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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

超能力少年

作者: quiet

 この世界の中心は自分だと思っていた。


 あれを見る日まで。


「……なんだよ、あれ」


 海岸通りから見える遠く向こう。夕日をすっぽりと覆う巨大な影。


「あれが本物のカミサマだぜ」と、小さく心が囁いた。





 あの日からカミサマはずっとそこにいて、もう1ヶ月になる。

 学校から帰る道で、上代静一かみしろせいいちは、海岸通りの防護柵にもたれるようにして、いつもそれを見ている。そして、上代以外には、この街では他の誰にも見えていない。

 カミサマは毎日少しずつ形を変えている。熱した鉄がどろどろの液体になって流れるように。

 はじめはつぶれた饅頭みたいな形状の黒い塊だったそれは、1週間もするとその上に突起が生えて、2週間目で少しずつその形を整えはじめ、3週間目で人の上半身とよく似た姿になり。


 そして今。

 カミサマは笑顔でこの街を見ている。


 それをぼうっと上代は見ていた。


 ゆるく海風が吹いている。上代の後ろを、ときどき同じ高校の学生たちが自転車で通り過ぎていく。夕日は見えない。それでも空はオレンジ。防護柵の下では、学生服の少女がひとり、演劇の練習をしている。


「やあ、いい夕焼けだな」


 いつの間にか、上代の隣に男が立っていた。年は20代半ば。高そうなスーツを几帳面にきっちり着ている。


 そうですね、と上代はそっけなく答えた。


「君はこの街が好きかい?」


 男は視線を海から外さず、続けて上代に続けて問いかける。どこか夢見るような、遠い目線で。


「まあ、それなりに」


 どうでもよさそうに上代は答える。男と同じく、海から目を離さないまま。


「近いうちにぶっ壊れるけどね」


 けだるげに唇を動かした上代を、男は驚いた顔で見た。


「君は……」

「お兄さん、このへんの人?」


 男の言葉を遮るように、上代は尋ねる。そしてその答えも聞かずに、


「死にたくなかったらさっさと遠くに逃げた方がいいよ」


 と、背を向けて歩き去っていく。

 小さくひとりごとのように、


 ――無駄だと思うけど。


 と言い残して。





 超能力という言葉を知ったのがいつ頃だったかもう覚えていないけれど、それを知ったとき「こんなの誰だってできるじゃん」という感想を抱いたことは覚えている。

 スプーンなんていくらでも曲がるし、裏返しのカードのマークなんていくらでも当てられる。

 口に出さずに言葉を伝えるのも、手を触れずに物を動かすのも、空を飛ぶのも物を燃やすのも、身体を動かすのと大して変わりがない。ただ普通に身体を動かすよりも少し便利なくらいだ。


 だけど、他の人がやらないなら、わざわざ自分だけ楽する理由もない。


 テストで良い点を取りたいなら真面目に勉強すればいいし、運動会で一番になりたいなら毎日走って練習すればいい。みんなと同じように、普通に頑張ればいい。


 普通に頑張って、普通に達成する。結果の価値を決めるのは自分自身だ。

 楽をする方法なんていくらでもあるかもしれないけれど、重要なのは自分が納得できるかどうか。

 だから、安易な道に逃げずに、ちゃんと普通のやり方で頑張っていこうと、そう思ってやってきた。


 でもひょっとして、と。

 カミサマが空から降ってきたときに、思ってしまった。



 もしかして俺って、大したことないんじゃないか?





