死のクリスマスイブ・21
二十一
アパートへ帰ると克行はすぐにポケットから「殺人リスト」を取り出した。そして、そのリストの「磯井正隆」の部分を黒いマジックで塗り潰した。何度も何度も完全に読み取れなくなるほどに塗り潰した。坂本、波川の名前も昨日のうちに同じように塗り潰されている。
しかし、どれほど塗り潰してみても克行にはそのマジックのあとを透して消されたはずの名前を読み取ることが出来た。すでに彼ら三人の名前は克行の心のなかにしっかりと刻まれてしまっている。
警察の取り調べは驚くほどあっという間に、昨夜の杉本のもの以上に早く終わった。克行が特権者とわかった時の警察官たちの顔が思い出された。横柄な態度で克行に一度手錠をかけた警察官は真っ青になりわずかに震え、そして克行の顔をうかがいながら手錠を外した。銃声を聞き近所の主婦が警察に連絡したらしいが、その主婦も克行が特権者であったことを知り(彼女は「特権者優遇計画」についてもよく知らず、警察官に説明されてやっと理解した)犯罪として警察に訴えたことを何度もひたすら謝り続けた。克行は初めて特権者という権利がいかに強いものかということを知った。しかし、その逆に彼らの脅えた瞳の奥に克行をさげすむ光があったことも感じていた。
リストをテーブルの上に投げ出すと、克行は次に拳銃を取り出した。磯井の持っていた拳銃はその場においてきたが装填され残っていた弾丸だけは気づかれぬように抜き取り持ってきた。磯井を殺すことも含めすでに五発は使ってしまっていたため残っていたのは一発だけだったが、それでも克行にとっては貴重な一発だった。
克行はその貴重な弾丸を自分の拳銃に装填した。
(あと二人……)
極度のストレスのためか微かに頭痛がしていた。
麻美の名前の載るリストを持つ特権者があと二人いる。
高校の教員である富士川、そして警察官であるあの立花。この二人を狙うのは今までの三人以上に難しいように思えた。
あの殺人を何よりの楽しみとし、市役所もまたもっとも高いランクであると認めている立花を殺すことが出来るだろうか。また、富士川にしてもランク・Bであり、どんな人間なのかもまったくわからない。
そんな二人を相手にすることになる。
克行は今日感じた自分自身のなかの狂気さも含め、これからに不安を感じた。もしも無事に終わったとしても、これまでとは生き方も考え方もまるで変わってしまっているかもしれない。立花のようになっていることだって考えられる。
けれど、やらなければならない。
そうだ、麻美のためにはどんなことでもやらなければいけないんだ。自分の頭がおかしくなろうと、殺人が楽しいと感じるようなおかしな人間になろうと麻美を守らなきゃいけない。進むべき道がそれしかないことを克行は知っていた。
(くそ! これが運命なら受け入れてやろうじゃないか!)
克行はおもむろに電話帳を手にとると調べ始めた。
「川越高校」
克行の住む街から電車で一時間近くかかる距離にある私立高校である。そして、富士川の住む境八日町もそのすぐ近くにある。
克行は富士川を次の標的に決めた。
電話番号を調べると克行は電話へ手をのばした。
RRR・RRR……
呼び出し音が鳴っている。六時前、まだ教師たちは残っているはずだ。だが、なかなか出ようとしない。ズキズキと頭が痛み出していた。
何やってるんだ!
克行はいらつきを押さえるように指でテーブルをこつこつと叩いた。
――はい、川越高校です。
コール十回目でやっと女性の声が電話に出た。
「すいませんが富士川先生いらっしゃいますでしょうか?」
――富士川先生ですか? えーとですね。
辺りを見渡しているのか、考えこんでいるのか一瞬間があいた。
――少々お待ちください。
愛想のない声で受話器がガタリと机のうえに置かれるような音がした。頭痛はしだいに酷くなっている。克行は受話器を握りしめながら頭痛薬があったかどうかを思い出そうとした。
やがて、どこからかパタパタと走るような音が聞こえてきた。
――もしもし、電話変わりました。富士川です。
まだ、若そうな声だ。
――もしもし?
「あ……富士川先生ですか?」
――はい。
「私、矢代受験センターの者ですが――」
つい知っている受験センターの名前が口に出た。
――はぁ、なんでしょう。
「大学入試を控え、そちらの学校の受験調査で電話したんですが……」
――受験調査ですか?
「もしよろしければ明日お伺いしてお話を聞かせていただけないでしょうか?」
――明日? ずいぶん急ですね。
「明日はいらっしゃらないんですか?」
――いや、そういうわけじゃないんですが。ちょっと……昼間お客さんが来ることになってるんですよ。私でなく田口先生ではいけませんか? 彼も三年の担任ですし。
「構いませんよ。田口先生は今、いらっしゃるんですか?」
――いえ、今日はもう帰られたんですよ。けど、大丈夫ですよ。私のほうから連絡しておきますから。
「そうですか、それではよろしくお願いします」
克行は静かに受話器を置いた。
自分でも比較的うまく嘘をつけたと感心していた。克行は富士川を校内で片付けることに決めた。
これで明日富士川が校内にいることは間違いがない。ただ、客が来るというその言葉が妙にひっかかった。高校の教師という立場上いろいろな客が訪ねるのはべつにおかしなことでない。しかし、なぜだか克行にはそれが今回の特権者優遇計画と関わりがあるように思えてしかたなかった。
(ノイローゼぎみだな……何でも計画に結びつけて考えてしまう癖がついてる)
しかし、それもあと二人。二人を殺すことで自分の役目は終わる。
そう考えることで何とか今の状況から逃れたかった。
克行は立ち上がると頭痛薬を捜すために動き出した。我慢出来ないほど頭痛は酷くなっていた。だが、あいにく頭痛薬は一錠すら見つけることは出来なかった。考えてみれば頭痛薬などもう一年以上使ったことがなかった。あの拳銃乱射事件を目の当りにした時に使ったきりだ。あの時、全て使い切ってしまったのだろう。克行はさらに捜した結果、やっと睡眠薬を捜し出した。
克行は二錠取り出すとからからに乾いた口に押しこむとキッチンで冷蔵庫からビールを取り出して一罐を一気に飲み干した。からっぽの胃袋にビールが流れこむ。おそらくすぐに酔いがまわってくるだろう。
克行はスーツを脱ぎパジャマへと着替え始めた。今夜はもうこれで眠ってしまうつもりだった。市役所からの電話など聞きたくもなかった。
(麻美は?)
大丈夫さ。きっと大丈夫だ。
――彼女は大丈夫。
涼子の言葉が思い出された。涼子がなぜそんなことを口にしたのかそれはわからなかった。けれど、こうやって毎日を過ごしているうちに克行もそんなふうに思うようになっていた。
そうだ、彼女は大丈夫だ。
克行はベッドへ潜り込み目を閉じた。早くも睡魔が訪れていた。深い眠りはおそらく悪夢も取り去ってくれることだろう。