第11話 人質の警鐘と末路
※ラストの電須佐由のパートで一方的な残虐行為・暴力表現が有ります。苦手な方は電須佐由のパートが始まったら読むのをやめて下さい。
次回冒頭で何があったか軽く説明します。なので飛ばしても大丈夫です。
「……佐由さん」
ふと輝夜の口から言葉が零れる。
続いて桐煌高校の校舎を覆っている水の壁が震えたように見えた。涼柁の耳と尻尾がピンと上へと上がり、輝夜の中で『かぐや』の声が聞こえる。
『主上。臣下の1人、電須佐由が雉子領地に推参したようです』
(佐由さん。俺も近くに感じた)
輝夜の応えに『かぐや』が喜色を滲ませて微笑んだようだった。『私が担う力も、主上の力となりつつあるのでしょう。おめでとうございます』と喜ばれ、半信半疑ながらも照れる。
(佐由さんはきっと涼柁さんを迎えに来たんだ)
輝夜は目の前の机上で、ちんまりと座り込む小さな狼を見つめた。
『電須佐由が力を封じたままで良いのかと主上に伺いを立てています。どうなさいますか?』
(ああ。佐由さん、非常事態だし力を戻して欲しいんだ。いいよ)
『いえ、主上の意向に従うそうです。本人は特に戻らなくても問題ないようです』
(エエェー……!?)
その時、ガラリと化学準備室の扉が開いた。
尊が戻ってきたのかと輝夜は振り返る。しかし予想に反して、入って来たのは御速海佐善だった。電谷にそっくりな電河を背後に引き連れている。
御高月煌夜が身体を強張らせて縮こまった。
御速海佐善はそんな御高月煌夜の挙動に一瞬白い目を向けてから、輝夜の方に向かってくる。
机上の涼柁がすくっと立ち上がった。尻尾を上げて毛を逆立てる。ウゥーッと歯を剥き出して唸る姿に輝夜は驚いた。水族本家の屋敷で佐由に尻尾を引っ張られても怒らなかった涼柁が威嚇しているのだ。
御速海佐善の歩みが止まる。酸漿色の瞳とかち合い、不審を滲ませた表情でじっと覗き込むように見つめ返す。
(この佐由さんは、涼柁さんの狼姿を見たことないんだ)
だが髪と瞳の色が一致するので訝っている。
御速海佐善は別世界の涼柁と親しくないのかもしれない。もしくは別世界の涼柁が一切半獣型や獣型にならなかったのか。獣族は常に半獣型のイメージがあるので輝夜は首を傾げた。
輝夜の疑問に『かぐや』が『獣族は800年前まで獣姿を宮廷では晒しませんでした。宮廷で半獣型姿の御大にご挨拶したことはございません』と補足する。
その補足に聞き入っていったせいもあって、御速海佐善への畏怖の感情が湧く隙がなかった。元々輝夜は佐由を恐ろしいと思ったことはないのだが。
「……お前は御高月煌夜か?」
「えっ。あ、はい」
御速海佐善に問われて、思わず間の抜けた返答をした。しかし、しまった! と思う。輝夜の名前は〝水城輝夜〟だ。絡まれる要因を作ったのではとヒヤッとする。
しかし御速海佐善が輝夜に向ける視線は奇怪なものを見るようだった。怯えの様子が無いどころか真っ直ぐな輝夜の眼差しに、御速海佐善は逆に息を呑むことになる。内心生じた不可解な恐れには直ぐに蓋をした。
「ワンワンワン!!」
「ヒエッ! こ……この子犬どうしたんですか!? 一体どこから!?」
怒りの形相で今にも噛みついてきそうな剣幕の子犬に、電河がビクビク震えながら御高月煌夜に尋ねる。御高月煌夜は「……分かりません」と曖昧な答え方をして俯いた。
輝夜の前から御速海佐善は身を翻し、御高月煌夜の方へと足を運ぶ。電河は目を点にして慌てて御速海佐善の後をついて行った。
電河は何度か御速海佐善と御高月煌夜の顔を交互に見て1度だけ離れた輝夜を一瞥する。輝夜と目が合った電河の顔は戸惑いと困惑が入り混じった表情だった。
電河は御速海佐善に小声で尋ねる。
「え……と、いきなりいいんですか……?」
「どちらも御高月煌夜殿下だろう」
「そうですが、電拳殿と雷殿を釣って用が済んだ方は――」
「電河。まだこの世界に留まるなら用は済んでいない」
「確かに保険なら……。これ以降、風我様が離れている状況は無いかもしれませんしね」
ふっと世界が変わった感覚がした。輝夜は御速海佐善を凝視する。
「御高月煌夜殿下、ついてきなさい」
「は……はい、御速海佐善『皇帝』陛下……」
御高月煌夜は声を震わせ、促されるまま御速海佐善の後をついて化学準備室から出て行った。
輝夜は慌てて席を立ち追いかける。
「ちょっ、待……!」
戸口の敷居を踏んだ先には廊下の床が無かった。先の見えない広大な黒い闇の空間が在るばかり。一体いつの間に御速海佐善の次元空間内に引き摺り込まれていたのか。
電河に「無駄なんで大人しくしてた方がいいですよ」と素っ気ない忠告を投げられる。彼は電脳を空中に出して自身の作業に入った。
輝夜は陥った状況に血の気が引く。隙があったとしても逃げ出す先すらなく、外部からの助けがあったとしてもここは誰も見つけられず辿り着けない異空間。電牙葦成も多分ここにはいない。彼の手を借りるすべすら消え失せた。
(ここは……ここに俺と涼柁さんがいたら――……っ。『かぐや』、確認したい。あの御速海佐善って人の力は、月族の力でどうにも出来ないんだよな!? 月族の力は本人の意志を奪って従わせる力じゃない。相手にどんなに微かでも受け容れる気持ちがあって初めて他人の能力を制御出来る力だって認識で合ってるよな!? じゃなきゃ非戦闘種族に数えられたりしない……!)
