第6話 脱出相談
保健室のベットにいる電牙葦成は、意地の悪そうな笑みを輝夜にした後、信じられないくらい好青年然とした清々しい表情で手元の携帯端末を弄りだした。
輝夜は唖然とする。
「どうかしましたか?」
声を掛けられて、はっと我に返る。
御高月煌夜は、不審な騒ぎ方をした輝夜を不思議そうに見て、葦成の方にも視線を向ける。
ところが、直ぐに首を傾げて輝夜へと顔を戻した。それから輝夜を丸椅子に座らせる。どうやら御高月煌夜には、葦成が視えていないようだった。
「こちらが湿布です。怪我は血が出るような外傷のものもありますか?」
御高月煌夜が消毒液やガーゼなども戸棚から出してくる。
その親切に輝夜は上手く答えられない。視界に入り続ける葦成が気になり過ぎて目が泳ぐ。
(嘘だろ……本気で電牙が見えてない!? うわっ、殺人鬼の透明人間がいるなんてことになるぐらい宙地原族の力ってガチホラーものなのか!?)
輝夜は御高月煌夜の立場に立って想像し、ゾワっと鳥肌が立った。見知らぬ人間と知らないうちに個室で共に過ごしていたなんて恐ろし過ぎる状況だ。
(……この電牙って、俺の知っている電牙――かな。多分、そんな気がする。別人っぽくない)
保健室のベットの上で、意味不明なほど堂々と寛いでいる男が2人もいて欲しくないという気持ちも過分にあるが、それ以上に地下運河やショッピングモールで接した葦成にマイペースさがそっくりだと思った。
瓜二つでありながら全くの別人のような御高月煌夜や水岐広早とも比較し、もし別世界の葦成ならここまでそっくりではないだろうと結論付けた。
輝夜はこの葦成にコンタクトを取る覚悟を決める。
まずは、御高月煌夜と何とか離れなければならない。
「あ、あのさ、怪我の手当ては1人で出来るから。その、服を人前で脱ぐのはちょっと……」
「失礼しました。では外で待っています。私を待たせているからと急がなくても良いですから、ゆっくり治療をして下さいね」
御高月煌夜は丁寧に頭を下げ、保健室を出て行った。
瞬時に、音も無く輝夜と葦成の周りを囲うように黒い壁が出現し、その空間が密閉される。
『かぐや』が警戒心を滲ませながら輝夜に尋ねた。
『……主上。よろしいのですか』
(うん。今は電牙と話したい。それに電牙のこと、俺は結構信用してる。電牙には俺と協力して皇族家の分家を作るっていう目的があるから、俺に危害を加えようとはしないと思うんだ)
『かぐや』が輝夜の言葉に頭を下げて、すっとこの場を去ったような気配がした。
「俺も出て行くか」
からかうような言葉を投げられる。葦成がしたり顔で口角を上げていた。
何だかどっと疲れる。輝夜はコンコンと黒い壁を叩いてみた。
「あれ、硬い。コンクリートみたいだけど本当に土……?」
「ああ。しかも防音だぞ、最高だろ。欠点は時間制限だな」
「タイムリミット……? あんまり維持出来ないのか」
「徐々にお前も息苦しさを覚える」
「酸欠になるのかよ!?」
「空気穴があると防音機能が死ぬからな。空調に電脳族が欲しいところだ。ほら、この前の水の障壁内みたいに次元空間から空気を出す役に欲しい」
(ショッピングモールの話……! やっぱりこの世界の電牙だ!!)