「やあ、また会ったな」

「……ども」


 見慣れた海岸通りで、上代はまたその男と出会った。

 男は爽やかに笑い、上代は少し戸惑うような表情。


「君、名前はなんて言うんだ」


 防護柵にもたれる上代の隣に立つ。自然体ながら、足の爪先から頭のてっぺんまで芯が通ったようにまっすぐに。

 上代は怪しむような目線を向けながらも、素直に答える。


「……上代」

「そうか。俺は法月のりづき


 法月と名乗る男は、上代の顔と、海との間で視線を往復させて、



「上代くん。君は、『あれ』が見えているのか?」



 と尋ねた。

 その問いに、上代は少しばかり沈黙したあと、静かに口を開く。


「……お兄さんにも見えるんだ、あれ」

「ああ。俺はあれをどうにかするためにこの街に来た」


 上代はへえ、と呟き、姿勢を変え、海に背を向けるようにして防護柵に寄りかかった。


「聞かせてくれないか。あれはいつからここにいる?」

「1ヶ月くらい前」

「どこから来たか見たか?」


 上代は、ん、と唇を閉じたまま、オレンジ色の空を指さす。法月は律儀に首を後ろに倒して、その指さす方向を仰ぎ見る。そして口をぽっかり開けて、


「空か」


 と。上代は頷く。


「隕石みたいにすごい速さで降ってきた」


 隕石見たことないけど、と付け足す上代。法月は首を傾げる。


「調査によれば、あれは実体があるはずなんだが……」

「あるよ」

「む、そうか。ならそのときあれはわざわざ軟着水したわけか。はは、あのナリで意外と気の利くやつだ」

「いや、普通に突っ込んできたよ」

「なに?」


 不可解そうな顔で上代の顔を見た法月。上代は無表情。


「衝撃ですごい波が立って、危なそうだったから俺が止めた」


 なんでもなさそうな顔で言う上代に、法月はぎょっとする。


「止めた?君が?あの馬鹿みたいにでかいのが、隕石みたいな速度で海に突っ込んできたときの余波を?」

「うん。音はギリギリ間に合わなかった。ほら、なんか爆発音がどうとかいうニュースやってたでしょ」


 法月はその言葉を聞き、驚愕の表情のまま、顎をさする。


「驚異的だ……。俺が今まで見た中でも最上級の念動力(PK)能力者だ」

「ふーん」


 上代はつまらなさそうに呟く。でもさ、と言って振り返らないまま背後のカミサマを親指でさし、


「あれの方がよっぽど強いよ」

「……そんなにか」

「そんなに」

「……君の目から見て、あれは敵対的な存在か?」


 上代はその質問に訝しげな顔をする。


「お兄さん、テレパシー使えないの?」

「ああ、俺は念動力の方にだいぶ適性が……、待て。君は念動力だけではなく超感覚的知覚(ESP)も使えるのか?」

「うん」

「その上、もしかして君はあれ相手に意思疎通できると?」

「言語が噛み合ってない読心だから意思疎通ってほどじゃないけど、何考えてるかはなんとなくわかるよ」


 規格外だ……、と法月は頭を振る。


「それで、なんて?」

「……」


 上代は、右手の親指の爪を人差し指の爪でカリカリと削り、それをじっと見つめている。

 そして、海風で少し乾いた唇を開き、



「『全部ぶっ壊す』って」





 やろうと思えばなんだってできる、なんて、やらない人間の言い訳によく使われるけれど、俺はある程度これを真実だと思っている。


 大事なのはきちんとした手続きを踏むことだ。一から正しく努力を積み上げて、目標に向かってきちんと一歩一歩進んでいく。

 もちろん最後は個人的な資質の勝負になってしまうってことは否定しないけれど、そもそもそこまで辿り着ける人間がどれくらいいるだろう。


 やろうと思えば、多くのことは達成できるはずなんだ。大切なのは地道な努力。

 必死に頑張って、頑張って頑張って頑張りぬいて、それでも駄目なら悔しさにちょっと泣いて、また頑張ればいい。


 そういうのが魂の輝きってものなんだって、俺はそう思う。


 だけど。


 鏡に映る超能力者じぶんを見て考える。



 俺って、本気になったことあるのか?





「……足が生える前にはどうにかした方がいい。足ができたらすぐに行動すると思う」

「となると、なるべく早く叩いた方がいいのか?」

「そうとも言えない。内部にエネルギーを溜めこんでて、そのうちのかなりの部分を変形に使ってる。たぶんあれは人間を警戒して、形を真似しながら分析してるんだと思うけど、あのエネルギーをそのままぶっ放されるくらいならリスクを呑んで粘った方がいいと思う」

