故郷とマスター
既に日も暮れた頃、僕が身も心も、ついでに危うく貞操もボロボロにされかけたところで、ようやく本日のトレーニングは終了した。
僕は不本意ながらも、凍澄の肩を借りて屋上から降りることになる。もちろん結界は解除したので、魔法戦トレーニングの痕跡など欠片ほども残されていない。屋上の鍵はまたもピッキングで元に戻していた。
……便利だけど、助かるけど、複雑だなぁ……。
それにしても、魔法少年になってから、いや、されてから災難が増えた気がする。僕が一体何をした!? みたいな不条理がある。
「俺は魔法少年になれて良かったと思ってるっすよ」
階段を降りながら僕が小声で愚痴っていると、凍澄はそんな風に返してきた。
「……そうなのか?」
僕にとっては保身がかかっているけれど、凍澄にとっては何の益も損もない連中なのに。
「だって、こうしてことみセンパイと新しい繋がりが出来たじゃないっすか」
「………………」
「ティアと会うこともなく、魔法少年になることもなかったら、ことみセンパイにとっての俺という存在は、きっと同性愛者の後輩でしかなかったはずっす」
「…………」
確かにそうかもしれない。
「だけど今は、同じ魔法少年仲間として、協力したり、トレーニングしたり、ことみセンパイと深い関係になれてるじゃないっすか」
「………………」
複雑だなぁ……喜ぶべきか、危機感を抱くべきか……
「友達以上恋人未満、あと一歩! みたいなっ!」
「それは違う! 断じて違うっ! せめて男の友情くらいにとどめて欲しい頼むから頼むから頼むから頼むからっ!!!!」
切実過ぎて思わず四回も繰り返してしまった。
凍澄に玄関まで送り届けて貰い、今日は別れることになった。
「じゃあことみセンパイ。また明日来るっすよ。柔道部の方は土日はしばらく休むって言ってあるんで、休日はことみセンパイの特訓につきっきりっすよっ!」
「――それは、有り難い……のか?」
柔道部に多大なる迷惑がかかっている気がしないでもない。むしろ時間の合間くらいで良かったのだが。精神的にも貞操的にもその方が安心できるし。
「大丈夫っす。平日はきっちり顔出しますから。元々休日は任意参加っすからね」
「なら、いいけど」
平日くらいは僕も安心できるわけだ。
凍澄とティアトリーゼが玄関から出て行こうとする。
このまま別れるものだと思っていたのだが――
「マスター。私はクードリリエと少し話したいことがあります。あとで追いつきますので先に帰っててもらえませんか?」
と、ティアトリーゼが玄関に残った。
「んん? 構わないけど。旧友同士、積もる話もあるだろうしな」
凍澄はあっさりと了承し、
「それじゃあことみセンパイ。おつかれっす!」
「おつかれ。じゃあな」
凍澄は僕に手を振って、僕も凍澄に手を振り返した。
そして玄関の扉が閉まる。
凍澄の姿が見えなくなり、玄関には僕、クードリリエ、そしてティアトリーゼが残された。
「えーっと……クードリリエに話があるんなら、僕は外した方がいいか?」
凍澄を先に帰したところからすると、他の人には聞かれたくない話なのだろうと思ってそう言ってみると、
「…………」
しかしティアトリーゼはふるふると首を横に振った。
やけに深刻な表情をしているらしいのだが、犬のぬいぐるみ姿なのでいまいちシリアスな空気に欠けてしまう。
「聞かれて困るのはマスターだけですから、殊巳さんは同席しても構いませんよ」
「そうかい。じゃあ、ひとまず僕の部屋に行こう」
架恋もまだ帰ってきてないし。
そして僕の部屋にはいると、ティアトリーゼは人間形態になっていた。金髪金眼の美少女。何度見ても目の保養になるような容姿なのだが、
「何でいきなり……?」
クードリリエは人間形態になるのを嫌がるが。ティアトリーゼにはそんなこだわりはないようだ。
「これから少しシリアスな話をしますので、台無しになってはいけないと思いまして」
「…………」
まるでさっきの僕の思考を呼んだかのような発言と行動だった。それを差し引いたとしても変な気遣いではあるけれど。
