死のクリスマスイブ・9
九
十二月 十七日 (日)
冬にしては暖かい風がそよそよと頬に触れる。公園は冬だというのに、それでも日曜になるとカップルや親子連れが姿を現す。
克行はベンチに座り、じっとその平和そうに見える光景を眺めていた。その頭のなかは当然のことのように麻美のことを、そして今夜から始まる「特権者優遇計画」のことで占められている。
先日の夜以来涼子からは何の連絡もない。克行のほうからも彼女に連絡はしていない。連絡しづらいということもあったが、どちらかというと全面的に涼子を信頼していた。彼女が連絡してこないということは何の情報も得られないということだ。そのため克行は新たな道を模索しようと試みることにした。
公園の中心にある花時計がきっかり午後一時を示した時、一人の男が克行のいるベンチに向かって歩いてくるのが見えた。
男は克行を見定めると人なつこい笑顔を浮かべ軽く手をあげた。
「やあ」
克行もまた軽く左手をあげてみせた。右手はしっかりとコートのポケットへいれられ拳銃を握っている。
「久しぶりだね」
藤井和弘はそう言って克行の隣へどっかと腰をおろした。記者である藤井とは三年前の冬に会社の仲間に誘われるままに行ったスキー場で知り合った。克行よりも二つ年上だが見た感じはそれよりもずっと年上に見える。
「仕事はどう? 忙しい?」
「ああ、例のごとくさ。俺たちは常に忙しく常に暇だからね。忙しいのは能力がある証拠、暇なのは無能な証拠だ。世間にゃさんざん悪口を言われてるがね」
『アウトサイド』という藤井が記事を書いている雑誌のほとんどはアイドルのゴシップ記事が中心で、彼も常に年端もいかないアイドルたちを追いかけている。
「あんたはよっぽど忙しいって言いたいのかい?」
「その通り。その証拠に俺は三日前にこの日本に帰ってきたってわけだ。それで? その忙しいこの俺をこんな寒い公園に呼び出したわけを教えてもらおうか」
相変わらず人なつこい笑顔を見せながら藤井は言った。
「あんたのその笑顔を消してしまうかもしれない話だよ。へたすれば青ざめることにもなるかも」
「おいおい、冗談よせよ。俺のこの笑顔は生まれつきでね、俺が青ざめるとしたら俺の書いた記事がもとで雑誌の売れ行きがこっぴどく落ちこむってことだぜ」
「いいや、残念ながらそんな話しじゃないよ。俺があんたと話をしたいのは「特権者優遇計画」のことなんだ。あんただって知ってるだろ」
克行はわざと明るい口調で計画のことを口にした。藤井の顔から笑顔が消えたが、それはほんの一瞬のことだった。
「一応はね」
「どのくらいのことを知ってる?」
「さあねえ……どちらにしても俺の専門外の話だな。なぜだい?」
「なぜマスコミはあの政策について何も報じようとしないのかと思ってね」
「不思議なことを聞くね。マスコミがそいつについて報じないことに何が問題があるっていうんだい? それに「特権者優遇計画」、そいつは君にどんなふうに関わっているっていうんだ?」
藤井は何かを疑うようにちらりと克行の顔を見た。克行はその目に彼がすでにある考えに達していることを悟った。
「俺は今、最低でも六人あの世へ送り出すことの出来るものを持っているっていうことだよ」
ちらりと克行のポケットの膨らみを見て、さすがに藤井の顔からあの人なつこい笑顔は消え去った。だが、それほど驚いたような顔を見せなかった。
一瞬の沈黙の後、藤井はふぅっと一息溜め息をついた。
「そういうことか……ちなみにそいつは最低六人じゃなく最高六人をの間違いじゃないのかい?」
「そうだね……」
いや、あくまでも最低六人なんだよ。と心のなかでつぶやきながらもあえてそのことには触れようとせずに素直に頷いた。克行が考えていることを全て伝える必要はない。
「それで俺に何をしろって言うんだ? 俺に「特権者優遇計画」の問題性を記事にしろって言うのか? このゴシップ専門の記者にそいつをしろって?」