「その場合のリスクは?」

「人間の方に奥の手がないのがバレて正面衝突することになる、と思う。今のうちに叩けばあっちがビビって帰るかもしれないけど……」

「しれないけど?」

「全力で攻撃されたら地球が跡形もなく吹っ飛ぶと思う」

「……冗談みたいなやつだな。『カミサマ』って呼び方も納得だ」


 海岸通り。上代と法月が並んで話している。

 年齢の少し離れたふたりを、通りすがる学生たちは少し関心ありげに見るが、すぐに興味をなくして友人との会話に戻り、のどかに通り過ぎていく。防護柵の下には、今日も学生服の少女が懸命にひとり演劇の練習をしている。


 再び上代の前に姿を現した法月は、自分は名前を知られていない国際機関の一員だと語った。秘密結社とも言うな、と笑った。

 そして彼はまた上代の隣に立ち、上代に『カミサマ』についての助言を求めた。君は俺たちの組織に属するどの超感覚的知覚能力者よりも詳細に『あれ』を分析できるだろう、と。


「……そんな簡単に俺の言うこと信じていいの?」

「人の善悪くらいはわかるさ」

「能力?」

「いや」


 法月は首を振って、


「大人の勘だ」


 と笑った。

 アホくさ、と上代は呟いて、法月から顔を背けた。


「いつまで持つと思う?」

「……あと3週間が限界。1ヶ月は絶対持たない」

「なら2週間後が妥当か」

「うん、」


 上代はその先を続けようとして、言葉を飲み込んだ。

 法月が不思議そうに上代を見る。


「なんだ?何か気になることでもあったか?」

「……いや、別に。まあ、死にそうになったらできる限り助けてあげるよ」

「ははっ、そいつはいい。安心して戦えそうだ」


 笑う法月。

 オレンジの海の向こうでは、カミサマは不気味に口の端を釣り上げてこちらを見ていて。

 上代は、それを虚ろに見つめ返していた。





 カミサマを見たとき、何かが決定的に間違っていると、脳の歯車に硬い砂粒が噛んだように感じた。


 その砂粒の正体はわからない。けれど、何かが決定的に破綻した感覚がした。


 その正体がわからなくて、それからずっと俺は悩み続けている。


 読心で、カミサマがこの街を、この星を更地にする気なのはわかっている。そして、なんとなく、この星で一番強い超能力者は俺なんじゃないかってことも。


 けれど俺は。


 俺は、何を。


 じっと、海岸通りでカミサマを見つめている。





 2週間後。

 深夜、上代は、海で強力なエネルギーがぶつかったのを感じて跳ね起きた。

 そこからテレポーテーションを使って海岸通りに着くまで、わずかに3秒未満。


 すでに、法月率いる超能力者の集団は半壊していた。

 超能力者の数は、最初は100人近くいたのだろうが、上代が目にした時点ですでに、立っていたのは30人程度。


 上代はエネルギーの余波を念動力で中和しつつ、倒れている人間を素早く回収。その間にも、小枝をへし折るようにして超能力者たちはなぎ倒されていく。


 最後まで粘った法月ですら、30秒も経たずに重症を負い、撤退。


 カミサマは、海の向こうで邪悪な笑みを浮かべながら、上代たちの居る海岸通りを見つめていた。




 戦いにすら、なっていなかった。





「……すまない」

「……謝るようなことじゃないよ」


 それから3日後。夕暮れ。海岸通り。

 再び上代と法月は並んでいて、しかし法月は松葉杖をついて立っている。

 背後を通る自転車の学生たちは包帯を巻いた法月にチラチラと視線を向けながらも、また興味をなくして去っていく。防護柵の下、海岸では、今日も演劇の練習をする少女が声を張り上げている。


