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死のクリスマスイブ・6

   六


 十二月 十二日 (火)


 駅から歩いて約五分、そのオフィスビルの七階に克行の務める会社がある。

 そのビルにあるのは克行の会社ばかりでなく、他に五社ほどがビルを借りていて、そのためかあまりセキュリティは厳しくなく、誰でも自由に出入り出来る。克行の会社では七階から九階の三つのフロアを借りている。社員数は約二百人、このビルではその半分ほどが働いており、他の社員たちは皆顧客先での勤務が多い。

 九時十五分、克行はいつもよりも少し遅く出社した。今ではフレックスタイムの導入は常識のようにはなってはいる。もちろん克行の会社も導入してはいるが、克行の会社の場合顧客との密接した打合せなどが頻繁なためそうそう遅く出社するわけにはいかないため、社員のほとんどが九時までには出社するようになっていた。

「おはようございます」

 オフィスに入るとすでに仕事に入っていた社員たちが顔を見上げた。

「おはよう」

 克行は出来るだけ視線を避けるようにしながら自分の席へと歩いていった。克行のいるフロアは若い社員たちで占められ、管理職以外は克行と同年代か年下の者が多かった。

「よう、体大丈夫か?」

 席へつくとすぐに向かいの席の西崎が声をかけた。西崎とは同じ年に入社し、その後ずっと同じ課で働いてきていた。日焼けしたその顔はスポーツマンらしさを誇示しているようにも見えた。

「たいしたことないよ」

「良かった、今おまえに倒れられちゃ大変だからな」

 西崎はそう言って笑った。その笑いすら今の克行には苦痛に感じた。

(おまえの命は今、危険にさらされてるんだぞ)

 そう忠告してやりたかった。だが、そんな忠告が出来るはずもなく、それどころかなぜこの男が特命者リストに載せられるのだろう、と好奇心すら覚えた。

 実際、特命者リストのなかに登録されている人たちのなかに克行の知っている人たちは何人もいるのだが、なぜその人たちが特命者リストに登録されているかそれがまったく克行にはわからなかった。

「あ、そうだ……風間、おまえのことを部長が呼んでたぞ」

「部長が?」

「おまえ何かしたのか?」

 西崎は冗談めいた口調でそう言うと、克行の答えを待たずにすぐに仕事に戻った。それは今の時期まったく当たり前の動作で克行も気にならなかった。それほど皆仕事に追われているのだ。

 オフィスの一番奥の部長席を見ると、部長の桜川が克行の出社に気づいた様子でこちらを見ている。

 部長の桜川登は今年ですでに七十八歳を向かえている。八年前高齢化社会により政府は年金支給年齢をついに八十歳以上と決めた。その影響で企業の定年年齢も引き上げられたために桜川は今でも現役として働き続けている。すでに頭は剥げ上がり、残っている髪もほとんどが白く変わっている。

 克行は所せましと並んでいる机のわきの通路を通って部長の席へ歩いていった。足がやけに重く感じる。

「やあ、体の具合はどうかね?」

 克行が近づくと桜川は相手を探るような目で言った。

 桜川の名前は特命者リストに入っている。

(なぜ、部長が?)

 克行は不安になった。桜川が知っているのではないかと克行は危惧した。これまでにも体調を悪くして休んだことがなかったわけではない。だが、そんなこと今まで尋ねられたことなど一度もなかった。それどころかこれまで桜川とは口をきいたこともほとんどなかったからだ。

「……ええ、もう大丈夫です。けど……なぜです?」

「ああ、いや……」

 克行の問いに桜川は言い難そうに目をそらした。

「どうかしましたか?」

「いや……べつに……ただ会社も今だいぶ忙しくなってるんで体でも悪くしたんじゃないかと思ってね。君、昨日休んだろう。大丈夫かね」

 その言葉の様子に克行は、桜川がもっと別のことを聞きたいのだと察知した。それは克行が最も知られたくないことだろうということも。

(部長は昨日何があったか知ってる……でもなぜ?)

 克行は当惑した。もちろんそれは克行の想像でしかないし、桜川が知っているなどということを信じたくもない。だが、桜川の不可思議な言動は克行の心を揺り動かした。

「風間君?」

 桜川の声に、克行は我にかえった。

「は、はい」

「君、本当に大丈夫かね?」

「ええ、もちろんです」

 克行は平静を装った。


 何かが起こったのはその日の夕方だった。克行はあの後何も考えないように務めた。特権者優遇計画のことを一切忘れ、仕事だけに意識を集中した。

 だが、一本の電話が鳴ったことで事態は急変した。

――やあ、風間さんかい?

 一瞬克行には誰からの電話なのかわからなかった。

「どちら様でしょう?」

 克行の頭のなかを顧客先の人たちの顔がいくつも横切って行く。だが、どれもその声に該当するものはなかった。

――俺だよ、俺、立花だ

 克行の頭のなかが真っ白になった。

「立花……」

――そうだ、昨日市役所で会ったろう。忘れちまったわけじゃないだろう

 もちろん憶えていた。特権者に選ばれることを唯一の楽しみとしている警察官。克行は一瞬自分が過去に大きな犯罪を犯したことのある人間に思えた。これは刑期を終えて出所した受刑者が昔刑務所で知り合った受刑者に会うのに似ている。ほんの少しの間忘れかけていた計画のことが一気に蘇ってきた。

「……なんでしょう?」

 克行は周りの社員に気づかれないようにしたが、それでも声はやけに重々しく変わってしまっていた。はす向かいの席の磯崎和歌子がちらりと克行に視線を向ける。

――今日、何時頃仕事終わるんだい?