互いに軽口を叩いて輝夜は確信に至る。
葦成と気の置けない普通の会話が、自然と出来る自分自身にも内心驚いていた。
ひょっとして、輝夜はかなり葦成に慣れつつあるのだろうか。この変化に、自分のことながら不安になる。非常事態にまともな神経が麻痺しているせいだと思いたい。
葦成は「痛っ」とベットにもたれていた上半身を起こして顔を顰めた。
「どっ、どうしたんだ?」
「お前もあの時見ていただろ。藍の『領王』にふっ飛ばされた」
「ああ……。怪我したのか? 結構酷い……?」
「まぁ、動ける程度には回復したぞ」
(っていうか、よく生きてたよ。敦美さんの巨大機械ロボットに豪速で殴られてたのに)
葦成は土の螺旋階段を降りていて、不意打ちのように背後から巨大機械ロボットに強襲されていたのだ。あれは全身骨折の重症になってても不思議ではない光景だった。
「始めに言っておく。ここの先住民は俺だ」
「え?」
「俺は負傷してから藍領地を離れて、この雉子領地で療養していた。藍の病院なんて大地族に息の根を止められかねないからな。後からあのどこかで見たことがある顔の奴らがここにやって来た。それからずっと強制かくれんぼの日々だ。日ごとに鬼の数が増える。全くたまったもんじゃない」
葦成は肩を竦めて溜息を零しながらも愉快げに笑っていた。
「えっと、電牙の仲間の人は……? 前にいた2人はここにはいないのか?」
「あいつらは正確には仲間じゃないな。今はよその領地に散って情報収集している。こっちはヤバいから近寄るなって、再度連絡入れたところだ」
葦成が携帯端末を輝夜に差し出して見せた。
輝夜は思わず手が出る。
葦成は特に気にした風でもなく、そのまま輝夜に手渡した。
輝夜は戸惑いながら、手に持つことが出来た携帯端末と葦成の顔を交互に見て尋ねる。
「これ、他領地でも繋がるのか……?」
「勿論。お前も同じものを長年使っていただろ」
目を丸くする輝夜に、葦成はどこか得意げに解説する。
「その通信と電脳は、電須佐由の妹の電照巫倉が独自に構築しているものだ。御天日凰十『皇帝』陛下の遺言によって水城家に提供し続けられる携帯端末と同じものという訳だ」
「佐由さんの妹……!?」
「何だよ。知らないで9年間利用していたのか?」
「……うん。水族が提供してくれているものだと思っていて」
「少しは考えろよ。水族にそんな電脳技術者はいないだろう?」
(――いや、本当言うと『藍らふらいふ』アプリがダウンロードされなかった時から、疑ってはいたんだ。佐由さんじゃないのは分かっていたし……。消去法で佐由さんの妹以外いないんじゃないかって)
しかし、理由がよく分からなかったのだ。全く関わりの無い水城家に電脳の力を貸す理由――……。
(……凰十さんの遺言……。理由はやっぱり凰十さん、か……)
彼は一体どれだけの遺言を遺していたのだろう。〝翡翠領地の火巻凰十『領王』〟になる時、それほどの覚悟を持って挑んでいたのか。
「電牙は、佐由さんの妹を知ってる……?」
「まぁ、それなりに。旅の道連れ相手程度と言えば分かるか? それよりこっちも聞きたいんだが、お前は御天日凰十『皇帝』陛下と面識があるんだよな?」
「凰十さんとは何度か。兄貴の親友だったから。俺は子供の頃にちょっと遊んでもらってたぐらいだよ」
「〝凰十さん〟」
葦成はピクリと肩を揺らし、笑みを引っ込めた。
「その〝凰十さん〟とやらは、お前から見てどんな人間だった?」
「優しい人だったよ。いつも笑顔で、お花見もしてくれるって約束――」
「電照巫倉の電脳管理によって9年間偏った情報しか与えられなかった件を含んで、優しいと評する人物像でいいんだな?」
葦成の言い様に、今度は輝夜の方が真顔になった。
「御天日凰十『皇帝』陛下。人物像は大体が口を揃えて聖人君子だったと言う。俺が唯一顔すら知らない当事者の皇族でもある」
「当事者……」
「未だ当事者だ。御天日凰十『皇帝』陛下の遺言に沿って、現在も世界は動いていると言える」
「電牙は」
「ん?」
「凰十さんのことをどう、思う……?」
「そうだな。外野の俺には――」
葦成はちらりと視線を床へと向ける。ベットの下の床には小麦色の大きな編み込みのバスケットが置かれていた。