百貨店で月の紋様によって力を増幅させた氷藤信次は溺死しかけていた。あの時、信次自身が篁朝に抗う力を心の底で望んだのだ。
そして水族本家屋敷で月の紋様によって力を一部封じた電須佐由は、『かぐや』との会話で自ら封じられることを受け容れた。
どちらもその心に添わせ、無理矢理屈服させたというものではなかったはず。
――それは絶望的な結論でもある。いくら力があっても御速海佐善に輝夜は抵抗出来ない。
『その通りです。あの男を臣下とすることは成りません』
(やっぱり……! なぁ、別世界の俺はどこに連れて行かれたんだろう……!? 凄く嫌な予感がするんだ……っ)
『主上……』
さっきからバクバクと心臓がうるさい。気分が悪くなるほどの不安が喉元までせり上がってくる。御高月煌夜は輝夜の代わりに連れて行かれたのだ。先ほどは涼柁が必死に守ってくれて、だから輝夜は連れて行かれなかったのだと思う。
――連れて行かれたら何が待ち構えているか分からない。次は確実に輝夜の番だ――……
脳裏で水岐広早に殴られた時のことが蘇る。心の中で形にした恐怖は心臓をぎゅっと鷲づかみにするかのような衝撃があり背筋を凍らせた。
『主上、脱出しましょう。今が力を使う非常時です』
力強い『かぐや』の声が響いた瞬間、彼と輝夜の対面が叶う唯一の精神の場所にいた。
円い石の祭壇上に輝夜は立っている。湖に軽く沈んだその場所は、足のくるぶしまで水に浸っていた。
以前とは少し変化がある。石畳の中心をくり抜いた穴の上に浮遊していた夜空と月の球体が姿を変えていたのだ。夜空の球体は夜が明けたかのように薄ら蒼い色が帯び始め、月は豆粒ほど小さくなっている。位置も前より高く上がり、巨大な月が薄らと白く滲む青空へと近付いている。
青空を仰いだ輝夜の傍に、輝夜に似た青年が頭を垂れて跪く。
「主上。どうか私が表へと出ることをお許し下さい。必ず御速海佐善と名乗る痴れ者の次元空間から主上と獣櫛涼柁殿を救出致します」
「……うん。『かぐや』、頼む」
戸口でうなだれていた輝夜がすっと背筋を伸ばす。
電河はチラリと横目でその背中を見ながらも電脳画面の作業を続けた。
辛夷領地の電脳のセキュリティが急に強化されたのだ。いや、これまで放置していたその電脳の支配者が戻ってきたような感触がある。この世界の太陽族の情報がありそうな領地だっただけに痛い。時間は掛かるがハッキングをしようと始めてみたが、段々と電河の中で奇妙な疑惑が生まれつつあった。
(本当にこの電脳族、辛夷領地にいるのか……? レスポンスが高速過ぎるってかラグが無いというか……まるで雉子領地にいるような――)
「いくら尽くそうとも、御速海佐善に貴様の真名は分からないだろうに」
不意に飛び込んできた言葉に、電河の思考が止まった。
戸口で佇む人物を凝視する。
ゆっくりと優雅に振り向いた『かぐや』は悠然と電河に微笑み返した。
◇◇◇
桐煌高校上空。風我尊は空中に浮き、自身が罠を設置していた地下通路の出入り口が吹っ飛んだ状況に目を細める。
既に侵入者の気配は消えている。人間が潜んでいれば起こるはずの空気の揺らぎ、生物の呼吸が感じられない。防御壁内に潜んでいるのだろう。そして尊が察知出来ない防御壁はそうない。恐らく電脳族の次元空間だと当たりをつけた。
目の前に現れた電脳画面の通話アイコンをタップし、御速海佐善に現状を告げる。
「電拳だけが来たようだ。恐らく自分の次元空間内にいる」
『それは見つけるのも厄介だな』
御速海佐善の気のない応えに尊の眉間に皺が寄る。まるで他人事だ。
尊は足元の桐煌高校を見下ろした。この校舎内を覆う水の防御壁を睥睨する。
「『皇帝』陛下。水の防御壁内にいたせいで侵入者の風の揺らぎを直ぐに感知出来なかった。雉子領地全体を覆えない防御壁に価値は無いと進言しただろう。その通りになったのでは?」
『防御壁内の動きを感知出来ない。価値は十分あったよ』
「内? 私は外の――」