「べつにあんたにやってくれとは言ってないよ。ただ、それをやってくれる人を紹介して欲しいって言ってるんだ」
「同じことだ」
「なぜだ? なぜあんたたちはそれほどまでに避けようとするんだ?」
「君は考え違いをしているよ。マスコミはそれほど正義感が強いわけじゃない」
「それでもマスコミは常に政治のスキャンダルを報道しているじゃないか? 以前、どこかの雑誌で「特権者優遇計画」のことを取り上げていたことがあった」
「俺も読んだ記憶があるよ。そういう物好き――いや、確かに正義感のある記者もいるだろうね。けど一人じゃ何も出来やしないよ。ちょっと手を出してみてもどこからか圧力がかかってそれで終わりさ」
「圧力が? それが怖いのか?」
「怖いね、だが、記事にしないのはそれだけの理由じゃない。確かにうちの雑誌でも政治家のスキャンダルは記事にするよ。たいして深い傷にならない程度のスキャンダルにね。本当に政治家をつぶそうなんて考えて記事を書く奴なんかはいないよ。その証拠に決してそれらは彼らの命取りになることはないだろう。それにそんなスキャンダルは民衆が望むことだ」
「それじゃ――」
「君が言っているものを民衆は望んじゃいないよ。民衆が望んでいるのはあくまでどうでもいい自らの楽しみを満足させてくれるスキャンダルだ。政治家の汚職事件だってそうさ。政治家が裏で企業から金をもらっていることなんか、俺たちが報道する必要もなく誰でもがわかっていることだ。それでもバカな政治家がとんでもないミスをやらかす。それで俺たちがとりあえず報道し、民衆はとりあえず怒る。そして満足する。それだけのことなんだ」
藤井は軽く肩をすくめてみせた。
「そんな……そんなものでしかないっていうのか?」
「そうさ、うちの雑誌がよく売れるのはそういうわけさ。必ず毎週、どこかの可哀相な人々の記事が載る。過労で旦那を亡くした哀れな未亡人。血液感染によってエイズにかかって余命いくばくもない少年。そいつを読むやつらは一様に可哀相にと涙を流す。だが、心のなかじゃその哀れなやつらと自分とを比較しているのさ。私たちは大丈夫、私たちはずっと幸せだってね。人間なんて身勝手なもんだ。それにマスコミには大前提があるんだ。読者を不安がらせないことだ。例えば二、三年前から突如降って湧いた障害者たち。国は原因不明と発表しているが事実は違う。しっかりと原因究明されているんだ。だがその原因が問題だ。なんとその原因を作りあげたのは我が国には今やどうしようもない輸入品なのさ。アメリカ産の農薬だらけの米やオレンジ。しかし、そいつを発表するわけにはいかない。農薬のついていない米やオレンジなど世界のどこを捜したってありはしないからだ。確かに日本にもまだほんのわずかながら農家は存在している。けど、しょせん日本人全てを支えることなど出来るはずがないんだ。一九九六年に米の輸入開放が間違っていたとしてもそんなことを今更言えるはずがない。知ってる奴らだけが注意するだけなんだ。マスコミなんてそんなものさ。正義感ぶっているだけで本当はみんな金のために記事を作りあげてるんだ」
「あんたはそれで――」
恥ずかしくないのか? 思わずそう言いそうになり克行は口をつぐんだ。そして藤井も克行が何を言おうとしたかは察したようにほんの少し視線をさけてうつむいたが、それほど気にした様子はなかった。
「確かに特権者に選ばれた君にとってそいつは非常に大きな問題で、政策が間違っていると感じてしまっても仕方がないことだと思うよ」
同情するように藤井は言い、それからもっと驚くことを彼は口にした。「だが、俺は「特権者優遇計画」がそれほど間違った政策だとは思っちゃいないんだ」
「なんだって?」
克行は思わず驚きの声をあげた。「間違っていない? 何を言ってるんだ?」