 法月は、絞り出すように言う。


「……うちが抱えている超能力者はそう多くない。元々超能力者自体が希少なんだ。今回は状況を重く見て、戦力の大半を投入したんだが……」

「もう無理なんでしょ」


 上代が、淡々とした口調で告げた。法月は悔しげに顔を歪める。


「……すまん」

「……だから謝るようなことじゃないって」


 今度は、少しだけ優しい声音で、上代は言った。


「勝てっこないよ、あんなの」


 カミサマは、海の向こうからじっとこちらを見つめている。

 黒い塊はずいぶんと小さくなり、今、カミサマはもう膝のあたりまで人の形になっている。


 もうすぐ、この星は終わる。


 ゆるく、海風が吹いた。


「……なあ」

「なに?」

「……君は、どうしてあのとき俺たちを助けに来てくれたんだ?」

「……なんでだろうね」


 どうせみんな死んじゃうのに、と上代は呟く。言葉はオレンジの海に飲まれて消えてゆき、海岸の少女が張り上げる演劇の台詞だけが響いていた。


「……だが、君のおかげで、俺たちはみな生き延びることができた」


 ありがとう、と法月は慣れない仕草で松葉杖を動かして、上代の方を向き、頭を下げる。

 少し慌てた上代が、いいよそんなの、と両手を振る。


 そして、また沈黙が訪れる。


 次に、口を開いたのは、上代だった。


「……法月さんは、」

「うん?」

「…………」


 しかし、その先は言葉にならず、上代は口を噤んだ。





「わかってんだろ?」と、心が容赦なく呟いた。


「わかってるよ」と、俺は苦々しく返した。


 わかってるんだ。違和感の正体なんて。破綻の正体なんて。わかってたけど、わかってないふりをしてたんだ。したかったんだ。


 怖かった。


 カミサマが、自分より強い相手がいるってことが、怖かった。


 ずっと、努力して生きてきたつもりでいた。つもりだけだった。

 俺は自分が持っている一番強い力を、ズルだとかなんだとかもっともらしい理由をつけて封印して、そのくせ心のどこかで、その力を頼りにしていた。「俺は他の人間と違って、自分にとって苦しい道をわざわざ選んでるんだ」って。「やり方を選ばなければ、本気の本気を出せば、誰より俺は強いんだ」って。