ゾワリと悪寒が走る。尊は口を閉じ、電脳画面の御速海佐善に視線を戻した。
御速海佐善はそんな尊に含み笑いを見せる。
『雉子領地全てを尊殿の力で吹き飛ばされては、剣を始末出来ても肝心の原始星石まで消失させてしまう。誘い出せばいい』
雉子領地の空に巨大な電脳のスクリーンが現れる。そこには御速海佐善が御高月煌夜の首に右腕を引っかけて自由に身動き出来ないように拘束していた。更に近くの机に刃物が並ぶ。
「何をしている……!! 今直ぐ煌夜を放せ!!」
尊が激昂する。桐煌高校の職員室を水の防御壁ごと暴風で抉り飛ばし消滅させた。しかし画面内に変化はなく、御速海佐善は涼しい顔でいる。
「佐善『皇帝』……ッ! 貴公……!!」
『剣、見ているな。貴様の友人の命が惜しくば原始星石を持って出て来い』
言葉を紡ぐたびに御速海佐善の瞳から感情が消えていくようだった。漆黒の双眸は酷く無機質である。
上空の映像を敦美は険しい表情で見上げていた。肩に手が置かれる。振り向かなくても制止の手は響華だと分かる。
「――大丈夫。彼は輝夜君じゃないって分かってる」
「コレね。あのストーカーが自分達が出て行くまで動くなって言っていたのは」
敦美は固い表情で頷く。響華が不快感も露わに舌打ちした。
透は顔色を白くし、呆然と窓の外に広がる頭上の映像を見つめている。
篁朝だけが冷え切った瞳で空の電脳画面を眺めていた。
※
「愚図は次元空間から実況しているな」
佐由の次元空間内。剣と秀寿に外の映像をモニターで見せながら、佐由は気怠げに金平糖をかじる。
秀寿が剣に「……どのタイミングで出る?」と尋ねた。剣は歯を食いしばり、拳を握って震わせながら首を横に振る。その答えに秀寿は目を瞠り、「……分かった」と呟くと沈痛な面持ちで俯いた。
『剣。貴様が素直に出て来ないと御高月煌夜殿下の両手両足が1本ずつ使い物にならなくなるぞ』
『剣……さん……』
御高月煌夜の恐怖で震える声に剣は背を向け、絶叫の悲鳴に耳を塞ぐ。
佐由は2人に目をやることもなく、御速海佐善の電脳画面を淡泊に見つめる。正確には彼の腕の中に拘束されて血まみれの人物を観察していた。
「あれが〝御高月煌夜〟……?」
佐由は眉を潜める。
背後の御速海佐善に向ける怯えきった白練色の双眸。痛い目に合わされながら抵抗する態度も見せず、まるで自我なぞ欠片も持っていないかのような従順さ。あまりに佐由の知る輝夜と違い過ぎる。
輝夜は1度として佐由に怯えたこともなければ嫌なことには反抗する。佐由が持ちかけた賭けを受ける強気な面も持つ。
――『佐由さん……!! 動物の尻尾は引っ張られると痛いんです!』
佐由はだいぶ前に輝夜に説教されたことを思い出してクスリと笑みを零した。
(そうだ、お前は御天日凰十みたいな奴だ。アイツと同じように俺に力を使うなって俺を叱る。でも俺は御天日凰十と違って、お前のことは嫌いじゃないな)
再び御高月煌夜の無残な姿に目をやり、金平糖を噛み砕く。
(ずっと勘違いをしていたようだ。お前の名前は〝水城輝夜〟――それ以外の何者でもなかった)
外の映像では桐煌高校を破壊し、暴れている尊の姿がある。空に表示された電脳画面では御速海佐善が動かなくなった御高月煌夜を床に落としていた。白い着物が真っ赤に染まっている。
佐由は顔を顰めると嫌悪と苛立ちを滲ませて吐き捨てた。
「愚図。お前の手の込んだ自殺に〝輝夜〟を付き合わせるな」
いつの間にか床に崩れ落ちていた剣が「ふ……はは……っ」と肩を震わせて乾いた笑い声を上げた。
「俺達をあの崩れた桐煌高校の中庭辺りに出して下さいよ……化学準備室に近い場所に……。終わりですよ、俺達の末路は決まった」
剣は悄然とした表情で虚ろな瞳に外のモニター映像を映し、ここにはいない人物へと血を吐くかのように重い憤りをぶつけた。
「……見たな。次は貴方がたの皇子の番になるぞ。これでもう傍観している場合じゃないって訳だ!」