「それで? 話とは何にゃ?」
クードリリエは黒猫のぬいぐるみ姿のまま、ティアトリーゼの前に陣取る。
「クードリリエ。私達は、マイスターの命令でここにいます。クレハドール達の暴挙を止めるために、マイスターの一存で」
「その通りにゃ。にゃんだ? あの変態凍澄に愛想でも尽きたかにゃ?」
「………………」
あんまりな言い草ではあったが、クードリリエの台詞を庇うことも出来なかった。
端から見ているだけのクードリリエはともかくとして、自分のマスターがあれではさすがにうんざりしても文句は言えないだろう。って、あれ? そういえば僕もクードリリエのマスターってことになるんだよな? ……全然それっぽい扱いじゃないけれど……。
まあいっか……。
「マスターのあれについては個性だと捉えていますので」
「――個性ねぇ」
そりゃ随分とお優しい表現だ。僕ならむしろ性癖、いや、悪癖というけどな。
「私が気にしているのはもっと別のことです。もしも……」
ティアトリーゼは辛そうに目を伏せた。何かに耐えるように。
「もしも……この件に片が付いたら、私達は……私は――レキサリオに戻されるのでしょうか……」
「…………」
その発言に、クードリリエは沈黙せざるを得ないようだった。
「私は、帰らなくてはならないのでしょうか。マイスターの元に……」
ティアトリーゼはむしろ泣きそうな表情だった。
帰りたくないのだろうか。
故郷であるレキサリオに――
「もしかして、そのマイスター……マリセス博士のことが嫌いなのか?」
「いいえ。そうではありません」
しかしその質問にティアトリーゼは否と首を振った。
「マイスターには感謝しています。好ましく、思っています。ですが、私には――」
「……すまんにゃ。わがにゃんには、何も言えないにゃ」
「――ですよね。バカなことを聞きました。私達は同じ立場で、同じ存在。私に分からないことは、クードリリエにも分からない。それは分かっていたはずなのに……それでも、問わずにはいられなかった……」
「……もしもティアトリーゼがここに残ることを望むなら、わがにゃんからもマイスターに掛け合ってみるにゃ。マイスターが聞き入れてくれるかどうかは、分からにゃいけど――」
「いえ。変なことを言ってすみません。今日はもう、帰ります」
そう言って、ティアトリーゼは立ち上がった。
そうして、俯いたままに玄関へと向かい、ぺこりと頭を下げて扉を閉めた。
……なんだか、寂しそうだったな。
「――分からないな。ティアトリーゼは故郷に帰りたくないのかな?」
ティアトリーゼを見送ってから、僕はクードリリエに聞いてみる。
同じ立場。同じ存在。それでも、同じ考えなわけじゃない。
だけどクードリリエには、ティアトリーゼの苦しみが分かっているように見えた。だからこそ、問いかけたかった。
「そういうわけじゃないにゃ。ティアトリーゼはマイスターのことも、レキサリオのことも、ちゃんと好きなはずにゃ。だけどそれ以上にきっと、鐘騨凍澄という存在が、たった一人のマスターのことが大切なんだにゃ」
クードリリエは少し抑揚を落として続けた。
「わがにゃん達、融合型アークドライブは、適合者がいなければ……マスターがいなければただのぬいぐるみにゃ。そして初期のアインセルシリーズであるわがにゃんやティアトリーゼは、適合率の配慮があまりされていなかったにゃ。中期以降のアインセルシリーズはその辺りの調整を受けていたけれど、わがにゃん達は高性能な代わりに適合者にも巡り会えなかった特別製だにゃ」
誰にでも扱えるわけではない。
高性能だからこそ、使い手を選ぶ。
この二人(?)は、そういうものらしい。
「それでも、わがにゃんはまだよかったにゃ。ギリギリながらも、適合率をクリアしたマスターが存在したにゃ。たとえそれが、わがにゃんの力を一割も引き出せないヘボマスターだとしても、マスターが存在していた分だけマシだったにゃ」
「………………」
貴重な適合者に対して、随分と酷い言い草だった。こいつに容赦という概念は存在しないらしい。