 最悪だ。


 カミサマが降りてきたときに思った。俺って、大したことないんじゃないかって。

 自分の全力より強い相手が初めて目の前に現れて、そこでようやく気がついた。



 俺は、自分に酔っていただけだ。



 本当は誰も俺に及びつかないと考えながら、努力が大事なんて、よく言えたものだ。

 見下してたんだ。世界全部。俺が世界の中心だって思ってた。

 真面目ぶった顔して汗流して。その顔の裏で、「まあ、所詮俺以外の人間のやることなんてこんなもんだよ」なんてせせら笑ってたんだろう。


 嘘っぱちだった。努力なんて。自分の力に積み重ねたものがないから、初めて自分の目の前に現れたカミサマに、死ぬほどビビってた。


 泣きわめいて跪いて命乞いするのがお似合いだ。俺は世界で一番弱っちい人間だ。これも嘘。本当は今でも、俺が世界で一番すごいって、心のどこかで思ってる。


 自分が可愛い性根の腐ったナルシスト。それが俺だ。


 限界カミサマが見えた。ビビった。ブルッた。腰が抜けた。それだけ。しょうもない。



 本当に、しょうもないけれど。





「……法月さん」

「なんだ?」

「法月さんは、なんであんなの相手に戦おうと思ったの」


 問いかけに、法月は意外そうな顔をするでもなく。


「……そうだな」


 海風が法月の前髪を揺らして。


「力を持ったのが偶然だとしても、それが他の人間よりも強い超能力者おれのやるべきことだと、そう思ったからだろう」


 真摯な答えは、上代の耳に響いて。


「……そっか」


 上代は穏やかに微笑んだ。


 そして、彼は脈略もなく、防護柵を乗り越えて、下の海岸に飛び降りる。

 唐突な行動に法月は目を剥いて、そして上代が飛び降りた地点の近く、懸命に演劇の練習をしていた少女は、わっ、と声を上げた。


 上代はその少女に話しかけた。


「君さ、いっつもここで練習してるよね」


 上代の唐突な登場に、少女は驚いていたが、それでも小さく、そうですけど……、と答える。


「なんで?」


 不躾な上代の質問に、少女は一惑う。


「なんで、そんな必死になって頑張るわけ?」


 しかし次の瞬間には、挑発的にも聞こえる上代の言葉に、戸惑いを消して、反発するように強気な表情で言う。


「頑張りたいから。自分の限界、超えたいから」


 まっすぐ、上代の目を見つめて言った。


 上代も、それをしばらく見つめ返して、


「だよね」


 と、にやりと笑った。


 そして、上代は少女に背を向けて、海に向かって歩き出す。

 そして、海岸線を踏んだところで立ち止まり、海の向こう、にやけるカミサマに向かって、弾けるように指を突きつけて、



 豪快に叫んだ。



「俺が、世界で、一番強い!!」




 少女も、そして上の海岸通りに立つ法月も、突然の行動に唖然としていると、


「法月さん」

「おっ、おう!」


 上代の呼びかけに、法月はただでさえ伸びている背筋を、さらに緊張させる。


「勝つよ」

「はっ?」

「あいつをぶっ飛ばす」

「お、おま、本気か!?」

「生まれて初めて本気。だからさ、勝ったらさ」


 ふたりに背を向けたまま、上代は。




 ――俺が神様だって、言ってくれ。






 ぶっ飛んだ。カミサマが。


 一瞬のうちに、音の速さを超えて加速した上代が、真正面から突っ込んだ。


 それだけで、そのへんの山より巨大なカミサマがぶっ飛んだ。


『オオオオオオ!!!』


 いつの間にやら完成していたらしい発声器官からは、呪詛のような悲鳴が上がる。そして、そのにやけた顔も、苦悶の表情に。


「うるっさいなあ!」


 カミサマに衝突した上代は、そのときの反動で宙に飛び、瞬間に周囲に無数の火球を展開。

 発射と着弾は同時。


 閃光が空を覆い、轟音が大気を震わす。


「シッ!」


 上代が右手を振ると、ものすごい突風が発生して、一瞬で煙を晴らしてカミサマの姿を露わにする。


 右半身が、消失していた。左半身も、大きく焼け焦げて。




 遠く、海岸通り。

 法月は呆然と、カミサマと、カミサマに挑む少年を見ていた。


「なんだあれは……」


 規格外だ。いつか一度口にした言葉を、もう一度声に出した。


 超能力者だなんだ、という話ではない。あれでは天変地異だ。

 法月たちを、世界中の超能力者で構成された組織を一蹴したあの怪物を、完全に翻弄している。常識外の超能力者の、そのまた常識外だ。

 その上、


「余波を打ち消しながら戦っているのか……?」


 全く法月のところにまで、戦闘の衝撃が来ない。

 カミサマを相手に、周囲のフォローをしながら立ち回っている。


「これなら……」


 呟いた瞬間、海岸まで、上代がちゃちなボールのようにバウンドしながら転がってきた。


 法月は慌てて念動力を使い、海岸に下りて、駆け浮かび寄る。


「おい、大丈夫か!」

「掠っただけだし……」


 起き上がった上代の顔は、めちゃくちゃだった。鼻が綺麗にへし折れて、出血で顔が真っ赤に染まっている。

 しかし、上代は鼻をつまむと、無造作にそれを元の位置に戻した。メリメリ、と嫌な音。


「お、おいっ」

「あとでちゃんと治すよ。別に今は鼻使わないしこれでいい。それより見なよ」


 上代が指さす先。法月が視線をやると。


「あいつ、残った塊を再生に使った」


 言う通り、カミサマの根元にあった黒い塊が、上代に吹き飛ばされた部位を修復するように、身体にまとわりついていく。

 いま、カミサマは膝のあたりだけで海の上に立っている。


 それを見た上代が、不恰好に、しかし不敵に笑う。


「ビビったんだ。アレのエネルギー丸ごとぶつければ、俺ごとユーラシア大陸くらいなら蒸発させられたかもしれないのに」

「…………」


 ユーラシア大陸『くらい』。法月は沈黙を選んだ。


「なんだよ、あいつもただのビビリじゃん。もしかしたらこの星に自分より強いやつがいるかもなんて万に一つを考えて、無駄に人の形真似して。そんで殴られりゃ勝負に出る覚悟もない」