輝夜は、あれ? と首を傾げる。どこかで見たことがあるようなバスケットだ。
「――気味が悪い男だ。所業は悪辣で、お世辞にも優しいと評価する部分が見えてこない。なのに、聖人君子と皆に太鼓判を押される人格者。外面が良かったのか……? それとも途中で人が変わったかのどちらかだとしか考えられない。とにかく得体が知れない」
「あ、あくらつ……!? 凰十さんが!?」
「翡翠領地の件もアレだが、何より遺言が周到過ぎる。特定の人物を、あらゆる他者への遺言によって集中的に束縛するよう練られていて、強い意志による嫌がらせ……いや、まるで苛めだな。苛めグループのリーダーのような」
「そっ、そんなこと……っ」
「被害者がこれだものな」
葦成が輝夜を鼻で笑った。
輝夜は絶句する。それから、振り絞って出した声は震えていた。
「ひ……がい、しゃ……だれ、が」
葦成の口は弧を描き、人差し指は輝夜を指差した。
「水城輝夜――正確には当時の〝かぐや〟と名乗っていた者、か。
お前に対する遺言がどうにも悪辣だ。さては御天日凰十『皇帝』陛下に嫌われていたな?」
「は……?」
ガツンと頭を殴られたような衝撃を受けて、輝夜は茫然自失となった。
傍で葦成が肩を揺らしてクククっとせせら笑う。
視界がぶれた。ぐにゃりと目の前の景色が揺れる。
――佐由も、御天日凰十から遺言を受けていた。
その内容は――〝かぐや〟を消すこと――……
太陽のように眩しく、優しい微笑みの彼を思い出す。
あれは、全て嘘だったのか。
輝夜の記憶に残る御天日凰十は誰なんだ。
「まぁ、死人の話はこの辺でいいな。それよりこれからの話に戻るぞ。
俺が携帯端末を自由に気兼ねなく使っているのは、この雉子領地に現れた電須佐由らしき男が電脳を使わないのが最大の理由だ。いくら電照巫倉でも、あの兄には電脳で勝てないからな。携帯端末を使えば、隠れ潜む俺の存在がバレる危険性があった」
ショックが抜けきらない輝夜を尻目に、葦成は続けて現状を話す。
「ところがだ。あの電須佐由は自分の電脳能力を使わないんだ。この男の動きをどう判断するべきか迷っている。だから余計に身動きが叶わない。ところでお前は、どういう手段でここに連れて来られた?」
「……」
そっと肩に手が触れ、軽く揺すられる。輝夜はびっくりして顔を上げた。
「しっかりしろ」
葦成が輝夜を覗き込む。険しい表情でありながら、その赤墨の双眸には気遣う色があった。
「……優しかった」
ぽたりと、言葉と共に涙がこぼれ落ちる。
「優しかった……優しかったんだ、凰十さんは……本当に」
気付けば輝夜は、同じ言葉を何度も言い聞かせるかのように繰り返し呟いていた。
「誕生日に、プレゼント……兎のぬいぐるみをくれて。俺には、優しかったんだ――……俺をどう、思ってたかは分からない、けど……それを見せない優しい人だったから」
「お前からはそう見えたんだな」
「あっ、あつ、敦美さんも凰十さんがいたから……いなかったら、出会えなかった」
知りもしない人間に、御天日凰十との記憶を、思い出を、汚されたくないと強く思った。
酷く悲しくて怒りを込めて葦成を睨み付ける。
対峙する葦成は冷静な表情だった。その瞳に輝夜が映る。
輝夜は1人感情的になっている自身と目が合い、非常にみっともないように感じた。泣いているのも格好がつかず、情けないという思いが込み上げてきて、慌てて腕で顔を拭う。
「もう大丈夫か?」
「あ……うん」
輝夜は、思わず葦成をマジマジと見た。
「どうした」
「う、えっと……俺を馬鹿にしないんだなって」
「そんな流れだったか?」
「いや、高2にもなって泣く奴とか普通引かない……?」
「出るならしょうがないだろ。俺は逆に、泣く奴を馬鹿にする輩が嫌いなんだ。泣くほどのつらさや悲しみを馬鹿にする輩は、他人に同情する心が無いからな。平気で人を貶める、この惑星に存在価値が無い人種だと思わないか?」
「ごほっ」
突然嫌いな人間に対する過激な同意を促され、輝夜はむせた。目の前の青年が、まさしく独自な感性を持つ殺人鬼だったことを思い出す。
(電牙は矛盾してる。人を思いやらない人間を憎んでいるのに、本人が他人の命を思いやらない人間なんだ)