「え?」

――ちょっと会えねえかなあ

「なぜですか?」

――聞きたいことがあるんだ。それにせっかく知り合えた仲間じゃないか。少しくらいつきあってもいいだろう。俺、今日非番なんで暇を持て余してるんだ。

 「仲間」その言葉がなおさら克行の心を重くした。

「今どこにいらっしゃるんですか?」

――あんたの会社のすぐそばさ

 克行はどきりとした。そういえば先日はただ名前を教えただけで克行がどこに勤めているかを教えたつもりはなかった。もし、教えたところで大手の会社と違ってすぐにわかるようなものでもない。それなのに立花は昨日の今日でもう克行の職場まで電話をかけてきている。

――おい、どうしたんだい? 会ってもらえるのかい?

「は、はい。それじゃ――これからどうですか?」

――これから?

「ええ、三十分くらいならいいです」

――かまわんよ

「それならロビーで待っていてもらえますか。すぐ降りて行きます」

――待ってるよ

 プツリと電話が切れる。

 克行は少しの間茫然と電話を見つめていたが、やがてしかたなく立ち上がった。本来ならば二度と会いたくない相手だ。しかし、もし今日会えないと言ったところであの男はきっと明日、明後日また連絡してくるだろう。それに、なぜあの男が克行に会いたがっているのかその理由も気になった。あの男は「仲間」などという感情で動くような男ではない。もっと何かあの男にとって大事なことで話があるのだろう。

 克行がロビーに降りると立花がソファーに座ってのんびりと煙草を吸っているのが見えた。

「よお」

 立花は克行を見て軽く手をあげ立ち上がった。昨日と同じ上下黒いスーツを着こんでいる。

「お待たせしました。さあ、こちらへ」

 克行は事務的な口調で、立花をうながして地下へ歩き始めた。地下には三件ほど喫茶店が入っており、よく顧客との打合せはそこで行われていた。本来、会社のそばで特権者優遇計画に関連する行動はとりたくなかったが、それでも立花と二人でどこかで話すというのは気がすすまなかった。何よりここならばあまり時間ととらずに済むと考えた。

 克行は喫茶店のガラス窓からなかを覗き、知り合いがいないのを確かめてからなかに入って行った。

 克行たちは奥のなるべく周りに人がいないところを選んで座った。

「なんでしょう」

 克行はウェイトレスにコーヒーを頼んだ後さっそく立花に尋ねた。「何か聞きたいことがあったんでしょう」

「まあな」

 立花はとぼけるような感じできょろきょろと周りを見渡した。

「それならどうぞ、仕事の都合であまり時間がないんです」

「そうかい、それじゃてっとり早く済まそうか……あんたの会社に桜川って部長さんいるよな」

「桜川部長?」

 突然出てきた桜川の名前に克行はどきりとした。だが、次の瞬間その意味を悟った。立花の特命者リストにも桜川の名前が載っているのだ。

「いるだろう?」

「ええ――でも、なぜです?」

 克行はわざととぼけて聞いた。

「いや……どんな人なのかと思ってね。それで出来たら……」

 ウェイトレスがコーヒーを運んできて立花は言葉を切った。立花は砂糖もクリームもいれないままコーヒーをすすったが、熱かったらしくすぐに口を放した。

「出来たら――なんですか?」

 克行はこちらから立花をうながした。

「写真をね……」

 写真、その言葉ではっきりと立花の特命者リストに桜川の名前があることを確信した。特命者リストには特命者の住所や勤務先は載っていても写真は出ていない。立花は桜川を殺すために写真を手に入れたがっているのだ。だが、立花もさすがにそのことを表に出すつもりはないようで言い難そうに見える。

「写真ですか?」

 克行はあくまでとぼけることにした。そしてとぼけながらどうするべきかを考えた。

「どんな人か写真が欲しいんだ」

 立花の目がギラギラと克行を見つめる。その目には克行を通して桜川に対する殺意が明らかに読み取れた。

「あいにくですが」

「ないのかい?」

「今手持ちのものはありませんね。ただ一ヶ月か二ヶ月待ってもらえれば手にいれることは出来ると思います」

 克行は考えたあげくそう答えた。さすがに自分の知っている人間を矢面にさらすようなことはしたくなかった。克行の答えに立花の表情が曇った。その目からはまだ殺意は消えてはいないが、とりあえず一歩踏み誤ったというような表情に見えた。

「そうか……」

 立花はカップを持つといっきに飲み干した。もうぬるくなっているのかと克行も一口飲んでみたがまだそれほど冷めたわけではなかった。

「俺は行くよ」

 立花は金をテーブルに置くと不機嫌そうに立ち上がった。克行の一言ですでに別の方法と考えはじめているのだろう。

「待ってください」

 克行は慌てて呼び止めた。

「なんだい?」

「いったいなぜ私の会社がわかったんです? 私は名前しかあなたに教えていません」

 立花は克行の質問ににやりと口をまげた。

「俺の職業教えたろう」

 背筋が凍るような思いがした。この男ならば桜川の写真もすぐに手にいれることだろう。立花はもう克行のことなど忘れてしまったかのように一人ですたすた早足で出て行ってしまった。

 克行は立花が出て行くのを立ち上がりその場で見送り、立花が見えなくなるともう一度座り直した。おそらく、立花はこんなことで桜川を狙うのをやめたりはしないだろう。

 なぜだか、立花とはもう一度どこかで会わなければいけないような気がした。


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