 へっ、と上代は折れた鼻で笑う。

 そして、強気に立ち上がる。

 法月は問いかける。


「……勝てるのか」

「ビビリには負けない」


 そのまま上代の周囲に風が持ち上がって、法月が衝撃に備えようと構えたところで、あ、そうだ、と。


「ごめんね法月さん」

「なにがだ?」

「衝撃はなんとか消せるけど視覚妨害までする余裕はちょっとないや」

「は?」


 突風。

 弾丸よりも速くカミサマに突っ込んで行く上代。松葉杖でバランスが取れず転がる法月。

 倒れ、仰向けになった視線の先には。


「…………」


 腰を抜かしてへたりこみ、驚愕を通り過ぎて無表情で海を見つめる少女。上の海岸通りには、野次馬が少しずつ、しかし勢いを増して集まり出している。

 恐る恐る海の方に首を曲げて見ると、どうやら同じく余裕が消えて視覚妨害に使用していた力を戦闘に回し、超能力者以外にも姿を見せたカミサマの姿。

 法月は手のひらで顔を覆った。


「……勘弁してくれ」





 内心、上代はギリギリだった。

 最初にカミサマを大きく削り取った火球。地球上にあるほとんどすべてのものが触れれば容赦なく蒸発するような異常な熱量と、それが周囲に漏れ出さないようにする精密なコントロール。

 それだけですでに上代のエネルギーの9割以上が消費されていた。


 先ほど掠ったカミサマの腕の振り回しも、本来なら念動力だけで抑えつけられる。しかしエネルギーの過剰消費とそれによる体力・気力の消耗が咄嗟の動きを鈍らせ、衝撃の緩和にとどまった。

 一方、黒い塊を完全に取り込んで、人体部分を戦闘開始時と同じ状態まで回復したカミサマ。


 しかし、この状況は悪くない。上代はそう思っていた。


 エネルギーを直接ぶつけるのではなく、身体の回復を選んだ。おそらく、相手は自分に捨て身の一撃を回避されることを恐れている。


 実際のところ、全エネルギーをそのまま放出されたら、上代は自分のエネルギーを限界まで使って対抗するしかないし、ほぼ間違いなくその正面衝突に勝ち目はない。せいぜい対抗しないよりは多めに地球が残ったとか、その程度の結果しか生めないだろう。


 だが、おそらく相手は警戒している。人間を完全に分析しきれなかったために、9割9分を引いた残りの1分に、いまだに自分の知らない奥の手があるのではないかと。


 とんでもないビビリだ。

 上代は笑う。


 それが、つけ入る隙だった。


 現状カミサマ相手に通じる攻撃は、上代には先ほどの火球しか思いつかない。念動力による攻撃は、直接ねじ切るのは相手が同じく念動力で対抗してきた場合エネルギー量の問題で間違いなく負けるし、旋風やウォータージェット等の間接的な手段では、そもそもカミサマの皮膚に傷をつけられるかも怪しい。


 よって、作戦は、消費を抑えながら念動力で飛び回って相手の攻撃を誘い、消耗したころを狙って残りのエネルギー全部を使った一撃を叩きこむ。これに尽きる。


「どうした!当たってないぞ!」


 カミサマが腕を振り回す。それだけで脅威だ。先ほど食らった一撃は本当に掠っただけで、しかもかなりの力を衝撃吸収に回した。

 クリーンヒットすれば命はない。

 一瞬だって集中を乱せないし、時折カミサマが放ってくる念動力は、直接対抗するのも厳しいため、急加速で躱すしかない。


 エネルギー残量が少ない。


 ――撃て。


 静かに、心のなかで呼びかける。


 ――撃て。撃てよ。


 オレンジ色の空を縦横無尽に、加速と減速を織り交ぜて、カミサマの振るう腕から逃れ続ける。

 全身から汗が噴き出て、頭から水をかぶったようになっている。それでも絶対に集中を切らさない。切らしたときが死ぬときだ。


 負けない。


 そして、待望の瞬間が――


「撃った!」


 言葉にする前に、上代は急上昇した。カミサマが火球を展開。上代がカミサマの上空に位置するならば、避けても周辺被害は出ない。


 この時を待っていた。


 相手が痺れを切らして、一定以上のエネルギーを使用した攻撃を撃つとき。この瞬間なら、カミサマが能力を攻撃にのみ集中する一瞬なら、ノーガードの相手に一撃を決められる。


