第2話 ドッペルゲンガーの目撃
機國敦美は絶句していた。
11月13日に藍領地で死んだ電拳剣が、同日の夜に翡翠領地のコンビニにいたという。
藍領地で襲撃され行方不明となった藍領地『二位』ランカー雷秀寿も、同日の夜に翡翠領地にいた――……
翡翠領地から送られて来た、たちの悪い心霊映像のような動画。
このホラー映像に、突如として敦美の脳裏に浮かんだ言葉を脳が理解を拒む。
――『4・滅亡来襲ED……〈条件〉〝『黄泉オンライン』炎乃響華がプレイ〟〝影法師の目撃〟』
ほぼ無意識に携帯端末を取り出し、その映像をカメラで撮った。端末の画面を触る敦美の指は、微かに震える。
〝影法師の目撃〟――それは亡くなった剣が残した『藍らふらいふ』アプリの条件の中で、最も不可解な条件であり、具体性に欠けていた事柄。どう条件を満たせば良いのかすら分からないものだった。
ともに条件にある『黄泉オンライン』に関係しているかもしれないという推測の元、そのゲーム内で、現実の本人そっくりに作っているキャラクターを撮るのではないかと敦美は考えていた。よもや、これほどの非現実な現象を突きつけられるとは欠片も想像していなかったのだ。
敦美はどうしても、まさかこれのことを言ってはいないだろうと、頭のどこかで否定する。理解が及ばないことがあれば人はまず否定を探す。矛盾する言葉だが、否定が肯定となるのだ。
『終焉回避キーワード、影法師の目撃を確認』
『藍らふらいふ』アプリに認証され、愕然とする。
次に、アプリに異変が起こった。『藍らふらいふ』アプリが強制的に終了し、待ち受けに戻される。アプリのアイコンが灰色へと変わった。直ぐにアプリのアイコンをタップする。すると、『警告』という題名のメモが画面内に現れ、アラームが鳴る。そのメモの内容に、敦美は度肝を抜いた。
《【警告】現在、『藍らふらいふ』は『黄泉オンライン』のウイルス感染により、アプリが起動出来ません。セキュリティ対策をし、ウイルスを除去して下さい。
期限:11/13~11/18(5日間内)
【除去すべきウイルス名と危険度(初期感染場所)】
★★★★★ 御速海佐善(皇族領地)
★★★★☆ 風我尊 (皇族領地)
★★★☆☆ 水岐広早 (露草領地)
★★☆☆☆ ??? (藍領地)※電脳族
★☆☆☆☆ 御高月煌夜(皇族領地)
★☆☆☆☆ 雷秀寿 (翡翠領地)
☆☆☆☆☆ 電拳剣 (翡翠領地)
このウイルス除去が叶わない場合、『藍らふらいふ』アプリは2度と起動しません。》
(な、……に……これは――……)
「うおっ! あ、開いている!」
ガチャッという扉を開く音と、電谷が慌てて水城家に踏み込んだ姿が視界に入り、敦美は顔を上げた。玄関に入った電谷は、2階の人物を見上げて固まる。敦美も2階の廊下で部屋の扉を開けて立ち尽くす男性が目に入った。
輝夜の兄、水城篁朝。その秀麗な横顔は、真顔で部屋の中を凝視している。
「あ……て……てる、やんが……いない……?」
ゴクリと唾を飲み込んで、電谷が擦れた声音を発する。敦美はその問いでそこが輝夜の自室だと知る。目を瞠って電谷を見た。
(輝夜君がいないってどういうこと!?)
篁朝の藤色の輝く双眸がギラリと光り、こちらを振り向く。
敦美にはたった一秒もかからないその瞬間がスローモーションに感じた。反射的に身を屈め、視線が合う前に左腕を振りかぶり、電谷の襟首を掴む。同時に次元空間を目の前に出現させて後ろへと飛んだ。
敦美達の眼前が水中へと早変わりする。それだけではなく、水の壁から抉るような水の塊が弾丸のように向かってくる寸前で、次元空間から出した機械ロボットの腕で防御する。ガリガリガリッと巨大な金属の腕が削れて変形していく威力に目を瞠った。玄関先で床に転がった電谷が悲鳴のように叫んだ。
「でっ、電須佐由様は無実ですっ!!」
(え?)