「だけどティアトリーゼは違ったにゃ。一人も、マスターに巡り会えなかったにゃ。適合率百パーセントでなければ融合自体が不可能な融合型アークドライブ。そんなの、理論上不可能だと言われていたにゃ。そんなのは当然にゃ。違う存在同士が交わる以上、そこに百パーセントはあり得ないにゃ。あったらそれは、奇跡だにゃ」
「奇跡……」
「そしてティアトリーゼは出逢ったにゃ。たった一つの、たった一人の奇跡に――」
鐘騨凍澄という、かけがえのないマスターに。
「それがたとえどんな変態だろうと、大切なマスターだということに変わりはないにゃ」
「……感動的なはずの話が一気に台無しになったな、今」
事実だから否定できないけどさ……もーちょっとシリアス続行を心がけようぜ……。
「融合型アークドライブの存在意義は、マスターが存在して初めて確立されるにゃ。だから、わがにゃん以上に、ティアトリーゼは苦しんできたはずだにゃ。アインセルシリーズ最大の異端にして規格外の失敗作。そんな不名誉極まりない存在理由しか、今まで許されなかったにゃ」
外れた存在。
失敗作。
それは、どれほどの苦しみだろう。
きっと、僕なんかが想像していいことじゃないけれど、それでも考えずにはいられなかった。
そう言われ続けてきた、ティアトリーゼの気持ちを、考えずにはいられないんだ。
「だからティアトリーゼはきっと、凍澄と離れたくないはずにゃ。ようやく得ることの出来た、たった一人のマスターと。もう二度と、失敗作だなんて呼ばれたくないはずにゃ。今のティアトリーゼはマイスターよりもレキサリオよりも、凍澄のことが大切なはずにゃ」
「帰らなければいいじゃないか」
「………………」
「帰りたくないなら、帰らなければいい。ティアトリーゼがそうしたいなら、きっと凍澄はその願いを聞き届けてくれるさ。たとえマリセスって奴から帰れって命令されても、きっと何とかしてくれる。あいつはそういう奴だよ」
どうしようもない変態で、時に敵よりも悪役じみているけれど、それでもあいつは、自分を頼った相手を見捨てたり出来るような奴じゃない。
いい奴――なのだ。
大切な相棒の切実な願いを、きっと聞き届けるはずだ。
「随分と信頼しているんだにゃ」
「ああ。性癖はともかくとして、人間としては尊敬できる奴だ」
「……その性癖のせいで色々なものが台無しになっている気もするにゃ」
「……ま、それはいわないお約束ってことで」
ティアトリーゼのことについては、事件が一段落付いたら本格的に考えよう。少なくとも凍澄が付いている以上は、無理矢理に帰らされることはないはずだ。
そう考えたところで、一つ気になった。
「ところでさ」
「んにゃ?」
「クードリリエも、帰りたくないとか思ってるわけ?」
「………………」
「適合率の高いマスターであるところの僕と、離れたくないとか、思ってくれちゃってるわけ?」
「…………………………」
きっと、今の僕はにやにやとした表情になっていることだろう。当たり前だ。珍しく、いや、初めてクードリリエをからかうことが出来そうなのだから。
「どうなんだよ?」
「………………………………」
「ん?」
「………………………………………」
クードリリエは沈黙を続ける。僅かに赤くなっているようにも見える。こんなクードリリエはちょっと新鮮だ。
「お――」
「お?」
「教えないにゃっ!」
しまいにはぷいっとそっぽ向いて、僕のベッドの中にもぐり込んでしまった。
「………………」
教えない――か。
少なくとも、嫌われてはいないらしい。
帰りたいとまでは、思われていないらしい。
短い付き合いだけれど、その程度の信頼関係は築けているようだった。
「ま、帰りたくないんだったら、凍澄と一緒に僕も協力してやるよ」
「大きなお世話にゃっ!」
ベッドにもぐり込んだまま、クードリリエはそんな言葉を返してくる。照れ隠しだということがバレバレな、実に微笑ましい反応だった。
こいつとの相棒関係も案外悪くないかもしれない。
邂逅二日目にして、僕はそんな風に思ったのだった。