 発射された火球を、周辺被害が出ないように調整しながら瞬時にかいくぐって、こちらも火球を展開してぶつけようとして――、



 身体の動きが、止まった。



 念動――。気付いたときにはもう遅い。上代の作戦はバレていた。カミサマは火球を弱い力で放ち、上代がカウンターに出てくる瞬間を狙っていたのだ。


 馬鹿みたいに巨大な拳が迫る。対抗できる念動力はない。テレポートも固められたこの状態では使えない。


 しまった、とは思わなかった。やられた、とも。

 ただ、静かに上代は思っていた。


 これがそのときなんだ、と。





 海岸通りには多くの野次馬が詰めかけていた。

 そして、カミサマと少年の戦いを見ていた。

 はじめのうちはなんやかんやと騒いでいた彼らも、そのうち、現実離れした光景に誰もが言葉を忘れた。

 夕日を覆い尽くす巨人。その周囲を高速で飛び回る、双眼鏡なしでは点のようにしか見えない小さな少年。

 理解を超えていた。


 しかし、法月は違う。

 この戦いが、人類の命運を握ると知る、この場で唯一の男は、戦闘の展開を正確に把握していた。


 だから、彼にはわかった。上代が急上昇した理由。火球をかいくぐって接近した理由。つまり、彼が勝負に出た瞬間を。


 そして、カミサマの念動力が、上代を捉えたことも。


「ああっ!!」


 法月が叫んだ。

 そしてそれは奇しくも、観衆の注意を逸らすのではなく、戦いに集中させる形になった。


 誰もが見ていた。


 宙に浮かぶ小さな点の少年。

 その素早い動きが唐突に止まり。


 カミサマが巨大な腕を振りかぶり。

 拳を突き出し。


 そして――、



 少年が、無数の白い羽になって、宙に散った瞬間を。




「……ハハ」


 巨人が夕日を覆い隠す、オレンジ色の空と海。


「ハハハハッ!」


 哄笑が、響いて。


「ハハハハハハハッ!!」


 宙に散った白い羽が、カミサマの目の前で、人の形を取り戻して。

 その姿は、先ほどまでの折れた鼻と血まみれの顔ではなく、戦闘を開始する前の、綺麗なままの状態に戻っていて――。



「超えたぞ!限界を!」



 カミサマの鼻っ柱を、殴り倒した。





 そこからの上代はメチャクチャだった。


 カミサマが腕を振る。上代は羽に消える。目の前で人に現る。殴って、蹴って、ぶっ倒して。

 カミサマが念動を使う。「効くかこんなもの!」と上代が叫べば、まるで何もなかったかのように飛び回る。

 カミサマが苦し紛れに出した火球も、真正面から対抗されて相殺される。


「やっぱりいいなあ!自分が世界で一番強いっていうのは!!」


 叫ぶ上代。笑っていた。


 殴って蹴って、蹴って殴って、殴って蹴る。


 圧倒していた。


 そして、ここに至り、カミサマも覚悟を決めた。


「撃ってくるか!?」


 上代は急上昇。しかし、カミサマはエネルギーをぶつける方向を変えない。

 海岸通りの街。

 上代の現在位置を無視した方向。しかし、いま、最も効果的な方向へ。


 チッ、と舌打ちした上代は、今度は急降下。

 街を背にして宙に立つ。


 カミサマもその間にエネルギーの発射準備を終える。


 ユーラシア大陸を塵も残さず消滅させる、その一撃を。


 上代は、正面から迎え撃つ。


「オ、オオオオオオオ!!」

『グオオオオオオオ!!』


 咆哮。激突。


 海の上。極太の光線がお互いを飲み込まんとぶつかり合っていた。


 カミサマもその表情は決死で。上代も歯が割れるくらいに食いしばっている。


「今更覚悟を決めたって……」


 唸るように、



「一周遅れてんだよ!お前の負けで、俺の勝ちだ!!」



 叫びとともに、上代から伸びる光線の根元がぶわっ、と広がり、そして、



 一瞬のうちに、カミサマを飲み込んだ。





 げほっ、と一度咳き込んで、上代は顔を上げた。


 そこには、全身黒焦げながらも、原型を保っているカミサマの姿。

 疲労を強く滲ませた呆れの表情で、上代は言う。


「どんだけ硬いんだよお前……」