何故、ここで彼の名前を出すのか。
敦美は咄嗟に自らの次元空間に逃げた。移動先は獣櫛涼柁の家の屋根の上。
そこから敦美が居た場所が後方、頭上、足元から同時に水没し、一瞬にして水中の一部になった惨状を見下ろす。逃げられなかった電谷が溺れているが助けることは出来ない。水城家の敷地内全てが四角い水槽の中に沈む。
敦美は次元空間を出そうとして力が動かないことに気付き、空を仰ぎ見た。藍領地の空が水の膜に覆われている。先手を取られた。既に敦美の能力が、上位の篁朝の力に押し負けて力が使えない場になっている。
遠方を見ると、領境防壁の辺りに水の壁が出現していた。地面も薄らと水が張っている。一瞬にして藍領地全土が水の檻の中に囚われたようだ。
敦美はコクリと軽く喉を鳴らしながらも冷静な表情を作り、淡々と藍領地を掌握された現状を受け止める。
足元から、獣櫛家の護衛をしていた下位領地ランカーと獣伏武の騒ぎ声が聞こえる。鈍色の髪を凪ぐ風がひやりと冷たい。水の影響だろうか。閉じられた空間で風が吹くのが不思議だった。
(……地上最強の能力者……)
確か篁朝を、敦美の師匠である風我唯すら敵わないだろうと断言していたのは『三位』の水名透だった。敦美も響華の力も、そしてこの藍領地にいる全ての人間が、篁朝の圧倒的な力にひれ伏し、彼の支配を阻害することなくこの状態に陥っている。それはつまり――
(――宙地原族も、輝夜君のお兄さんには勝てないんだ)
皇族より、水族が強い。これはこの世界で許される事実なのか。
ふっと、隣に気配を感じた。
(……ああ、この人は力が使えるんだ)
敦美が右手に持つ携帯端末の画面を覗き見ている。
敦美は顔を向けず、すっと携帯端末を差し出す。携帯端末を受け取り、漆黒の瞳を細めて画面を見ている彼の横顔を敦美は見上げた。
「――お久しぶりです」
「そうだな」
「――母が、両親の墓参りぐらいしろと言っていました」
「……ああ」
漆黒色の前髪が風で揺れるたびに、電須佐由の瞳が隠れる。互いに感情に乏しい表情で視線を交わした。
「来るぞ」
その言葉と同時に佐由が消える。敦美が立つ場所が水中に変わった。身体が浮く。水城家と同じく、獣櫛家が水没させられた。
蒼い水中内で、向かいから水の階段がこちらに向かって作られ、その上を片手で水球を作り、もう片手で電谷の首根っこを掴んで引きずりながら、鋭い眼光の篁朝が近付いてくる。電谷は水を嘔吐し、首を絞められ苦しんでいた。怒りを孕んだ美麗な顔は凄まじい迫力がある。
敦美の視界に水中内で濁りを見つけた。小さな黒い点の集まりは目を凝らせば、機械の類だと気付く。篁朝の出す水球内にもその黒い点が多数あり、敦美の傍に集まった黒い点を、篁朝の持つ水球が呑み込んだ。
(監視カメラと、盗聴器……)
『領王』の敦美の指示に、水城家内と獣櫛家内への直接的な監視と盗聴は無い。水族側の仕業と思い、敦美の眉根が軽く寄る。
篁朝は水球を野球ボールほどの小ささにして、腕を振りかぶり遠く投げ捨てた。
ザパッと水が抜け、敦美は再び屋根の上に降り立つ。新鮮な空気にケホケホと多少咳き込んだ。水中が解除されたのは敦美の周りの屋根の上だけで、獣櫛家自体はまだ水に沈んでいる。獣族の住人達が無事か気に掛かった。
ついでとばかりに、敦美の傍に無造作に放り投げられた電谷は「ぐぎゃっ!」と痛々しげな悲鳴を上げて顔面から倒れた。
篁朝が怒気を孕んだ声音を出す。
「輝夜を今直ぐ返せ。藍領地のどこにもいない。お前の能力以外に有り得ない拐かし方だ」
「俺じゃないって言っているだろうが」