この葦成を作ったのは、もう1人の宙地原族か。それとも大地族なのか。
葦成は電脳族扱いをされながら、大地族内で一体どれほど虐められてきたんだろう。輝夜が目撃した3人の大地族に囲まれて脅されていたことも、日常的に行われていたものだったのだろうか。
人を殺すという復讐のために生きる人生を選ばせるほど――いや、真っ当な生き方と思考を他人に潰され、奪われたのだ。葦成に選択肢なんてほとんど残されていなかったのかもしれない。
輝夜は、自分がいかに家族や水族に大事にされて育ってきたのかを痛感する。
「電牙はどうして宙地原族分家に――皇族として認められたいんだ? それは復讐……なのか?」
葦成は少しの間考え込む。次いで品良く微笑んだ。
「俺はこの世に名を受けて生まれてみたい。〝電牙葦成〟なんて架空の名前を持つ人間以外になってみたいな。正直、今は大地族どもの復讐に頭がいかない。理砂に悪いとは思っているんだけどな」
「そう、なのか。……あ!」
「何だ?」
「ごめん。ずっと仮名の電脳族の名字で呼んでた。葦成って呼んだ方がいいよな」
「ふうん。じゃあ、こっちは輝夜だな」
「う……、おう」
「そこで詰まるなよ!」
葦成は、ギクシャクと固まる輝夜に腹を抱えて大笑いした。何かツボにはまったらしい。改めて葦成が同い年の子供なんだと、初めて見る年相応の笑顔で思った。
しかし次には笑顔を消し、葦成は口元を手で覆って呟いた。
「……空気が薄くなってきていないか」
「ちょっ!?」
「早々に情報交換を終わらせよう。もう1度聞くぞ。輝夜、どうやってここに連れて来られた? 船か?」
「う、ううん。自分の部屋からいきなりここだった……」
「アレか。有名な電須佐由の次元能力。へぇ、距離も領境防壁も関係無しとは恐れ入った」
「い、いや、ちょっと待って! 確かに佐由さんの能力だと思うんだけど、この世界の佐由さんがやったんじゃないはず……! この雉子領地にいる佐由さんは別人なんだよ」
「それ詳しく話してくれ」
輝夜は、風族の男性から聞かされた別世界の別人だという話を葦成に語った。
葦成は話を聞きながら難しい顔で頬杖をつく。
「今は5人か。1人暗殺したところで、俺の存在がバレる人数だな。他に目を引きつける事態を起こさないと」
「暗殺!?」
「この中でまず狙い目は、電脳族だな。あの種族は次元シェルター持ちだから最も仕留めるのが厄介だという一般論があるが、それは間違いだ。師弟制度を全く利用しないから、戦闘や暴力への予備知識が皆無でトロくさいんだよ。背後に回って直ぐに首をかっ切れる」
「ヒッ」
突然披露された葦成の殺人豆知識に、輝夜は竦み上がった。「その電脳族って別世界のやっくんのことだよな!?」と悲痛な声を上げる。
葦成は顔色を蒼くする輝夜を気にせずに「電須佐由とお前のそっくりさんは、前者は周りのガードが、後者は追撃者が問題だから最後だな」と話し続け、頭の中で殺人のシミュレーションを練っているようだった。呟きが怖過ぎる。
「輝夜はまだ大人しくしていた方がいい。あいつらは元の世界に帰ろうとしているらしいが、どうも他にも何かある。あの電須佐由は何もしないというより、何かを待っているのかもしれない」
葦成は「それに連中、一枚岩じゃないようだからな」と楽しそうに目元を和ませた。
その後、輝夜は急いで湿布を身体に貼って保健室から出る。
御高月煌夜は保健室の扉の前にいて見張っていると思っていたがそこにはおらず、保健室からだいぶ距離を取った廊下の窓際で静かに空を眺めていた。
その距離なら、葦成の土の壁で防音対策をせずとも喋っている声を聞かれることはなかっただろう。いらぬ警戒だったのかと拍子抜けする。
しかし、彼はこれで輝夜を監視しているつもりなのだろうかと疑問に思った。輝夜に続いて保健室からゆっくり出てきた葦成も、御高月煌夜に呆れたように首を捻る。小声で「深窓の令嬢どころか箱入りか」と呟いていたが、輝夜は聞かなかったことにした。
唐突に、すっと隣に並んだ葦成からバスケットを渡される。輝夜でも持てないほどではないが、それなりに重いものだった。
(へ!? 何だよこれ。何で俺に?)