 お互い熱線を撃つ力はもうない。最後は殴り合いか、と上代が拳を握ったところで。


『ツギハ、マケン……』

「は?」


 カミサマが、低く、呟いた。

 あっけにとられていると、その隙に念動力を使用したカミサマがものすごい勢いで海から離れ、上昇していく。


 その姿を、唖然と眺める上代は、ハッと我に返り、二度と来んな!と叫ぼうかと思って、しかし思い直して結局、



「次は最初から全力で来いよビビリ野郎!」



 と、消え去る姿に言葉をかけた。





「上代くん!」


 海岸に着くや、上代は前のめりに倒れ込んだ。法月が駆け寄る。

 上代は、地面とキスしたまま、震える右手をなんとか上げて、ピースサインをつくった。


「勝った……」

「ああ。間違いなく君の勝ちだ」

「あいつまた来るってさ……」

「…………」


 法月はなんとも言えなかった。あの怪物が、次は油断なしでやってくる。次こそは、滅亡を免れないかもしれない。


 しかし、上代は、ガバリ、と顔を上げて言う。


「ま、次も俺が勝つけどね!暫定世界最強だからね!」


 自信にあふれた、何の気負いもない言葉だった。

 法月は彼を見て思う。大人として子供にすべてを任せるなんてことはしたくないし、これから先も戦いの先陣に立つつもりだが、それでも、この少年が我々の味方についてくれるなら――と。そこで、約束を思い出した。


「そうだ、君が勝ったんだから、」

「あ、いいよそれ」


 しかし、遮られる。法月が面を食らっていると、


「だってあれ別にカミサマとかじゃなくてビビリの宇宙人だったし。どうせもっと強いのいっぱいいるでしょ。そういうのボコボコにできるようになるまで取っといてよ」


 たまにはいいでしょ、ちゃんと努力するのも、と。

 法月は驚愕に固まった。この少年、あんな超次元の戦いを行っておいて、まだ強くなるつもりなのか、と。


「地球が保つかな……」

「はは、頑張りまーす」


 へらっと笑う上代。

 そして、身体を起こして座り込む。


「法月さんも、そこでへたりこんでる子も」

「うん?」

「は、はいっ!?」

「ありがとね」


 ふたりを見て穏やかにそう言うと、今度は野次馬に目を向ける。


「随分集まっちゃったね」

「全くだ。こりゃあ後が大変だな」

「すみませんね」


 いまだに言葉を失っている観衆に、上代がひらり、と手を振ってみると、それを合図にみんなが騒ぎ出した。それは悲鳴だったり、歓声だったり、あるいは怒号だったり。


「あはは、気分めっちゃいー」


 と能天気に笑う上代。


 しばらく観衆に手を振り続けていたが、やがて飽きたのか、巨人の消えた、オレンジ色の海に目線を移した。


「ねえ、法月さん」

「なんだ?」

「最初に会ったとき、法月さん、『この街が好きか?』って聞いたじゃん」

「よく覚えているな」

「覚えてない?」

「いや、俺は記憶力が良くてな。君は『それなり』と答えた」

「あれね、ちょっとだけ嘘」


 遠い海の向こう。夕日が落ちていく。上代はそれを見つめていた。



「街はそれなりなんだけど、この景色はすっげー好きなんだ」



 オレンジの空。オレンジの海。



 周囲の喧騒のなか、上代はじっと静かに、カミサマの居なくなった景色を見ていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] とても面白い。 [一言] 上代くんが『カミサマ』呼びしてることを法月さんに伝えてるようには見ないけれど…
[良い点] 私はいつも壁にあたると、超能力少年を読みにきます。 宇宙生物の襲来は、本当の意味で本気になれない少年に奮い起つ きっかけを与えた。何事もやれば出来るからと斜に構えていた少年にとって、自分の…
[良い点] 構成がとてもよく、盛り上げ方が素晴らしいと感じました。 [一言] 本当に面白かったです! 確認ですけど、この作品をレビューで紹介してもいいですか?
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