「まあ聞けよ。確かに君が感じていることはよくわかる。たとえ人工削減計画とはいえ人殺しをやるのは間違いだと言うんだろ。しかし、現実にこの日本、いや世界中には人間がゴミ屑以上に存在しているんだぜ。そいつをどうやって解決しようって言うんだ? 見なよ、あの光景を」
藤井はそう言って顎をしゃくりあげた。花時計の向こう側に二、三歳くらいの子供を背にした白髪の老人がのんびりと散歩しているのが見て取れた。
「あの小さな孫……いや、曾孫かもしれないな。いずれにしてもあの爺さんは子供を背にしょっている。君にはあの光景がどう見える?」
「実に平和的な光景だと思うね。まさか、子供が爺さんの頭に拳銃を突きつけていなければだけど」
投げやりに克行は答えた。藤井が何を言おうとしているのかわからなかった。
「なるほど、拳銃を突きつけていなければか。それなら大丈夫さ。あの子はすっかり寝むっちまってる。平和的光景だろう。しかし、現実にはどうだろうな」
「現実には? 何を言ってるんだ?」
「現在の老人と子供の比率を知っているかってことだ。今はまだそれほどじゃないが、あの子供が俺たちくらいになるころにはあの子供は一人で老人を十人くらい養うことになるんだぜ。つまり現実にはあの爺さんが子供の背におぶさってるってことさ」
やっと藤井が何を言おうとしているのかがわかった。
「だから「特権者優遇計画」は許されるって言うのか?」
「必要悪って言葉を知っているだろう。例えば――」
「あんたの例え話しはたくさんだ!」
「そう言うなよ。俺は君よりも計画についても世界の現状についても知ってる。アメリカじゃあ人殺しをゲームとして楽しむことが法律で許されるってことを知ってるか? いかに歩き続けていられるかそれがゲームの内容だ。健全でないのは歩けなくなった時に頭を一発吹き飛ばされるってことだ。生き残れるのはただ一人、それ以外は皆殺される。まだ企画段階だがすでに何十人もの子供たちがそのゲームへの参加を望んでいる。そいつをどう思う?」
「そいつらは狂ってるんだ! それとも罰ゲームの中身を嘘だと思っているかのどちらかなんだ」
「そうだろうね。日本人の多くが「特権者優遇計画」が実際に行われていることを信じないようにね。いずれにしても日本の政策なんてかわいいもんだ」
「つまりあんたは俺に『平気で人殺しをやってのけろ』と言ってるのか?」
「そうは言っていないよ。ただ俺たちマスコミが動かない理由を教えてあげただけだ」
(同じことだろう)
克行は暗い気持ちで思った。このまま「特権者優遇計画」が始まればきっとそういうことになるだろうと予想していた。それは自分でも認めたくない予想だった。
「いずれにしてもあんたは動いてはくれないわけだ」
克行は藤井に麻美のことを話すのをやめた。藤井は麻美のことくらいで考えを変えるようなことはしない。あくまで客観的な見方が出来る男だ。
「悪いけどね」
そして藤井はゆっくりと立ち上がった。「力になれずに申し訳ないが、恨まないでくれよ。君とはいつまでも仲間でいたいんだ」
「大丈夫、断わられた腹癒せにあんたをターゲットにしたりはしないよ」
「その点は信頼しているよ。それにいくら君が俺を狙おうとしても、あいにく俺は今夜にはハワイ行きの飛行機に乗っている。そして帰ってくるのは正月あけだ」
「またガキ相手に遊んでくるのかい?」
「そうだ。俺だってあんなガキどもをカメラ持って追い回すのは嫌だが、それでも奴らは金になるんでね」
「がんばってくれ」
克行は精一杯笑顔をつくってみせたが、それはあまりうまくはいかなかった。藤井は来たときと同じように軽く右手をあげて去って行った。
藤井が立ち去ったあと、視線は無意識のうちにさっきの老人の姿を捜していたが、すでに家路についたのか見つけることは出来なかった。
それでも俺は認めたくない。いや、認めるわけにはいかないと思った。克行はベンチに座り込んだまま、麻美に今夜どう伝えたらいいものかと頭を悩ませていた。