輝夜は訝しむ視線を葦成に向ける。
葦成は声に出さず、口を動かした。「みまい」と読み取れる。
(みまい……見舞い? 葦成の仲間の誰かが見舞いに来ていたことあるのか?)
見舞い品をどうして輝夜に渡すのだろう。そもそもその人物は、この事態に巻き込まれずに無事雉子領地から脱出したのだろうかと心配もしながら、バスケットの蓋を開けてみた。
小さな子犬と目が合った。
ぺたんと垂れた両耳。酸漿色の瞳。灰色に黒の縦縞模様が入ったふさふさの毛柄を目にした瞬間、輝夜は猛スピードで蓋を閉める。
口をパクパクと開け、驚愕の表情で必死に葦成を問い詰める。
葦成は視線を逸らした上、さっと後退した。
逃げられて、取り残された輝夜は絶望する。
「終わったんですね。じゃあ部屋に戻りましょう」
御高月煌夜が輝夜に気付いて近寄って来る。それから直ぐに、輝夜の持つバスケットを凝視した。
「……それは何ですか?」
御高月煌夜が戸惑いながら輝夜に尋ねた。
輝夜の方こそ戸惑っている。
「ば、バスケットです!」
「え」
見れば分かることを答えられ、御高月煌夜は固まった。
妙な間が流れる。
その間、輝夜は頭をフル稼働させて、バスケットを開けずに済む言い訳を必死に考えていた。しかし妙案が全く浮かばない。
心臓がバクバクと早鐘を打ち、冷や汗が滝のように背に流れる。バスケットを抱える腕に力が籠もった。
(りょ、涼柁さんが入っていますとは言えない!!)
獣櫛涼柁が何故ここにいるのかと、輝夜は混乱しきっていた。
職員室。
電脳で呼び出された風我尊は、雑に床に脱ぎ捨てられた白の束帯を見下ろし、片眉を釣り上げた。さっさと軽い着流しに着替えた男に目を細める。
「……随分と、この世界に長期の滞在をするつもりでいるのですね」
着流しの御速海佐善は、窓の枠に座って頬杖をつきながら、じっと眼下の断崖に打ち付ける波と渦を見ていた。
窓の外を見たまま、御速海佐善はぽつりと呟く。
「尊殿。直ぐに元の世界を見つけるのは無理だと説明しただろう」
「失礼を。探しているご様子には見えませんでしたので」
尊は慇懃に礼をし、直ぐに来客用のソファに座って電脳を触っている人間へと顔を向けた。
「あの2人がいたのか、翡翠領主」
「はい。俺の――いや、この世界の翡翠領地にあるコンビニの監視カメラ映像で見つけました。多分、俺達の世界の電拳殿と雷殿かと」
「曖昧だな」
「この世界は、電脳のセキュリティが凄いんです。他領地の電脳を自由に覗けない仕組みになっていて、翡翠領地はたまたまそのセキュリティに穴が開いている状態でした」
空中に出された監視カメラの映像に、尊は眉間に皺を寄せる。
「商品棚に何も並んでいない。これがこの世界ではコンビニだと言うのか……?」
「藍、領地でしたか。あそこは普通だったので、この翡翠領地が特殊なのだと思います。確かに食品は一切並んでいませんが、映像隅の棚には少し商品が並んでます。事務用品……ですね。
藍領地の電脳でこの世界の歴史をざっと得てきたのですが、翡翠領地は9年前に〝翡翠革命〟なる内乱があったそうで、その爪痕が残っているせいかもしれません」
「9年前の影響が未だにあるとは、完全に戦後処理に失敗しているじゃないか」
「やはり戦争を制御する皇族御三家がいないせいだと思います。平民だけで好き勝手に争うから、度が過ぎるのではないでしょうか。野蛮な世界ですよね」