返答する佐由の声が隣から聞こえ、敦美ははっとして振り向く。いつの間にか、敦美の右隣に佐由が戻っている。佐由は皮肉を乗せた笑みを浮かべて、篁朝に白き月の紋様が刻まれた両手を見せていた。敦美はその紋様に驚き、くい入るように見つめる。
「俺も我が主サマの存在が藍領地から突然消えて探しているところだぞ」
「……今はどの領地から感じる?」
「別の領地は範囲外だ」
「使えないな、ゴミが」
「全領地の防境壁の基盤を壊してから言え、無能」
「頭が悪いのはそっちだ。原始月光石が種族能力で壊せたら惑星はとっくに消えている」
「アレが埋まっているのか。それじゃ不可能だな」
佐由は気怠げに溜息を零した。
「犯人がどの世界の奴かは把握した」
「結局、お前か」
「俺であって俺じゃない。違う存在だ。……まぁ、篁朝も俺と同じことを言うハメになる」
佐由が口角を上げ、肩を揺らしてくつくつと笑った。
敦美は傍で2人の会話を聞き、衝撃を受ける。そろりと遠慮がちに立ち上がっていた電谷も目を白黒として口をぱかっと開けていた。
敦美は漆黒の瞳に篁朝を映し、拳を握る。
(この人、正気だ。一体いつから――……っ。輝夜君があれだけショッピングモールで気を遣っていたのに、演技をして騙していたの……!)
理不尽だと思った。輝夜の優しさを利用していたのだと怒りが湧いてくる。篁朝の背後に四角い次元空間が現れ、篁朝は背後に視線を向けずに敦美へと目を眇めた。
「……何のつもりだ。藍の『領王』」
「――貴方の嘘が気に入りません!」
敦美ははっきりと気持ちを言い切り、篁朝を睨み付ける。篁朝の方は目を細めて無言を返した。
端で佐由は敦美の次元空間に目を瞬かせ、心底不思議そうな眼差しを向ける。
「情報収集……?」
電谷の呟きに、敦美は振り向いた。電谷は慌てて口を開く。
「いや、あのっ俺も水族の情報収集してたんで! ひょっとしてタカ様は、足引っ張るタカ様にどういう態度を相手が取ってるかとか、てるやんの待遇も変えているとか、そういうトコ査定してました……?」
敦美は瞳から怒りの色を消した。同時に篁朝の背後にあった次元空間も掻き消える。
「――電谷」
「『マスター』、実際水族内じゃタカ様の状態で口論や方向性? いや、権力図ってやつが水族分家に移行する流れで変わっていたっしょ。水城家っていうより、てるやんへの待遇もそれであからさまに変わ――」
そこまで話して、慌てて口を閉じる。篁朝の鋭い視線に電谷は顔色を白くして固まった。
佐由が思い出したように篁朝に顎をしゃくる。
「この間、思が来ていたな」
「灰兼なら俺を殺りにきていたから今は完全にフリーだ。使える」
「だがあいつは、皇族の宗旨替えをしない」
「皇族内なら違う」
「……俺の味方はしない癖に」
「元養子風情が皇族ぶるなよ」
篁朝が吐き捨てるように鼻で笑った。佐由は憮然としながら携帯端末を軽く差し出す。
「『除去すべきウイルス名』――何だ、これは……?」
「はっ! 知らないのか」
携帯端末の画面を柳眉を釣り上げて凝視する篁朝を、今度は佐由が馬鹿にしたように笑って敦美に振り返った。
「ところでこれは何だ」
佐由の疑問を呈する問いに、ズコッと電谷がずっこける。敦美は淡々と佐由に答えた。
「――電拳族長製作の『藍らふらいふ』アプリ内で特殊なEDを見るために掲示された情報のテキスト……だと思います。ウイルス云々という言い回しもこんなメモ表示も、今回が初めてです」
「ああ、剣はあの噂のゲームに力で得た情報を仕込んでいたのか」
「え、え? と、殿の力って何ですか??」
少し佐由の凄味に慣れてきた電谷が思い切って尋ねた。
「世界の終焉能力」
「ぶふッ! なんすか、その無駄にカッコイイ!! 能力名!?」
