうだい!」

「う、うん」


 血相を変えるつむぎに命令されて反射的に椅子から立ち上がり、急いで輝夜てるやすは廊下に出る。


(母さん、ホント父さんが白馬の王子様なんだもんなぁ……!)


 〝王子様〟に雑用はさせられないのだ。2人の結婚は、おぼろの実家に絶縁までされた駆け落ちらしいが、おぼろの想いと、つむぎの熱い想いには、かなりの温度差とへだたりがあるように感じる。

 不意に、服の袖を引っ張られる感覚があった。

 振り向くと、さっきまで居間の隅にいたはずの少女が傍にいる。少女の浅葱あさぎ色の瞳が揺れていた。


「……あの人に、内緒……」


 少女の小さな人差し指がソファに座る篁朝たかときの背中を指差した。


にい様に……一緒に会うん……」


 か細い少女の声を、その時初めて輝夜てるやすは聞いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