翡翠領主こと電河は、しんみりと話す。翡翠領地が荒らされている映像を悲しげに見ていた。
「あの2人が翡翠領地に出たのは、こちらの世界のあの2人が現在翡翠領地にいるか、もしくは翡翠領地に関わりが深いのかもしれませんね。こちらの俺が藍領地民だったから、俺は藍領地に出ましたし。水岐殿は露草領地でしたっけ?」
話の水を向けられた広早は口元を歪めた。
「ああ、水族分家の露草領地とやらに出た。俺自身には会わなかったが、こっちの俺も水名透に族長争いで負けたらしい」
「……藍領地の〝水城家〟……」
「何だよ」
「いやー、御高月煌夜皇子殿下は皇族領地に出たそうなんっすよね。……何で俺と同じ藍領地じゃなかったんだろって思って。こっちの殿下、藍領地で平民やってたのに」
電河は広早には砕けた口調で返答をし、「あの水城篁朝って人、水岐殿じゃないのか……? 平民用の疑似家族? 赤の他人……?」とぶつぶつ呟いて考え込む。
「それで、その後の2人の足取りは?」
尊の問いに、電河は姿勢を正してから首を横に振った。
尊は鋭い眼差しを御速海佐善に向ける。
「『皇帝』陛下。貴方の電脳は唯一無二。他者が構築する電脳のセキュリティに制限はされないでしょう。雷と電拳を探してはいただけないのでしょうか?」
「な!? 『皇帝』に向かって不遜なっ……!」
尊は噛みついてきた広早を冷たく一瞥した。
広早はその迫力にギクリと身体を強張らせて黙り込む。
2人のやり取りを横目に、御速海佐善は重い口を開けた。
「……悪いが、剣の能力に捕まるリスクを冒したくない。俺は剣を探さない」
「電拳の能力、ですか? 彼は神祇官見習いだったと記憶しているのですが、それだけが消極的になっている理由ですか」
「尊殿は剣の未来視を軽視しているようだな」
「私に彼の悪意は向けられておりませんから」
「……」
「『皇帝』陛下に何かあっては元の世界に帰れません。お守りは致しますよ」
尊は身を翻し、職員室から出て行く。完全に廊下に出る前に、御速海佐善に呼び止められた。
「尊殿。1つ、聞きたいことがある」
尊は足を止め、視線だけを御速海佐善に向けた。不敬な態度に、視界の端で広早が柳眉を釣り上げていた様子が見て取れたが歯牙には掛けずにおく。
「貴殿は、何故太陽族の養子にならずに月族族長と婚姻を交わした? まず太陽族の養子に入り、皇族となってからの婿入りが慣習だっただろう。月族族長はそのせいで平民と婚姻した形になり、格を落としている。利が無いことを何故した?」
尊はくるりと身体を捻り、破顔した。
「利は充分に。おかげで貴公のようにならずに済んでいるじゃないか」
あからさまな嫌味に空気が凍る。
尊は御速海佐善をじっと見つめて、諫めるような口調で告げた。
「『皇帝』陛下は、唯と月族には毒杯を並べなかった。ですから私は味方です。どうか重々そのことを心に留め置き下さい」
「ああ」
扉をピシャリと閉め、尊は去って行った。
御速海佐善は顎に手をやり、ふっと笑う。
「……貴様が杯を持つことすら許さなかったくせに、月族の番犬め」
「陛下」
「あの番犬が、戻った後の最大の敵だな」
御速海佐善は再び眼下の海を見下ろし、淡々と呟いた。
「風我尊と御高月煌夜殿下には、この世界で客死してもらおうか」