「そのままの意味だ。世界の終わりを察知する力。あいつの能力の本質は予兆、もしくは余震」
「――余震……?」
「大地震が来る前日にある微弱な予震があるだろう。または空が異様な色になったり、動物が妙な動きを見せて逃げ出すとかな。剣の次元能力は、世界の危機を知らせる複数の予知夢だ。1つ1つの事件は大した歪みにならない。だが歪みは積み重なる。独立していない。予知夢が放置されて次々と現実に起こると、最後は宙地原世界が物理的に終わる。俺は滅亡を別の世界で視たことがある」
「え……」
あまりの異様な能力の説明に、電谷が顔を蒼くして呆然となる。敦美は疑問を口にした。
「――貴方はそこまで重大な能力と知っていて電拳族長に何も言わなかったんですか。電拳族長は、自分の能力を正確に把握しているようには思えませんでした」
「文句は御天日凰十に言え。10年前に俺はあいつに教えた。あいつが剣本人に教えない決定をした。味方に引き入れるまで力を悪用させないようにって言っていたか」
「――でも、何も知らないまま電拳族長は……」
「殺したのは宙地原族、御神地皇」
佐由の口からさらりと告げられた名前に、敦美達は息を呑んだ。
「宙地原世界の守護者を自負する御神地皇にとって、剣の殺害はデメリットでしかない。ところが、剣の味方をしていた手のひらを突然返した」
「――理由は、分かりますか?」
探るような漆黒の瞳が、ちらりと敦美に向けられる。
「俺は剣のゲームを触っていないが、確か恋愛シミュレーションだっていう話じゃなかったか」
「――そうです」
「〝個人〟の攻略に焦点を当てたゲームだな。……世界の終焉能力と噛み合わない。あれは個人の未来を予知する能力ではない」
(え……?)
敦美は、おかしいと思った。剣が遺した『藍らふらいふ』のEDルートについての情報メモは、輝夜個人の未来を変えようとするものばかりだ。
佐由は思案して顎に手を当てた。
「俺が知る剣の力と、この世界の剣の力が違っている可能性がある。それは御神地皇にとって、デメリットと判断するものだったようだ」
「何……っ」
篁朝の凄む声音に、佐由は再び両手の月の紋様を見せつけて口角を上げる。
「お前の弟のおかげで今更確かめようはないぞ。今の俺は、別次元を覗いて俺の世界の未来を知れないからな」
佐由の指摘に篁朝は舌打ちすると、再び携帯端末の画面に視線を落とした。
「輝夜を攫ったのは、お前が『黄泉オンライン』のモデルにした世界の奴らか。もうこの初期配置にはいないな……。日数が立ち過ぎている」
「どの領地に潜伏しているか。場所を特定するのが一番の問題だろう」
「この、★★2の『???』の初期配置が藍領地だな。こいつを辿れば――……。心当たりは?」
佐由が流した視線の先に電谷がいた。全員の視線が集中して電谷は「ヒエッ、おお俺!?」と狼狽する。
「――私が輝夜君を見つけます。必ず」
敦美が背筋を伸ばし、篁朝を真っ正面から見上げて誓う。
篁朝は静かに藤色の瞳を細めた。佐由は携帯端末の『★★★★★ 御速海佐善(皇族領地)』を指差し、肩を揺らして笑い始める。
「実行犯のこの★5の愚図は、かなり厄介だぞ。後悔するなよ」
「――何者ですか……?」
「『かぐや』が存在せず、皇族御三家が表から消えず、電脳族が皇族家の養子になったことで、電脳族の種族階級順位が大地族に並ぶ地位を得た平行世界から……『黄泉オンライン』のモデルにした世界から来た人間」
佐由は笑みを深めて告げた。
「太陽族から玉座を簒奪した男。読みはミハヤミサヨシ。
御速海佐善『皇帝』――要は別次元世界の俺だ」




